4話 ~職業病~
「ええええええええ……」
朝日が射し込み始めた空間に、かわいらしい女の子の、いや、神崎渚の気の抜けた声が響き渡る。
「女の子だよなぁコレ。どう見ても」
こんな状況だというのに、大したリアクションもせず、鏡に映る自分自身をガン見する彼女、いや、彼。
『あっ、おはようございます渚さん! いい朝ですね!』
「ケイトリン? ちょっとコレ、どうなってるの……」
昨晩と同じように、どこからともなく響くケイトリンの声。
お気楽を絵にかいたような口調のケイトリンとはうって変わり、渚の絶叫はまさにこの世の終わりのごとき絶望感に満ち溢れていた。
『えーとですね。順を追って説明しますと、まず渚さんには死んでもらっては困るので不老不死の体になっていただきました。自殺しても自殺しても他の人に殺されても翌日には生き返ります。やったね!』
「これっぽっちもよくないよね……」
『この世界を観察している監査官から、ここでは女性の方が患者受けがいいとの報告がありまして。その体になっていただきました。彼曰く、「おっぱいがついてないよりもついていた方が良い。可愛くないよりも可愛い方が良い」だそうでして』
「最初から女をこの世界に送ればいいじゃないか……」
『ですから、それも出来ないほど人手不足なのです。例えば、無性に鼻がかみたいけれど箱ティッシュがない。手元にはトイレットペーパー。普通トイレットペーパーで鼻をかみますよね? それと同じです』
「意味が分からん……」
ガンジーも助走をつけて殴るレベル。ではなく、鬱病患者も笑顔でラジオ体操をするレベル。とでも言い表そうか。
彼女はそう言いつつも、幽鬼のような足取りでカーテンのもとへ。
そう、また首つり自殺を敢行しようとしたのだが……。
「いい加減にしてください! また一日無駄にするつもりですか!」
「ずおっ!!」
再び、光の奔流。そのなかから、疲れ切った表情のケイトリンが飛び出してきた。
そしてカーテンに手をかけようとしていた渚を、容赦なく突き飛ばす。
だが……、
「ンゴっ!!!」
「あっ!!!!」
勢い余って、渚の体がバランスを崩した。そして運悪く、落下先には頑丈そうな黒檀の机。
後頭部を角に強打し、神崎渚はこの世界に来て二度目の死亡を味わうことになった。一度目は、自ら。二度目は、他者によって……。
「ご、ごめんなさい……」
どくどくと流れ出す深紅の液体に沈む渚の遺体を見下ろしながら、ケイトリンは大して悪びれた様子もなく、そう呟いたのだった。
※
「クソッ……。死んでも死ねないってどんな罰ゲームだよ……」
「渚さん! あなたは今美少女なのですよ!? それっぽい言葉遣いをしなければ不自然です!」
「俺男なんだよなぁ……」
「どう見ても美少女ッです!」
渚がケイトリンによって殺害された日から、一週間が経った。
その間、渚はこの室内から一歩も外に出ようともせず、ただ何度も何度も自殺を試みた。
首つりはもちろん。
ケイトリンが用意していた(もちろん患者のために)ディスポーザブル・シリンジ(使い捨て注射器のこと)と注射針。そして薬品棚に並べられていた塩化カリウムアンプルを用い、それを静脈に直接注射することで心臓を強制的に停止させる自殺。
空のシリンジで血管内に大量の空気を送り込むことによる、空気塞栓での自殺。
それはそれはもう、考えうる全ての自殺を行った。
しかし、死んでも死んでも、次の日には生き返る。
そのうち渚は、死ぬことを諦めた。
「はぁ……。もうしゃべるのもダリィ……。もうほっといてくれませんかね……」
「もう! いい加減にしてください! この世界に来てもう一週間なのですよ!?」
「はぁ……。死にたい……」
さすが、鬱病で自殺まで及んだ男である。
彼の、いや彼女の決意は固かった。仕事が嫌で自殺したというのに、異世界に来てまでまた仕事をさせられるというのは確かに本人にとっては理不尽極まりない。
しかも、今度は途中リタイアすることもできない。
「どうせ死ねないし、年も取らないし、前世でストレッサーだった上司も煩わしい人間関係もありません! どうしたら力を貸してくれるんですか!」
