Story 31 【その日の気分は】
憂鬱だ。
そう表現するべきなのか、僕の気分は優れなかった。
原因は分かっているし、その原因がどうしようもなく回避できないものなのも分かっているため、正直諦めているのだが。
といっても、僕の都合だけでいつもの談合をなしにするわけにもいかず、極力それを表に出さないようにしながら、いつも通りの場所へと向かうと。
「君、今日は帰りなよ」
「……は?」
先輩に、そう言われた。
「いやいやいや、何言ってるんですか先輩。僕の一存で今日帰ってもいいとか決められるわけないじゃないですか。一応これ仕事ですよ?」
「あー、いや、まぁ……ね。でもだぜ?君、今日調子悪いだろう」
どきり、とした。
出来るだけ表に出さないようにしていた感情がどこか漏れていたのだろうか。
驚きを悟られないように、僕は先輩に笑いかける。
「はは、何を言ってるんですか。風邪とかも引いてませんし、体調が悪いとかでもないですよ」
「あー。言い方が悪かった。……君、元気がないというか……無理にそれらしく振舞ってるだろう?そういうのって隠そうとしても意外と分かるぜ?」
いつになく真面目な顔で言った先輩は、まっすぐこちらの目を見てそう言った。
それにどこか気負わされるように。僕は震える唇を、痺れる舌を必死に動かして問を返した。
「……なんで気付きました?」
「一応これでも付き合いは長いし、こうやって毎日とは言わないけど、ほぼほぼ毎日2人で会って話してるんだぜ?少しは分かるさ。……でも、いつもだったら愚痴なんかは雑談中に漏らすだろう?それにいつもならもっと分かりやすく顔に出してるはずだ」
「よく、見てますねぇ」
「あは、これでも人間観察は得意でね。得意じゃないと日課は出来ないさ」
はぁ、と1つ溜息を吐いた。
どうやら下手に誤魔化そうとしても意味がないようで。
まさか先輩にばれるとは思っていなかった僕は、心の中で動揺してしまっていた。
「いやまぁ、帰れないってのは本当なので話しましょうか。……正直面白い話でもないですよ?悪い話ってわけでもないんですけど」
「吐き出すことで楽になったり、心の中で整理が出来るものさ。良いぜ、ここは年上の私が君の吐露を聞いてあげようじゃあないか」
「ははは」
「何だいその感情のない笑いは」
敵わない、そう思いながら。
何処から話すべきかを考える。
正直な話、先輩に言った通り面白くも、そして悪い話というわけでもないために、自身の心の内に仕舞っておこうと考えていたものだ。
……いや、一種の後悔もしてるんだから悪い話ではあるのかな。
「まぁ、単純な話。……僕がちょくちょく通っていた老舗の喫茶店がなくなることになりましてね」
「ほう?」
「来月の中旬辺りで閉まっちゃうらしくて。もうそこに同じように通っていた人とは疎遠になっていくのかな、と思ったら少しだけ憂鬱になりまして」
「あー……成程ねぇ」
そう、簡単に言えばそれだけの話。
通っていた喫茶店が閉まってしまう。だからこそ、そこで知り合った人達と疎遠になってしまう。
それだけの、話なのだ。
「で?一応聞くけれど、その知り合った人達とは連絡先とかは?」
「交換はしてますよ。……まぁ、今までは喫茶店に行けば会えたので使ってませんでしたが」
「あー。成程ね」
先輩はそこまで聞くと、僕の差し出した紅茶を口に含む。
まだまだ寒い季節に温かい紅茶は体に染みる。
「いやまぁ、君に言うのはあれだけど……もっと重い話かと思って身構えてたからホッとしたよ」
「まぁ身内が入院したとかだったら、きちんと伝えますしね」
「そりゃそうだろう。そんな事があってここに来てたらぶん殴ってる所だぜ?……しかし、これも人の輪、『別れ』って奴か……懐かしいなぁ」
「?何がです?」
「おや、覚えてないかい?前に君と『人の別れ』について話した事があったろう?」
その言葉に、あぁと思い出す。
確かあの時は、
「先輩が好きなアーティストが引退した時でしたっけ?」
「よく覚えてるねぇ。そうだよ。話の内容自体は覚えてるかい?」
「『形式上の別れ』と『永遠の別れ』、ですよね。……あぁ、成程」
「そういうことさ」
過去に先輩と話した『人の別れ』についての話。
例えば、『形式上の別れ』はその場その場に限るものの、どこかで未だその人たちは繋がっていて……会おうと思えば会える、そんな別れだ。
そして、『永遠の別れ』。
こちらは、死んでしまったり……その人との繋がり自体を断ってしまった時に訪れるのがこの別れ。
僕は以前聞いた話をそう解釈していた。
そして、先輩はこう言いたいのだろう。
「まだ連絡先……繋がりがあるからこそ、『形式上の別れ』って言いたいわけですね?」
「賢い生徒は好きだぜ?」
「貴女の生徒にはなりたくはないですね。……確かに、そうですね。まだ彼らと僕は繋がっている。会おうと思えば会えますもんね」
連絡先を交換しているのなら、連絡が出来る。
連絡が出来るのなら、また集まることが……再会することが出来る。
本当に繋がりがなくなるまでは、絶対に。
「……何というか、それに気が付かずに悶々としてた自分と、それを教えられて気分が明るくなってる自分が単純すぎて嫌になってきますよ、カニバル先輩」
「あは、いいじゃあないか。人間単純な方が何事もやりやすいぜ?魔女後輩」
そんな事を言い合いながら。
とりあえず今日は早い時間ではあるものの、解散することになった。
当然だろう、幾ら気分が明るくなったといっても……今日、僕はいつも通り話せる自信がないのだから。
帰り道、空を見上げてみた。
そこには大きく丸い月が、空に輝いていた。




