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第四幕 第三場

 夢を操るトレーニング法について、ビル・グレイ博士からいろいろと指導があった。グレイの話によると、夢のなかでも五感を感じるらしく、世間でよく言われているような夢のなかでは痛みを感じないというのはまちがいらしい。さらに正確に言うならば、実際に五感で感じるのではなく、脳がそう錯覚させているだけだという。そのことについてくわしく話してくれたが、あまりにも長く退屈な話だったのでよく覚えていない。とにかく五感を頼りに夢と現実を判別するのはむずかしいとのこと。


 そのため夢と現実を区別するためには、現実ではありえない現象をおこして、判別しろとのことだった。スプーン曲げやコインまわしなど、いくつかの方法を提案されたが、当初の提案どおりわたしたちはコインまわしを選択した。それならば常に持ち運びできるし、簡単だというのがその理由だった。


 グレイから夢についての一連の説明が終わると、わたしたちは宿舎にある自分たちの部屋へともどった。そして被験者と夢の共有実験をおこなったときのように、お互いのベッドをくっつけて準備をすませた。


「これでベッドはばっちしだね」わたしは額に浮き出た汗をぬぐう。「あとは眠る準備をするだけだよ」


 わたしが満足げな表情で完成されたベッドを見つめていると、ロリーナがそれに腰掛けた。そして小さくため息をつくと、窓へと視線を向ける。外は真っ暗で何も見えないが、それでもロリーナは遠い目でそれを見つめつづけていた。


「ねえロリーナ」わたしは呼びかけた。「どっちが先にお風呂にはいる?」


 だがロリーナは返事をせず、ただぼおっと窓の外に視線を据えている。その顔つきはけだるげで、何かを憂いているように見えてしまう。まるで最初に出会ったときの表情みたいだ。


「ねえロリーナ!」わたしは大声で呼びかけた。「聞こえていますか?」


 ロリーナははっとすると、わたしに顔を向けた。「ちょっと驚かさないでよね」


「ごめん、べつに驚かすつもりはなかった。でもロリーナったらぼおっとしていて、わたしのことばが聞こえていないみたいだったから」


「……考え事があってさ」ロリーナは少しばかり表情を曇らせた。「そのせいでぼおっとしていたみたい。ごめんね、無視するつもりはなかったの」


「ロリーナって、たまにこういうことあるよね。実験のあととか、夜眠る前とかにぼおっと遠くを眺めていることがさ」


「そうだね。多分気が緩んでしまったからかな。ふだんは気を張っているんだけど、どうしても疲れがでてくると集中力が途切れてしまって、それで考えことにふけってしまうみたい」


「そういうときはお湯に浸かってリラックスするのがいちばんだよ。お風呂先にはいりなよ」


「いいよ、あなたが先で」ロリーナはそう言うと、居住まいを正した。「ところでさアリス、夢を自在に操るなんてこと、ほんとうにできると思う」


「こういうときはできるできないじゃなくて、できると信じてやろうよ」わたしは子供のように目を輝かせる。「きっとわたしたちなら夢を操れるようになるわよ」


「なんだか楽しそうだね」


「だって夢を自由に操れるようになれば、人を救えるかもしれないんだよ。わたしの亡くなったパパがいつも言っていた。人にやさしくしてあげなさい。もしだれかが困っている人がいるなら助けの手を差し伸べてあげるんだよ、ってね」


「たしかあなたの親父さん、医者だっけ?」


「うん、そうよ。だからパパみたいに人を救うことが夢だったの」そう言ってわたしはベッドに倒れ込むと仰向けになり、天井に向けて右手を突き出す。「だからいま、わたしはとっても気分が高揚している。パパみたいな人間になれるチャンスだから。それも使い道に悩んでいたこの共感者の力で」


 わたしは右手をゆっくりとおろし、首からつり下げていた十字架へと添えると、それを握りしめた。ほんとうにエイトに来てよかった。もしそうしなかったら共感者の仲間に出会うこともなく、その力の使い道にいまでも悩んでいただろう。


 わたしは体を起こした。「ぜったいに成功させようね、ロリーナ」


「……アリス、喜んでいるところ悪いんだけど、あまり浮かれないほうがいい」


「えっ、どうして?」


「超能力者の力を解明するこの国家プロジェクトが、軍主導のもとでおこなわれているからさ。軍が超能力を解明したあとで、それを人助けに使うとでも思うか。やるとしたら軍事目的に利用するはずだ。そのほうが理にかなっている」


「そんなまさか」わたしは表情をけわしくさせる。


「おそらく研究が進めば、この共感者の力も利用されるはずだ」ロリーナはそこでひと呼吸間を置いた。「知っていたかしらアリス。このプロジェクトでは様々な研究部門があるが、いちばん期待されているのはわたしたちの共感者部門らしい」


