第四幕 第七場
物体と空間をコントロールできるようになると、夢を操るトレーニングは第四段階へと進む。つぎは夢に登場する人々を操るとのことだった。そのためわたしとロリーナは夢の世界で自分たちがいる宿舎から外へ出ると、隣りにあるエイトへと向かった。
エイトでは現実世界と同じように、たくさんの人たちがそこにいた。行き交う人々を監視するかのように立っている軍服姿の男たちや、研究成果について熱心に同僚と語り合う白衣姿の研究員たち。それに超能力者と思われる人々。
そんな彼らの姿をわたしたちはロビーにある椅子に座り、その様子を観察していた。
夢に登場する自分たち以外の人間たち。彼らは夢を見ているわたしたちが造りあげた存在であり、本来その意思はない、とビル・グレイ博士は説明した。それにもかかわらず、彼らはまるで生きた人間かのように、意志があるように振る舞う。それはわたしにとって、とても不思議な光景だった。
さらにくわしい説明によると、夢に登場する人物が知っている人間の場合、自分のなかにあるその人物の記憶をもとに、その人らしく振る舞うとのことだった。つまりは自分にとって深く知っている人間であればあるほど、その人物はよりいっそうリアリティのある人間として、複雑な行動を起こす可能性が高く、そのため知らない人間を操るよりも、知っている人間を操る方がむずかしいとのことだ。
「ねえロリーナ」わたしはあたりに視線を走らせる。「ここにいる人たちがみんなわたしたちが夢を見ることで存在する、わたしたちによって造りあげられた意思のない人間なんて信じられる?」
「信じるも何も、そうなんだろ」ロリーナが興味無さげに言う。「だってここは、わたしたちふたりの夢のなかなんだからさ」
「それはわかっている。けどここにいる人たちに意思がないなんて不思議に思わない。まるで生きている人間みたいだわ」
「たしかにそうかもな。ここが夢じゃないとわかってなかったら、わたしもこいつらをふつうの生きた人間だと思うはずだよ」
「ほんとうにわたしたちが操れるのかしら?」
「こういうときはできるできないじゃない。やるしかないんだろアリス」ロリーナがしたり顔になる。「だったらやってみようぜ」
ロリーナはいい終えると椅子から立ちあがり、右手を前へとかざした。するとわたしたちの前方にいた軍人の男が突然その場に突っ伏したかと思うと、腕立て伏せをはじめる。だがしかし男の突飛な行動に、まわりの人間たちがそれを気にする様子はない。
「意外とすんなりできるもんだね。空間のコントロールに比べると簡単すぎる」そこでことばを切ると、ロリーナは周囲の人々を順繰りに見やる。「それにしても、だれひとりとしてこの男を不審に思っていない。どうやら夢の世界だから、わたしたちの都合のいいように振る舞っているみたいだね。これなら騒ぎにならずにここで堂々とトレーニングができる。アリスもやってみなよ」
「うん、わかった。わたしもやってみる」
こうしてわたしたちは夢に登場する人たちを操るトレーニングをはじめた。ロリーナの言うとおり、ひとりの人間を操るのはとても簡単にできた。だが操る人数がひとりまたひとりと増えるたびに、その操作はしだいに困難を極めていく。わたしもロリーナもいちどに操れる人数は、四、五人程度が限界だった。
「……集中。集中するのよアリス」わたしは自分に言い聞かせた。「わたしならできる」
いまわたしは目の前にいる六人の人間を同時に操作しようと躍起になっていた。六人の人間はふたりひと組みなりダンスを踊っているが、その動作はぎこちなく緩慢で、さらには互いに体をぶつけあったりもしており、とてもダンスと呼べるものではない。
「しっかり踊ってよ!」わたしは苛立ちをにじませた声で言う。「ちゃんとわたしの思いどおりに動いてよね」
つぎの瞬間、ダンスを踊る三組のうちのひと組の動きが止まり、まるで操り人形の糸が急に切れたかのごとく、すとんとその場に倒れる。そしてわたしの意思とは無関係に立ちあがるや、まるで操られる前のごとく動き出した。
「ちょっと勝手に動かないでよ!」
