第九幕 第三場
わたしはレイシー・レイクスの過去についてルイス・ベイカーに熱く語っていた。夢占い師として有名になり、戦争を予知したせいで政府に呼び出されて、そしてハートマン大佐に利用されたいきさつを。それからハートマンと対立することになり、その結果ハートマンの仲間になったビル・グレイの手により殺害され、その死を偽装され自殺に見せかけた。
グレイはその後もハートマンと結託していたが、わたしの命を助けてくれたエリック・ローランドによってハートマンが殺害されると、わたしのことを恨むようになった。そして復讐と共感者の脳の解剖という知的好奇心から、わたしを殺害し、レイシーのときと同様にその死を偽装し、自殺に見せかけた。
「これがグレイのしたことよ」わたしはくやしげに唇を噛んだ。「あいつは悪魔だ。ハートマンはあくまでもこの国を思い、愛国者として活動してきた。だがグレイはちがう。あいつは自分の欲望や知的好奇心を満たすために、人を殺してきた。ぜったいに許せない。お願いだからベイカー、わたしに代わってあいつに裁きを下して。レイシーのためにも」
「……ああ、わかった」ベイカーは神妙な面持ちでうなずいた。「きみの話がほんとうだとしたら、グレイ博士にはしかるべき裁きが必要だ。約束しよう、やつを捕まえ、かならず牢獄に送ってやる」
「頼んだわよベイカー」
「まかせてくれ。きみはアリスを助けてくれた。その恩にわたしは報いたい」そう言うとベイカーは気まずそうな表情になる。「ところでロリーナ、大変言いにくいのだが、きみはいま現在アリスに取り憑いた状態だ。それはすなわち夢を共有したときと同じように、アリスに共感者の力を使わせてしまっているんだ。たったひと晩の夢の共有できみたちはとても疲弊した。そんな状態が二十四時間休みなく何日もつづけば、アリスは衰弱死するだろう。現にアリスは弱ってしまっている。せっかくレイシーからの呪縛から解き放たれたアリスだが、このままきみに取り憑かれたままだと近いうちに死んでしまうはずだ。だからロリーナ、後事のことはわれわれにまかせて、このまま成仏してくれないだろうか」
「……わかっている」わたしは沈痛な面持ちになり、うつむいた。「このままアリスに取り憑いているわけにもいかないって。だからわたしは、あの世に行くわ。それとアリスに伝えてほしいの、あなたを救えてわたしは満足だ、と」
「わかった。きみの最後のことば、かならず伝えるよ。そしてきみの無念はわたしが晴らす」
「わたしだけじゃない。レイシーの分も忘れないで」
「そうだったな。見知らぬとはいえ、レイシーのためにもグレイ博士を捕まえてやる。そして後悔させてやるよ。きみたちの命をもてあそんだことを」
「見知らぬ?」わたしは眉根を寄せると顔をあげた。「それってどういうことよ。あなたレイシーの顔を忘れたの?」
「おかしなことを訊くね、きみは」ベイカーは不思議そうに言う。「レイシー・レイクスの資料には、彼女の写真はないんだ。おそらくは戦争の際にすべて燃えてしまったのだろう。だからわたしが彼女の顔を知ることなんてできないし、そもそも忘れるなんて不可能な話だ」
そんなはずはない、とわたしは思った。写真うんぬん以前に、ベイカーはレイシーと面識があったはず。ヘンリー・キャロルを交通事故の運命から救った際に、出会っているのだから当然だ。なのにレイシーを知らない?
