~虚無の絵、想いの歌~ 『プロローグ』
俺は、物事に対する執着心が余り無い。
大概のものは、俺の視界から外れて行き、気が付けば、いつも眺めているのは、様々な風景だった。
俺は、そんな風景が好きだ。
山、川、草花に様々な木々……種類なんて、それこそ何でも良いし、どれが一番、好きかなど、比べるつもりもない。
俺は只、それらを眺めているだけで良かった。
その場所が綺麗か、どうかなんて関係無い。
眺めて、そして……それらを描く事さえ出来れば、満足だった。
あの日までは……
「…… フゥ…… 」
その日も俺は、近くにある、人気の少ない、静かな川原へと来ていた。
御世辞にも、川原を流れる水は、綺麗とは言い難いが街中には無い、水のせせらぎが聞こえる静かな空間の為、俺にとっては数少ない、お気に入りの場所となっている。
その場所で、スケッチブックを片手に、川沿いにあるベンチに腰掛け、周囲の風景を眺めながら、気儘に絵を描く。
正直、題材なんて何でも良い。
それに、この場所は、拘りさえしなければ、幾らでも描く対象が周囲に溢れている。
川原、及び水面の風景、周りに生い茂る木々、飛び立つ鳥達を描いても悪くない。
更に言うと、この場所には人自体、余り寄り付かない為、自分一人の静寂な空間を楽しめる。
楽園…… と言えば、言い過ぎかもしれないがそれでも俺にとっては、唯一と言っても良い位、心が安らげる場所の一つとなっていた。
「それにしても、今日は暑いな…… 」
そんな昼下がり、間もなく登った太陽も、夕焼け色に染まろうとしている六月上旬の今日この頃、俺は、季節の変わり目に不満を抱く。
上昇する気温、地味に体を照り付けて来る太陽、先程まで心地の良い風が吹いていたかと思えば、今度は一転し、その心地良さを奪いに来る。
「…… 帰るか…… 」
そこで俺は、迷わず、その場から立ち去る事を選んだ。
何故なら、楽園が楽園で無くなるなら、ここにいる理由は無い。
そうした居心地の悪さを理由に、描きかけの絵が描かれているスケッチブックを閉じると、その場で立ち上がった俺は、楽園の出入口とも言える階段へと向かう。
正直言うと、まだ、その場に居続ける事も出来た。
と言うのも、この川原には、そこそこ大きな橋が掛かっており、俺は丁度、その付近にいる。
当然、その橋の下には、良い感じの日陰が広がっていて、そこに居座れば、この暑さと日光を気にせず、まだ絵を描く事が出来るのだ。
だが当の俺は、その選択をせず、真っ直ぐ階段の方へと歩を進める。
その時だった。
視界の端に写っていた、橋の上から、何かが川へと飛び込むのが見える。
ドッボォーン!
豪快な音と同時に、舞い上がる水飛沫。
突如、吹いた突風の影響もあり、その水飛沫は、俺の全身を一瞬の内に濡らしてしまう。
ポタッ…… ポタッ……
「…… ハァ? 」
余りに、唐突な出来事で、思考が全く追い付かない俺だったが辛うじて、スケッチブックだけは、濡れずに済んだ。
しかし、全身からは、もれなく水滴が滴り落ちる。
そして、この時の俺は、水を被り、体温が下がったせいもあっただろう。
全身に、若干の身震いを感じていたがそれと相反する様、根拠も無く、高鳴る心臓の鼓動と、その熱を震える全身で感じ取っていた。
まだ揺れる、その水面を見詰めて……