聖女の日々
聖女様Sideのお話です。
話の時間は、祈りの日の前に戻ります。
神殿の年中行事の中で<祈りの日>は、かなり大掛かりなイベントだ。王都中の貴族が神殿のホールに集い、共に祈りを捧げるのだから。
彼らの放つ魔力を<祈りに変え>護神像に捧げ、1年の王国の加護を祈念する。通常魔力は魔石に溜める事が出来ないのだが、古の大神官であり大魔術師である偉大なるサマリンダが、祈りの波動を溜める魔術具<護神像>を造り、祈りの力を利用する方法を確立してくれたのだ。護神像を造るに当たっては、彼が召喚した異世界の聖女の、多大なるお力添えが有ったと聞く。聖女と大神官はその大いなる力で、この疲弊した世界に生きる希望を灯し、お互いに思い合う事の大事さを伝えてくれたと言われている。
ただただ祈る心の波動・・・他人を思いやる、見返りなど求めない純粋な愛の力。
神殿長はその純粋な想いの力が、昨今の魔力不足と相まって弱ってきている事に、一人心を痛めていた。
この頃の貴族は<祈る心>の力など、爪の先程も信じておらず<祈りの日>の儀式も形骸化してきていて、御座なりに参加しているにすぎない。
『嘆かわしい、実に嘆かわしい事だ・・』
学者や儀式神官は基本的に魔力の弱い高位貴族の子弟で構成されていて、位とプライドは無駄に高いが、実力はからっきしと酷評され続けてきた存在でもある。しかしこの度、この国難の折、古の聖女の召喚術を発掘・解明し、難解な魔術陣を復元したのは神殿の学者神官達だったし、儀式の全貌を再現したのは儀式神官達だ。見事に聖女を召喚できた功績の半分以上は、この神殿にあると言っても過言ではあるまいと、密かに神殿長は自負している。
・・詩乃が言うところの、白のロン髭&ロン毛の、お爺ちゃん=神殿長はこのところ機嫌よく過ごしている。
聖女様と言えど若い女性だ、麗しの王子や零傑の王子の色香に迷えば、神殿の厳粛な祈りなど色あせて感じられても仕方が無い・・半ば諦めてはいたのだ。聖女はどちらかの王子を選び、甘言にそそのかされて、神殿を蔑ろにするに違いないと・・。
『しかし、聖女様は神殿での、祈りの生活を選んでくださった。清く・正しく・精錬なる神殿を』
悔しがって歯噛みする、王子達の姿が見える様だ。くっくっくっ・・・。
王族の傍流でありながら、魔力が弱く神殿に放逐された我が身としては、聖女の威光を使おうが何だろうが、王族に物申せる立場を手に入れる事は小気味いい。
「政事の功績も無く浮名を流すだけの、顔だけの第1王子と。軍部を率いて、平民の掌握し貴族を蔑ろにする第2王子か」
さてさて、上にいただく者は、無能の方が操りやすいが、どちらも甲乙つけがたい虚け者よのぉ。どちらの虚け者と手を組むか、神殿としての意見を纏めておかねばなるまい。<祈りの日>の儀式の前に、神殿長の心の中は案外と生臭かった。
****
聖女様である少女は、禊の部屋[白い大理石で囲まれた、窓も無く時間の流れも解らない部屋]で一人、神言を朗読して暗記することに時間を費やしていた。
彼女は密かにこの部屋を、拷問部屋と名付けている。
<祈りの日>には、神殿の大ホールの舞台の様な高い所で、ただ一人で神言を唱えなければならない。聴衆を感動させる事ができなければ、聖女としての真価を疑われる事だろう。王族や貴族から認められ、正式に受け入れられなければ、この世界での自分の立ち位置が危うくなってしまう。
<祈りの日>の成否は、彼女の今後が掛かっていた。
当然の事ながら神言は暗記しなければならないのだが、これが非常に長ったらしく難しいのだ。古語である神言に気持ち乗せるのがまた難しい、生まれ育った文化や習慣・言葉が違うと言葉に実感が伴わないのだ。フランス語でジュテームと愛を囁かれても、ピンと来ないのと同じではないだろうか。異世界召喚時の得点である言語変換が有っても、此方の世界にしかない思想や単語は、日本語に変換される事が無い。
