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6話 ~窒息への対応~

「おおおおおお、異世界っぽい……」

「異世界ですよ! にしても、なんか反応薄いですねぇ……」

「そりゃお前、不老不死の女の体にさせられた後だぞ? もう大したことじゃ驚かねぇよ……」


 それに加え、彼女は鬱病である。何度も言うが、生きる活力が失われるのがこの病気なのだ。


 徹夜明けでアホほど疲れたときに、クソほどどうでもいいことを延々自慢される気分、お分かりいただけるだろうか。

 どんなことに対しても、あんな感じになってしまうのである。 



 根本的な原因であるクソ上司と煩わしい人間関係がなくなったからと言って、すぐ回復するはずもない。


 だがそれでも、渚のしん表情は少しだけ弾んでいるようにも思えた。

 知らない土地に赴く、所謂旅。あれは結構心のリフレッシュには有効なのだ。旅どころか異世界ということもあり、その効果も大きくなっているのだろう。



「近代に近い中世ヨーロッパって感じだなぁ。街灯があって、道は石畳で、家は木と石ってところか……」

「文化レベルも、渚さんの世界の中世ヨーロッパと同じレベルです。ですが、こっちの世界では魔法が存在していて、兵器の発達が著しく遅いんです」

「なるほどなぁ。兵器の技術が発達しないから、文明の発達も遅いってことか」

「そうなります。戦争が起きるたび、人間の技術力は著しい発展を遂げますからね」


 渚のいた世界では、魔法などという概念は存在しなかった。

 ゆえに、魔法に頼らずとも敵を圧倒できる強力な兵器を開発しようと人間は新たな技術を次々開発し、それに伴い高度な科学技術文明を築き上げてきた。


 人類の最先端技術が惜しみなく投入されるのは、いつだって軍事なのだ。





 ……しばらくのどかな街を歩き、様々なところを見て回る二人。

 今ままで見たことのない見目麗しい女性が二人。街の人々の注目を集めないはずもない。




 そんな中、突然、渚が足を止めた。


「ん? なんか騒がしいいな……」



 少し先の店先、看板から察するに、洋服店であろうか?

 そこに、騒ぎの中心が見えないほどの人だかりができていた。


「なんでしょう? ここは結構平和な街なのであんな騒ぎは滅多に起きないはずなんですが……」


 心配そうに騒ぎを見つめるケイトリンとは裏腹に、渚はすでに興味を失ったような表情で、再び足を動かし始める。

 騒ぎの方へは向かわず、ただただまっすぐと。


「ちょっと渚さん! 行って見ましょうよ! 何があったのか気になるじゃないですか!」

「おおそうかい俺は気にならないね。面倒はごめんだ。行くなら一人で行って来い。俺はそこの曲がり角に着いたら引き返すぞ」

「そんなこと言わずに! さぁ!」


 どこまでも無気力な渚。

 だがそんな彼女の腕をむんずとつかみ、ケイトリンは騒ぎの方へと足を進めていく。


「クソめんどくせぇ……」


 そんな彼女の腕を振り払うことすらめんどくさいのだろう。

 渚は不機嫌そうに顔をゆがめながらもその腕を振りほどくことはしなかった。



「すいません、何があったんですか?」


 騒ぎの外縁で中心を覗き込もうと背伸びをしていた背の高い男性を捕まえ、ケイトリンが声をかける。


「あぁ、なんでも突然人が倒れたとか何とかで……」


 彼がその言葉を最後まで口にする前に、人ごみの中に誰かが飛び込んでいった。

 

「えっ? あれ!? 渚さん!?」


 ついさっきまでケイトリンの後ろで不機嫌そうに眉をひそめていた渚。

 だがその姿は、どこにもなかった。


 耐えかねて帰ってしまったのだろうか? 答えは、騒ぎの中心から聞こえて来た。


「おとうさーん! おとうさーん!! 聞こえますか! 俺の声聞こえてますか!?」


 聞き間違えるはずもない、鈴のように澄んだこの声は、さっきまでブータレていた渚のものだ。


「いつの間に……! すいません! ちょっと通してください!」


 ケイトリンはすぐさま我に返り、人ごみの中へとその身を滑り込ませていく。

 人だかりの中心には、顔面蒼白で泡を吹きあおむけに倒れている若い男性と、彼を泣きながら揺さぶる女の子、そして渚の姿があった。


 男と女の子は、渚のいた世界ではありえない姿をしている。

 化け物だとかそういうことではない。耳が、異様に長かった。よくファンタジーに出てくる、所謂エルフのような姿をした彼ら。


 だが渚はそんな彼らの容姿に気を止めることもなく、倒れる若い男に声をかけ続けていた。

 それと同時に、バイタルサインの測定。脈の確認と呼吸の有無くらいは、なんの器具が無くても実施することができる。


「脈はある。呼吸無し。外傷無し。窒息だろうなこりゃ……! ねぇ君! 彼の娘さんなんだよね!? 何のどに詰まらせたかわかる!?」

「えっ、えっと……!」


 突然の出来事に動揺しているのだろうか?

