lesson1 『終わりのち、始まり』
――――真っ暗だ……
暗くて何も見えない。
何処だここ、何がどうなってる?
えーと、確か俺は電車に轢かれたはず……って事は、ここは死後の世界ってやつか?
うッ、頭が痛い。死んでるなら痛みも感じねぇ筈だろ? マジで訳が分からない。
そういえば子供の頃、怪我して泣いてたら『痛いのは生きてる証拠だよ』って誰かに言われたっけ……
ん、ちょっと待てよ? という事はつまり……
――――俺は生きてるのか?
「……うぅ」
意識は徐々に覚醒していき、俺はゆっくりと瞼を開ける。
まだ覚醒しきってない頭で、何とか理解出来るのは、自分が見覚えの無い部屋のベットの上に横になっているという事。
「どこだ、ここは?」
そこは小さく殺風景な部屋だった。
ベット以外に家具や小物の類は無く、出入りする為のドアが一つと、窓際に洗面台が設置されているだけの部屋。
唯一ある窓にはカーテンが閉め切られており、外を確認することもできない。
俺は手足が動くのを確認すると、まだクラクラする頭を抱えながら身体を起こす。
「ん?」
そこで自分が病衣を身に纏っている事に気が付いた。
どうやらここは病院らしい。
状況から考えるに、俺はあの状況から奇跡的に一命を取り留めた様だ。
「本当に生きてるのか?」
すぐに窓際の洗面台に移動し、取り付けられている鏡を凝視すると、そこには少しツリ目の黒髪短髪の少年が映っていた。
「ふぅ、間違いなく俺だな」
15年間見続けた自分の顔に安堵すると、次に身体を弄る様に触る。
「……どこも痛く無い」
それどころか俺の身体は傷一つ見当たらない。
確実に死んだと思ったのに、まさに奇跡だ。
「はは、本当に良かった…………いや待て」
冷静に考えろ俺。そもそも何でこんな事になった? というか何で俺がこんな目に合わなくちゃいけねぇんだよ!
俺の中の感情は、一気に助かった喜びから怒りへと切り替わる。
「くそ! あのチャラ男め……この際、原因を作ったあの恋愛女も同罪だ! 無関係の俺を巻き込みやがって!」
他人と関わったらロクな目に合わない……今回その事を改めて思い知らされた。
何にせよ、あいつらにはしっかり治療費から慰謝料まで然るべき措置を……
などと、あいつらに向けた請求リストを脳内で作成していると、突然病室のドアが開く。
「おぉ! もう起き上がって平気なの?」
そこには白衣を纏った女性が立っていた。
腰まで届く長い黒髮をなびかせ、大きく綺麗な瞳が印象的な女性。歳はおそらく二十歳そこそこ、きっとこの病院の先生なのだろう。
「……あ、えーと、どうも」
「そんな身構えないでいいよ。まぁ取り敢えず座って座って!」
「は、はい」
俺は言われるがままベットに腰を掛けると、彼女も少し間を空けベットに腰掛ける。
「よいしょっと。じゃあ軽く質問するから、チャチャっと答えてね」
彼女は胸ポケットに差しているボールペンを取り出し、左手に持っていたカルテの様な物に記入を始めた。
「名前は?」
「天宮ジンです」
「生年月日と年齢は?」
「6月6日。15歳です」
「意識はハッキリしてるね。オッケーオッケー! よし、終わりっと!」
少し適当過ぎる気もしたが、取り敢えず俺は一つの疑問を投げかける。
「あの、ここってどこですか?」
「徳永医院だよ」
徳永医院……? なんか覚えがあるな。
えーと、確か家の近所にあった怪しい雰囲気の小さな病院……そこの名前が徳永医院って名前だった様な。
そうそう、なんか思い出してきた。そこの院長が街で有名な変人だとかで、当時父さんが『あそこには近づくなよ』ってよく言ってたな。
「おーい、黙り込んでどしたの? やっぱまだどっか痛む?」
「ぃ、いや、何でもないです。ところで先生……」
「却下!」
「え?」
「先生とか堅苦しい呼び方は却下! 綾乃って名前呼びで! ハイもう一度」
無駄に明るい人だな。どうやらこの人は俺の苦手な部類の人間の様だ。
「ぁ、えーと、綾乃さん」
「はーい。何かな? ジン君」
その曇りの無い満面の笑みに対し、少し戸惑いながらも質問を続けた。
「今日って何日ですか?」
「3月31日だよ」
マジかよ。って事は一週間も眠ってたって事だよな?
