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第三幕 第八場

 わたしは宿舎の部屋にもどるなり、自分のベッドへと倒れ込んだ。


「……とても疲れた。すぐにでも眠たい」


 人の心を読み取ることが、こんなにも疲れることだとはわたしは思ってもいなかった。ここに来る前は、母の言いつけどおり無闇に人の心を読み取ることはせずに生きてきた。そのため連続して心を読み取ったり、長時間心を読みつづけることが、これほどまでに精神的疲労が溜まるものだとは知らなかった。そのせいだろうか、頭痛もしてくる。


 わたしがベッドでまどろんでいると、ロリーナが部屋にもどってきた。


「よっぽどお疲れのようね、アリス」ロリーナが心配そうに声をかけてきた。「だいじょうぶなの?」


「だいじょうぶじゃない」わたしは体を起こすと苛立ちの声をあげる。「だいたいグレイ博士って頭おかしいんじゃないの。女の人の性体験の思い出を読み取れなんて、なんでそんなことわたしにさせるの。恥ずかしくてどうにかなっちゃいそうだったわよ。そのほかにもあんなことやら、そんなことまで読み取らせて。人のプライバシーなんておかまいなし。おかげでいまでも頭にこびりついている」


「アリスはうぶなんだね」ロリーナがくすっと笑う。「それにグレイ博士の頭がおかしいのは初日でわかっていただろ。あいつは頭のねじが一本どころか、何本か抜けている」


「たしかにわかっていたけど、まさかここまでとは思わなかった。モラルに欠けるし、デリカシーなんて概念もない。さらには人使いも荒いし、最悪だわ。おかげでここんところ、疲れっぱなしでいやになっちゃう。だからきょうもお湯に浸かってやるんだから」


「人使いが荒いか」ロリーナはため息まじりに言った。「それは仕方がないかもね。たったの一ヶ月で集められた共感者の人数が半分以下まで減ったから、その分の負担はわたしたちにのしかかってくる。何人かは偽物だろうと予想していたけど、まさか半分以上も偽物だとは予想していなかった。ほかの研究部門でも同じことが起きているらしいわよ」


 その事実にわたしは落胆してしまう。「……いま残っている共感者は何人だっけ?」


「六人だよ」


「たったの六人か」わたしはがっくりと肩を落とした。「だとしても、わたしとロリーナばかりに実験が集中してない。あまりにも不公平なんだけど」


「それも仕方ないさ。人の心を深く読み取れる接触タイプはわたしとあなた、それにマンセルだけ。そのマンセルも高齢故に集中力がつづかないし、近々戦力外通知されてプロジェクトからはずされるらしいから、ますますわたしたちの負担が増えるわよ。覚悟しておくことね」


「マンセルさんがはずされる?」わたしは疑いの目をロリーナに向ける。「嘘でしょう」


「嘘じゃないわ、ほんとうよ」


「そんな話わたしは聞いていないわよ。いったいどの研究員がそんなことを言ったの?」


「だれもそんな話はしてない」


「じゃあどうしてマンセルさんが戦力外通知になると知っているの?」


 ロリーナは手のひらを掲げると、得意げな顔を見せた。「研究員たちの心を盗み見した」


「えっ?」わたしは怪訝な表情になる。「ちょっと待ってロリーナ。あなたが研究員たちの手を握っているところなんて、わたしは見たことないわよ」


「そんなことしたらすぐにばれるだろ。だからこっそりやったのよ」


「いくらこっそりとはいえ、手を握れば相手に気づかれるわ」


「……うーん、やっぱりだ」ロリーナは思案気な表情で腕を組んだ。「アリス、あなたは共感者の力を勘ちがいしているわ」


「わたしが勘ちがいをしている?」


「ええ、そうよ。たしかあなたは母親の言いつけで、この共感者の力を使うのを制限されていたのよね?」


 わたしはうなずく。「うん、そうだけど」


「だからいままで気づかなかったんだと思う。わたしたち接触タイプの共感者は、相手の手を握ることで心が読み取るのではなく、相手のことを知りたいと思いながらね、相手の素肌に直接手をふれることで心を読み取ることができるの」


