第四幕 第八場
「夢を操るトレーニングは順調のようだね」ビル・グレイ博士は満足げな笑みで言う。「この調子なら第四段階もすぐに終わるだろうさ。そしたらつぎは第五段階だ。こんどは夢の世界で自身の姿を変容してもらう。そのためにはまず自分と年齢や体形の近い人物に変身することからはじめるとしようか。そのほうがきみたちもやりやすいだろ」
第五段階ということばを聞いて、わたしは辟易していた。わたしとロリーナがトレーニングの経過について定期報告をおこない、そのトレーニングが終わりに近づくたびに、つぎのトレーニングについて説明される。そのせいで終わりが見えてこない。いったいいつ休めるの?
「あのー、グレイ博士。このトレーニングはいったいいつまでつづくんですか?」わたしは質問してみた。「さすがにつぎの段階で終わりですよね」
「何を言っているんだいアリス。まだ半分も終えていないよ」
「半分も……終わっていない」わたしは唖然としてしまう。「嘘でしょう」
「嘘じゃないよ。言っておくけど、きみたちには最終的に第十三段階まで進んでもらうつもりだから。そのつもりでいてくれ」
わたしはがくりと肩を落としてしまう。夢を操るトレーニングは十三段階まである。その事実がわたしの気分を重くする。
「第十三段階か……」ロリーナが眉根を寄せた。「よくそこまで細かくトレーニングの計画を立てられてもんだね。被験者との検証で夢を共有できるという事実がわかってから、そのつぎの日には、あんたは夢を操るトレーニングをわたしたちにはじめさせた。もしかして以前から夢を操る研究でもしていたの?」
「ご明察だよロリーナ」ビルは指を鳴らして答える。「きみは勘が鋭い。実はぼくは若いとき、夢占い師に触発されて夢の研究をしていたことがあってね、そのときの研究成果をもとに、きみたちのトレーニング内容を計画したんだよ」
「どおりで手際がよすぎると思った」ロリーナはため息をついた。「まったくその夢占い師とやらがいなければ、検証実験が終わったあとで、つぎの実験に移るまでしばらく休めたというのに。まったく迷惑なやつだよ」
「迷惑なんてとんでもない。彼女はとてもすごかったんだぞ」グレイの語る口調に熱がこもりはじめる。「きみたちが生まれる前のことだから、よく知らないんだろうけど、その当時は夢占い師の話題で世間は持ち切りだったんだ。しかも彼女はイギリス政府をも動かし——」
「ストップ!」話が長引くことを予感したわたしは待ったをかける。「グレイ博士、夢占い師の話は大変興味深いですが、いまは関係ないのでまたこんど別の機会におねがいします」
「いいのかいアリス? ぼくから夢占い師の話が聞ける絶好の機会だぞ」
「そんなことよりもグレイ博士、わたしたちに休日をください。エイトに来て二ヶ月以上経ちますけど、ほとんど毎日のように働いています。おかげでわたしもロリーナも疲労困憊です。だから休ませてくださいよ」わたしは切実に訴える。「それにグレイ博士は以前言ったじゃないですか、わたしたちに負担が集中しないよう、今後は気をつけるって」
「きみたちは疲れているのかい?」グレイは意外だとでも言いたげな顔つきだ。「おかしいな。最近きみたちはずっと寝てばかりじゃないか。それなのにどうして疲労がたまるんだ?」
「寝ているからこそ疲れているんです。だいたい共感者の力を使えば精神的に疲労します。だから夢を共有しているときは、そのあいだずっと疲れがたまるうえ、夢のなかでは夢を操るトレーニングに集中しないといけない。朝起きたときにはもうくたくたで、その疲れを癒すために毎日のようにお風呂に浸かっているんですよ。そのくらい疲労困憊しているんです」
グレイが愉快そうに笑い声をあげた。「アリス、きみは毎日お風呂に浸かっているのかい。イギリス人らしかぬ行動だな。まわりから変わっている人間って言われない?」
「グレイ博士には言われたくありませんね」わたしは額に青筋を立てる。「だいたいだれのせいでこんなことになっていると思っているんですか。全部グレイ博士のせいですよ。休ませてくださいよ」そこでことばを切ると、ロリーナに顔を向ける。「ロリーナからも言ってやってちょうだい」
ロリーナはわたしのことばに反応を示さず、憂いた表情でうつむいていた。
「どうしたのロリーナ?」
こちらの呼びかけに気づいたらしく、ロリーナはゆっくりと顔をあげたが、その表情は変わらない。
「……ごめんアリス」ロリーナは弱々しい口調で言う。「ここに来てもう二ヶ月以上も経っているんだなと思ったら、いろいろ心配になってしまって、それでつい考え込んでしまってたみたい」
わたしはすぐにそのことばの意味を悟った。ロリーナは命の恩人であるエリックという人物のことを考えていたのだろう。大切な人の無事を祈ることだけしかできない日々、それが二ヶ月以上つづいているのだ。不安に襲われ、気分が滅入るのも無理はない。かつての自分がそうだったように、その気持ちが痛いほどよくわかる。だからロリーナには休息が必要だ。たとえそれが気休めだったとしても。
わたしはグレイに視線を向けた。「グレイ博士、わたしもロリーナも疲れがピークに達しています。どうか一日だけでもいいですから休みをもらえないでしょうか。もしも実験やトレーニングに支障をきたすというのならば、わたしは休みがなくてもかまいません。だからせめてロリーナだけでも休ませてあげてください」
グレイはあごをなでながら、しばし間を置く。「よしわかった。どうやらふたりとも疲れがたまっているようだし、きょうから二、三日休むといい。ぼくが許可するよ」
「ほんとですかグレイ博士!」わたしはわざと明るく振る舞う。「やったねロリーナ。これでしばらく休めるよ。あっ、そうだ、たまには気分転換に街にでも遊びに行こうか」
注目を集めるかのようにグレイが咳払いする。「喜んでいるところ悪いんだが、軍部からの通達によると、ロリーナがエイトの敷地外へと出ることは許可されていない」
「えっ、どうしてよ?」わたしは困惑する。「それじゃあまるでロリーナがエイトに閉じ込められているみたいじゃないですか。そんなの理不尽すぎます。理由を教えてください」
グレイは肩をすくめる。「こればっかりは、ぼくに訊かれてもわからない。軍部でも機密扱いされているし、だからぼくやきみがロリーナからその理由を問いただすのもタブーだ」
「そんな……」
わたしはロリーナの置かれている状況を知り、落胆してしまう。そのため不安げな視線をロリーナに向けてしまう。
「そんな顔しないでよ、アリス」こちらの気持ちを察したのか、ロリーナが微笑んだ。「それに軍とはそういう約束になっているから気にしないで。それよりもせっかく休めるんだから、部屋にもどりましょう」
「……うん、わかった」納得がいかないものの、わたしは仕方なしにうなずく。「ロリーナがそう言うのなら、そうするね」
わたしたちはエイトから自室のある宿舎へと向かう。そのあいだわたしはずっと、ロリーナと軍の関係について考えていた。なぜ軍はロリーナをエイトに拘束するのか。ロリーナが軍やその関係者を疑い信用していないのも、それが関係している?