「綾乃さん、俺が眠ってる間に誰か来ましたか? 例えば警察の人とか…」
「警察? なんで?」
「えーと、俺のこの怪我、なんというか色々と訳ありでして……」
ネットで見た事がある。電車を故意に止めると罪になったり莫大な賠償金を払わないといけない場合もあるって。
そんなの冗談じゃない! ちゃんとあいつらが悪いって説明しないと。
「あぁ、その事なら知ってるよ。というか、ジン君の情報は全部これに書いてあるから」
微笑みながら持っていたカルテを指差す。
「え? そ、そうですか」
おいおい。個人情報大丈夫かよ日本。
「まぁ、それなら話は早いです。まず警察を呼んで……それからあいつらも呼んで色々と話を……」
「無理だよ。死んじゃってるから」
―――ん?
「ぁ、あの……今なんて?」
「だから、亡くなってる人間を呼べる訳ないでしょ?」
「はッ⁉︎ 亡くなった⁉︎」
そんな馬鹿な、この一週間で何があったってんだ?
「事故か何かですか?」
「ううん。死因は老衰だよ」
「ああ、なるほど。老衰ですか……はぁッ???」
老衰ッ⁉︎
老衰ってあの老衰か? いやでも、あいつら10代だし、でも老衰なら……あれ? どういう事だ?
「ちなみに男の子の方は享年92歳で立派に天寿を全うしたそうよ。そんで女の子の方は……ってあれ? 女の子の方はデータ無しか」
「ぃ、いい加減にして下さいッ!」
綾乃さんの連発する突拍子もない言葉に我慢ができず、俺は強く言葉を投げ掛けた。
「さっきから何を訳のわからない事を……」
「はい、ストップ!」
「うぐっ」
綾乃さんは持っていたボールペンを俺の唇に当て、強制的に言葉を止める。
「ちゃんと説明するから落ち着いて」
そう言うとベットから立ち上がり白衣のシワを両手でビシっと伸ばした。
「まずは改めて自己紹介から。私はこの病院の院長〈徳永綾乃〉よ」
「ぃ、院長⁉︎ あの変人の……?」
「ん、変人? 多分ジン君が言ってるのは先先先先先先先代の院長の事だよ。私は八代目院長!」
「ちょっと待って下さい、頭が追いつかない」
綾乃さんは俺から視線を外すと、何も言わずに窓の方へと足を運びカーテンの裾を掴んだ。
「まぁ、言葉よりこっちの方が早いか。百聞は一見にしかずって言うしね」
その言葉の意図を理解するよりも早く、綾乃さんは閉め切っていたカーテンを勢いよく開ける。
「――なッ‼︎」
衝撃だった。
窓の外の光景に言葉を失った。
今居る徳永医院は家の近所にある。当然ここから見える景色は俺が15年間見続けた街並みが広がっている……筈だった。
でも窓の外には、まるでSF映画に出てくる様な超高層ビルが連なっている。
こんな物、間違い無く俺の街には無かった……というか日本中探してもあり得ない!
