敬虔なる一つの鉢
あるとき。
ある西洋風の街中で、男は鉢を手に入れました。
やっと手に入れた一本の木の鉢。
男はさっそく持ち帰り、世話をすることにしました。
「やっとで手に入れた大望の鉢だ。世界で一番の木にしてみせるぞ」
どうやら、店主の話では直射日光に弱いそうです。
男はさっそくレースを引いたカーテンのある部屋を作り、昼間や夜間のお世話をするメイドを雇うことにしました。
栽培室の完成です。
「ふむふむ。世界一の木にするために、勉強が肝心だな」
男は思い、専門書を百冊購入しました。
深夜問わず読み耽り、植物のノウハウを学びます。
木には栄養剤が必要だそうです。
世界一の予算をかけて栄養剤を買いました。
木には肥沃な土が必要だそうです。
男は世界中を探し回り、まだ背の丈数センチしかない幼木のために、アラスカ奥地にある特別な土壌を譲り受けました。
「おっ、栄養源が届いたか。色つやがよくなってきたな」
男は会心の笑みで、植物に優しく語りかけます。
さらに千冊、専門書を購入しました。
木には適度な日光が必要だそうです。
男は日に五十回は栽培室へと通い、日光の注ぐ部屋と、その部屋とを屋敷中を往復しました。
木には外の空気、二酸化炭素が必要だそうです。
男は専用の馬車を仕立てると、街中に苗木一本だけ乗せた馬車を走らせ、後ろの馬車でそれを眺めています。
木は害虫を嫌うそうです。
男は世話をして、ピンセットで虫を払う専属のメイドを三人雇い、昼夜を問わずに見張らせました。無菌室にして、外との往復を厳重に禁じました。
「おや。元気がない」
男はガラス扉の外から、苗木を見つめます。
不安で不安で堪らなくなった男は、首都中の書店を周り、さらに一万冊の専門書を買い込みました。
木には仲間が必要だそうです。
男に選んだ各国の苗木の鉢を、近くに植え付けました。
木にはツガイが必要だそうです。
男が厳選に厳選を重ねた、その木のお嫁さんとなるに相応しい歴史を持った苗木を取り寄せました。思いっきりとなりに植えます。
木には日光が
木には栄養が
「――おや、どうされました?」
街の片隅。
ある、ひときわ寂れた教会で、懺悔室から出てきた黒服の老神父が、ひたすら祈りを捧げる男に気づいて首をかしげました。
「ああ。聞いてください。神父。こうして僕は八方手を尽くして、何万という書を読んで読んで読んで読み込んで、首都と郊外を問わずあらゆる教会で祈りを捧げているのに」
「ふむ。それはとても残念なことです」
男が普段から敬虔なる信徒であることを知っている神父は、まず悩みの中身を問わずに共感を示す。
真面目さを、世間が受け入れているのだ。
そして教会を数百ほど回った男が、帰宅すると。
木は無残に茶色く枯れていました。
「なんで枯れたんだよ!」
男の悲鳴が街に響き渡りました。
ああ、なんと滑稽なことか。
※真摯なお世話が、必ずしも本木のためではない。ということ。
『ためにはならない』ではなく、『ためでない』、というのは男は植物をお世話するように振る舞っておきながら、実は植物の側に立って一度も見ていなかった。ということ。だから『植物のためではない(お世話が)』という感じ。
(こういう人、たまにいるよね)
それはどこまで突き詰めても自己満足の世界であり、真摯な態度なんてなんの腹の足しにもならない。
彼は周囲も認める真面目な人で、何かあったら彼が被害者となってしまう。そう見られてしまう。というリスクを人の世間は孕んでいる。そんな感じ。ちなみに、枯れた植物こそいい面の皮だ。