神言はこちらの世界そのものだった・・それを聖女は訳が分からないまま、飲み込んで行くしかない。
暗記は得意の方だったが、これは苦行と言えるだろう・・・。
『はぁ、疲れた・・・。』
あの子はどうしているだろう、聖女はため息をついて一人思い悩む。
この祈りの期間は使用人たちは職を解かれ、休暇を取って離宮を離れると言っていた。あの子、独り寂しく過ごしていて、泣いているんじゃないだろうか・・。聖女の衣装を作っている時には、共に作っているメイド達の話を、興味深そうに聞いていたらしいが。会いたいな・・元気にしているだろうか。
凄く心配なのだが、神殿を離れて離宮に戻ると、また違った心配が起きてくる。
=嫌がらせや、暗殺未遂・・なのかな、あれは=
公爵令嬢の差し金か、聖女である彼女は、スタンダードな嫌がらせな他、もう3度も命を狙われている。
第2王子の警備の駄犬が傍に付いているにも関わらずだ。
『役立たず・・』
心の中で密かに悪口を言う。
毒をお茶に混ぜるとか、ドレスを引き裂くなど、やり方は古典的で解りやすく・・あの子が言うところの、異世界の悪役令嬢物語りそのものの愚かしさで、聖女である彼女が適当に対処するのは容易な事だったが。
階段から突き落とされそうになった時は<きた、これ!>と思って、咄嗟によけた・・そうしたら手下の令嬢と駄犬が一緒になってゴロゴロ下まで落ちて行ったっけ・・。駄犬は無駄に丈夫だったが、可哀想に手下の男爵令嬢は怪我をしてしまったそうだ。
「責任を取って結婚しろ!」と、駄犬は手下令嬢の父上に迫られているそうだが、第1王子派の男爵令嬢と、第2王子派の乳兄弟の伯爵令息では、つり合いも採れないだろう。・・いらない恨みだけが残されて、此方はいい迷惑だ。
『ほんと、使えない』
何故、第2王子があの駄犬を珍重するのか、さっぱり理解できないが、信用できる味方が余りに少ないのと、駄犬は絶対に裏切らないとの確信が有るからなのだろう。この世界の貴族達は、派閥間の争いもさることながら、少しでも有利な地位に就こうと、あざとい真似を抜け抜けとやってくれる。絶対に裏切らないとい言う存在が、王子と言う地位に有るとしても、必要に感じるほどの殺伐とした世界なのだろう。貴族の社会と言う所は。
そんな下らない悪意に晒されたら、あの子はきっと心に深く傷を負ってしまうだろう。これ以上、あの子に嫌な思いはさせたくない・・そんな気持ちで神殿に籠る事が増えたのだが、それはあの子を一人ぼっちにしてしまう事にもなっていた。手紙を渡そうにも、日本語で書かれたものは受けて付けて貰えないし。
離宮の女官達も、あの子に親切とは言えない。むしろ、料理人や庭師の老人に懐いていると報告を受けている。あの子は平民に成りたいのだろうか?平民の暮らしは楽では無いと聞いているが。
<祈りの日>が終わって、一息つくことが出来たら、時間を作ってあの子と話をしよう。
あの子の望むことを出来る限り叶えたい、その為に聖女としての権力を持ちたい。神言を完璧に覚えて、流れる歌の様な独特の節までマスターし、貴族たちの心を掌握しなければならない。これはあの子に対する、私の義務で責任だ・・・。
聖女は卓上にある、聖なる水で喉を潤し、また神言を唱えだした。
外の控える女性神官は感心していた・・このように熱心に神言を唱える神官は、今まで神殿にはいなかったからだ。神殿長の神典には、カンペが沢山貼り付けられているのは周知の事実だ。
「聖女様、根を詰め過ぎてお体に障らないと良いのですけれど・・」
****
聖女の勤勉さに、不満を持っている人物が一人いた、第1王子様である。