どんなに考えても答えは出ないまま、わたしたちは自室についた。
「ありがとうアリス」部屋にはいるなりロリーナが言った。「あなたがいてくれて助かるよ」
突然の感謝のことばに、わたしは少しばかり戸惑う。「急にどうしちゃったのロリーナ」
「ここへ来たとき、あなたと出会っていなかったら、いまごろわたしは暗澹たる日々に押しつぶされて自暴自棄に陥り、たぶんだめになっていたと思う。わたしってさ、こういう性格しているから精神的に強い人間だと思われるけど、ほんとうはとても弱い人間なんだ。だからいまこうしてだめにならずにいられるのは、アリスあなたがそばにいてくれて、わたしを支えてくれるからだよ。だからお礼が言いたかったの」
「べつにお礼なんていらないわよ」わたしはにっこりと笑顔をつくる。「だってわたしたちは共感者の仲間である前に、友達でしょう。友達同士助け合うのは当然だよ」
「友達か……」ロリーナは複雑そうな顔つきになる。「わたしなんかが、あなたの友達でいていいの?」
「もちろんだよ」わたしは力強くうなずいた。「ロリーナなら大歓迎だよ」
「ほんとうにありがとう、アリス」ロリーナは照れくさそうに微笑む。「あなたを信用して、自分の気持ちを正直に話せてよかった」
出会ったときのころとはちがい、ロリーナがわたしのことを信用してくれている。そのことがとてもうれしかった。だからわたしもその気持ちを素直に伝えようと口を開いたそのとき、部屋のドアがノックされ、それを邪魔される。
「いったい誰かしら?」わたしはドアへと進むと、それを開いた。
「ひさしぶりだねアリス」そこにいたのはルイス・ベイカーだった。「忙しくてなかなか様子を見に来れなくて、ほんとうにすまない。研究のほうは順調に進んでいると聞いて安心しているよ」
「どうもおひさしぶりです、ベイカーさん。突然やってくるもんだからびっくりしましたよ」
「そいつはすまない。どうしてもここに立ち寄らなくてはいけなくてね」そこで間を置くと、ベイカーは言いにくそうな表情を見せた。「ところでいまロリーナ・ベルはいるかい? きみは彼女といっしょにこの部屋に住んで——」
「わたしがどうかしたかいベイカー」そう言ってつっけんどんな態度で、ロリーナがこちらに歩み寄る。「まさか逃げ出していないかどうか確認でもしにきたのか」
「まさか。そんな心配は必要はないだろ」
「そうだろうね」ロリーナは語気を鋭くさせる。「あんたらにエリックを人質に取られているから逃げ出すはずがない、そう思っているんだろ」
「あまりそうわれわれを悪く言うのはよしてくれ」ベイカーは顔をしかめる。「これでもきみの要望には、誠意を持って応えているつもりなんだが」
「ふん、どうだか」ロリーナは鼻を鳴らした。「それでわたしになんのようだい?」
「実はエリック・ローランドの手術がつい先日おこなわれた」
「エリックの手術!」ロリーナは驚愕の面持ちになる。「それでエリックはどうなったのよ。手術はちゃんと成功したんでしょうね」
「手術は成功した」
そのことばを聞いた瞬間、ロリーナの表情が喜びへと変わる。だがベイカーが告げるつぎのことばにより、その笑みは一瞬で崩れ去った。
「だが術後の経過が芳しくなく、体調が悪化し、いま現在は危篤状態だ」
「ふざ……けんな」ロリーナが表情がこわばる。「あんた約束したはずだ。わたしがここで研究に協力すれば、エリックのために最高の医師を捜し出して手術を受けさせてやると。そうすれば助かると言ったじゃないか!」
「ほんとうにすまない。だがいまは一刻も早く彼に会ってあげてほしい。手遅れになる前に」
非情な現実を突きつけられ、ロリーナは苦しげな雄叫びをあげると、その場に崩れ落ちて泣き出しはじめた。そんな悲痛な姿を見て、父を亡くしたときのことが脳裏をよぎる。
こんなときに慰めのことばなど無意味であると、わたしは経験から知っていた。だからわたしはロリーナをやさしく抱きしめてあげた。その涙が止まるまで。




