~虚無の絵、想いの歌~ 第一章『隕石な少女』
ドッボォーン!
それは、例えるとするなら、まるで隕石の様だった。
彗星や流れ星の様に、ロマンチックなものに例えても良かったがこの俺『佐野 結斗』(さの ゆうと)にとって、この例え方が一番、的を射ている気がする。
何故なら、その隕石が落ちた事によって、俺自身が間接的な被害を被ったからである。
もし、この事態が俺にとって、全く関係無く、只の傍観者でいられたなら、どれだけ良かったか…… それなら、もしかすると隕石なんて例えじゃなく、それこそ彗星や流れ星などと、ロマンに溢れたもので例えられたかも知れない。
だが実際に、その隕石は、俺の目の前にある川へ落ちては、瞬間的に、水面へと大穴を開ける。
そして、その大穴が開いた事で、舞い上がった大量の水飛沫が俺を襲った。
ポタッ…… ポタッ……
「……ハァ? 」
何の因果か分からないが瞬間的に吹いた、突風の影響もあったのだろう。
瞬く間に全身が濡れ、独特の不快感に包まれた俺は、この不条理な事態に対し、何処に、ぶつけて良いか分からない憤りを感じる。
その時だった。
未だに、波紋が広がる川の水面、その中心点から何か、人影らしきものが競り上がって来る。
ザッパァーン!
「……フゥ…… 」
「…… 」
(何だ、あれ? )
水面から現れた、その姿は、完全な人間の、しかも少女の姿をしていた。
その外見を一言で表すなら、眉目秀麗、若しくは、容姿端麗であろう。
整った顔付きに、栗色のショートカット気味の髪型、年齢で言えば、俺と同年代、十代後半と言った処か、それに年相応のバランスが良い体型をしており、濡れた服がそのボディーラインを見事に表していた。
そんな少女を見詰めていた俺は、その場で、呆然と立ち尽くしていると、少女の方も、こちらを見ている。
(! …… こっちを見てる? )
一瞬、少女と視線が触れ合った気がした。
その瞬間、見える筈がない少女の瞳の色まで見えた気になって、先程までの出来事が無かったかの様に、脳内から消え失せていく。
そんな錯覚に陥っていた時、川の真ん中で佇んでいた少女は、その足で、歩を進めながら、こちらへと向かって来る。
やがて、本当に、少女の瞳の色が見える距離まで近付いてくると、こちらを見ては、朗らかに微笑むのだった。
「こんにちわ! 」
聞こえて来たのは、たった一言の挨拶。
でも、その笑顔と声には、それだけで彼女に対し、引き込まれてしまいそうなる、そういった不思議な魅力を感じる。
その魅力を分かりやすく説明しろと言われれば、凄く可愛いとか、本当に綺麗と表現するだろう。
そして、不覚にも俺は、そんな少女の魅力に、やられてしまいそうにもなっていた。
だがやられるか、やられないかの瀬戸際、ある種の境界線の上で、ギリギリ踏み止まると、その瞬間、我に帰る。
そこから俺は、今までの感情を隠し、冷ややかな視線を少女へと向けるのだった。
「オイ、アンタ……そんな場所で、何してる? 」
「えっ、何って……あの橋の上から飛び降りたんだけど、もしかして見てなかった? 」
そう言いながら、無邪気な笑顔をこちらへと向けて来る少女。
でも、何故だろう。
何故か、この時、俺が感じていたのは、先程までの感情よりも、更に前に感じた、あの憤りだった。
「見てなかった……だと? それは、こちらのセリフだ。アンタの方こそ、こっちを見てみろ! 」
少女の言葉に、自分の中にある憤りが更に燃え上がる。
先程は、分からなかったがようやく、その憤りを向けるべき方向を理解したという事だろう。
普段なら、他人には見せない感情というものを表に出しながら、俺は、少女へと迫った。
「こっちを見ろって……あぁ、何か、濡れてるね。もしかして、私のせい? 」
すると少女は、そんな俺の言葉に、困った表情を浮かべながら返事をする。
そして、その返事に俺は、言おうとしていた言葉を飲み込みながら、無言で頷く。
「あっ、そっかぁ……アハハ……ごめんなさい! 」
一歩、二歩と、その場から後退りしては、潔く、頭を下げる少女。
彼女が動く度に、まだ川から出ていない足が水面を揺らす。
