3話 ~再びの、自殺~
やっとこさ異世界に到着しましたが、まだ異世界異世界しません。
「いっててて……。 あのクソ女……! 好き勝手言いやがって……」
日の射し込まない薄暗い部屋の真ん中で、人影がうごめいている。
「いってぇ……ケツもろにぶつけたわ……」
光の挿し込まないこの空間では、その姿をはっきりと捉えることができない。
だが、肩甲骨のあたりまで伸びる艶やかな黒髪、出るところは出、引っ込むところは引っ込んだ美しい曲線を描く体が、暗闇の中でも女性であるということを物語っている。
「どこだよここ……」
身長は百五十センチほどだろうか?
大柄でも小柄でもない彼女は、ゆっくりと周囲を見回した。
温かみのある木製の柱と家具類。床は大理石張りで、左右の壁にはガラス製の薬壺が所せましと並べられたアンティークなデザインの薬品棚。
棚の並んでいない二面の壁。そのうち一面には大きな出窓と、その中央にこれまたアンティークなデザインの出入り口。出窓の下には可愛らしい机といすが並べられている。出窓にはカーテンがかけられ、外の様子をうかがい知ることはできない。
残り一面には、奥につながっているのであろう味気ない扉と、大きな姿見、そして黒檀の机を囲むフカフカのソファーが設えられていた。
言うなれば、ファンタジーRPGでよく目にするような『異世界の診療所』というこの空間。
『あっ、無事到着したようですね! お疲れ様でした!』
突然、どこからともなく声が響き渡った。
部屋を見回していた彼女は、どこから響いてきているのかすらわからない声の主を、睨み付ける。
少しだけ輪郭がつぶれたようなその声は、ケイトリンのものだった。
「あっ……はぁ……。ちょっと、理不尽すぎませんかねぇコレ」
どこまでもけだるげな彼女の声。
それとは裏腹に、どこまでも騒がしいケイトリンの声。
『なんとでも言ってください。そうまでしないと、異世界の医療従事者不足は解決できないところまで来てしまっているんです! 看護に必要な医療器具は後ほどそっちに郵送しますので、しっかり受け取ってくださいね!』
噛みつく彼女に、ケイトリンは取り合わない。ただ淡々と、自身の業務を進めていく。
「じゃあ、もう一度死なせていただきますね」
彼女は、出窓に下げられていたカーテンへと駆け寄る。そしてそれを首に巻き付け、足の力を抜いた。
頸動脈が締め付けられ、頚動脈洞反射と呼ばれる生理現象が発生。脳への血液供給がたちまちのうちに停止する。
所謂、首つり自殺。
息ができなくなって死ぬのではない。血液供給が停止することによって脳の細胞が壊死し、死に至るのだ。
脳への血液供給が停止してから意識消失までは、長くて十秒。脳細胞が壊死を始めるまでには、約三分。そして死に至るまでには、長くて十分。
彼女は、いや、『彼』は、前世もこの方法で自らの命を絶った。
「へへっ……ざ、まぁ……」
やがて彼女は、意識を失った。
その美しい体から力が抜け、だらりと重力に従って垂れ下がる。
意識の消失までは約七秒。
その後五分ほどで、彼女は完全に息絶えた。
『ウヌヌ……。到着早々自殺を図るとは……。本気で嫌だったんですね……』
動くものの無くなったその空間に、光の奔流が生まれる。
その光の中から現れたのは、眉をハの字にしたケイトリンだった。
だらしなく舌を出し、濁った瞳で床の一点を見つめ続ける『彼』の亡骸に、彼女はやさしく触れる。
「申し訳ありません。神崎渚さん。これは、死よりも苦しい呪い。ですが、こうしてまでもあなたにはこの世界を救っていただきたいのです」
そして、彼の体へと何かを送り込んだ。
一瞬だけ淡く光る、神崎渚の体。それを見届けると、ケイトリンは再び光の渦の中へと姿を消した。
※
ケイトリンも去り、今度こそ動きのない空間と化したここ。
しかしやがて、渚の死体がぶら下がるカーテンごしに、あたたかな光が射し込み始める。
朝日だ。
柔らかな線を描く光の束は、薄暗かった室内に美しい影と光のコントラストを作り出す。
宙を舞う埃が太陽に照らされながら、気持ちよさそうに泳いでいた。
そんな空間に――
「っゲハッ!!!! ゴホッゴホッ!! ヒューッ! ヒューッー!」
――突然、激しくせき込む誰かの声が響き渡る。
「ゲホッ! ゴホッ! あー……。あ、あれ? 俺死んだよな……?」
カーテンで首つり自殺を行った彼、神崎渚は、自分の首に巻き付いている布を手で触れつつも、そう呟いた。
「あれ? あれ?」
間違いなく、彼は『また』死んだはずだった。
ゆっくりと立ち上がり、部屋の奥に設えられていた姿見へと足を進める彼。いや、もう『彼女』と言った方が正しいのだろうか?
「お、俺、死んだはず……だよな? え? 夢?」
鏡の前に立った『彼女』は、自身の顔、体、足、触れられるすべてに手を伸ばした。
そして、一言。
「だ、誰だあんた……!」
鏡に映る『自分自身』に向け、震える声でそう投げかけた。
そこにうつっていたのは映っていたのは、見とれてしまうほどの美少女。
渚が顔に手をやれば、鏡に映る彼女も全く同じ動きを取る。
その場で足踏みしても、鏡に映る彼女は全く同じを取った。
ここから考えられる結論は……。
「えっ、これ、俺?」
神崎渚は、
「これ、おっぱい……?」
自殺をして、
「ムスコ……! が、ない!?」
どこかもわからぬ部屋の中で、
「うそん……」
美少女になっていた。
4話へ続く。