おかしい、とわたしは思った。ベイカーはレイシーを知っているはずなのに、知らないと言う。本人ならぜったいに知っているはずだ……本人なら。
いやな予感を覚えた。ここは夢の世界。この世界を操るためにわたしたちがしてきたトレーニング。まずは物体からはじまり空間のコントロール。つぎは夢に出てくる人々を操り、そしてそのつぎは夢の世界で自身の姿を変容させ、他人に変身する予定だった。つまりは夢の世界では別人になりすますことも可能だったはずだ。もしかすると……。
「……ねえ、ベイカー。最後にひとつ訊いてもいいかしら?」
「なんだねロリーナ」
「たしかアリスは、あんたの親友の娘だったわよね」
「ああ、そうだよ。だからこそわたしはアリスを救うことが、自分の使命だと思っている。彼のためにもね」
「そう……」わたしはそこで語気を強める。「ならその親友の名前を答えてよ」
「えっ……だれだったかな」ベイカーはことばに窮した。「すまない。ちょっとど忘れしたみたいだ。なにせ夢を共有するには、だいぶ精神力を使うからな」
確信した。こいつはベイカーじゃない。「おまえはだれだ!」
わたしはやにわに立ちあがると、テーブル越しに手を伸ばしてベイカーの手をつかんだ。そのためすぐにその正体がわかった。
「ビル・グレイ!」わたしは怒鳴り声をあげた。「やっぱりきさまだったんだな。だましやがってこのクソ野郎。ぜったいに——」
突然テーブルが空中へと飛びあがり、それがわたしのあごをとらえ、その勢いで後方へと吹き飛ばされてしまう。
「やれやれロリーナ、ほんとうにきみはうっとうしいぐらい勘が鋭い」その声はベイカーではなくグレイのものだった。「まさか見抜かれてしまうとは、予想していなかった」
倒れていたわたしが痛みに呻きながら顔をあげると、そこにはベイカーではなく、白衣姿のグレイが立っていた。
「やっぱり他人の姿よりも、自分の姿がしっくりとくる。そう思わないかロリーナ」
「グレイ!」わたしは憤然と立ちあがる。「ぶっ殺してやる!」
「ぼくを殺す?」グレイは楽しげに笑う。「忘れたのか、ここは夢の世界だぞ。どうあがいてもぼくは殺せない。たとえこの世界で殺したとしても、ぼくはただ現実で目覚めるだけだ」
「だとしても殺す、絶対に!」
「まったく血気盛んだね」グレイはやれやれといった様子でため息をついた。「少しは頭を冷やしたらどうだ。これからきみに交渉を提案するのだから、冷静になってもらわないと」
「交渉だと?」
「アリスはぼくの研究にとって非常に貴重な存在だ。このまま彼女を死なせるのはともて惜しい。だからアリスを助けようと、そのためにいろいろと手を尽くしてきた。きみという死者の魂をも利用してね。そしてようやくアリスからレイシーを追い出すことができた。あとはきみだけだロリーナ。さっさとあの世に帰ってくれないか。そうしてもらわないと困るんだよ」
「わたしが素直にはい、とでも言うと思ってるのか。あんたのおこなった悪事を、このまま見逃すわけにはいかない」
「だとしたらどうするんだい、きみは?」グレイが挑発するような口調になる。「このままアリスに取り憑きつづけて、現世に居残るつもりかい。それはおすすめできないな。ただでさえアリスは衰弱しているのに、これ以上は危険だ。きみはアリスを殺すつもりなのかい?」
非常な現実を突きつけられ、わたしは苦虫を噛み潰したような顔つきになる。このまま成仏しなければアリスは死んでしまう。だけどこのままグレイをほうってはおけない。
「きみに残された選択肢はふたつ」グレイは話をつづける。「おとなしくあの世に帰るか、それともこのままアリスに取り憑き、彼女を殺すかのどっちかだけだ。このままアリスを死なせてしまうことは避けたい。もしそうなったらぼくが彼女を解剖することになるが、共感者のサンプルはすでに二体もあるから、正直これ以上はもういらないんだ。だからアリスを無駄死にさせたくない。頼むから正しい選択を選んでくれよ、ロリーナ」