そんな彼女を見ていると、先程まで感じていた憤りが心の中から、ゆっくりと消えて行くのを感じた。
少女を見てて、呆れたのか、それとも、元々、一時の感情だったのかは、自分でも良く分からない。
と言うより既に、そんな事は、どうでも良いと考えていた俺は、その場で何も言わずに振り返る。
「ハァ…… もう良い。じゃあな…… 」
冷たい言葉の捨て台詞を言い残し、俺は、少女から離れる様に歩き出す。
「ちょ、ちょっと! 」
すると、そんな俺を見て、慌てた様に、こちらへと駆け寄って来る少女。
彼女が動く事で、バシャバシャと立つ水の音がその慌て振りを示している。
だがそんな彼女を介さずに、俺は、まるで彼女がそこにいない様に振る舞いながらも、近くにあったベンチに腰を掛ける。
「フゥ…… ったく! 」
一体、この短い時間の間に、どれだけの溜め息をついただろうか……そんな心の晴れない俺は、気が付くと、何処でもない遠くの景色を眺めていた。
(何だか、ロクな事が無いな……つーか、この服……乾くか? )
そのまま、ベンチに付いてある背もたれに、体を預けた俺は、まだ照り付けている太陽を理由に、そのベンチで、濡れた服を乾かそうと試みる。
すると突然、座っていたベンチに、衝撃を感じた。
隣を見ると、例の少女が自分よりも濡れた服で、同じベンチに座っている。
「ねえってば! ちゃんと、謝ってるんだから、こっち見なさいよ! 」
そして、とても謝罪の言葉を口にしているとは、思えない表情と態度で、こちらを睨んで来るのだった。
(チッ! 一体、何だってんだ……)
「……ハァ……だから、もう良いって言ってるだろ。聞こえなかったのか? 」
言い寄って来る少女を鬱陶しく感じていた俺は、素っ気ない態度で返事を返すと、彼女がいる反対方向へ、そっぽ向く。
その時だった。
丁度、頬の辺りをガッツリ掴まれたかと思うと、強い力で引っ張られる。
「グッ……」
「聞こえなかった! だから、こっち向きなさい! 」
両手で頬を掴まれ、そっぽを向いていた俺の顔を自分の方へと引き寄せる少女。
俺の顔と少女の顔、距離で言えば、目と鼻の先と言った処だ。
「オイ……近いぞ。というか、いい加減に離せ……」
「……なら、ちゃんと見なさいよ。私の方を……」
そのせいか、喋る度、互いの吐息を感じる。
そんな中、俺は、まず彼女に手を離す様、伝えた。
すると彼女は、意外にも俺の言葉を聞いてくれたのか、素直に、その手を離してくれた。
「チッ…… ったく…… で、一体なんの用だ? こんなマネして…… 正気じゃないぞ」
「フンッ……貴方だって常識がなってないじゃない。人が謝ってるのに、あんな態度とって……」
「ハッ、常識だって? 良く言う……あんな風に橋から飛び降りる、お前にだけは言われたくないな」
「何よぉ! 良いじゃない! 別に、何処から飛び降りたって…… 」
「良くないから、言ってんだ! そもそも、こっちは実際、被害を被ってんだよ! 」
「だ、か、ら! 謝ってるじゃない! なのに、あんな態度を取られたらさぁ…… って、あれ? 」
ベンチの上で、互いに言い争う二人。
だが彼女の方が唐突に、その言動を止め、何かに気付いた素振りを見せる。
「それ…… スケッチブック? もしかして貴方、絵を描くの? 」
「…… だったら、何だよ…… 」
先程まで、ヒートアップしていた彼女の態度が一転し、改める様、俺へと質問を投げ掛けてくるが当の俺は、その質問に対し、嫌そうな表情を向けていた。
「へぇー…… そうなんだ…… ねぇ、ちょっと見せてよ! 」
「…… ハァ? 」
(こいつ…… 一体、何言って…… )
少女の唐突過ぎる態度の変化に、俺の思考は揺さぶられる。
「……フンッ、やだね。見せてくれったって、そんな名前も知らない初対面の奴に、ホイホイ見せれる訳、無いだろ」
「? 名前? 絵を見せるのに、そんな事、必要? 」
俺の言葉に、不思議そうな表情を見せる少女。
「別に必要って訳じゃない。信用、出来ないって言ってるんだ」