その高さたるや、今は役目を果たした東京のシンボルである赤いタワーに匹敵する程の大きさ……そんな建築物が街中を埋め尽くしている。
「な、何がどうなってんだ……」
「混乱してるとこ悪いけど」
その言葉で窓の外に釘付けになっていた俺の視線は綾乃さんの方へと戻る。
「今は西暦2220年! ジン君は200年間眠り続けてたのよ」
第二の衝撃。
額から冷たい汗が流れる。
言葉の意味がわからない。目の前の光景がわからない。何もかもがわからない。
すると俺の心境とは対照的に、綾乃さんは緊張感の無い笑顔を浮かべる。
「あはは、そういうリアクションになるのも無理ないよね。まさに浦島太郎だもん」
「ふ、ふざけないで下さい! 何の冗談ですか⁉︎」
「あれ? これなら一発で信じてくれると思ったんだけどな」
た、確かに、こんな物を目の当たりにしてしまったら信じざるを得ない。
「冗談じゃないんですか?」
俺が深刻な表情で尋ねると、綾乃さんは手に持っていたカルテに視線を移す。
「ここから先の話は初代院長が残した記録なんだけど……ねぇジン君、コールドスリープって知ってる?」
「コールドスリープ?」
「簡単に言うと人間を冷凍保存して老化させない技術なんだけど……」
「……まさか⁉︎」
「そう、ジン君は今日までその技術で眠り続けていたのよ」
ば、馬鹿な…、そんなSFみたいな話があり得るのか⁉︎
「えーと、順を追って話すね。2020年3月24日にジン君は人身事故により瀕死の重傷を負った。ここまではオーケー?」
「ええ」
「でもその日は近隣の病院はどこも空きがなくてね、仕方なくウチみたいな小さな病院に運び込まれてきたそうよ。そこで手術を請け負ったのがジン君がさっき言ってた初代院長! 手術は奇跡的に成功して一命を取り留めたって記録されてる」
「成功⁉︎ それじゃあなんで……?」
「ただ脳の損傷が酷くてね……当時の技術じゃ意識を取り戻す事は無理だったみたい。そこで初代が取った方法が……当時ウチが独自に開発していたコールドスリープ技術を使って、未来の技術に託すこと」
なるほどな、そういう事か。
それにしても怪しい病院だとは思ってたけど、まさかそんな物を作っていたなんて。
「でも初代院長は何でそこまでして俺の事を? 金も身寄りもないのに」
「だからいいんじゃない! 当時も人体実験は禁止されてたからね、身寄りの居ないジン君は実験にちょうどいぃ……じゃなくて! やっぱり初代は医者として何がなんでも命を救いたかったんだと思うよ! うん!」
なるほど。飛んで火に入るモルモットって訳か……まぁ、そのおかげで助けたかったんだから文句は言えないけど。
「だからジン君を治す技術が完成するこの時代まで、ずーっと徳永医院で保管し続けてきたの! まぁ、200年かかっちゃったけどね」
200年……言葉で言うのは簡単だが、冷静に考えるとゾッとする数字だな。
つまり俺が知ってるあの時代の人間は皆んな死んでだ事になる。
当然、あのお節介も……
「そんな暗い顔しないの! 生きてたんだから良かったじゃない! 心配しなくても200年分の入院費払えなんて言わないから」
「それは、どうも」
「こっちは良いデータがたんまり取れたしね! ウィンウィンだよ!」
ウィンウィンか。確かに生きてたのは嬉しい……けど現実味が全く湧かない。
それに今の俺はこの時代で頼る人間が誰も居ない一人ぼっちという事に………ん? 待てよ、それは200年前と何ら変わらない様な……
あれ? もしかして俺ってこの現状でも何も支障無いんじゃね?