「いまなんて言った」わたしは困惑した口調で言う。「共感者のサンプルが……二体だと?」
「そうだよきみとマンセル。すでにふたり分の共感者のサンプルをぼくは手にしている」
「きさま!」わたしは怒りでどうにかなってしまいそうだった。「マンセルも殺したな!」
「人聞きの悪いことを言わないでくれたまえ。あの老人はがんを患い、そう長くはなかった。だから家族のために少しでもお金を残したくて、みずから体を献体と差し出したんだよ。彼は科学の進歩に貢献したんだ。すばらしいだろ」そこでひと呼吸間を置いた。「でもまあ、エイトで受けた健康診断の結果を改ざんし、彼に自分ががんだと思い込ませてそう仕向けたんだから、きみの言うとおり、ぼくが殺したみたいなもんかな」
「人の命をもてあそびやがって。あんたは何さまのつもりだ。良心ってものはないのか」
「生きた胎児をも切り刻むことで科学は進歩してきた。そこに良心や倫理を持ち込んでいては前に進めない。きれいごとを言っていたら、何も変わらないのだよ」
「腐ってる、腐りきっている!」わたしは怒りで声を震わせた。「あんたはマッドサイエンティストだ。人殺しの悪人だ」
「おいおい、ぼくが悪人だとしたら、きみは極悪人だぞ。ぼくはきみたちよりも人を殺していない。きみはその共感者の力で、いったどれだけの人殺しに加担してきた」
「そ、それは……」痛いところを突かれ、わたしは怯んでしまう。
「きみもわかっているんだろう、聞こえのいい理想を掲げても、世のなかはよくならないと。だからきみたちは世のなかのためにと、人殺しに手を染めた。ぼくもそうだ。科学のためにこの手を汚してきた。きみとぼく、何がちがう。同じじゃないか」
「ちがう、同じじゃない!」わたしは叫んだ。「わたしは……わたしたちは悪人しか殺していない。あんたみたいに善良な一般市民には手をつけていない」
「笑わせるなよ。ハートマンが暗殺を指示した相手が、みな悪人だと本気で思っているのか。なかには自分と敵対する目障りな政敵もいたはずだ。そいつは悪人か? いやちがう、きみの言うところの善良な人間だったはず。それでもなお自分はちがうと、偽りつづける気か」
グレイに指摘され、わたしは押し黙ってしまう。ほんとうはわかっていた。わたしたちが殺した人間は悪人だけじゃないと。それは共感者の力でターゲットの人物の心を読み取っていた、わたしがいちばんわかっていた。だけどそれに気づかないふりをし、エリックにも悟らせないようにしていた。エリックだけには自分が正義のおこないをしていると信じつづけてほしかったから。だからすべてはエリックのためだと、自分に言い聞かせて真実から目をそらした。
「だとしたらあんたと同じでいい」わたしは声の調子を落とした。「わたしは悪人だ。それは人殺しに加担した時点でわかっていた。こんなことを繰り返せば、だれかに恨まれ殺されるかもしれないと思っていたよ。そしてそのとおり、あんたに殺された。おそらくそれは、いままで人殺しを重ねてきた報いなんだと思う」
「そうだろうさ」グレイは満足げにほほ笑んだ。「たくさんの人の命を奪っておきながら、ぼくに偉そうに説教するなんて笑わせるよ、きみは」
「たしかにそうだ。わたしにあんたを非難する資格はない。人殺しが人殺しに、人殺しは悪だと言っても、それはおかしなことだ」
「ああ、そのとおりだよロリーナ」
「だからこれ以上とやかく言うつもりはない。そのかわりあんたには、わたしが報いを受けたように、あんたにも報いを受けてもらう。それで終わりにしようグレイ」
