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第108話 束の間の平穏を愛しい人と過ごします

 公王とディクセンには、婚約のことを公表しないようにお願いし、承諾していただきました。

 

 ディシウス王国からの正式な書状を受け取っているのです。

 形式に則った返事をしていないのに婚約発表などしたら、ディシウス王国はもちろん、ギルバート王子の顔にも泥を塗ってしまうことになります。


 少なくとも、ギルバート王子とお会いしてお断りを入れるまでは二人の婚約は公にしないほうがよいでしょう。


 公王とディクセン、私にリーゼロッテの四人だけの秘密にして、誰にも口外しないことを確認すると、その日はお開きになりました。



 リーゼロッテと新たに婚約を結んだ後。

 これといって大きな出来事は起きませんでした。

 日々は、ある意味平穏に過ぎ去っていきます。


 いえ、変わったことが一つだけありました。

 冬休みに入って屋敷に戻ってからというもの、私はなるべく家族と――マリーやミシェルと一緒に食事を摂るようにしていました。

 屋敷から遠く離れた学園という箱庭で離れて暮らし、寂しい思いをさせてしまっている妹や弟と少しでも同じ時間を過ごすには、食事は大切な時間なのです。

 

 ですが。

 この日、私たち兄妹のテーブルは、普段とは明らかに異なっていたのです。


「アデル、あーん」

「あーん」


 リーゼロッテから私の口へと差し出されたフォークの先にある牛肉のソテーを、恭しく頂きます。

 ともすれば。新婚カップルのような風景に見えるでしょう。


 しかし、これは友人との間のことであり、ここは当然、屋敷の食堂です。

 食事の賑わいが、一種異様な静けさで静まり返り、ほとんど呆れに等しい視線が二つ、私とリーゼロッテに送られていました。


「味付けはどうかしら。アデルの口に合うといいのだけど」

「表面はしっかりと焼いてあるのに中はしっとりと柔らかく、噛む程に肉汁が溢れてきます。絶品ですよ」

「お兄様、その肉を焼いたのはうちの料理人ですわ」


 マリーがため息混じりに呟いていますが、聞こえないふりをします。


「こういう味付けがアデルの好みなの? わ、私も今度頑張って作ってみようかしら」

「いえ、料理人一人ひとりの味わいを楽しむのが好きなのですよ。私としてはこの味に合わせるのではなく、リーゼロッテ様の味わいを楽しみたいですね。それに――」

「それに?」

「リーゼロッテ様が私の為に作ってくださったものなら、それだけで嬉しいですし、何でも美味しいに決まっていますよ」

「え、ええ、頑張るわ! それじゃあ、次はこっちね。あーん」

「あーん。うん、美味しいです。ただ味が良いだけでなく、美しい淑女の手ずから食べさせていただくこの状況、形容し難い魅力があるというものです」

「美しいだなんて……アデルはじょうずね」

「私はあるがままの真実を述べたに過ぎませんよ」

「……もう。こっちも美味しいわよ。あーん」

「あーん」


 とまあ、ずっとこうして昼食を採っているわけなのです。

 しかも、内々に婚約を決めてから三日連続で。

 

 リーゼロッテとの距離感は一気に縮まったといいますか、縮まりすぎたといいますか、正直無いに等しいです。

 そんな状況を三日も見ているマリーやミシェルですから、当然私とリーゼロッテの関係に気づいているでしょう。

 そもそも、私を諭してくれたのはマリーなのですから。


「……ミシェル、よく見て勉強しておいたほうがいいですわ。エステル様にお会いした時にお兄様のような振る舞いができれば、お互いの距離がグッと縮まるに違いありませんわ」

「僕に兄上と同じことをしろだなんて、無理に決まってるだろ。父上と手合わせをするほうが百倍マシさ」


 近衛騎士団長であるディクセンと手合わせするほうがマシとは……解せません。

 普通に真摯に向き合い、思ったままを行動に移すだけでよいというのに。


 二人の話を聞いているあいだに、私の料理が全てなくなりました。

 次にやるべきことは一つしかありません。


 私はリーゼロッテの前に置かれた料理を、フォークとナイフを使って一口大に切り分け、彼女の口元に運びました。


「次は私の番ですね。はい、あーん」

「あーん。ふふ、こうして食べさせてもらうと本当に何倍も美味しいわね」


 リーゼロッテは目を細めて、ふにゃりとした微笑みを浮かべています。

 それが何故だか嬉しくて、同じように微笑みを返しました。


 マリーとミシェルが砂糖を吐き出すようなげんなりした表情を向けていますが、ただ見つめ合っていただけですよ?