「わたしたちが」


「ええ、そうよ。考えてみれば簡単なこと。人の心が読める、それだけでいろんな使い道がある。この力があればスパイ行為も容易になるし、敵捕虜の尋問も楽にこなせる。軍にとってはもっとも手に入れたい力だろうさ」


「だいじょうぶだよロリーナ。そんなことにはならないわ。だってベイカーさんが言っていたわ、この国家プロジェクトは純粋な知的好奇心によるものだって。ベイカーさん、わたしに嘘つかないもの」


 ロリーナがきびしいまなざしをこちらに投げる。「アリス、どうやらあなたは知らないようだから教えておく。共感者に対して人は隠し事ができるんだよ。ほんとうに隠したい、知られたくない思いは読み取れない。実験でもやっただろ、人は思い出したくない記憶は抑圧されて、意識下にあがってこないんだ。その事実をわたしはここへ来る前から知っていたし、そのことをルイス・ベイカーも知っている」


「そんなまさか」そのことばにわたしは驚きを隠せなかった。「嘘でしょうロリーナ?」


「嘘なんかじゃない!」ロリーナは声を荒らげた。「わたしは隠し事を見抜けなかった。だからエリックを救えず手遅れに……」


「エリック?」わたしははじめて聞く名前に困惑する。「エリックってだれのこと? それに救えなかったってどういうことなの」


 ロリーナは失言してしまった、とでも言いたいかのような表情になる。「……わたしが孤児院を出て、散々悪事を重ねてきたのは知っているだろう。そのせいで殺されかけたことがあった。そのとき助けてくれたのがエリックだ。その後わたしはエリックと暮らすようになったけど、彼が病におかされていたなんて気づかなかった。エリックはそのことをひた隠しにしていた。わたしに心配かけまいと……」


「そうだったんだ……」


「わたしがこのエイトの研究に協力する条件に、しでかした悪事の帳消しのほかに、エリックの延命措置と彼の手術も含まれているの。だからわたしここにいる。ここにいてやつらの研究に協力している。ほんとうはエリックのそばにいてあげたいけど、でもわたしが彼のそばにいたってどうにもならない。いまのわたしはここで彼の無事を祈るしかできない……」


 ロリーナが時折ぼおっとしていたのは、これが原因だとわたしは悟った。わたしにはロリーナの気持ちが痛々しいほど理解できた。自分にとって大切な人の無事を祈ることしかできないはがゆさ。おのれの無力さ。わたしも父の無事を願い、神に祈りをささげてきた。だが結果はだめだった。


「たしかにいまのロリーナには、彼の無事を祈ることしかできないかもしれない。彼を救えるのはほかの人間かもしれない。だからって悲観していてもしょうがないよ」


 ロリーナはさみしげな表情でこちらを見つめる。「アリス……」


「わたしたちには、いまのわたしたちにできることをしましょう。ロリーナが軍を懸念するのもわかった。でも共感者の力を使うのはわたしたちよ。わたしたちはこの力を人を救うことに使いましょう。その力でたくさんの人を救うの。そうやってよいことをすれば、きっといまにあなたにもよいことが起きるわ」


「散々悪事を重ねてきたわたしに、人を救うなんてことばは似合わないわ」


「そんなことないわよロリーナ。過去にしでかしたことよりも、たくさんの善をおこなえばいいのよ」


 そのことばを聞いてロリーナは苦笑する。「だとすればいったいどれだけの人を救えばいいのか、見当もつかないわよ。わたしにはできない」


「できる、できないじゃない。できると信じてやるしかないの。はじめからできないとあきらめていたら、前には進めないわ。だからやりましょうロリーナ。あなたならできるわ」


「……そうかな」


「ええ、きっとそうよ」わたしは力強くうなずいた。「そうにちがいないわ。だから元気出してロリーナ。あなたにはそんな顔は似合わないわ」


「……ほんとあなたは純粋に真っすぐでいい子だよ」ロリーナは気を取り直すかのように、明るい口調で言う。「なんか辛気くさい雰囲気にしちゃってごめんね。話がそれてしまったけど、とにかく共感者に対して人は隠し事ができるの。だからあまり自分の力を過信し、まわりを信じこむのは危険よ。じゃないとわたしみたいに不幸な結果になるから」


「うん、わかった。肝に銘じておくわ」


 ロリーナは少しさみしげに微笑むと、ベッドの上で仰向けになる。「さてとアリス、これから毎晩同じベッドであなたと手をつないで眠るなんて考えると、やっぱり少し照れくさいね。被験者とはちがい、知っている相手だとどうもそわそわしたよ……そわそわした?」そこでいぶかしむような顔つきになる。「どうしてわたしは過去形でしゃべったんだ?」