いやいや、冷静に考えてそんな訳無いだろ。人間関係はそうかもしれないが、生きていく上で最低限抑えとかなくちゃいけない問題がある。例えば……
「あの、俺の家はどうなってます?」
すると綾乃さんは質問に対し質問で返す。
「200年だよ? 残ってると思う?」
まぁ、残って無いわな。家主不在が200年も続けば無理も無い。家が駄目だとしたら……
「それなら俺の貯金は? 親の遺産も含めてある程度の額があったと思うんですが」
「うッ!」
お金の話をした途端、綾乃さんは身体をビクつかせ気まずそうに目を逸らす。
「いや、あれはね……えーとね」
なんだろうこの感じ、物凄く嫌な予感がする。
「綾乃さん?」
「ち、違うのよ! 私じゃなくて…アレは初代が!」
「初代院長がどうしたんですか?」
俺が含みのある笑顔で尋ねると、綾乃さんは頭を下げながら答えた。
「実は当時、コールドスリープ完成までに少ーしだけ費用が足んなくて……それでジン君の貯金を……私じゃないのよ⁉ 初代がよ⁉︎ だから怒るなら初代を……」
そういう事か。ったく勝手に人の貯金を……
「顔を上げて下さい綾乃さん。怒ってませんから。もちろん初代院長にも」
「へ? 本当?」
綾乃さんは安心した様子で顔を上げる。
「もちろんですよ。そのおかげでこうして生きてるんですから、感謝してもしきれないくらいです」
これは本音だ。
確かに貯金が無くなったのは痛い。だが命には変えられない。それに俺なんかの命の為に、綾乃さんを含め八代の院長達が命を繋ぎとめてくれたのだ、やはりここは純粋に〈ありがとう〉だろう。
「本当にありがとうございました」
俺は深く頭を下げた。
他人に心からお礼を言うなんて一体何年ぶりだろう。
すると綾乃さんは気恥ずかしそうな笑みを浮かべながら、持っていたボールペンをくるくる回しだした。
「あはは、なんだか改めて言われると少し照れるな。うん! どう致しまして!」
”ありがとう”
”どう致しまして”
普通の人間が当たり前に行うやり取り。
いつもの俺じゃ絶対にあり得ないな。きっとこの特殊な現状がそんな気持ちにさせたのだろう。
さて、ここからはシビアな現実の話しだ。
金も無ければ住む所も無い。この状況で中卒の小僧が一体どうすればいいというのか。
「はぁ、これからどうすっかな……」
と、言葉を漏らすと綾乃さんはキョトンとした表情で口を開いた。
「え? 高校行かないの?」
「いや、そりゃまぁ行きたいですよ。高校も受かってましたし。でもそれは200年前の話で、この時代では……」
「それなら大丈夫よ! この時代は高校まで義務教育だから受験の必要なし! しかも明日は入学式だよ」
「マジですか?」
タイミングが良すぎる。まさか、わざわざ入学式に合わせて目覚めさせてくれたのか?
「いやでも、さっきの流れでわかってるでしょ? 俺が一文無しだって事」
「ふふん」
すると綾乃さんは腰に手を当て、何やら自信満々な表情で答えた。
「それも問題無し! この時代は18歳まで学費から生活費まで全額支給! 住む所も提供してくれるのよ!」
「えっ⁉︎」
マジかよ。つーか、そんなに金使って大丈夫か日本?
本当にこの200年で何があったっていうんだ? まさか、遂に消費税が100%を突破したとか言うんじゃないだろうな?
などと、あれこれ勘ぐっていると綾乃さんは白衣のポケットに手を入れ、何かを取り出した。
「はいこれ、プレゼント!」
渡されたのは、俺の写真が載った証明書の様なカードと、スリームフォンによく似た端末。
「あの、これは?」
「ジン君がこの時代の人間として生きていける様に戸籍を作っといたから、これは身分証みたいな物だよ。政府の上層部にちょっと顔が効くから上手い具合に作ってもらったの」
綾乃さんって意外と凄い人なのか?