「お前との関係がまず煩わしい」
「酷い! でもその調子です!」
いつまで続くのかという押し問答。
しかしそれにも、おわりが訪れた。
「ご、ごめんくださいなぁ……」
突然、今まで一度として開いたことのなかった出入り口が、木のきしむ音とともに開かれたのだ。
気流が生まれ、よどんでいた空気が新鮮な外の空気と入れ替わる。同時に、香ばしいパンのような香りも、室内へと流れ込んできた。
「あの、外に『診療所』って書いてあったんだけれども、やっているのかねぇ」
おどおどと周囲を見回しながら室内へと入ってきたのは、一人の老婆だった。
まるで、おとぎ話にでも出てくるような服装のその老婆は、おぼつかない足取りで奥へと進む。
「どうなさったんですか?」
彼女の姿を認めた途端、神崎渚は今までのそれが別人だったかのように、完璧な笑顔を浮かべて老婆の前へと歩み寄った。
そして中腰になり、彼女と視線を合わせて再び百点満点の笑みを浮かべる。
「やっぱり、渚さんはねっからの看護師さんですね……!」
看護師は基本的に、困っている人を見るとほおっておけないタチなのだ。
あーだこーだと口にはしつつも、実際目の前で困っている人を見ると、勝手に体が反応する。
そういう人間が、看護師を志す。
どこか嬉しそうにそう呟いたケイトリンは、二人に気づかれぬよう奥の空間へと引っ込んでいく。
室内には、老婆と渚だけが残された。
――って、ついつい職業スマイルで声かけちまったけどどうしよう俺……――
内心そんなことを思いながらも、渚は笑顔を崩さない。
老婆をとりあえず椅子に座らせ、彼女も完全に腰を下ろして老婆を少し見上げる体勢を取った。
看護師はコミュニケーションのプロだ。
相手を敬い、また相手に信用されるよう最大限の努力をする。
そのためにはまず、威圧感を与えない。
人と会話する際に威圧感を与えないためには、視線の高さを相手に合わせるか、相手より下におろす必要がある。
彼女が培ってきた看護師としての経験値が、無意識にその行動をとらせていた。
「おやおや、ベッピンさんだねぇ……! あんたがここの店主なのかい?」
「店主……といいますか……。それより、どうなさったんですか? 何かお困りのように見えましたけれど」
そう言いながら渚は、老婆の全身をくまなく観察し始めた。
看護は、観察に始まり観察に終わる。
その患者さんが何を求めているか、すなわちニーズを鍛え抜かれた観察力で見極め、培ってきた看護技術でそのニーズにこたえる。
そして、自身が行った看護行為が患者さんにどのような影響を与えたのかを観察し、次の看護に生かす。この繰り返しなのだ。
――見たところ、特に外傷のようなものはないな……。少し肥満体系。その上歩行がおぼつかなかったことを見ると……。――
「すまんねぇ、足が痛くて痛くて……。どうにかしてくれんものかねぇ……」
――やっぱりなぁ。足首、痛そうだったもんなぁ……。年齢的にも、体形的にも足にかかる負担が大きそうだし……。――
渚は瞬時に老婆の抱える健康問題を把握し、今自分にできる看護行為の計画を瞬時にくみ上げていく。
――現時点で行えるのは、疼痛緩和ケアくらいか。ヒアルロン注射とか、できねぇしそもそもヒアルロン酸がねぇだろうしなぁ――
そういえばディスポ・シリンジと塩化カリウムのアンプルがあったから探せばあるかもしれないなぁなんて思いながらも、渚は頭を振った。
そういう『医療行為』に最初から頼るのは、看護師として失格だ。
傷が痛むなら薬を塗ればいい。病気になったなら手術をすればいい。
確かに根本的な苦痛の原因を取り除くことで、患者さんの苦痛は消失する。だが看護師はまず、自身の持つ看護技術で患者さんの苦痛を緩和するのが仕事なのだ。そういう根本的なことは、医者がすることだ。
「わかりました。少しお時間いただけますか?」
渚はさっきまでのことなどすっかり吹き飛んだかのような様子で微笑みながら、立ち上がった。
「おばあさん、足湯、していきませんか?」
そして、自信満々の表情で、老婆に笑いかけた。
五話に続く