 エルフの女の子はただ涙を流しながらわたわたすることしかできず、有用な情報は得られそうもない。


 必要なのは確かな情報だ。

 それをもとに、今対象がどういう状況に置かれているのかを見極め、適切な処置を行う。

 

 でも、目撃者からの証言が情報のすべてではない。

 自分の目で見、手で触れて得たことも、立派な情報だ。




 渚はあおむけに倒れていた男を横向きにし、背中を思い切り叩き始めた。


「街の真ん中で何のどに詰まらせてるかしらねーが、吐き出せオラァ!!」


 お前ほんとに鬱病なのかと疑いたくなるほどの大声を張り上げながら、美少女の見た目にまったくそぐわぬ下品な言葉使いでただひたすらに若い男の背中をたたき続ける渚。

 背部叩打法。窒息時にまず行う措置の一つだ。

 

 患者が地面に倒れ込んでいる場合には横向きにし、肩甲骨の間あたりをリズムよく叩く。

 これで患者の気道に詰まった異物を吐き出させ、呼吸の回復を図るのだ。


 だが、若い男は一向に息を吹き返さない。

 ますます顔は青さを増し、見るからに状況が悪化していると素人目でもわかる。


「クソッ、これじゃ無理か……! しからば!」


 渚は、若い男の上半身を抱き起した。

 背中に回り、腕の下に自らの腕を通して抱きかかえるような形となる。

 右手は握り拳に、それを左手でしっかりとつかみ、若い男のみぞおちあたりにあてがった。


 そして――


「これでもくらえオラァ!!」


 ――助けようとしているのかとどめを刺そうとしているのかわからない叫びをあげながら、彼を抱えた両腕を思い切り自分の方へと引き寄せた。

 両腕いっぱいの力で胸のあたりを突き上げるこの手法は、ハイムリック法と呼ばれる手段だ。


 背部叩打法より異物が吐き出される可能性は高いが、それ以上に肋骨の骨折や内臓の損傷の危険性もあるために、近年ではあまり用いられない方法である。

 もちろん妊婦などには絶対に行ってはいけない手法で、成人男性などにしか基本的には行われない。


 この若い男ならば、ハイムリック法をオモックソ行っても大丈夫だと判断したのだろう。

 彼女はなんのためらいもなく、本当に骨が折れるんじゃないかというほどの勢いで彼のみぞおちを断続的に圧迫し続ける。


 周りの野次馬どもは、彼女が突然行い始めた一見意味不明な行動に戸惑うばかりで、なんの声もかけはしない。


「なっ! るほど!? ハイッ! ムリック法も!? このっ! 世界にはないってことか!」


 思い切り締め上げてはまた放しを繰り返しているため、渚の言葉もそのリズムにのったものになる。


「そうなんです。だから、あなたの力が必要なんです! 渚さん!」


 その彼女の言葉に、野次馬の中からケイトリンが答えた。



「言いたい放題言いやがって!! とりあえず、吐き出せオラァ!!」


 ひときわ強く、ひときわ大きな叫びをあげながら、彼の胸を突き上げた瞬間だった。



「ゲポォア!!」


 ホラー映画のクリーチャーが丸のみにした人間を吐き出すときのような微妙な効果音とともに、若い男の口から何かが勢いよく吐き出された。


「ッシャア!」


 確認するまでもなく、この男の命を奪おうとしていた異物だろう。

 異物が除去されたことで男は息を吹き返し、激しくせき込みながらも自らの意志で活動をし始めた。



 そのとたん、すさまじい拍手と歓声が巻き起こる。

 渚の救出劇に、誰しもが惜しみない賞賛の声を送っているのだ。


「どうですか渚さん。あなたがこうしてたった一つの医療行為を行うだけで、この世界の人々はこんなにも喜んでくれるのですよ? やりがい、感じませんか?」


 その輪の中心でポカンとしていた渚にケイトリンは歩み寄り、やさしく微笑みかける。


「それに、倒れている人がいたらほおっておけない。渚さんの性ですよコレは」

「うっせぇ、見殺しにしたら後味が悪かっただけだ」


 不機嫌そうに眉をひそめながら、渚が立ち上がる。

 そしてさっきまで泣きわめいていたエルフの女の子のもとへと足を進め、膝をつく。


「もう大丈夫だよ。君のお父さんはもう大丈夫だ」


 そして、彼女の美しい金髪をやさしくなでた。


「あ、ありがとうございます……! ありがとうございます……!」


 何度も何度も、彼女は渚に頭を下げる。

 渚も、まんざらでもない表情で微笑みを返した。



 渚は一つ息を吐き出すと、男が吐き出した異物に目をやる。

 何を詰まらせて窒息していたのか、しっかりと把握しておく必要があるからだ。


 もしなにか非常に鋭利なものだったりしたら、気管の粘膜などが出血をきたし、再び呼吸に悪影響を及ぼす危険性なども十分考えられる。

 救って終わりじゃない、そのあとのこともしっかりと管理しなければ、プロとは言えない。


「ん? なんだこれ……」


 地面に落ちていた、男の唾液でビチャビチャになったそれ。

 手に取るわけにもいかず、近くに落ちていた木の棒でつんつんし始める彼女。


 彼女にとっては見慣れない、だが見たことはあるソレ。

 ソレは紫のうすい布で構成され、ひもで左右を固定する形式をとっている。


「これって……」


 渚の表情が、一気にしらける。

 しらけるというよりかは、軽蔑のまなざしになったと言うべきだろうか?


「なぁケイトリン。俺は今はこんな体だが、つい最近まで男だったんだ。だからこういうことに詳しくない。けど、知ってるっちゃあ知ってる。これって、アレだよな?」

「この世界の被服の基本は渚さんの世界とほぼ変わらないので、間違いないですね」


 そういうケイトリンの表情も、軽蔑を含んだものになる。


「ここ、洋服屋さんだよなぁ?」

「そうです」


 彼の口から飛び出してきたもの。

 それは紫のスケスケな布で構成された、あまりにもきわどいデザインの、女性用下着だった。


「こいつパンツ万引きしようとして喉詰まらせたのか。パンツで」

「多分、そうでしょうねぇ……」



七話へ続く。







 



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