第八幕 第十四場
わたしはビル・グレイ博士とともに、ロンドン郊外にあるひっそりとしたホテルの部屋を借り、そこへ身を隠した。
グレイの話によると、わたしが毎回ハートマン大佐の予知夢を見ていることに、疑問をいだいたそうで、その原因を知るために車でわたしの家に向かっていた。そしてその途中でわたしと、わたしを追いかける少年たちの姿を見て、ただごとではないと察しった。それでわたしを助けるために、そのまま車で追いかけていたとのこと。
わたしは涙ながらグレイにハートマンのしでかしたことを、洗いざらいすべて打ち明けた。聞き終えたグレイは呆然とした顔つきになっていた。さすがのグレイもショックが大きかったのだろう。いつものひょうきんな明るさはない。
「……まさか大佐がそんなことを考えていたとは。このことはだれも知らないのかい?」
「ええ」わたしはうなずく。「だれが敵で味方なのかわからなかったから。お願いグレイ博士、わたしを助けてちょうだい」
「無理だよレイシー。ぼくはただの研究者なんだ。その力は微々たるもので、軍人である大佐にはとてもかなわない。おそらく大佐はどんな手を使ってでも、きみを探し出して始末するだろう」
「じゃあ、わたしはどうすればいいの?」
「大佐に降参するしかない」
「いやよ!」わたしは声を張りあげた。「そんなことしたら、わたしは殺されてしまう」
「だいじょうぶだよレイシー。大佐はきみの予知夢の力を利用したがっている。きみがおとなしく降参し、大佐に従うのなら殺したりなんかしない」
「そんな保証、どこにもないわ」
「レイシー、落ち着いて考えてくれ。大佐は目的のためなら手段を選ばない人だ。そのためならどんなことだってする過激な人だが、彼は悪人でない」
「悪人じゃない?」わたしは顔をしかめた。「本気で言っているの。ハートマン大佐は少年兵を使ってわたしを殺しにきたのよ。極悪非道な人間じゃない」
「たしかに大佐はきみを抹殺しようとした。だがそれはきみに追いつめられた結果、しかたなくそうしたんだよ。大佐は筋金入りの愛国者だ。その行動原理はすべてこの国を思ってのこと。だからきみが降参し、この国のために予知夢の力を使うと誓えば、大佐はけっしてきみを殺したりしない。きみを殺すよりも、この国のために利用することを選ぶはずだ」
たしかにグレイの言うとおりかもしれない、とわたしは思った。ハートマンは冷血であると同時に利己的だ。わたしを殺すよりも、利用するほうを選ぶだろう。
「頼むよレイシー、降参してくれ」グレイはそう言ってわたしを抱きしめた。「ぼくではきみを守りきれない。自分でも情けないと思っている。けど、きみを死なせたくないんだ。だからレイシー、もうこんなことはやめよう。お願いだからいっしょに生きてくれ」
「グレイ博士……」
わたしは抱きしめられながら、グレイの温もりを感じていた。それがいま自分が生きているということを実感させてくれる。死んでしまえば、この温もりは永遠に感じられなくなってしまう。そんなのはいやだ。
あきらめよう。わたしには選べる選択肢なんてない。このままおとなしくハートマンに従うしかないのだ。そうすれば生きながらえる。おとなしく負けを認めよう。そうするしかない。
観念したその瞬間、脳裏にあることばがこだました——『ほんときみは卑しい人間だ』
わたしはこぶしを力強く握った。だれが卑しい人間ですって!
つぎつぎと屈辱のことばがよみがえる——『きみは予知夢の力でちやほやされたいだけの、自尊心の高い女だからだよ』——『きみが最初に新聞の見出しを飾ったとき、世間はきみをあざ笑った。そのせいできみの自尊心は深く傷ついた。だからきみは世間を見返すために、地震の予知夢をわざわざ新聞社に伝えたんだ。結果、世間はきみを認めて絶賛した。最高に気分がよかっただろ』
ああ、そうだ。わたしは負けず嫌いの自尊心の高い女だ。だからこそ負けを認めるつもりはない。どんなことがあっても屈しない。
「ごめんなさいグレイ博士。あなたがわたしの身を案じてくれているのはわかる。けど、わたしはハートマンになんかに屈しない。わたしはぜったいにあいつを——」
突然首筋にちくりと痛みが走った。すると体から力が抜け落ちてしまい、わたしはそのまま床へと崩れ落ちた。いったい何が起きたのかわからない。まるで体が動かない。
「せっかく生き残るチャンスを与えたのに」グレイがさも残念そうに言った。「きみはほんとうに強情な人間だ。でもそこが魅力的でもあったがね」
いったい何を言っているの、と口にするも、ことばにならなかった。
「ごめんねレイシー。ぼくと大佐は友人になったんだ。大佐はぼくの性格に反感あれど、ぼくの頭脳を高く評価してくれた。そして非合法な実験の場も提供してくれる。前にも言ったよね、ぼくは自分の欲望に素直に生きると決めている、と」
うそでしょうグレイ博士。まさかあなたがハートマン側の人間だったなんて。
「きみにはこれから首吊り自殺してもらう。抵抗されて首にひっ掻き傷でもつけられたら、他殺を疑われるからね、だから体の自由を奪ったんだ。でも安心してレイシー、せめてもの情けだよ。苦痛を感じないよう、その前に安楽死させてあげるから心配しないで」
グレイはそう告げると、注射器でわたしに何かを注入する。するとわたしの意識はみるみる遠ざかり、永遠の闇へと落ちていった。




