敬愛する主が婚約破棄を言い渡された件
「公爵令嬢!お前との婚約を破棄する!」
その瞬間に空気が凍ったと感じたのは私だけではなかっただろう。
ギギギっと音のしそうな不自然な動きで声の出所へと顔を向ける。
会場中の視線を集めるそこには、わが国の王太子と艶やかな赤髪の公爵令嬢様。
公爵令嬢様の形の良い眉がこれでもかとひそめられ、その手にあるグラスから、いつワインが王太子を襲うかとハラハラしてしまう。
「久しぶりに会った第一声がソレだなんて、相変わらずね」
王立学院の卒業パーティーを彩るはずの楽団の音色も、卒業生たちのおしゃべりも止んだ空間を、麗しきアルトの音が響く。思わず聞き惚れてしまうが、今、絶対に5度位温度が下がった。
「この馬鹿を放置するなんて、クレストは一体何をしてるのかしら」
公爵令嬢様が、王太子の側にあるはずの姿を探し視線を周囲へと向ける。
あ、今目線があって鼻の下伸ばした奴ブラックリスト逝き決定。
「ふんっ!あいつにはティーナ嬢の側に居てもらっている。またお前に手出しをされては困るからな!」
「……はぁ?」
王太子の言葉の意味を考えたのかしばらく間が空いた後に、結局意味がわからなかったらしい公爵令嬢様。多分、この会場内のどこを探しても王太子の言ってることの意味がわかるヒトはいないと思う。
「しらばっくれようとしても無駄だ!レステール辺境伯家令嬢であるティーナ嬢に対する数々の嫌がらせ、この俺が知らないとでも思ったか!」
時代劇の正義の味方役が繰り出す見せ場のように王太子はのたまう。
王太子と公爵令嬢様をぐるりと囲むようにできていた人垣一同、ぽかーん、である。
人垣の中から事態の推移を見守っていたらしい宮廷魔術師長子息が恐る恐る王太子に声をかける。
「殿下、あのー、それって、もしかして、もしかしちゃったりして、レステール家のティーナザルのことですか?」
「あぁ。根性のひん曲がったこいつより、彼女のように心優しい者のほうが王太子妃には相応しい!」
思わず天を仰ぐ。王太子ってほんと馬鹿。
幸いにして、公爵令嬢様は扇で顔を隠しながらぷるぷるしている。事態をある程度把握して、笑いを堪えながら色々な言葉はスルーすることにした様子なので一安心である。
「ねえ、王太子?馬鹿だ馬鹿だと思っていたけれど本当に馬鹿ね。そんなお馬鹿に、一応聞いてあげる。その令嬢とやらに私はどんな嫌がらせをしたというのかしら?全く身に覚えが無いのだけれど」
あれ、全然一安心ではなかったみたいだ。
物理的に気温が10度ほど下がった。
公爵令嬢様を中心に冷気が渦を巻く。
しかしながらそんな事に一向に気づかない王太子。国の行く末が非常に心配になる。
「ふんっ、言い逃れしようなどと思わないことだな。そもそも彼女とは……」
そう言って語り始めた王太子。
辺境伯令嬢との出会いは10年前に遡る。
当時辺境で起きた魔物の大発生の際、はぐれてしまった令嬢を王太子が助けたのだそうだ。
その時に、「無茶ばかりする殿下の隣で支えられるようになる」と令嬢は約束してくれたのだという。
そして、この春に再会した辺境伯令嬢は人目につかない学院の片隅でハンカチを手に涙を流していた。
しかもその時、「あんまりです、公爵令嬢様……」と呟いていたのを、柱の影で聞いた王太子が、何をされたのか聞きだそうとしたが、告げ口はしなかったと言う。
きっと悪口を言われただろうに相手をかばうなんて、なんと心優しいんだろう、と。
また、女生徒であればお茶会に参加することは常であるのに、公爵令嬢のたくらみによりお茶会に参加することができなかった彼女。「お茶会に参加するなんて、そんな資格はありませんから……」と寂しそうに微笑む姿も美しかったとか。
またある時は階段から突き落とされたのに「自らの不注意が招いたことですから」と、健気な姿に心ときめいたとか。
そして今日はなんと、王太子が辺境伯令嬢に卒業パーティー用にとドレスを贈ったのだが「ドレスを着る事はできない」と。楽しみにしていたのに!(※王太子が)
きっと捨てられるか切り刻まれるかされてしまったのだろう。なんて酷い事を、と言うようなことを30分くらいかけてあちこちに脱線しながら王太子は話しきった。
