第一幕 第二場
父が軍医として戦地に行ってから一年と数ヶ月が過ぎた頃、長いあいだつづいた戦争がようやく終わりを告げた。開戦から終戦へと至るには六年もの時間を費やしていた。
わたしは終戦の知らせを家のラジオで知った。そのとき母は出かけており、わたしひとりたたずみラジオに釘付けになっていた。
ようやく戦争が終わった。そのことがうれしくて自然と涙があふれる。それは家に帰ってきた母も同じだった。どうやらすでに母も終戦のことを知っているようで、わたしたちふたりは、喜びから抱きしめ合った。
その日からわたしは父の帰りを心待ちにするようになっていた。最後にその姿を見たのは、もう一年以上前だ。早く父に会いたい。会っていろいろと話をしたい。そしてわたしをやさしく抱きしめてほしい。
だが一週間経てど、父は帰ってこなかった……。
わたしのなかで不安が募りはじめた。はじめの数日は戦後の処理でごたごたしているだけだ、と言う母のことばを信じていた。だが一週間が過ぎる頃には、いやな想像が頭に浮かんだ。そのせいでなかなか寝付けなくなり、悪夢を見ることもあった。
十日を過ぎる頃には、不安で心が押しつぶされそうになっていた。だからわたしは必死に祈りを捧げた。どうかパパが無事にもどってきますように、と。何度も何度も神に祈った。その姿は、はたから見ると痛々しい姿だったのかもしれない。
そんな自分の姿を見兼ねたのか、母がわたしの肩に手を置いた。
「大丈夫よアリス。パパはちゃんと帰ってくるわ」
母は毅然とした態度でそう言ったものの、わたしの肩に置いたその手は小さく震えていた。わたしは母の手に自分の手を重ねた。そのためわたしには理解できた、母もまたわたしと同じように不安なのだと。その心の葛藤がよくわかる。わたしも母も最悪の事態……父の死を想像しているのだから。
どうか神さま、父をわたしたちのもとへ無事に帰してください!
だが父はもどらず、いまだ連絡もないまま二週間が過ぎた……。
疑念と不安は大きくふくれあがり、それはわたしたち親子に重くのしかかる。そのせいでだんだんと口数も減っていった。その頃になると、わたしは父の話題を口にするのをやめた。そしてそれは母も同じだった。
わたしたちは恐れていたのだ、もしかすると父は亡くなってしまったのでは、と不安を口にするのが。もしそのことをしゃべってしまえば、それが現実になってしまいそうで、こわくてたまらない。
そんな気持ちを押し殺すようにして、わたしは必死に祈っていた。ひょっとしたら祈りなんて無意味なのでは、という考えが脳裏をよぎり、自然と涙がこぼれ落ちる。
そんなわたしの姿を母に見られてしまわないよう、自分の部屋でひっそりと祈りを捧げるようになった。母もそれを知ってか、わたしが自分の部屋に閉じこもっているときは、ほとんど声をかけなくなっていた。
やがて三週間が経った。
その頃になると、心の片隅で父の生存をあきらめてしまっている自分がいることに気づいた。わたしはそれを恥じた。あれほどまでに父の帰りを心待ちにしていたはずなのに、それをあきらめるなんて最低だ。
父はかならず生きて帰ってくる!
そう願えば願うほど、心が苦しくなってくる。どうしてだろうか、希望にすがればすがるほど、わたしの心のなかで渦巻く絶望の色が濃くなってくるのだ。
そして一ヶ月が経ってしまった。
その日は雨で、学校からの家路を歩いていた。湿った空気は冷たく、わたしは肌寒さを感じていた。どうしてだろうか雨が降っているというだけで、なぜか物悲しく感じてしまう。以前はそうではなかったはずなのに。
わたしが家に帰ると、母がうずくまって泣いていた。その姿を見た瞬間、わたしは足下がぐらつくような思いだった。まさかそんなことあるはずない、と自分に言い聞かせるも気分が悪くなり、心臓の動悸が激しくなる。
「……ママ」
わたしはおそるおそる母に呼びかけた。だが母がわたしの声に気づいた様子はなかった。それほどまでに、母は気が動転しているのだ。いったい何があったのだろうか?
……いや、その答えはわかっていた。だけどその事実をわたしは認めたくないだけだった。その答えを否定したい。だからわたしは母に歩み寄り、その肩に手を置いた。
母が顔をあげ、わたしに視線を向けた。その目は真っ赤で涙が止めどなく流れている。声にならない声でわたしの名前を口にすると、こちらに向かって震える手を伸ばしてきた。
わたしはその手を取り、しっかりと握りしめた。だからすぐにわかってしまった。わたしの父、ヘンリー・キャロルが亡くなったのだと。母はその知らせを受けて泣いているのだということを。
わたしは何も言わずに母に抱きつくと、大声をあげて泣き出した。わたしと母は長いあいだ、そうやって泣きつづけていた。
そしてようやく泣き止んだ頃、母がわたしに父の死を告げた。
わたしはその事実を受け入れた。