第114話 蛇の王 後編
※三人称視点です
「異能すら石に変えるですって……!?」
ギルバートの言葉にリーゼロッテは絶句した。
アデルは確かに強い。
どんな異能も――第一位階だけという制限付きではあるが、己の異能として発現できるようになるのだから。
だが、それも相手に届かなければ意味がない。
仮にアデルがギルバートの異能を再現できるようになったとしても決定打に欠ける。
せいぜい五分止まりだ。
となれば後は、純粋な力量の凌ぎ合いということになる。
基本的な戦闘能力において、ギルバートがどの程度のものなのかはまったくの未知数だ。
もしかしたら負けるかもしれない、そんな考えを振り払うべく、リーゼロッテはブンブンと頭を振った。
「アデル! 頑張って!」
大きな声でリーゼロッテがアデルに声援を送る。
その声に応えるように、アデルは一瞬振り返ると、笑みを浮かべて頷いた。
そして、すぐにギルバートの方に向き直ったかと思うと、己の両手を眺め、確かめるように何度も開いては閉じるという動作を繰り返した。
「何をしているのですか」
「いえ、困ったことになったと思いまして」
ギルバートの問いに、アデルが苦笑した。
「その割には困ったようには見えませんよ」
「そうですか? 困っているのは事実なのですが」
「では、なぜ貴方は笑っているのです」
そう、確かにアデルは笑っていたのだ。
「アルバートの報告によると、貴方は他人の異能を再現することができると聞いています。しかもその類まれなる魔力量で、同時にいくつもの異能を発現することが可能だとも。ですが――」
ギルバートは地を蹴ったかと思うと、涼しい表情を浮かべたままアデルへと迫る。
「はああぁぁッ!」
彼は一瞬で間を詰めると、拳を振り抜いた。
放たれた拳擊は空気を歪に引き裂く。
絶対防御の効果を持つ"守護女神の盾"が石に変わり、粉微塵に砕け散るが、ギルバートの拳は止まらない。
直撃すれば、アデルの身体であろうと同じことが起きるだろう。
特殊な空間内なので、実際は体力ゲージが減るだけだが。
刹那の見切りで渾身の一撃を躱すアデルに、しかしギルバートの手番はまだ終わらない。
途切れることなく連続する両の拳、からの蹴擊。
右手以外も使用してきたことに違和感を覚えたアデルは、もう一度"守護女神の盾"を発現させて最後の蹴りを受け止めた。
次の瞬間、"守護女神の盾"は石へと変わる。
「――やはり、ですか」
ギルバートから距離を取り、アデルが確信を込めて呟く。
「右手だけ、と言ってはいませんからね」
最初に右手を向けてきたのは、恐らく勘違いさせるためだったのだろう。
仮にアデル以外の者であれば、気づかずに生身で受けていたはずだ。
「本当に困りましたね」
「諦めて降参しますか?」
「いえいえ、困ったというのは別に勝てないからというわけではありません」
「……ほう?」
ギルバートの表情が変わった。
「この状況でまだ勝てると?」
「ええ」
「実に興味深い。どうやって私に攻撃を当てるというのです」
どんな異能であろうと、触れた時点で石に変えることができる"死をもたらす蛇の王"に死角はない。
そう言い切れるだけの自信がギルバートにはあった。
事実、彼はこの異能を発現してから一度も敗北したことがない。
――ただ一人を除いては。
だが、目の前のアデルは勝てると言っている。
アデルの表情からは虚勢や驕りといったものは感じられない。
彼は本当にギルバートに勝てると思っているのだ。
「対シャル様用のとっておきだったのですが、ここで負けてしまっては意味がありませんからね」
「シャル様? いったい誰のことを言っているのですか」
ギルバートの問いにアデルは答えることなく、右手を前に出す。
「『――――英雄達の幻燈投影』」
ギルバートの四方を燃え盛る炎の壁が取り囲む。
ギルバートは自分を囲む壁を見回しながら、落胆の吐息を漏らした。
「先程と同じではないですか。このようなもの、触れてしまえばただの石に変わるだけです」
そう、このままでは先程までとまったく同じである。
ギルバートが"灼熱世界"に触れれば、石となって砕け散るだけなのだ。
「私はね、複数の異能を発現することができるのですよ」
アデルの言葉にギルバートが首を傾げる。
