第三幕 第六場
ロビーでの騒動のあと、わたしは半日かけて精密検査を受けさせられた。視力や聴力、血液検査などからはじまり、脳波やレントゲンにいたるさまざまな検査がおこなわれた。そして検査が終わる頃にはくたくたに疲れ果てていた。
精密検査のあとは、エイトに隣接するように建てられた宿舎へと案内され、個室のひとつをあてがわれた。予想してたよりも部屋は広く、ベッドがふたつもついている。まるでホテルのようだ。わたしはその部屋に自分の荷物を運び込むと、ベッドへとなだれこんだ。
「……やっと終わった」わたしは大きく息をついた。「これで休める」
ルイス・ベイカーの話によると正式な実験はあすからはじめるという。いまはこうして集めた超能力者たちの健康診断をしているとのこと。どうやらかなりの数の人たちが集められたらしく、時間がかかっているらしい。わたしが見る限り、百人以上はいたと思う。
きっとベイカーもいまごろ忙しく働いているのだろう。身のまわりの世話までは手助けできないそうだ。そこまで甘えることはできない。自分でなんとかしないと。
わたしはなけなしの力を振り絞りベッドから起きあがった。とても疲れている。こんな日は熱いお湯にゆっくりと浸かりたい。ありがたいことにこの部屋には風呂がついている。それにキッチンも。風呂に入ったあとは、何かおいしいものでも作ろう。
さっそく体を洗い、お湯をためてバスタブに浸かる。きょうの疲れが癒されていくのを感じた。あしたからは実験がはじめるのだから、しっかりと体を休めなければ。それにしても、あしたはどんな人たちに出会えるのだろうか。国じゅうから超能力者を集めたとは言っていたけど、そのなかにはロビーで出会ったイカサマ師のような偽物も紛れ込んでいる可能性もある。もしも人の心を読める力がある人たちが、わたし以外全員偽物だとしたら。
……それは考えたくないな。せめてひとりだけでもいいから、わたしと同じで人の心を読める人間がいてほしい。
そんなことを考えながら長いことぼうっとしていると、お湯の効果で体があたためられ、そのせいで心地よい眠気に誘われまぶたが重くなる。わたしがうとうとし、意識が途切れそうになったそのとき、何やら部屋から物音が聞こえてきた。そのためわたしは思わずはどきっとし、目をあけた。
「……何、いまの音?」
わたしは耳をすましてみる。やはり何か物音が聞こえる。聞き間ちがいではない。すぐにバスタブからあがり、タオルを体に巻くと、おそるおそる部屋のなかをのぞきこむ。するとそこには長い黒髪の少女の姿が。
いったいだれなの?
困惑するわたしはドアの隙間からその少女を観察する。十代だと思われるその少女はわたしよりも背が高く、そのため二、三歳ほど年上に見えた。鼻筋の通ったきれいな顔立ちをしたいたが、その表情はけだるげで、憂いを帯びているように思えてしまう。腰までまっすぐにのびた黒髪が特徴的で、それが着ている黒いワンピースによく似合っていた。
少女は黙々と手荷物をこの部屋へと持ち込んでいる。いったいどうして?
どうすればいいのか困っていると、部屋をのぞきこむわたしに少女が気がついたらしく、こちらに視線を寄越した。
「ねえあなた、お風呂あがっているんだったら、わたしと交代してくれない?」少女が抑揚のない口調で言う。「疲れているから、さっさとシャワーを浴びて休みたいんだけど」
「……ちょっとあなただれ?」わたしは警戒しながら問いかけた。「部屋をまちがいてない」
「あれ、聞いていないの? 部屋の空きがないから、この部屋をふたりで使えってさ。つまりは相部屋」そこまで言うと少女は、はっとした表情を見せた。「あっ、あなたロビーで騒ぎが起きたときに、ベイカーの野郎といっしょにいたやつだ。ってことはベイカーが言っていた、わたしと同じで人の心を読める少女っていうのはあなたのことね」
「あなたも人の心が読めるの!」わたしは喜びから思わずドアをあけると、少女に駆け寄っていた。「わたしもそうなの。会えてうれしいわ。仲良くしましょう」
「仲良くか」少女は小さなため息をつく。「その必要はないし、それにする意味もないわよ」
「えっ、どうしてよ?」そのことばにわたしはとまどいを覚えた。「せっかく同じ部屋になったんだから、仲良くなったほうがいいでしょう」
「どうせすぐ、わたしとあなたはお別れになるよ」
「どういうことなの?」わたしは眉をひそめた。「わかるように説明してよ」
「この施設にはイギリス国内から超能力者が集められたが、おそらくそのうちの何割かは偽物だからさ」
「どうしてそう思うの?」
「簡単なことよ。高額の報酬に目を付けたあくどい人間がどもが超能力者を装い、このプロジェクトに群がってくることぐらい、容易に想像できる。現にあなたはロビーで偽物の超能力者を見つけた。そんなやつらがまだたくさんひそんでいるはずよ。だけどいずれ偽物だと見抜かれる。そうすればこの施設から追い出されるだろうさ。そうなったらこの宿舎に空きの部屋ができる。そしたらわたしはそこに移り住むから」
「えー、やだよ」わたしは不満から口を尖らせた。「せっかくいっしょの部屋になれたんだから、このままいっしょの部屋にいてよ」
「どうしてよ」少女はあからさまに不機嫌そうな顔つきになる。「他人といっしょに同じ部屋で暮らすよりも、ひとりのほうが気軽でしょう。あなただってそうじゃないの?」
「他人じゃないよ。同じ仲間じゃない」
「仲間?」
「人の心を読み取ることができる同じ仲間でしょう、わたしたちは」わたしはそこでにっこりと笑ってみせる。「わたしがここに来たのも、自分と同じ力を持つ人に合いたかったからなの。だからあなたに会えてうれしいし、仲良くしたいの」
