第四幕 第四場
夢のなかで死ぬ瞬間に感じた、ぞくぞくっとするえも言われぬ感覚。ビル・グレイ博士によると、その感覚を頭のなかでイメージし、作り出すことができれば目覚めることができるとのことだった。
わたしとロリーナは言われたとおり、夢のなかで死の間際に感じたその感覚をイメージし、夢から目覚めるトレーニングをはじめた。だが最初はなかなかうまくいかず、苦戦するたびに何度も自殺を繰り返し、その感覚を深く心に刻み込んでいく。
その過程で不思議なことがわかった。わたしたちが夢のなかでいる場所は、エイトの施設内であること多く、そのほとんどが自分たちの部屋だった。エイトの施設外にいたことは数回程度しかない。これについてグレイいわく、わたしたちがいま現在エイトで共同生活を送っていることが影響していると考えられ、さらにはわたしたちふたりの共通する思い出の場所がエイトだけなのも関係しているのかもしれない、とのことだった。
さらにくわしい説明と考察をグレイから長々と聞かされたが、わたしもロリーナも聞き流していた。そのあいだわたしは、どうやったら夢から目覚めるようになるのか、死の瞬間感じたあの感覚をどうすれば強くイメージできるのかと、そんなことばかり考えていた。
やがて目覚めることに成功すると、それまでの苦労がまるで嘘だったかのように、簡単に夢から目覚めることが可能になった。それはまるで自転車に一度でも乗ることができてそのコツをつかむと、その後も簡単に乗りこなせるかのような感覚だ。
わたしたちが夢から自分の意志で自在に目覚めることが可能となると、グレイからあらたな訓練を指示された。
その内容は夢の世界を操るべく、まずはじめに夢の世界に小さな改変を加えろ、とのことだった。たとえばスプーン曲げやコインまわしがそれにあたいする。現実ではできるはずがないが、でももしかするとできるかもしれない。そういった現象を起こすことで、できるはずがないという思い込みの固定概念が取り払われ、より大きな改変ができるようになるという。そういった小さなことからこつこつと積み重ね、最終的には夢そのものを支配し、自由自在に操れるようになるのが目標だとのこと。
まず第一段階として物体のコントロール訓練からはじまった。これは対象となる物体に手をふれずに動かすことが目的だ。最初は比較的重量の軽くて小さな物質であるコインなどからはじまり、訓練が進むにつれて徐々に重くて大きな物質へと移行していった。
いまわたしは椅子に向かって手をかざし、それを動かそうと念じる。だが椅子は一瞬だけ揺れ動いただけで、そのあとは何の反応も示さない。
「……だめだ、動かせない」わたしはがっくりと肩を落とした。「むずかしいな」
「まだできないのアリス」
そう言って部屋の奥からロリーナがやってくる。わたしが視線をそちらに向けると、驚くべきことにロリーナのまわりには数脚の椅子が浮いているではないか。重量のある物質を動かすどころか、浮かせてしまっている。
「すっ、すごい」わたしは感じ入った様子でロリーナを見つめる。「この短時間でもうそんなことまでできるようになったの」
「そんな驚くことじゃないわ。これくらい簡単よ」ロリーナは涼しい顔でそう言った。
「ロリーナには簡単かもしれないけどね、わたしにはむずかしすぎるのよ」わたしはため息をついた。「この椅子ぜんぜん動かせないの」
「あなた手加減しているでしょう」
「わたしが手加減?」わたしは首を傾げる。「どういうことなの」
ロリーナが意味深な笑みを浮かべると、まわりに浮いていた椅子たちが不意に床へと落ちて、大きな音を立てた。わたしはその音に思わずびくっとしてしまう。
「アリス、あなたはやさしすぎるんだよ。人に対しても物に対してもね。あなたさ、物を使うとき大事に使うよね。それはどうして?」
「えっ?」突然の予想外の質問にわたしは戸惑う。「だって物を大事に扱うのは当然でしょう。壊さないよう長く大切に使いたいじゃない」
「その心がけのせいだよ。そのせいであなたはその椅子に対して動かそうとする力を手加減してしまっている。いいよく聞いてアリス。椅子を動かそうとするのではなく、椅子をぶっ飛ばして破壊するぐらいの気持ちでやってみなさいよ。どうせここは夢の世界だし、椅子なんて壊してもだれも怒りはしないわ」
「破壊するぐらいの気持ちか」わたしは集中するべく深呼吸する。「わかった。やってみる」
わたしはふたたび椅子に手をかざした。そしてロリーナに言われたとおり、ぶっ飛ばすぐらいの気持ちで念じる。すると椅子がその場でがたがたと激しく揺れ動きはじめた。
「そうよアリス、あともう少しよ、がんばって!」ロリーナが声援を送る。
これならいける、と確信したわたしは椅子に歩み寄ると、さらに意識を集中させる。
このままどこか飛んでいってしまえ!
つぎの瞬間、椅子が天井へと向かって一直線に飛びあがり、その際に近くにいたわたしのあごをとらえた。わたしは後方へと倒れ、天井を見げる。そこでは勢いよく打ち付けられた椅子が粉々になり、あたりに降り注いでいくのが見てとれた。
わたしは痛みにうめきながらあごをさすると毒づいた。「……なんなのよ、もう最悪」
ロリーナの押し殺した笑い声が聞こえてきたかと思うと、視界にその姿が現れた。
「やればできるじゃないのよアリス。あとは力の加減の問題だね」
こうしてわたしは痛みと引き換えに、物体をコントロールすることを学んだ。




