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第四幕 第二場

「夢はすばらしい」ビル・グレイ博士は声高に言う。「夢には無限の可能性が秘められているんだ。歴史を振り返っても夢にまつわる話は事欠かない。たとえば聖書ではヨセフがエジプトのファラオの夢を解釈し、その危機を救っている。古代ギリシャでは——」


 いまわたしとロリーナは、グレイの長広舌を聞かされうんざりとしているところだった。このグレイという男はたしかに優秀な人間だと思うが、やはり変わり者だ。三十分前に呼び出されたかと思いきや、夢について医学的見地から長々と解釈をはじめ、やっと話が終わったと思いきや、こんどは心理学をもちいて夢について解説をはじめる。わけのわからない専門用語の連続で眠気を誘われていた。そしていまや夢の歴史について語っているところだ。


「さらに我が国においても、二十年ほど前に夢占い師とよばれた女性がいた」グレイは楽しげに語りつづけている。「夢占い師の名前は『レイシー・レイクス』。彼女は予知夢を見ることができ、周囲の人々を驚かせた。いまはもう亡くなってしまったが、彼女のおかげで——」


「いい加減にしろよ!」しびれを切らしたロリーナが怒鳴り声をあげる。「わたしたちは学生じゃないんだぞ。あんたのレクチャーを聴くためにエイトにいるんじゃないんだ。さっさとわたしたちを呼び出した理由を教えろ」


「あれ、お気に召さない」グレイは意外だ、という顔つきになる。「せっかく夢について教えてあげているのに」


「そんなことより、呼び出された理由だ」ロリーナは手で催促する。「早く教えてくれ」


「きみたちを呼び出した理由はね、夢を操ってほしいんだ」


「夢を操る?」


「そうだ。きみたち人の心を読み取れるし、夢も他人と共有することができる。だからその夢を自由自在に操れるようになってほしい」


「そんなことになんの意味があるの?」わたしは疑問を口にした。


「大いに意味があるさ。つぎの実験に移行するためのスッテプなんだよ。もしもきみたちが夢を自由に操れるようになったとしよう。それはつまり他人の夢も操れるということになる。そうなるときみたちは夢を通じて、他人の心に影響を与えることができる。睡眠中の人の心は無防備だし、その効果ははかりしれない、とぼくはは予想している」


「ちょっと待ってよ」ロリーナの表情がけわしくなる。「それって危険じゃない。一歩まちがえれば、他者にトラウマを植え付けることだってできるわよね」


「そうかもしれない。でももしそれができるとしたら、それはきみたちふたりだけだ。きみたちふたりは悪人でもなければ犯罪者でもない。そんなこともしないだろ」


 ロリーナは舌打ちすると、グレイから視線をそらした。「たしかにそうかもな」


「悪い方向に考え過ぎだよロリーナ」グレイはなだめるような口調になる。「もっとよい方向に考えてみよう。たとえば記憶喪失の人間がいたとしよう。きみたちは夢のなかでその人の記憶を取りもどせるかもしれない。心の病を患った人がいたら、セラピストとしてその人を救うことだってできるはずだ」


 患者を救う。そのことばにわたしは胸を打たれた。「……人を救えるんですね」


「んっ、何か言ったかねアリス」グレイがわたしに顔を向けた。


 わたしは両の手のひらに視線を落とした。「ずっと探していたんです。この共感者の力の使い道を。グレイ博士がいまおっしゃったように、夢を操ることができれば、人を救うことができるんですよね」


「あくまでもできるかもしれない、という可能性の話だ。だがぼくはできると信じているよ。なぜならきみたちは優秀だからね」


「やります」わたしは顔をあげた。「やらせてください。どうすれば夢を操ることができるようになるんですか」


「夢を操るには、まず夢のなかで自分が夢を見ていることに気づく必要がある。きみたちはこれまでの人生において、夢のなかで自分が夢を見ていると気づいたことが、一度か二度ぐらい経験があるんじゃないのか」


「はい、あります」わたしはうなずいた。「何回か夢のなかでここは夢だと気づきました」


「よろしい。ではこれからは夢だと気づけるように日常生活において、もしかするとここは現実ではなく、自分がいま夢を見ているのではないかと常に気にかけないさ」


 ロリーナがあきれたようにため息をついた。「そんな簡単にいくわけないだろ」


「たしかにそのとおりだ。いくら気にかけるとはいえ、それだけでは不十分だ。だから現実ではありえない行動をおこして、夢かどうかをたしかめるんだ。そうだなたとえばスプーン曲げをするとか」


「そうすると常日頃からスプーンを持ち歩かなければならないし、面倒だよ」


「だったらこれはどうかな」グレイはポケットからコインを取り出した。「コインを打ちあげてそれを手のひらで受け止める。ただしキャッチしてはいけない。手のひらの上で制止し、空中でまわりつづけるようイメージするんだ。現実なら無理だが、夢の世界ならできるはずだ」