少女はいぶかしむような表情になる。「あなた、金が目的でここに来たんじゃないのか」
「お金か……まあそれもあるけど、いちばんの理由はやっぱり自分と同じ力を持つ仲間に会いたかったからかな。そうすればわたしの悩みも解決できるんじゃないかなと思って」
「悩み?」
「うん」わたしは力強くうなずく。「わたしね、この力を人の役に立てたいの。でもどうすればいいのかわからなくて困っていたの。だから同じ力を持つ人ならわたしの悩みをわかってくれるって思っていた。そして同じ境遇の人間同士で話し合えば、きっとこの力を人のために役立てる方法が見つかるんじゃないかって期待しているの」
「この力を人のために役立たせるだと」少女はすぐさま顔をしかめた。「あなたほんとうに人の心が読めるのか?」
「うん、わかるよ」
「だったらどうしてそんなことを考えるのよ」少女が苛立ちをにじませた口調で言う。「人の心が読めるならわかるはずよ、人間なんて利己的で自分のことしか考えない醜い生き物だった。それなのに、この力を人のために役立たせたいだって。頭でもおかしいんじゃないの」
「頭がおかしいか……」そう言われてわたしはしゅんとし、うつむいててしまう。「やっぱそうなのかな。よくまわりから変わっている人だって言われるけど……でも、わたしはまちがっていないと思う」そこで顔をあげ、力強いまなざしで少女を見つめる。「戦争で亡くなった父によく言われたんだ、人にやさしくしてあげなさい、もしだれかが困っている人がいるのなら、助けの手を差し伸べてあげるんだよって。だからこの力を人のために役立てたいの。それはぜったいに正しいことだと思うから」
「……なんなのよ、あなたは」少女は困惑した様子だった。「わけがわからない」
「えっ、説明したのにわからないの?」こんどはわたしが困惑してしまう。「だからわたしは、父の言いつけどおり、人の役に立つ人間に——」
「そうじゃない」少女はわたしのことばをさえぎった。「どうしていま出会ったばかりの初対面の人間に、そう簡単にぺらぺらと自分の内面に関する大事なことをしゃべるのよ」
「だってわたしという人間を知ってもらうには、自分から正直に相手に話さないと理解してもらえないでしょう。だからわたしはいつもそうしている。だってほら、ほかの人たちって相手の心が読み取れないでしょう」
「だからってふつうそんなことを……するのかこいつは」少女はあきれた顔になると、頭を抱えた。「あなたのまわりの人間が言うように、やっぱり変わっているよあなたは」
「やっぱりそうなのかな」わたしは思案気な表情でうなる。「自分では素直でいい子であろうとしているだけなのに」
「あなたの話を聞いていると、あなたがほんとうに人の心を読み取れる人間なのか、それともそう思い込んでいるだけの頭のおかしい人間なのかわからなくなる」
「ええ、ひどい!」わたしは思わず声を大にする。「わたしのことを疑っているの」
「他人から、わたしには人の心が読み取れる力があります、なんて言われて、なんの証拠もなしに信じるか。ふつうは信用せずに疑うだろ」
「そんなことないわよ。わたしはあなたのことを信じたわ」
少女はしばし間を置く。「……あなたと話していると、自分がちっぽけな人間に思えて、みじめに思えてくるよ」そこでことばを切ると、少しばかり表情をやわらげた。「どうやらわたしのことを信用してくれてるみたいだし、そのことについてはありがとう、と言っておくわ。だからとりあえずお互いに自己紹介しようか」
「あっ、そうだったわ。自己紹介がまだだったわね。わたしの名前は——」
「おっとそこまでだ!」少女はわたしのことばを押しとどめると、右手をこちらに向かって突き出した。「自己紹介は握手でじゅうぶんだろ。ほんとうに心が読めるんだったらさ」
そのことばの意味を理解したわたしは、少女が差し出す手を握った。そしてその名前を口にする。「これからよろしくねロリーナ・ベル」
「どうやら本物のようね」わたしがロリーナと呼んだ少女は口元に笑みを浮かべた。「こちらこそよろしくアリス・キャロル。ところでそろそろお風呂交代してくれる」
「あっ、ごめんね。すぐに——」そこまで言いかけたところで、わたしはくしゃみをしてしまう。「……やっぱりちょっと待って。体が冷えちゃった。もう少しだけお湯に浸からせて」
「風呂が長いと思ったら、お湯に浸かっていたのかよ。イギリス人らしかぬ行動だな」
「だってとても疲れた日やいやなことがあったときは、お湯に浸かるってきめているの。そうすると疲れも何もかも飛んでいっちゃうんだから。ロリーナもためしてみたら?」
ロリーナは一瞬だけ真顔になるも、すぐに微笑んだ。「……わたしはシャワーでじゅうぶんだよ。べつにそこまで疲れていないし。それよりも早く風呂にもどったら。風邪ひくよ」
「うん、わかった。あとでいろいろとお話ししましょう」
わたしはふたたび風呂場にもどり、バスタブに浸かる。最初はそっけない態度のロリーナだったが、わたしの体のことを気遣ってくれている。いい人にちがいない。
風呂からあがりロリーナと交代すると、わたしは食事にありついた。それがすむとロリーナが風呂からあがるのを待っていたが、なかなか出てこない。かれこれ一時間以上経っている。
「ロリーナったらお風呂長過ぎだよ。自分だってお湯に浸かっているじゃないのよ」わたしは眠たい目をこする。「疲れていないって言ってたし、何かいやなことでもあったのかな……」
やがて疲労と満腹感によって眠気を誘われ、わたしはいつのまにか眠りに落ちていった。