何度もこの目で見ているのだ、何を今さら公言する必要があるというのか。
リーゼロッテは何のことを言っているのか気づいたようで、「まさか……」と呟いていた。
「私はいつも考えていました。対象を人ではなく異能にした場合はどのような効果が得られるのか、と」
そう言ってアデルは炎の壁の前まで歩み寄る。
ギルバートとは壁一枚の距離しかない。
そのような危険な距離にもかかわらず、アデルは"灼熱世界"に触れた。
「『――――魔力供給』」
詠唱と同時に、炎の壁が眩い光に包まれた。
あまりの輝きに誰もが目を瞑る。
それはギルバートも例外ではなかった。
一秒にも満たない僅かな時間だが、戦いにおいては致命的な間。
その場にとどまるのが危険と判断したギルバートは、後ろへ下がりつつ、右手を振りかざした。
右手は何も触れることなく空を切る。
「くっ、いったい何……を!?」
目を開いたギルバートが最初に見たものは、炎の壁ではなかった。
自分を取り囲んでいたはずの"灼熱世界"が綺麗さっぱり消えていたのだ。
代わりにアデルの右手に変化が起きていた。
「あれは……私の『灼熱の紅炎』!?」
リーゼロッテの瞳が驚愕に包まれたのは当然のものだった。
アデルは第一位階しか再現できないはずだ。
複数の異能という言葉で"魔力供給"のことだと気付いてはいたが、身体能力が活性することから、せいぜい威力が上がる程度だろうと思っていた。
「第一位階から第二位階へと至るには更に多くの魔力を必要とします。無論、魔力だけではないことは知っていますし、異能に異能をかけるなど普通であれば考えつかないことでしょう。何故なら、一人が発現できる異能は一つのみなのですから」
そう、アデルだから、二人の魂を併せ持つ紳士だからこそ考えついたことである。
彼は人差し指で揺らめく巨大な炎の塊を見つめた。
「貴方の異能が石に変えるといっても、一度に際限無く処理できるとは思えません」
もし、無限に石に変えることができるのであれば、それは人が持つ願いの枠を超えている。
「攻撃が防がれるのであれば更なる攻撃を。そしてどうせならより強い攻撃を相手に与える。相手が耐えられないほどの攻撃を」
シャルロッテの"絶対なる王の領域"を攻略する為にアデルが考えた方法だった。
「面白い。私の『死をもたらす蛇の王』、破れるものなら破ってみなさいッ」
吠えるギルバートに向けてアデルは人差し指に込められた力を解放し、爆炎に等しい破壊力を伴った"灼熱の紅炎"を放った。
「無駄です!」
炎の弾丸と化した一撃をギルバートは右手で対抗する。
触れれば即座に大爆発を起こすはずの火球だが、ギルバートの右手で球体を保ったままだ。
だが、先程までと違ってすぐには石化しない。
第一位階である"死をもたらす蛇の王"では、第二位階である"灼熱の紅炎"を石に変えるまでに時間がかかるようだ。
「――くっ、これしきでぇ!!」
左手も使い、ギルバートは眼前の火球を石に変えた。
彼はすぐさま追撃に備える。
アデルの手には、いつの間にか黄金に光輝く剣が握られていた。
「まさか……シュヴァルツ先輩の第二位階まで再現できるの!?」
リーゼロッテは「まさか」という表情をした。
アデルは剣に触れると、"魔力供給"で魔力を流し込む。
刀身が輝きを増し、コロシアムが金色に包まれる。
「美しい……」
試合中だというのに、ギルバートが思わず感嘆を漏らす。
それほどまでにアデルの持つ"勝利すべき王者の剣"は美しかった。
アデルは"勝利すべき王者の剣"を両手で持ち、それを真上に振りかぶる。
高密度の魔力が、金色の刀身に集約していく。
「はっ! さ、させるかああああぁぁぁ!!」
ギルバートが疾走する。
石化の効果を伴った右手が、アデルまで後一歩のところまで迫る。
しかし。
「終わりです」
アデルは剣を振り下ろし、ギルバートの右手と接触した。
金色の斬撃が一瞬で闘技場を、そしてコロシアムを染めた。
轟く大音響と光が収まると、うつ伏せに倒れるギルバートの姿があった。
見た目に変化はないが、彼の体力値はゼロになっていることから、戦闘不能であることは明らかだ。
アデルは観客席のある場所に向けて優雅に一礼した。
一礼された主――セリスが笑顔を浮かべて拍手すると、呆気に取られていた観衆に伝染し、大歓声となってコロシアムに響いた。