 リーゼロッテの食事も終わると先に席を立ち、彼女の後ろに回ってゆっくりと椅子を引きました。


「食後に屋敷の裏にある庭園を散歩しませんか?」


 庭園は外にあるので、今の季節であれば厚着しないと風邪を引いてしまうかもしれません。

 ただ、うちの庭園は少し変わっているのです。

 庭園一体をドーム状のガラスで覆っており、温度が一定に保たれるように施されていました。

 

 季節に合わせて花を植え替えているので、色んな種類の花の色や香りを楽しむことができます。


「アデルの家にある庭園は、いつも丁寧に整えられているから楽しみだわ」

「ありがとうございます。さあ、お手を」


 そう声をかけて手を差し出すと、リーゼロッテは淡い微笑みを浮かべて私の手を取りました。

 白く滑らかで綺麗な手です。


 部屋を出る前に、後ろを振り返り、マリーとミシェルに声をかけました。


「二人も一緒にどうですか?」

「せっかくのお誘いですけど、私たちは遠慮させていただきますわ。お兄様とリーゼロッテ様だけでどうぞ。ねえ、ミシェル」


 マリーが同意を求めるようにミシェルに視線を投げかけると、ミシェルはこくこくと頷いていました。

 

「そうですか、仕方ありませんね。では、リーゼロッテ様。庭園までエスコート致します」

「ふふ、ありがとう」


 恭しく紳士のような振る舞いを見せると、リーゼロッテは柔らかい笑みを零しました。

 

 二人して、使用人たちの手によって綺麗に刈り揃えられた芝生の上を歩き、庭園を目指します。

 庭園に近づくと、目の前にはクレマチスの蔓が伸びたアーチが出迎えてくれました。

 

 下向きに咲く白いクレマチスの花は、派手さはないものの、十分に冬を楽しませてくれます。

 アーチを通り抜けた際に、フワリと甘い香気が漂いました。


 庭園には誰もおらず、空を見上げれば澄み切った青空が広がっています。


「数日前のことが嘘のように穏やかね」

「そうですね」


 リーゼロッテが言っているのは恐らく……。


「……まだ不安ですか?」


 優しく話しかけると、リーゼロッテは急に心細そうに視線を揺らしました。

 美しい蒼色の瞳の奥に、私の顔が写り込んでいます。


「そうね……不安がないと言えば嘘になるわ。ディシウス王国へは行ったことがなければ、ギルバート王子とお会いするのも初めてだもの。しかも、話の内容が婚約についてだなんて……お断りすると決まっていても、ね」


 出会った頃からいつも強気で勝ち気なリーゼロッテの眼差しが、その瞬間悲しそうに揺れました。


 まったく、そのような顔をされては困ります。

 そして、やはり今こうして隣にいることができて本当に良かったと感じています。

 私の決断が遅ければ、きっと今以上に悲しみにくれていたでしょうから。

 

「大丈夫。何があろうと私がお守りいたします」

「アデル……」


 すると、リーゼロッテは輝くような笑顔を見せました。


 ――あぁ、この笑顔を守りたい。

 

 そう思った私は、彼女の華奢な肩に手をかけると、「え?」と目を丸くするリーゼロッテの頬に口づけをしました。


 私からの不意打ちを受けたリーゼロッテは、今までみたこともないほど頬を紅潮させています。


「本当はこちらにしたかったのですが、それは全てが終わった後でということで。今はこれで許してください」


 リーゼロッテの艶やかな唇に触れながら告げると、顔全体が真っ赤に染まりました。

 ボン! と音を立てて爆発してしまうんではないかと思うほど、リーゼロッテは赤くなっています。 


「それとも、今した方が宜しいですか?」

「ふぇ!? い、今はいいわ! これで充分よ!」


 口づけされた頬に手を当てるリーゼロッテの慌てる姿もまた愛らしく感じてしまうのは、やはり好きだと自覚したからでしょうか。


「それでは行きましょうか? 少し冷えてきたことですし、お茶にしましょう」


 興奮冷めやらぬ様子のリーゼロッテの手を指を絡めて繋ぎ、私たちは屋敷へと戻るのでした。

 

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