「そううまくいくか」


「何ごとも訓練次第だ。そして夢だと気づいたら夢を操るトレーニングをおこなう。そのためにもきょうからきみたちふたりには、手をつないでいっしょに眠ってもらう」


「えっ、どうして」ロリーナがとまどいの声をあげる。


「夢を共有するんだよ。どちらかが夢だと気づけば、もう片方を気づかせることができる。効率的だろ」


 その提案に対して、わたしとロリーナはお互いの気恥ずかしい顔を見合わせた。


「何を照れているんだふたりとも。いままで何度も被験者といっしょに手をつないで寝てきたじゃないか。いまさら恥ずかしがることないだろ」


 ロリーナは照れ隠しするかのようにほほをかく。「……いや、あれは他人だったからよかったわけで、知っている相手だとなんというか、照れくさいかな」


 わたしは同意のうなずきをする。「わたしも同じ気持ちかな」


「よくわからんな」グレイは首を傾げた。「見知らぬ相手よりも、知っている人間と手をつないで眠るほうがはずかしいのか。最近の若者が何を考えているのか理解に苦しむよ」


 ロリーナがすぐさま切り返す。「あんたにだけは言われたくないせりふだね」


 グレイはそのことばを意に介さず、話をつづける。「とにかくだ、今夜からきみたちふたりはひとつのベッドでいっしょに手をつないで寝てもらう。それにともない、きみたちの部屋にあるベッドもダブルベッドに交換するよう、手配しておいた。いまごろすでに交換されているだろうさ。お互い相部屋なんだから、なんの問題もないだろ」


「えっ、わたしたちの部屋でやるんですか?」わたしは疑問を口にする。


「もちろんだとも。これからはきみたちは夢を操るトレーニングをするんだ。これまでみたいに研究員に監視された部屋でするよりも、自室のほうがリラックスして集中できるだろ。これはぼくからきみたちに対する配慮だよ」


「ええ!」わたしは思わず声を荒らげる。「グレイ博士の口から配慮なんてことばが。しかもわたしたちのことを思ってを気遣ってくれている。信じられない」


「ひどいなきみは」さすがのグレイもこれには苦言を呈した。「いったいぼくのことをどんなふうに見ているんだ」


「実験のためならわたしたちを馬車馬のように一日じゅう働かせる、血も涙もないモラルの欠けた変人科学者」

 わたしが言い終えると、ロリーナが吹き出して笑い、グレイは渋い表情になる。


「……アリス、きみは正直に言い過ぎだ。もっとオブラートに包みなさい。でもまあ、その件については悪かったよ。ぼくは実験に集中するとまわりが見えなくなるタイプだ。共感者の人手が足りず、きみたちに負担が集中していたことに気づかなかった。今後は気をつけるよ」


「はい、そうしてくれると助かります」


 グレイは気を取り直すかのように咳払いをする。「では説明にもどろう。きみたちには夢を操るトレーニングをしてもらう。トレーニングにはいつくかの段階があって、まず最初にきみたちにしてもらいたいことは、先ほども言ったとおり夢のなかで夢だと気づくことだ。気をつけてほしいのは、夢を見ているとき、その人間は夢の状況に合わせた都合のいい記憶を持っているということだ。そのせいで自分が夢を見ていることになかなか気づけない。これは睡眠を妨げないよう、脳が作用した結果であると考えられている」


「へえー、そうなんだ」ロリーナが感心したように言った。


「だから自分が夢を見ているかどうかたしかめるために、現実では起こりえない行動をしてもらう。スプーンを曲げたり、コインをまわしたり、おのおのが好きな方法でかまわない。そしてそれができたら、こんどは自分の意志で自由に夢から目覚めることができるようになってもらいたいが、これにはきみたちも手こずるかもしれない」


「手こずる?」わたしは口を挟んだ。「グレイ博士、夢だと気づいたら、簡単に目覚めることができそうなんだと思うけど」


「たしかにそう思えるかもしれない。だけど実際はそうじゃないんだ。夢を見ていることに気づいても、実はなかなか起きることができない。なぜなら夢を見ているとき、体は休止状態で脳だけが働いている状態だ。だから起きようとしても体は動かない。人によっては金縛り状態になることもある」


「じゃあ、どうすればいいのさ?」ロリーナが訊いた。


「いくつか方法はあるが、いちばん手っ取り早いのは死ぬことだな」


「死ぬ?」


「そう、死ぬんだよ夢の世界で。高いところから飛び降りたり、水で溺れたり、方法はまかせる。そうすることによって脳が死の危険を感じ取り、強制的にきみたちの意識を覚醒状態へと導く。そうすれば目覚めることができるはずだよ」


 ロリーナの顔が不安げに曇った。「理屈はわかったんだけどさ、毎回目覚めるために自殺みたいなことを何度もするの。さすがに夢の世界とはいえ、それはきついかな」


「だいじょうぶだよ。自殺まがいなことをするのは最初の数回程度だろうな。そのときの強制的に目覚めた感覚を覚え、それを自分たちの頭のなかで再現するんだ。そうすれば夢の世界で死なずとも目覚められる」


「感覚の再現と言われても、いまいちよくわからないです」わたしは眉を寄せる。「もっとわかるように説明してください」


「そうだな、たとえば人はすっぱい果物を見たとき、自然と唾液が分泌されるだろ。だがたとえその果物がなくても、それを想像することでも唾液は分泌される。それと同じように、きみたちは夢の世界で死ぬ間際に感じたぞっとするような感覚、それを自分たちの手で作り出すんだ。頭のなかで死の瞬間に感じたイメージを思い起こし、脳に死ぬ間際だと誤認させ、意識を覚醒させる。なれてしまえば、息をするように簡単に目覚めることができるだろう」


「言っていることはなんとなくわかったけど、いまいち想像しにくいかな」


「そう考えてしまうのは、まだ実際に体験していないからだよ。やってみればすぐにわかるさ。とりあえずいまの段階できみたちにできるようになってもらいたいことは、夢の世界で夢だと気づくこと。そして夢から自分の意志で自由に目覚めることを可能にすることだ」


 こうしてわたしとロリーナは夢を共有し、その夢を操るトレーニングが開始されることになった。


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