わたしは彼らをふたたび操ろうとすると、こんどはほかの二組がわたしの意思を無視して勝手に動き出した。それを見てわたしはあきらめのため息をつくと、椅子へと腰掛ける。
「さすがに六人同時に動かすのは無理だったみたいだね」ロリーナが言った。「それに集中力が落ちると、こちらの命令を無視していつものように自分勝手に動き出す」
「ひとりだけなら簡単なのに」
「たしかにひとりだけならね」ロリーナが同意のうなずきをする。「ひとりだけなら細かい動作まで素早くしっかりとできるんだけど、人数が増えれば増えるほど、いまみたいに動きが遅いうえに、その動作も雑になる」
「そうなのよね」わたしはふたたびため息をついた。「ひとりで操作するのがむずかしいのなら、ふたりでいっしょに操作分担すればできるかなと思っていたけど、まさかわたしが操っている人間を、ロリーナが干渉して操ることができないなんて、そんなの予想していなかった」
「いろいろためしてみたけど人の操作にかかわらず、だれかが夢の世界で現在進行形で改変を加えている内容に、ほかの人間が改変の手を加えることができない、ということみたいね」
「それって不便よね。お互い協力することができないなんて」
「でも逆に言えば、お互い邪魔をすることができないとも言えるね。わたしが物体を動かしているときに、アリスにいたずらされてそれを横取りされたりしない」
「ちょっとロリーナ」わたしはほほを膨らませる。「わたしはそんないたずらしませんから」
「ただのたとえ話だ」ロリーナは楽しげに微笑む。「ほんと、あなたは素直すぎるよ」
「もうロリーナったら、からかわないでよね。それよりもつぎのトレーニングに進むわよ。こんどはあらたな人間を出現させたり、消したりする。そうグレイ博士に言われたでしょう」
わたしたちはグレイのアドバイスを思い出しながら、つぎのトレーニングに挑んだ。グレイいわく、いきなり目の前に人が出現したり、逆にこつ然と人が消えるのは、たとえ夢の世界とはいえ、あまりにも現実離れしすぎていて、いまのわたしたちには無理だとのことだ。なので空間をコントロールしたように、自分がいる空間から隔たれた空間に人を出現させたり、消したりするように、とのことだった。
わたしたちはそのアドバイスに従い、エイトの施設内にある適当な部屋を選ぶと、そのドアの前に立った。
「じゃあロリーナ、こんどはわたしが先に挑戦するから」わたしはドアに一歩近づく。「たしか空間のコントロールと似ていて、自分が思い描いた人物を登場させればいいのよね。コツとしては、会いたい人物を強く心に思い浮かべることで、成功率があがるってグレイ博士は言ってた。だとしたら、わたしがいま会いたい人物は——」
会いたい人物、そう口にしたとき、脳裏に父の姿がよぎり胸が高鳴った。ここならもういちど、父と再会できるのではないかと期待してしまう。だからわたしは父の姿を強くイメージする。するとほどなくしてドアが開き、出てきた人物を目にしてわたしは目に涙を浮かべる。
「やあアリス」そう言った男の姿はまぎれもなく生前の父のものだった。「大きくなったね」
「……パパ。ほんとうに会いたかった」
感極まったわたしを父はやさしく抱きしめてくれた。うれしくて思わず涙がこぼれる。
「アリス」ロリーナの声が背後から響く。「わたし先に起きているから」
そのことばにはっとし、わたしが抱擁を解いて振り返ると、そこにいたはずのロリーナの姿はこつ然と姿を消していた。いまのわたしたちはほんの数秒で目覚めることができる。おそらく場の空気を読んだのだろう。ロリーナに気を使わせてしまった。ごめんね。
わたしは父に向き直ると、自分のことを語りだしていた。どのように成長してきたのか、母との思い出話を交えながら語り聞かせる。その話を父はうれしそうに耳を傾け、時折相づちを打ちながら、わたしのことをほめてくれた。わたしはそれがうれしかった、たとえ目の前にいる父が、本物じゃないとしても。
だけど話していると感じる。わたしと話している父は、わたしの想いが生み出した、限りなく父に近い存在なのだと。だからこの時を大事にしようと思った。
わたしは自分が目覚めるまでのあいだ、父と至福の語らいの時間を過ごした。