「あっ! そういう事か…… それじゃあ、改めて…… 私の名前は芽衣華! 『結崎 芽衣華』(ゆいさき めいか)! 貴方は? 」
「俺は…… 結斗。『佐野 結斗』だ」
「へぇー、結斗かぁ…… 良い名前だね! 」
(こいつ…… 初対面で、いきなり呼び捨てかよ…… つーか態度、変わり過ぎ…… )
「そいつは、どーも…… てか、アンタ一体、何者…… 」
そう言い掛けた時、自分を芽衣華と名乗る少女が再び、顔を近付けて来る。
「アンタじゃない! 芽衣華だよ! 結斗! 」
「あ、あぁ…… すまない」
(ち、近い…… )
芽衣華の勢いと、その距離の近さに、思わず俺は、気圧されてしまう。
「あぁ、その…… 芽衣華? 」
「ん? 何、結斗? 」
「いや、その…… 少々、近づき過ぎじゃないか? 」
「ふぇ? あぁ……」
俺の言葉に、成る程と言った表情を浮かべる芽衣華。
すると、その表情に微笑を浮かべながら芽衣華は、自らの口を開く。
「何? もしかして結斗、照れてる? 」
「ハァ? 何を言って……そうじゃなくて、さっきから冷たいんだよ。その服が……」
「あっ! ごめんなさい……」
俺に言われて、距離を取る芽衣華の服は、未だに濡れていた。
当然、俺の服も依然、乾いてはいないがそれでも芽衣華の服より、状態は良い。
「うぅ…… それにしても、これ全然、乾かない…… 」
「そりゃ、そうだろ…… あんな風に川に落ちてりゃ、誰だって…… 」
「ムゥゥ…… 」
全く、乾く気配の無い服に対し、しかめっ面を見せる芽衣華。
「…… まっ、仕方ない。それよりも…… えいっ! 」
「ちょっ、オイ! 」
すると芽衣華は、意表を突き、見たがっていたスケッチブックを俺から奪う。
「フフッ、どれどれ…… 」
「ったく…… 物好きな…… 」
ニヤニヤと、下卑た笑みを浮かべながら、俺のスケッチブックを捲る芽衣華。
そんな芽衣華の隣で、俺は、不服そうな表情を浮かべていた。
「ワァー、凄く綺麗な絵…… 結斗の絵、上手だね! これって、この川原の絵? 」
「……あぁ …… まぁな。それより、もう良いだろ? さっさと返せ! 」
「ちょっと待ってよ。もう少し見せて…… 」
スケッチブックを取り替えそうとする俺の手を払いながら、芽衣華は、そのスケッチブックを一枚、また一枚と捲っていく。
「…… 」
捲る度、芽衣華の表情は真剣身を帯びていき、その口は、同時に言葉を発しなくなっていった。
「オイ…… 大丈夫か? 」
「…… だけど…… だ…… 」
そんな芽衣華に向かって、声を掛ける俺。
すると芽衣華は、その口から、静かに言葉を溢す。
「ハァ? 何を言って…… 」
上手く芽衣華の言葉を聞き取れなかった俺は、再び尋ねようと、声を掛ける。
すると芽衣華は、振り向き様に、悲し気な表情を浮かべていた。
「この絵、綺麗だけど……何だが空虚だ。本当に、描いただけみたい……」
「! 」
芽衣華の発した言葉は、聞き手次第で、とても抽象的に聞こえる類いのものだ。
だがその言葉は、俺にとって抽象的処か、むしろ具体的で、過去にも同じ事を言われた経験があり、今でも、その言葉は、俺の心に深く穿たれている。
「そうか…… 昔、同じ事を言われた事がある。これで二人目だ…… 」
「へぇー、そうなんだ…… それって誰? 」
俺の言葉に、不思議そうな表情を浮かべ、尋ねる芽衣華。
でも、そんな芽衣華に俺は、見向きもせず、視線を反らしていた。
「それは…… お前には関係無い事だ。それよりも、さっさと返せ! 」
そして、言葉を詰まらせると直ぐ様、俺は、芽衣華からスケッチブックを奪う。
「あっ! ちょっとぉ…… 折角、見てたのに…… 」
そんな俺の行動に、不服そうな表情を浮かべている芽衣華だがそんな事は、お構い無しに、その場で俺は立ち上がる。
「知るか! これは元々、俺の物だ 。それに、俺の服は、もう乾いている。なら、ここに座って服が乾くのを待つ理由も無ければ、ここで、お前の相手をする義理も無い。だから、もう帰るぜ。じゃあな…… 」
散々、帰る為の正当な理由をその口で述べた俺は、その場で振り返り、帰ろうと歩き出す。
その時だった。
パシッ!
