ずっと、隣に居るということ
当たり前とは、なんと儚く恐ろしい言葉なのだろう。
昨日までは確かに当たり前だったはずのものが、今この瞬間から突然当たり前ではなくなる。
それなのに、みな一様にそんなの当たり前だ、と言う。
当たり前じゃないのが当たり前。
自分が見ている景色、見えている範囲で起こっていることだけが世界の全てではないとして。
一体、何をもってして当たり前を当たり前だと言い切ることが出来るのだろうか?
ーーーーキーンコーンカーンコーンーーーー
「ふぅー。とりあえず今日は何事もなく終わったな・・・。」
「私は囲まれたりして大変でした・・・。」
あのあと、学年が違うため先輩と別れ、お狐様も一旦職員室に向かうとのことで3人別行動となった。
始業を待つ間、気が気でない。
「はぁ・・・。」
思わずため息が出る。
するとすかさず、前の席にいる仲良しのやつが弄ってくる。
「おお?毎日代わり映えしないことに幸せ感じちゃう系男子の珍しいため息いただきました〜!」
お調子者で少し鬱陶しいが、決して悪いやつではないんだ。多分。
「煩いなぁ、僕にもそりゃ悩むことのひとつやふたつあるんだって。」
「ふーん、まあ、そんな落ち込むなよ!なんたって今日は、転校生が来るらしいからな!環境がかわるかも知れないからお前は気にしてるんだろ?そんな気に病むなよな〜!」
いや、まさにその転校生こそが悩みの種なのであるが。この場で言えるはずもなく。
のちに自己紹介でどこまでがバレて詰め寄られるのかを想像し、さらにため息が出る。
「おーし、お前ら、席につけ〜。知ってるやつも居ると思うが、今日は転校生を紹介をするぞ〜!」
そう言い放った教師を尻目に、教室中の視線が扉へと集中する。
期待と不安の入り混じった空気の中、開け放たれた扉から現れたその人に、一同は息を飲む。
しばらく一緒に居たことで忘れかけていたが、お狐様とは九尾の狐。
有名な逸話も数知れないが、一説によると男を惑わせる絶世の美女だったとも。
そう、その美しさは人の目を、心を奪うのだ。
その後、先生の遠い親戚であるという告白に教室中がなぜか阿鼻叫喚
そして、僕の家に下宿していることもなぜか告白。
女子からの好奇の目。男子からの殺意に似た視線。
この場に居るのが辛過ぎる。
お狐様も凛と佇んでいるが、僕にチラチラと目線を向けて気にかけている。
それが余計に男子からの反感を買ってしまうわけなのだけれど。
挨拶もそこそこに授業が始まるも、僕含め大半が心ここにあらずだ。
なんとまあ酷いものだったが、担任の流石のマイペースにある種助けられた。
休み時間に入ってからの惨劇は、まあ想像に難くないだろう。
女子からは2人の関係は何なのか問い詰められ、男子からはやっかみが止まらない。
前の席のあいつは逆に黙りこくってしまった。怖い。
やんややんやと、そのやり取りは放課後まで繰り返した。
もう勘弁してくれ・・・。
ーーーーーーーー
帰る頃にはようやく人波も落ち着き、どうにか帰られそうだ。
先輩は大会も近いことだし部活で忙しそうだ。運動場で勇ましく走っている姿が目に入り、軽く手を振る。
今日は先に2人で帰ろう。
「やぁっと解放されたな・・・。こうなることは分かっていたけど、想像以上だった。」
「すみません。環様を守る為にお側を離れないつもりが、むしろお側に居るせいでとんだご迷惑を・・・。」
「いや、こうなったのはもう仕方のないことだし、お狐様が悪いわけじゃないよ。」
「・・・みく、です。」
「はぇ?」
「あの、不躾なお願いかも知れませんが、どうか人前だけでない時も、私のことは美九と呼んでくださいませんか・・・?」
俯き加減に、少し照れながらそう言うお狐様のお願い事にドキッとしつつも。
それならば僕からも言うことがあるのではないか?と反論してみる。
「じゃあさ、お狐様も僕のことを様付けで呼ぶのも止めない?出来れば敬語も。これから一緒に暮らすんだし、同い年?ってことになってるんだしさ。それに、もっと仲良くなりたいと思ってるしね。僕からも改めて、これからよろしくね、美九!」
そう言って手を差し伸べると、驚愕と感動が入り混じったかのような潤んだ瞳でしばらくそれを見つめ、ようやく決心して握り返そうとしてきた。
その刹那。
「あのさーーーーー!!」
突然割って入った大声に、手が離れる。
この声は、前の席のあいつだ。
ずっと黙っていて、やはり何か腹に据える思いがあったのか?