「ぼくに報いを受けてもらうだと」グレイは失笑する。「だとしたらどうするつもりだい?」
「あんたは言ったよね。選択しろと。でもそれは選択肢のない選択だった。このままわたしが取り憑いていたら、アリスは死んでしまう。それならわたしが成仏せざるを得ない。まるでハートマンみたいなやり方だ」
「そいつは褒めことばとして受け止めるよ。それで決めたのか、どちらを選択するのか」
「ああ、決めたよ」わたしは決然とした顔つきになる。「わたしは三つ目の選択肢を選ぶ」
「三つ目だと?」
「アリスを起こして、わたしがこの夢の世界で見てきたことを伝える。そうすれば、あんたがしてきた悪事は明るみになる。そうすればあんたは裁かれる」
「それは困るな」グレイの表情がけわしくなる。「それを聞いて、ぼくがそうさせると——」
わたしは機先を制し、すかさず手を前にかざした。するとまるで植物の芽のごとく床から鎖が生えてきたかと思うとグレイの右足に巻きつき、その場から動けないように拘束する。
「これはなんのまねだ」グレイはあざ笑う。「こんなものでぼくを捕らえたつもりか。この程度の鎖、簡単にはずせる。その程度の夢の改変がぼくにはできないとでも思っていたのかい」
「あらグレイ博士、わたしたちの報告を忘れたの」わたしはにやりと口元をゆがめる。「だれかが改変を加えている現象に、他者は改変できない。だからあんたはそこからもう動けない」
そのことばを聞いたグレイは拘束を解こうとと焦りだす。だが鎖がはずれる様子はない。
「無駄だよグレイ、あんたはそこで指をくわえて待ってな」
わたしがその場を立ち去ろうとしたそのとき、やにわに騒々しい無数の足音がロビーへ近づいてきたかと思うと、たくさんの兵士が、周囲を包囲しはじめた。
わたしは突然の兵士の出現にとまどいながら、まわりを見まわした。兵士の数は何十人にも及ぶ。みながみな銃を持ち、それでわたしに狙いをつけていた。
「これはまさか……あんたの仕業?」わたしは驚愕の面持ちをグレイに向ける。
グレイはこちらをにらんでいた。「そうだよぼくが兵士を出現させて、それを操っている」
「そんな馬鹿な。こんなに大勢の人間を同時に出現させて、しかも操るなんてありえない」
「ありえない、なんてことば、夢の世界ではナンセンスだよ。それに忘れたのかい、きみたちに夢を操る方法をレクチャーしたのは、このぼくだぞ」グレイはそこでことばを切ると、ほくそ笑んだ。「そしてこのぼくは天才だ。こんなことぐらい雑作もないさ。さあロリーナ、この状況でどうやってアリスに会いにいくんだい?」
包囲網のどこかに隙がないかと、あせりながら周囲を見まわす。すると突然、二発の銃声が鳴り響いたかと思うと、わたしの両ももに焼けつくような鋭い痛みが走った。わたしはその場に倒れ込み、痛みに喘いだ。
「これはとても興味深いな。死者の魂でも痛みを感じるとは思わなかったよ。そこでひとつ疑問がわいてきた」グレイは眼鏡をくいっと持ちあげる。「夢のなかでも痛みを感じたりすることは、生前に教えてあげたよね。そしてその苦痛が限界を超え、死の領域まで達すると、強制的に夢から目覚めて現実の世界にもどってくる。では、きみの場合はどうだろロリーナ。きみは肉体を持たない魂の存在だ。もしこの世界できみを殺せば、もしかするときみをあの世に送り返すことが、つまりは除霊ができるんじゃないかな。きみはどう思う?」
「……そうなるとはかぎらないわよ」なんてことを思いつくんだ。何か手を打たなければ。
「でも試してみる価値はあるよね。このままきみを行かせるわけにはいかないし、そうするほかないんだよ。きみに追いつめられたせいで、ぼくにはそれしか選択肢がないんだ。だからロリーナ、こうなってしまったのは全部きみが悪い——」