「! 」
突如、手首を掴まれたかと思うと、背後から、今にも泣きそうな、悲し気な声が聞こえて来る。
「ねぇ、行かないでよ…… 私を一人にしないで…… 」
まるで、懇願する様な態度の芽衣華は、その掴んだ手首を一向に離そうとしない。
「ハァ? 何を言って…… 良いから、ちょっと離せ…… 」
一応、振りほどこうと、画策はしてみるものの、余程、強い力なのか、その手は、全く手首から離れる気配が感じられない。
(こいつ、こんなに力、強かったのか? いや、違う。これは…… )
正直な処、体型から察するに、それ程、力は強く無い筈……そんな事を思っていたが現に俺は、想像以上の力で、手首を掴まれている。
そんな彼女を見かけに寄らず、怪力の持ち主、等と思ってはみたがそれは違うと直ぐ様、考えを改めさせられた。
(只、必死なだけ、か…… )
俯きながら、下唇を噛んでいる芽衣華の仕草に、俺は、掴んだ手首を離さないのは、寂しいという一心から来る、想いなのだという事を悟る。
そして悟ったと同時に、俺は、こいつは敵わないとも思ったのだろう。
「ハァ……分かった。分かったから、その手を離せ。服が乾くまで居てやるから…… 」
「ふぇ? 本当? 」
「あぁ、居てやるから…… だから離してくれるか? 」
「グスッ…… 分かった…… 」
若干、涙声な芽衣華は、言われた通り、ゆっくりと掴んだ手首を離す。
「フゥ……取り敢えず、またベンチにでも座ってるか? 」
「……うん! 」
そして、俺の言葉に頷く芽衣華は、満面の笑みを見せると、そのまま一緒に、ベンチへと座るが彼女と俺の仲は、そこまで親しいものではない。
まぁ、というのも至極、当然の事で、会って間もないにも関わらず、親しくなるなんて、少なくとも俺の中では、あり得ない事だ。
そして、そんな仲であれば、必然的に話す話題もないのは当たり前で、気が付くと、暫くの間、沈黙した時間が流れる。
「…… 」
「…… 」
そんな中、俺は、徐にスケッチブックを取り出すと、目の前に見えるものを題材に絵を描き始めた。
「……何、描いてるの? 」
すると、その事に気付いた芽衣華は、そっと静かに質問を投げ掛けてくる。
「さぁな、何を描いてるとか、そんなのは、特に考えてない」
「ふーん……そんなんで、絵とか描けるんだ? 」
「まぁ、そうだな…… 取り敢えず、こんな感じか…… 」
そう言って、俺は、描きかけの絵が描かれたスケッチブックを芽衣華に見せた。
「へぇー…… やっぱり綺麗だ。これは川と…… 木だよね? あそこに生えてる」
「あぁ…… 」
「そっかぁ…… うん! ハイ、これ返すよ」
笑顔を見せながら、スケッチブックを返す芽衣華。
そのスケッチブックを受け取り、俺は再び、絵を描き始める。
すると再び、二人の間に、静寂が訪れた。
だがその静寂も、長くは続かない。
「…… ん? 」
(何だ、これ…… 歌? )
川のせせらぎや、風に揺れる木々、様々な音がこの川原には満ちている。
そんな中、微かに聞こえて来るのは、一つの歌声だった。
(知らない歌…… でも、これは…… )
その歌が聞こえている間、描いてた手を止め、俺は、その歌を聞く事に、没頭してしまう。
正直に言うと、その歌は、今まで聞いた事など全く無い、知らない歌ではあったが何とも耳障りの良い歌でもある。
そして翌々、聞いていると、その声は、何処か、聞き覚えのある声をしていた。
バッ!