どんなにプレゼントしても突き返されるし、芝居や歌劇に誘っても素気無く断って来る。聖女に神言をマスターする為と言われれば引き下がるしかない。
「この私を無碍に断るなど、生意気な女だな。まぁ、そういった鼻っ柱の強い女を泣かすのも一興ですがね」
王妃様のサロンで優雅にお茶を頂きながら、そんな話をしている・・暇なのか?王妃様は微笑んで、王子のつまらない話を聞くとは無しに扇で口元を隠している。欠伸をごまかしているのだ。
他国から嫁入りして来た王妃様の祖国は、魔樹の進行によって既に滅んでしまっていた。元々は肥沃な大地が広がる豊かな穀倉地帯だったのだが、ある人工的な作為が裏目に出た為に、強い力を持つ魔樹の花粉が風に乗って広がり、街に襲い掛って来たのだ。花粉が付着した木々や穀物は腐り、次々に魔樹に変化していった。魔獣も恐ろしいが魔樹は生活圏そのものを変えてしまう、祖国の民はちりじりとなり、近場の他国に難民として避難していった。
王妃は他国で奴隷になってしまった民を買い取り、ランケシ王国の僻地に入植させて、定着出来る様に支援を続けている。もちろん王妃の自腹である、彼女は卓越した経済能力を発揮し、商会を立ち上げ独自に商品を開発し利益を上げている。この利益は当然ランケシ王国とは別会計である、其処らへんは厳しくシビアな王妃様なのである。
もともと権力にも王にも、これと言って執着を持って居なかった王妃は、祖国が失われた時に王妃の座をお返ししますと王に伝えたのだが。側妃二人の折り合いが強烈に悪く、何故だか王子二人も同時期に生まれたりした為、国内の権力闘争を恐れた王が王妃の座に彼女をそのままに据え置いたのだ。
そのままズルズルと今日に至る、熟女となった王妃はもう、チョッとやチョッとでは動じない鋼の魂を有する漢になっている。
そんな彼女にとって、操りやすいのは第1王子だ。
王子の母君の側妃の実家も、魔獣の進行の為に昔の様な勢いは無く、王家に歯向かう元気も無い。王都の中の王宮と言う、狭いコップの中の争いだけならば、この王子でも十分に努める事が出来るだろう。
ただ、またあのような魔獣や魔樹の進行があったら、この国は簡単に飲み込まれてしまうだろう。
第2王子は、軍と平民を掌握しているかの様に見えるが、そのやり方は性急で、彼らの中に不満が無い訳ではない。脇を固める側近に平民での文官や、忠誠心だけの駄犬を配しているが、如何せん人望が貴族・平民どちらにも足り無い。
・・何故だ・・坊やだからさ。
どちらの王子を聖女が選ぶのか、どのように支えていくつもりなのか。
聖女自身にどのくらいの魔力が有り、どの様な力が使えるのか・・・。
王子達の不出来さを補えるような、カリスマ性が期待出来れば良いのだけれど。
あの、トンチキな言葉を話す、異世界は小娘が言っていた。
「私たちの世界は、他の人からの意見は参考として聞きますが、最終的に自分が進む道を決めるのは、自分自身の判断であり決断です。脅しや泣き落としは、不信感の元になります、やめた方が賢明です。
時間はかかるでしょうが、聖女様は最適解を選ぶでしょう。信じて、待っていてあげてください。不誠実な事をしたら、それから先は絶対に心を開く事は有りません。それは私たちの祖国の国民性で絶対です」
『緊張すると、言葉がハッキリする妙な小娘だった・・』
王妃はフッと笑うと、離宮の異世界のオマケの客人に、端切れやレースの余り物、刺繍糸などを贈る様に侍女に言いつけた。
どちらも、変わった娘達だこと・・・。
此方の常識は通用しない・・か、頑固そうなところも良く似ている。
これは、これからが楽しみだ・・。
<祈りの日>の聖女候補のデビューまで、あとわずか。
暗記は大変ですよね~。