突如として銃声が鳴り響き、グレイのことばをさえぎる。すると兵士がひとり倒れていく。
「なんだと!」グレイはあたりを見まわし狼狽している。「何をしたロリーナ!」
「忘れてない。人を出現させて操れるのは、わたしも同じだということをさ」
拳銃を構えた銀髪の男が颯爽とロビーに現れたかと思うと、つぎつぎと兵士たちを撃っていく。兵士たちは反撃を試みるも、すばやい動きに翻弄させられうまくいかない。
それも当然のはずだ、とわたしは思った。たくさんの人間を同時に動かすよりも、たったひとりを動かすことに集中したほうが、その精度は高くなる。
「おまえら、やつを止めろ!」グレイは叫んだ。
わたしも負けじと叫んだ。「エリック、わたしをアリスのもとへ連れて行って!」
銀髪の男はこちらに駆け寄ると、わたしを脇にかかえて走り出した。
「やつらを逃がすな!」背後からグレイの怒声が響いた。「追いかけて殺せ!」
わたしたちは追ってくる兵士を振り切るために、必死に廊下を進んで行く。銀髪の男は走りながら、ときおり振り返って発砲する。そうやってできるでけ、追っ手の人数を減らしていく作戦だ。撃たれた傷の痛みをこらえながら、なんとか操ることに集中する。
やがてつぎの廊下の角を曲がれば、アリスのいる部屋まであとわずかというところで、銀髪の男が突如として体勢をくずし、前方へと倒れ込む。かかえられていたわたしは、銀髪の男とともに床へと倒れ込んだ。
わたしがあせりながら上体を起こすと、銀髪の男は口から血を吐いていた。よく見ると背中に撃たれた痕がある。わたしが後方へと顔を向けると、ひとりの兵士が銃を構えながら、こちらに向かってくる。しかも銃口はこちらに向いていた。それを見てわたしはパニックに陥る。
万事休すか、と思ったそのとき、銀髪の男が立ちあがり、両手をひろげてわたしの前に飛び出した。それはわたしの意図しない行動。わたしの集中力が切れた結果だ。
無数の銃声が聞こえると、銀髪の男は体を激しく揺らし膝をつく。わたしは床に落ちていた拳銃をすぐさま拾いあげると、銀髪の男の肩越しから兵士に向かって発砲した。発射された弾丸は兵士の胸をとらえた。兵士はそのまま床へと崩れ落ちた。
あたりが静まり返ると、銀髪の男はのけぞるようにして倒れ、わたしにもたれかかる。わたしは銀髪の男をぎゅっと抱きしめると、その顔に視線を落とした。
銀髪の男は何も言わずにわたしの顔を見つめると、口の両端をもちあげて笑った。
それを見て、わたしは思わず笑みになる。「ありがとうエリック」
わたしのことばを聞くと、銀髪の男は静かに目を閉じた。わたしの想いが造りあげたエリックとはいえ、わたしが操らなくても守ってくれた。その行動に心が打たれた。
「ロリーナ!」唐突にグレイの雄叫びが廊下に響きわたる。「見つけたぞ!」
グレイの怒声が聞こえ、わたしははっとする。鎖で拘束していたはずなのになぜ?
わたしが顔をあげると、そこには右足の膝から下部分がちぎれたグレイが、壁を支えにしながら片足で飛び跳ねてこちらにやってくる姿が。しかもその手には銃が握られている。
わたしはその姿にぎょっとしてしまい、ほんの一瞬だけ動けなかった。だからグレイが銃を乱射してきたとき、その銃弾がわたしの左肩を貫き、ふたたび床へと倒れた。
「殺してやる」グレイはふらつきながら銃を撃ちつづける。「いや、あの世に送ってやる」
わたしは両足を撃たれて歩けないため、急いで腹這いになると、廊下をはい進む。目の前の角を曲がれば、アリスのいる部屋まであとわずかだ。
だがグレイが追ってくる。おそらくはこのままでは、部屋の直前で追いつかれてしまう可能性が非常に高い。たとえ追いつかれなくても、アリスを起こす暇なんてないはずだ。何か手を打たないといけない。どうすればいい?