などと思ったのも束の間、
「そういう、青春しちゃってます感?THEリア充の極みみたいな?あからさまに見せつけるの辞めてもらえませんかねェええええ!!?!」
あまりにも限度を超えた激昂に戸惑っていると、ふとあることに気付いた。
「あれ、なんだこの感じ。朝には感じなかったけど、今のあいつからはなんだか嫌な気配を感じるような・・・?」
「・・・!環ッ!避けてっ!!」
瞬間、僕は突き飛ばされ、ギリギリで掠めていった風圧で頬が切れた。
なんだこれは、昨日のあの時みたいな・・・。
あっ、そうか、妖怪!!
「お前は、誰だ?その身体本人じゃない、"中身"のお前は、誰だ?」
「ふっ、ははははは!そうか今気付いたかぁ。軽く話には聞いていたが、なるほど。思ってるよりは力が強くないな?まだ全然弱いな?ふふふ、ははははは!絶好の狙い目ではないかぁーーー!」
「質問に答えろ!お前は誰なんだ!?」
「オレかぁ?オレぁ、影法師さ。人の影に住うモノノケよぉ。」
「このあんちゃん、お前が自分に隠し事してたことにショックを受けて心に隙が出来てたからなぁ、ちょっくらお邪魔させてもらったわ!居心地良いぞぉ!ははははは!」
「なっ!お前っ・・・!」
怒りに震え、さらに問い詰めようとしたその時。
ふと気付けば先ほどまでは普通だった校庭が見る影もなく。闇に呑まれているではないか。
「なんだ、これ。全部、真っ黒だ・・・。」
「あーん?当たり前だろ、コイツの心の闇を利用して、オレがぜーんぶ!呑み込んでやったわ!」
言葉を失う。
昨日の鬼は直接的で、殺されてしまう恐怖心が強かった。
が、今回のコイツはそれとは全く別の恐怖。
知らぬ間に呑み込まれてしまう恐怖。
心の闇。それに呑み込まれてしまうことの恐怖・・・。
「僕の、せい・・・?僕があの時、ちゃんと悩みを伝えなかったから・・・?」
「・・・!違う!違います!いえ、違わないのかも知れませんが!違うんです環様!あなたは悪くありません!そして、巻き込まれてしまったあの子も悪くないんです!少しのすれ違いを利用した、アイツです!」
「ふふふ、いくら取り繕おうがオレに乗っ取られた時点でもう終わりだ。てめえら2人共、大人しくオレに喰われてろ。」
失意の中他に膝をつき項垂れる僕に寄り添うお狐様。
「すみません環様。私のせいで、こんなことに。戻していただいた力もまだ弱くて、今の私ではアイツに勝てないかも知れません・・・。」
「それで、その。大変申し上げにくいのですが、もう少しだけで良いので力をお返しいただけますか・・・?」
「一気に全てを受け取ってしまうと妖気の感知が出来なくて環様が危なってしまうので、アイツに勝てる分だけ、少しだけお願いしたいのですが・・・?」
申し訳なさそうに耳元でそう囁かれた。
力を、戻す?
そういえば、昨日、僕は、どうやって力を戻したんだっけ・・・?
刹那。鬼気迫る状況の中、無我夢中で忘れていたある事実を思い出す。
「・・・っ!うっっっわぁああああ!」
「はぇ!?!?たたたた、環様??!?どどどど、どうされました・・・!?」
なんてことだ、僕は昨日、目の前に居るこの人と、その、きききき、キスをしていたことを
今、ようやく気付き、猛烈に意識してしまった。
「ちょ、待って!昨日はほら、命に危機に瀕していっぱいいっぱいだったけど!いや今もだけどね!?