「どうかしたのロリーナ?」


 ロリーナは勢いよくがばっと体を起こすと、すぐさま立ちあがり、ベッドをまじまじと見おろす。「……なんでこの部屋にふたつのベッドがあるの?」


 わたしはそのことばの意味がわからず、眉根を寄せた。「何を言っているの? わたしたちの部屋だよ。ベッドがふたり分あるにきまってるじゃない」


「ちがうわアリス。思い出してみて。グレイはわたしたちの部屋のベッドをダブルベッドへと交換すると言っていた。そしてすでに交換されているとも」


 そう指摘され、わたしは記憶を探る。「……そういえば、そうだ。たしかにグレイ博士はそう言っていた」


「だったらどうしてこの部屋にはダブルベッドはなくて、ふたつのベッドがあるの?」


「えーと、どうしてだろう。最初から交換されていなかったような気もするけど……」


 やにわにロリーナの手がこちらに伸びてきたかと思うと、わたしのほほを力強くつねる。


「痛い!」わたしはロリーナの手を振り払う。「何をするのよロリーナ」


「痛みはあるみたいね。でも夢のなかでも五感は感じると言っていた。それに夢を見ているとき、その人間は夢の状況に合わせた都合のいい記憶を持っているとも。もしかすると……」

 ロリーナはポケットからコインを取り出すと、それを打ちあげるべく構える。


「まさかロリーナ、ここは夢のなかだと言いたいの」わたしはそわそわしながら、あたりを見まわす。「冗談でしょう。ここが夢だなんてそんなの信じられない。できるはずないわよ」


「アリス、あなたらしくないわね」ロリーナは意を決した表情になる。「できる、できないじゃない。できると信じてやるんだろ」


 ロリーナがコインを打ちあげる。そしてそれをキャッチするべく手のひらをひろげた。すぐさまコインがその手のひらへと落下してくる。すると落ちてきたコインは手のひらの上で制止し、空中でまわりつづけていた。


 わたしは目を丸くする。「まさか……すでに夢のなかだったなんて気がつかなかった」


「アリスあなたの言うとおりだ」ロリーナは微笑んだ。「信じてやればできるもんだね」


 わたしたちはしばし、はしゃぐ子供のようにコインまわしに熱狂していた。だが時間が経つにつれだんだんと落ち着きをとりもどすと、やがて気分が沈んでくる。


「たしかにここは疑い用のない夢の世界」わたしは重苦しい息を吐いた。「だとするとつぎは目覚めないといけないか……」


「夢から目覚めるためには、死ななければならない。覚悟を決めなくちゃな」


 わたしたちは夢の世界で死ぬ前に、ほかに目覚めるために提示された方法をいくつかためしてみることにした。瞑想法や呼吸法などをいくつかためすも、事前に言われていたとおり、それらは経験にもとづく熟練した技術が必要であり、素人のわたしたちではやはり効果はなかった。しかたがなしに、わたしたちは宿舎の屋上へと向かった。


「ここから飛びおりるのね」月明かりに照らされながらわたしは屋上のふちに立ち、下をのぞきこむ。宿舎は四階建てで、その屋上となるとかなりの高さがある。目がくらみそうだ。


 隣りに立つロリーナが毅然とした態度でこちらに手を差し伸べる。「こわいんだったら、わたしの手を握って。そうすればあなたも少しは落ち着くでしょう」


「すごいねロリーナって。よく平然としていられるわね」わたしは感心しながら差し出された手を取ると、その瞬間思わず苦笑してしまう。「……なんだ、ただの強がりじゃない」


「ばれたか」ロリーナは照れくさそうに笑う。「どうやら夢の世界でも、共感者はこうやって相手にふれることでその心がわかるみたいだね」


「そうみたい。なんだか不思議」


 わたしたちはしばしのあいだ、無言で立ち尽くす。ことばはいらなかった。お互いに相手の心がわかるため、お互いに相手の気持ちが落ち着き、決心がつくのを待っていた。


 やがてその時がやって来た。わたしたちは体を前へと傾けると、そのまま重力にまかせて屋上から落ちていく。地面が勢いよく近づくにつれ、ぞくぞくっとする感覚に襲われる。そして衝撃に備えようと身構えたそのとき、鋭い痛みが全身に走り、頭のなかが真っ白になる。


 わたしは思わず叫び声をあげると、息を喘がせながら目を開けた。するとそこはベッドの上で、隣りではロリーナが額に汗を浮かべながら、愕然とした顔つきでこちらを見ていた。


 わたしたちはお互い見つめ合うと、無事目覚めたことに安堵し、笑い声を漏らしてしまう。

 こうしてわたしたちは夢の世界から現実へと帰還することに成功した。

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