廊下の角を曲がる頃には、わたしはすぐに妙案を思いついていた。それを実行すべく、賭けに出る。失敗すればお終いだが、うまくいけばグレイを出し抜けるはずだ。
わたしは部屋のドアをあけると、その陰に隠れて拳銃を構えた。部屋の中央にはベッドが見えている。グレイは不思議に思うだろう、どうしてアリスのそばにわたしがいないのか、と。あとは不意をついて中にはいってきたグレイを撃ち、強制的に夢から目覚めさせる。そうすればアリスを起こして、グレイのことを伝えることができる。
わたしは息をひそめて獲物を待った。そしてすぐに飛び跳ねる足音が聞こえてくる。やがて足音は部屋の前で止まった。グレイの荒い息づかいが聞こえる。だがなかなか部屋の中へは、はいってこない。もしや警戒されている?
「足を引きちぎったせいで痛くて死にそうだよ、ロリーナ」グレイは苦しげに言う。「でもここで死んだら、ぼくは現実で目覚めてしまう。そうなったらおまえは、アリスを起こして伝えるんだろ、ぼくのことをさ。だからまだ死ねない。死ぬわけにはいかない」そこでことばを切ると、くすくすと笑い出した。「そしてこれは罠だ。この部屋のどこかに隠れひそんでいるんだろ。こんな見え透いた罠に、ぼくが引っかかるとでも思ったか?」
落ち着け、とわたしは自分に言い聞かせる。きっとだいじょうぶだ。あいつは罠にはまってくれるはず。それにグレイは重傷のため痛みで集中できないいま、ふたたび人を出現させて操るなんて高度な技はできるはずがない。できるとしたら、物体もしくは空間のコントロールぐらいだろう。だからグレイ自身がかならず部屋にはいってくる。そこに付けいる隙がある。
ここからは根比べだ、と思ったやさきベッドから物音が聞こえた。するとそこで眠っていたはずの少女が上体をゆっくりと持ちあげる。それはわたしの作戦にはない予定外のことだ。
つぎの瞬間、銃声がとどろき、弾丸の雨が少女の体を貫いていく。撃たれた少女はベッドへと押しもどされた。
「これでアリスは死んだ!」グレイは声高に叫んだ。「いまごろ現実で目を覚ましているだろうさ。これできみの目論みは失敗だよロリーナ」
わたしが予定外のできごとに驚いていると、部屋の中に何かが投げ入れられた。それが手榴弾だと悟ったときには、爆発がはじまった。うかつだった。人は操れなくても、武器を出現させることぐらい可能だったはず。策を弄するあまり、そのことを考慮するのを忘れていた。
わたしは爆発の衝撃で壁に打ちつけられた。体のあちらこちらに破片が食い込み、血が流れ出る。とてつもなく痛い。
わたしが苦痛に呻いていると、部屋の中にグレイがはいってきた。そして倒れているわたしを見おろすと、にんまりと口元をゆがめる。
「どうやらぼくの勝ちだロリーナ」
「……まだよ」わたしはか細い声で言う。「まだ手はあるはずよ」
「そんなものはない。きみはゲームオーバーだよ。その胸の傷を見ろよ」
わたしは自分の胸に視線を向けると、その胸元は血で真っ赤に染まっている。おそらくは手榴弾の破片が胸を貫いたのだろう。だがわたしは死んではいない。すでに死んでいるのに死んではいないという表現はおかしいが、わたしの意識はまだ失われてはおらず、いまだ健在だ。もしかすると死者であるわたしには、この世界において死という概念から除外されるのでは?