「それとジン君が200年前の人間だって事は、私と政府のごく一部の人間しか知らないから人に言っちゃダメよ」
「はい、わかりました」
それについては問題無い。話したくても話す相手が居ないし、そんな人間作る気もないし。
「あの、こっちのは?」
スリームフォンに似た端末を指差す。
「それはね、うーん……簡単に言うと便利な機械かな!」
いや、説明雑過ぎでしょ。俺この時代ビギナーなんだから頼みますよ本当。
「いや、それだけじゃさすがに……」
「んー、じゃあちょっと貸してみ」
端末を渡すと綾乃さんはその画面を指でタップし始める。
その姿は平成の人間がスリームフォンを弄る動作と何ら変わらない。
どうやら使い方は俺の持つ平成知識で通じる様だ。
すると綾乃さんは指を動かしながら口を開く。
「ジン君の新居はもう用意されてるから住所打ち込んどくね。後はこの子が案内してくれるから……よし! これでオーケー」
打ち込み操作が終了すると端末は再び俺の手へと戻る。すると端末からは平成人にも馴染みのある音声が流れだした。
『それではナビゲーションを開始します』
はは、200年後の世界って言うから、一体どんな未来道具が飛び出してくるのかと思ったけど、現実は漫画やアニメみたいにはいかないみたいだな。
「どうしたのジン君?」
「いえ、なんでもないです。じゃあ早速ここに行ってみます」
「ちょっと待って! ジン君その格好で行く気?」
「あ」
そこで俺は自分が未だに病衣を着ている事を思い出す。
まいったな、この時代には俺の持ち物残ってないし、さすがにこれで歩き回るのは少し抵抗が……
「”01”って押してみて」
「え?」
綾乃さんは突然数字を口にすると、俺の胸元を指差す。
「服の裏地に数字書いてるでしょ? 見てみ」
言われるまま服を捲り内側を確認する。
「あ!」
服の内側には電卓サイズの液晶画面と0~9までのキーが存在していた。
なんだこれ? 全然気付かなかった。機械なのに完全に生地と馴染んでるし、重さも感じない。
「これは?」
「それはね、登録した番号で服の外観を自由に変化させるの! まぁ知らないのも無理ないわね、平成にはそんなの無かったから」
「お、おぉ」
前言撤回。あったよ未来道具。
「そんでさっき言った”01”ってのが……まぁいいや、とりあえず押してみ」
「は、はい」
未来の技術に少し胸を高鳴らせながら言われた数字を打ち込む。
と、同時に病衣は一瞬にしてその外観を変化させた。
「こ、これって……」
白いワイシャツに赤いネクタイ、ブレザー型の黒の上下の胸元には校章らしきマークが刺繍されている。
「制服ですか⁉︎」
「ふふ、ご名答! それがジン君が明日から通う〈都立甘木高等学校〉の制服よ」
「おぉ」
柄にも無くテンションが上がってしまった。
中学三年間を学ランで過ごした俺にとってブレザーの制服は少し嬉しいものだったからだ。
そんな柄にも無く生き生きしている俺の事を、綾乃さんはニヤニヤと生暖かい目で見つめる。
「へぇ~そんな顔もするんだ」
「はッ⁉︎ いや、これはその……別にいいでしょう! じゃあ俺はこの住所に行きますんで!」
俺はすぐさま表情を戻し、そそくさとドアの方へ向かう。
「そんな怒んないでよ~」
「怒ってないです」
「待って待って、出口まで送るよ~ここ案外広いんだから」
「結構です。一人で行けま…………うッ!」
茶化す言葉を振り払い、病室の扉を開ける。が、病室から一歩出たそこは俺の知る徳永医院ではなかった。
汚れ一つ無い清潔感のある通路は端が見えない程長く、その壁に一定の感覚で飾られた見るからに高そうな絵画が無駄に高級感を演出している。
ここは本当に病院か? 高級ホテルって言っても信じるぞ?