「ええ!」意外な真実にわたしは驚きの声を漏らしてしまう。「そうだったの」


「意外と気づかないものね。マンセルもそのことに気づいてなくて、あなたと同じように相手の手を握らないといけないと思っているわ。だから研究員もその事実を知らない」ロリーナはそこで鼻先に指を立てると、いたずらっぽい笑みを浮かべる。「だからアリス、このことは内緒にしてね。ばれたら研究員から情報を盗めなくなる。あいつら相手の顔を見ることで心を読む視認タイプだけにしか注意を払っていないから、おかげでこっちはノーマークだ」


「ちょっとロリーナ」わたしは眉をひそめた。「いくらなんでも人の心を勝手にのぞき見るなんて失礼よ」


「べつに減るもんじゃないし、かまわないだろ。それに一方的に利用されつづけるなんて、わたしにはがまんできない」


「利用されつづける?」わたしはいぶかしげな顔つきになる。「それってどういうことよ。あなたもみんなと同じように、報酬と引き換えにこのエイトに来たんでしょう。それなのに一方的に利用されるなんて言い方おかしいわよ」


「……そういえばそうだった」ロリーナは何か悟ったかのような表情を見せた。「……アリス、あなたはよく自分のことについて話してくれたね。亡くなった父親のことや、懸命に育ててくれた母親のこと、そのほかにも自分の生い立ちについて馬鹿正直にさ」


「うん。だってそうしないと、わたしという人間がどんな人間なのか相手に知ってもらえないでしょう」

「だからわたしはあなたが純粋でいいやつだって知っている。だからこそ、わたしはあなたに自分の過去について話さなかった。あなたに幻滅されたくないからね」


「どういうこと?」


「あなたは正直に自分のことを話してくれた。でもわたしはあなたに対して自分のことを正直に話せないでいる。そのせいで自分がみじめな人間に思えてくるんだよね」そこでロリーナは長々と間を置く。「ちょうどいい機会だ。これ以上みじめな気分にならないよう、わたしも自分のことについて正直に話そうと思う。その結果、あなたがわたしに対して幻滅し、きらいになってもかまわない。そのときはこの部屋を出て行くよ、空き部屋もできたことだしね」


 そのことばにわたしは不安を覚えると同時に、ロリーナがわたしのことを信用して話そうとしていることを察した。


「……アリス、わたしの昔話を聞きたい。その内容があなたの受け入れがたい話だとしても」


 わたしはしばし逡巡したのちうなずいた。「わたしはあなたのことが知りたい。だってわたしにとってロリーナは同じ力を持つ共感者で、お互いの境遇を理解できる大事な友達だもの」


「互いの境遇を理解できる大事な友達か……」ロリーナは深く息をつくと、まじめな顔つきで語りだした。「わたしはね戦時中ロンドンに住んでいた。そのときの空襲で家族と家を失い、戦後は孤児院に収容された。孤児院での生活は戦後のごたごたに加え、大寒波のせいで食料不足に悩まされた、まさに最悪の環境だったよ。大人たちはわたしたち孤児のために配給された食料をくすね、自分たちの物にしていた。そのせいでわたしたち子供は常に飢えていた。ようやく大人たちが食料を盗んでいたことを知ったわたしはそれを暴露してやったわ。だけどその結果、わたしは大人たちに殺されかけ、命からがら孤児院を逃げ出したのさ」


「なんてひどい」いつのまにかわたしは沈痛な面持ちになっていた。


「その後は生き延びるために、この共感者の力で思いつきそな悪事はだいたいおこなったよ。そしてある日へまをして捕まった。そのときにベイカーの野郎に取引を持ちかけられたよ。エイトでの研究に協力する代わりに、過去にしでかした悪事などを見逃すという条件でね。無論わたしはそれを呑むしかなかった。だからわたしはここにいる」

 ロリーナはうつむくようにして、わたしから視線をそらした。

「あなたとわたしは正反対の人間さ。同じ共感者でありながら、あなたは他人のためにその力を役立てようとしている。けどわたしは自分のためだけにこの力で悪事を働いてきた。あなたからしたら、わたしは軽蔑するべき人間でしょうね?」


 わたしは首を横に振る。「生き延びるために仕方がなかったんでしょう。軽蔑なんてできないわ。もしわたしがあなたの立場だったら、そうなっていたかもしれないもの」


「そう言ってもらえてうれしいよ」ロリーナは顔をあげると複雑そうな微笑みで、こちらを見つめる。「ありがとうアリス。わたしのことを信じてくれて。やっぱりあなたはいいやつだ」

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