ふと隣を見ると、そこには、当たり前であるが芽衣華の姿がある。
只、先程と比べ、明らかに違うのがその神秘的な雰囲気と、その口から紡がれている、聞き心地の良い歌声だった。
(こいつの歌なのか? …… 聞いた事の無い、知らない歌だ。でも、この歌は…… 綺麗だ)
芽衣華が歌っている事に、若干、戸惑ったりもしていたがそんなのは、些細な事だと言わんばかりに、この歌は、俺の耳へと届いてくる。
その瞬間、脳内に浮かんだのは、空から、ささやかに降って来る雪のイメージだった。
当然、現実には、雪など降ってはいない。
だがそれさえも、些細な事だと言いたいのか、その現実すら巻き込む様に、書き換える様に、俺の眼には、幻想的で、儚い雪が降る下で歌う、芽衣華しか見えていなかった。
そして、雪となった彼女の言葉が俺の中に溶け込むと、俺は、衝動的にスケッチブックを持っては、先程まで描いていた風景画に、新たな絵を描き足していく。
(何だ、これ…… 知らない感覚だ。こんなイメージだけで絵を描くなんて…… でも、この感覚…… 悪くない)
正直、衝動的な自分に、戸惑う感覚もあった。
だがそれも直ぐ様、悪くない、という感覚が書き換えていく。
そして、その書き換えを促していたのは、他でもない。
隣で歌う、芽衣華の歌声だった。
(本当、何なんだよ。こいつは…… 行きなり橋から、飛び降りて来て、それで人の服、濡らして…… しかも、今度は、歌まで歌ってる。まさに、やりたい放題。でも…… それでも、やっぱり綺麗だ)
途端、自分の脳内に、ある言葉と声が甦る。
(そいつの奥を見ろ。覗き込め! それに、ビビっている様じゃ、いつまで経っても、そのままだ…… )
それは、何処と無く威厳がある、男の声だった。
そして同時に、ふと思い出す事もある。
(もしかして、これが師匠の言っていた人の奥なのか? けど、これが奥なら…… )
ずっと見ていたい、そう思ったのは、確かだ。
だがそんな回想も束の間、俺が見ていた景色は、一瞬の内に、元通りの川原へと姿を変えている。
「……あれ? 」
それは、まるで現実的な夢を見ていた時に、行きなり、起こされる様な感覚だった。
突然、起こった周りの変化に混濁する意識、絵を描いていた手も止まり、持っていたスケッチブックをベンチの上に置くと、隣からは、心配そうな芽衣華の声が聞こえて来る。
「大丈夫? 」
「あ、あぁ…… それよりも、お前、歌を…… 」
「あぁ、あれ! アハハ…… やっぱり聞こえてたよね? イヤー、結斗が余りにも、真剣に絵を描いてたから、話し掛けるのも悪いなぁって思って、つい…… 」
そう言いながら芽衣華は、照れ隠しなのか、頬の辺りを指で、ポリポリと、かいていた。
「何だよ、それ…… 普通、歌う方が煩いと思わないのか? 」
「ムゥ…… だから悪かったって言ってるでしょ! 大体、結斗も悪いよ。私が隣にいるのに、ずっと絵を描いてさ…… 」
「成る程、そいつは悪かったな…… で? 」
「ん? 何? 」
「あの歌ってたの…… 何て、歌なんだ? 」
「歌? あぁ、あれ…… あれは、まだ分かんない。さっき、作ったばかりだから…… 」
その芽衣華の言葉に、俺は、驚いた表情を隠し切れない。
「さっき作ったって…… まさか即興で? 」
「うん、そう…… 貴方の絵と、ここの景色、両方を見てたら、なんだか、自然と浮かんで来ちゃって…… だから、変だったでしょ? さっきの歌…… 」
そう言って、俺へと、尋ねて来る芽衣華だったがその表情からは、何処か、気恥ずかしいという思いが感じられる。