だとしたらまだ望みはある。わたしは歯を食いしばりながら、笑ってみせた。
「どうやらわたしを殺そうとしても意味がないようだな」
「ロリーナ、まだよくわかっていないようだな。自分の体の変化をよく見てみろ」
わたしは自分の体を見まわすも、傷ついていること以外、何もわからなかった。いったいグレイは何が言いたいんだ、と思ったそのとき、ようやくその異変に気づいた。わたしの体がうっすらと透けはじめている。その変化に、成仏して消えていったレイシーの姿が頭に浮かんだ。まさかこのままでは、いずれわたしは消えてなくなってしまう。
「そろそろあの世へ帰る時間だな」グレイが言った。「人に取り憑いて死者は強制的に送り返せる。いい勉強になったよ」
「くそったれが!」
わたしは爆発の衝撃の際に落としてしまった拳銃を拾うと、それをグレイに向けた。だがグレイが怯んだ様子はない。
「おいおいロリーナ、ぼくが目覚めるために、ぼくを殺してくれるのかい。ありがとう、手間が省けて助かるよ」
「やっぱりおまえ馬鹿だろ?」
「失礼な」グレイはむっとする。「ぼくは馬鹿じゃない。天才なん——」
わたしは拳銃を発砲し、グレイの耳障りなことばをさえぎる。するとグレイは床へと崩れ落ち、そこへ衝突する前にその姿は跡形もなく消えてしまった。
「馬鹿が。この部屋はアリスがいる部屋じゃない。わたしが作りあげた偽の部屋だよ。怒りにかられたあんたは、そのことに気づけなかったようだね」
わたしは拳銃を投げ捨てると、はい進みながら部屋を出て隣の部屋をめざした。アリスの部屋にたどり着く前にグレイに追いつかれると予想していたわたしは、その手前の部屋の空間をコントロールし、アリスのいる部屋を模した。そこでグレイを待ち伏せして倒す予定だったが、それがうまい方向に働いた。怪我で集中力が衰えていたため、アリスの偽物が勝手に動き出し、それを本物だと思ったグレイが射殺する。おかげでグレイは本物のアリスが現実で目覚めたと思い、わたしに撃ち殺されてくれた。
わたしはアリスがいる部屋にはいると、中央にあるベッドをめざした。その間にも、わたしの体はだんだんと薄くなっていく。はい進むのが遅くてとてももどかしい。早くしなければわたしは消えてしまうだろう。
「アリス!」
わたしは大声でその名前を呼んだが、アリスは反応を示さない。こうなったら直接ゆさぶって起こすしかないようだ。
わたしはベッドにたどり着くと、それを支えにしてなんとか立ちあがる。そしてアリスの体におおいかぶさるようにして倒れると、その体を必死に揺さぶった。だがアリスは呻く声を漏らすだけで、その反応はにぶい。
「アリス起きてくれ!」わたしはその耳元で叫んだ。「頼むから起きてくれよ。わたしはこのままでは終われない。終わってしまえば何もかもが無駄になる。そんなことにはさせたくない。だからアリス起きてよ」
アリスはまぶたをゆっくりと持ちあげると、虚ろな目でわたしを見つめる。
「アリス、よかった起きてくれたのね!」わたしは歓喜の声をあげる。
「……ロリーナ?」アリスはささやくように言った。
「ようやく起きたなこの寝坊助め。手間をかけさせやがって」
アリスが目をしばたたかせる。「あなたの体……おかしくない」
「説明している暇はない。だからわたしの手を握って。それですべてを伝えるから」
アリスが手を差し出してきたので、わたしはそれを両手で握りしめた。そしてこの世界で見てきたことを思い浮かべ、それを伝える。その間、わたしの心のうちでさまざまな感情がほとばしる。怒り、悲しみ、嫉妬、後悔、それらが渾然とひとつになり、わたしはいつのまにか涙をこぼしていた。
するとアリスがその涙をぬぐい、ほほ笑んだ。「だいじょうぶだよロリーナ。あとのことはわたしにまかせて」
「ありがとうアリス」わたしもほほ笑む。「あなたに出会えてほんとうによかった……」
やがてわたしの意識は体とともに薄れ、そして消えてしまった。