「どう? 一人で出口まで行けそうかな?」
振り返ると綾乃さんは、ニヤケ顔ともドヤ顔とも言い難い表情を浮かべていた。
正直かなりうざい。が、迷子になるよりましか……。
「案内……お願いします」
「よし! そんじゃ私に着いといでぇ!」
「……はい」
病室を出て5分ほど歩き続け、ようやくエレベーターの前に到着した。その間何度右に左に曲がったか分からない。
こりゃ冗談抜きで綾乃さん無しじゃ迷ってたかもな。
綾乃さんがエレベーターのボタンを押す際、その横に書いてある文字がふと俺の視界に飛び込んできた。
〈78F〉
マジかよ、外の景色ばっか目が行って全然気付かなかった。
「何してんのジン君? 早く乗りなよ」
「は、はい」
はぁ、なんかさっきから驚いてばっかだな。そろそろこの時代に対して免疫付けなくちゃな。
と、思った矢先『一階です』というエレベータからの音声案内が耳に飛び込んでくる。
はやッ⁉︎ え、もう一階⁉︎ ドアが閉まったのほんの今だぞ? 振動も音も何も感じなかったし。
「さっきから本当どしたのジン君? 早く降りないと扉閉まっちゃうわよ!」
「す、すみません……って、なんですかこれ?」
「ふふん。凄いっしょ?」
エレベータから一歩出ると、そこは別世界だった。
ここまでの見てきた内装も十分凄かったが、この一階ロビーの造りは、まるでテレビに出てくる様な高級ホテルのイメージそのもの。
広々と開放感のある天井には、病院に不釣合いな煌びやかに輝くシャンデリアが吊るされており、床には真っ赤なカーペット、そして受付前には貴族の屋敷から持って来たかの様なソファーが並べられている。
これは綾乃さんの趣味なのか……?
確かに凄いとは思うが、病院でこの内装にする意図が全く理解できん。
ここまで来たらむしろ……
「ちょっと引くな」
「ん? 何か言った?」
いかんいかん、つい本音が。
「いえ、ただ凄いなぁ……って思ったでけです」
「そうでしょ! デザインセンスも医者の腕も超一流! 地上80階の地域最大の総合病院! そして私はそんな病院の院長様! ほらほら、もっと褒めていいんだよ~」
その無邪気な笑みからは、綾乃さんの言う院長様の貫禄はこれっぽっちも出ていなかった。が、それを言うと話が長くなりそうだったので「はい、とっても凄いと思います」という大人の対応で流した。
俺は他人と話すのが嫌いなだけで、最低限のコミュ力はある。これくらいの対応は余裕だ。
「でしょでしょ! わかってるねジン君」
そんな満足気な表情を浮かべる綾乃さんと、患者で賑わうロビーを抜け出口へと足を進める。。
「そんじゃ私はここまで、後はその子に聞いてね」
出入り口の自動ドア前で足を止めると、綾乃さんは俺が手に持っている端末を指差す。
「はい。本当に何から何まで色々お世話になりました」
「いーの、いーの。あ、それと毎月一回はここに通院してもらうからね」
「え、通院ですか⁉︎」
「当然よ、200年の時を超えた人間なんだから、どんなイレギュラーが起きるかわかんないし……というかデータが欲しいし……」
何やら後半に本音が混じってた様な気がしたが、俺の事を心配してくれているものと解釈しよう。
「それじゃあ何かあったらいつでも電話してね。番号は入れといたから」
「はい。では失礼します」
手を振る綾乃さんに軽く一礼をすると、俺は自動ドアを抜ける。
「意外と寒ッ」
実感は無いが。200年ぶりに味わう外の風
もう4月だってのに少し肌寒いな。あんなに地球温暖化って騒いでたのに、案外大丈夫なもんだな。
何気に空を見上げると、そこには空を覆い隠す超高層ビルが連なっている。
「なんだか空が狭いな」
建物が太陽の光を遮っているせいで、辺りは昼間だと言うのに少し薄暗い。超高層ビルもメリットばかりではない様だ。
俺はそのまま辺りを見渡す。
窓から見るよりも地上から見上げた方が建物の迫力が直に伝わってくる。
「200年か……」
ここは俺の生まれ育った街。
だが、ここはもう俺の知らない街。
きっと200年という年月は俺の想像を超える異世界を作り上げているだろう。
でも俺自身は今も昔も何も変わらない。一人で生き、一人で死に、誰にも邪魔されない最高のシングルライフを送る。それだけだ。
「さてと」
先程の端末をポケットから取り出し画面をタップする。
『ナビゲーションを再開します。東へ進んで下さい』
「よし、それじゃ行くか!」
誰に言うでも無く、俺はこの時代での第一歩を踏み出した。