だがそれよりも、俺にとっては、芽衣華が言ってる事実の方が気に掛かっていた。
(あれが即興って…… 嘘だろ? )
「? 結斗? 」
「うん? あぁ、すまない…… それより、俺の絵を見てって…… 」
「クスクス…… 」
唐突に笑い始める芽衣華。
そんな芽衣華の反応に、俺は、まるで狐に摘ままれた表情を示していた。
「何で、笑ってる? 」
「えっ、だって結斗がそんな真剣に質問してくるのが可笑しくて…… 」
「ムッ、何だよ。そんなに可笑しいのかよ? 」
「うーん、可笑しいってのもあるけど、嬉しいってのもあるかな。ほら! 結斗が自分から、私の事を聞いてくるからさ」
こちらを見ながら、満面の笑みを向けてくる芽衣華。
そんな芽衣華の表情に俺は、何処か、引き込まれそうな感覚に陥ると、一つ、大きな溜め息をつく。
「ハァ…… そうかよ。なら教えて貰おうか? 」
「何を? 」
「お前、歌手でも、やってんのか? 」
「歌手? うーん、ていうよりは、それを目指してるというか…… 実は私、バンドを組んでるの! 」
すると芽衣華は、その場から立ち上がると、後ろで手を組みながら、川の方へと歩き出す。
「バンド…… 」
「そっ! バンド! と、こ、ろ、で…… 」
そう言って、軽快に、その場で反転する芽衣華。
「結斗は? 結斗は何してるの? 画家志望の学生とか? 」
「俺は…… 」
そう問い掛けてくる芽衣華の表情は、とても、にこやかだった。
そんな芽衣華に、俺は、言葉を返そうとするがどうも言葉が途切れる。
それに視線の方も、自然と芽衣華から、外れていくのだった。
だが次の瞬間、自分の頬に、何かが触れる感触が……
グイッ!
「ウオッ! 」
触れたのは、他でもない、芽衣華の両手だった。
その両手で頬を持たれ、外れた視線を芽衣華に、無理矢理、合わされる。
「そうやって、直ぐ目を反らすのは、良くないぞ! 」
「あ、あぁ…… 」
先程から、薄々、思っていた事がある。
どうも俺は、こいつ『結崎 芽衣華』に会ってから、驚かされてばかりだ。
川へと落ちてきた時から、隕石なんて印象を抱いていたが実際の、こいつ自身を見ていても、そのまま、隕石だという印象は、変わらない。
そう…… 彼女は、芽衣華は隕石だ。
俺の中に激しく落ちて来ては、大きな跡である、クレーターを残して行く。
「私…… 結構、聞きたい事、ズバズバと聞いちゃうタイプだから、もしかしたら、言いにくい事、聞いたのかも知れない。でも…… もし、そうなら言ってよ。私、知りたいの…… 貴方の事、結斗の事を…… 」
「…… 」
しかも、そのクレーターは、決して一つだけに止まらない。
一つ、また一つと、跡を残しては、俺という地形を変えていく。
そして彼女は…… 芽衣華は、やはり隕石だ。
落ちた跡も凄まじいが落ちるまでの軌跡は、流れ星の様に、幻想的だったりもする。
そう…… 今、俺に対し、彼女が向けている笑顔も、何処か、幻想的だ。
両手は、俺の頬に触れ、その瞳は、俺の瞳を捉えて離さない。
そんな中、俺は、描き掛けていたスケッチブックの絵を思い出していた。
川、橋、そして様々な木々に、空から降る雪、その風景画の真ん中には、佇む少女の姿が……
その容姿は、何処か、今の彼女、芽衣華に似ている。
だが如何にも描き掛けの絵と言った処か、その表情は、まだ描き込まれてはいない。
(この表情なら…… )
微笑みながら、真っ直ぐ見詰めてくる彼女の表情。
この時の俺は、あの絵を完成させる為に必要な、まだ描かれていない、あの表情は、この彼女の…… 芽衣華の笑顔しかない。
そんな事を考えていた。