でもちょっと状況が違うじゃんか!冷静な状態でこんな、きききき」
「あわわわ、環様、落ち着いて!わ、私だって、は、恥ずかしいんですからねっ!!」
「もうっ!ここまで来れば背に腹は変えられません!目を閉じて少しジッとしていてください!」
「ふぁ!?それって・・・。」
混乱しつつも、言われるがまま目を閉じる。
束の間、柔らかいものが唇に触れ、昨日のあの力の受け渡しの感覚だ。
目を開けると、どうにも気まずくて目を逸らしてしまう2人。
こんな土壇場なのに、恥ずかしくて仕方ない。
「いやこれ、何を見せられてるんすかね、オレ?リア充のイチャコラを目の前で見せつけられて?なんだこれ?なんとなく最後まで見ちゃったけどね?本当なんだこれ?」
「まあ、最後に有終の美を飾らせてあげる優しいオレ?的な演出ってことでどう?よくね??」
「そいじゃ、ま、2人まとめていただきまーす!」
影が。闇が。僕たち2人に迫って来る。
が、なんだろう、もう怖くない。
だって、美九が居るから。
「恥ずかしい思いをさせてしまいすみません。それと、あなたにも。図らずも見せつける形になって、ごめんなさい。いえ、これは、アナタに言っているのではありません。アナタが乗っ取っている彼に向けて、です。」
「あなたはきっと思いやりのある優しい方なのでしょう。環様のこと心配してくれてありがとうございました。」
「今日は全然話せませんでしたから、また改めてお話聞かせてくださいね?」
「あ?何ぐだぐだ言ってんだ?聞こえるわけねーだろが?」
「いえ、そんなことはありません。アナタはもう、これで終わりですから。【妖術・月下美人】」
そう呟くと、何もなかったはずの辺り一面に綺麗な花が咲き誇る。
いくつもいくつも。
まるで、闇夜を照らすかのように。
「・・・は?」
その花はやがてそこら一体を埋め尽くし、全てを包み込んだ。
身体が埋もれ、息苦しさを感じたと同時にその花は一様に枯れ果てたかと思えば、跡形もなく消えた。
まるで夢を見ているようだった。
「はっ!おい!大丈夫か!?」
地面にうつ伏せになるように倒れているクラスメイトに駆け寄る。
良かった、息をしている。気を失っているだけのようだ。
・・・今回は何も話を聞けなかった。
奴らの目的はこの力なのだろうが、単体で動いているにしては連続性が高い。
もしや、何か、組織のようなものがあるのか・・・?
などと考えてふと後ろを振り返ると、何か言いたげな顔で美九ががこちらを見ていた。
そうだ。そもそも、こうなる原因を作ったのは・・・。
「ごめんなさい!」
「ごめん!!」
『え?』
声が被った。
お互いがお互いに負い目を感じていたのだ。
自分のせいで、自分が居なければこんなことには。
否。
ここで言うべき言葉は、それじゃなかったな。
「ごめん、そしてありがとう。また助けてくれて。」
「環様・・・。」
「おっと!卵が先か鶏が先かーみたいな、原因追及するのはもうやめようぜ?」
「美九・・・お狐様は、善意と厚意で僕やご先祖様を助けてくれたんだ。その気持ちは分かるよ。」
「だからもう、自分を責めないで。」
「・・・ああっ!」
その場で泣き崩れてしまった美九を優しく見つめながら、
「とりあえず、こいつを一緒に保健室まで運ぶの手伝ってくれないかな・・・?」
「・・・はっ!そうでしたっ!!」
それと、どさくさに紛れて一度僕のことを呼び捨てにしたこと、ちゃんと覚えてるからね?
と、言おうと思ったがやっぱりやめた。
流石にそれは意地悪だもんな。
かくして、お狐様の晴れやかな高校デビューはこうして幕を閉じたのであった。