ちなみに話が5分を越えたあたりで公爵令嬢様は周囲の者に用意された椅子に座り、ワインを片手に軽食をつまんでいた。
時間を空けたことで落ち着いたのか、結局いつものことかと冷めた目線を王太子へと送っている。何のかんの話を最後まで聞いてあげるあたり、いくら王太子と幼馴染とはいえ、公爵令嬢様は付き合いが良い。
それにしても、王太子の話は何だかどこかで聞いたことのある気がするのだけど。とても嫌な予感がする。
「言いたいことはそれで全てかしら?」
次はこちらのターンだ、とでも言うように公爵令嬢様が告げる。
「そもそもの前提として、私は王太子の婚約者じゃないのよ」
「…なんだと!?っだが、公爵令嬢が婚約者であることは父上から言われていたぞっ」
「公爵令嬢違いよ。我が国に公爵家はひとつじゃないことくらいは、わかってるわよね?そもそも我がアンブロキサ家は辺境伯領以上に魔境に面しているのよ?婿をもらうならまだしも、嫁に行くなんて戦力の減ることをするはずが無いわよ」
世間一般では当然の事実を、王太子が知らないかもしれないことにちょっと恐怖を覚えてしまう。このグリセライド王国には、公爵家がアンブロキサ家を含めて5つあり、王太子と年回りの近い女性はもう一人居る。
「一年ちょっと見てない間に馬鹿が進行してるなんて、本当、クレストは甘やかしすぎなんじゃないかしら」
「なっ!では婚約者でもないのになぜお前はティーナ嬢に嫌がらせを働いたのだ!」
王太子の中では公爵令嬢様が辺境伯令嬢とやらに嫌がらせをしたことは決定事項になっているようである。
「私、身に覚えが無いって言ったわよね?その耳は飾りかしら?それに、辺境伯家で今学院にいるのは……」
「ミリスレイア様!」
公爵令嬢様が王太子へ向ける言葉にかぶさるように、ソプラノの音が響く。
パーティー会場入り口から王太子と公爵令嬢様の所まで、人垣がさっと避けてできたスペース。
その間をやってきたのは、腰まである柔らかな金髪をひとまとめにして治癒科の白いローブを纏った、垂れ目気味の翠の瞳が愛らしい件のティーナザル様と、同じく腰まである金髪を三つ編みにし騎士科の制服に身を包み、やや釣り目がちの藍の瞳が凛々しいクレスト様。
「ティーナ!危険だから君は別室に居ろと!」
突然現れた、別室に待っているはずの意中の相手に、王太子はその身を案じて両手を広げる。
が。当の本人は王太子をすり抜けて公爵令嬢様の前に駆け寄った。
「ミリスレイア様、この一年……いえ、この10年間、お会いできる時を心待ちにしていました…!」
「大げさね、ナザル。手紙は届いていたでしょ?」
「届いていましたが……こちらに入学したらすぐに逢えるとばかり思っていたのに、魔境遠征に1年も行ってしまうなんてあんまりです!」
放置されて頭にハテナマークを浮かべる王太子を他所に、ティーナザル様は逢えなかった間の思いのたけを公爵令嬢様に訴えている。公爵令嬢様のティーナザル様を見る目が柔らかい。
「そうだわ、王太子。あんたの言ってるティーナがこのティーナザルだとしたら残念ね。彼は私の婚約者よ」
「……彼?嫌、そんなはずはない!レステール家の第一子であるティーナが男だとしたら次期辺境伯となっているはずではないか!」
再起動した王太子がびしっと公爵令嬢様に指を差して告げるが、当のティーナザル様がおずおずと手を挙げる。
「あのぉ、王太子殿下?何度もお伝えしていますけど、僕は正真正銘、男、ですよ?後、辺境伯領は、ダンジョンマスターさんが魔境を抑えてくれていて状況が落ち着いているのと、一昨年弟が生まれたので家督をそちらに譲ることで、正式に僕がアンブロキサ家へ婿入りする婚約が整ったんです」
だからドレスなんか僕は着ません!と目にうっすら涙を浮かべて訴えるティーナザル様は、男性だと理解していても非常に可愛らしい。また今度ネタに使わせてもらおう。
「なっ……では10年前の約束は…っ」
驚いたように目を見開く王太子に、やれやれといった体で公爵令嬢様は慈悲の声をおかけになる。
「あんたはあんたのティーナのことしか覚えていないみたいだけど、10年前の大発生の時、私とあんたとティーナザルとあんたのティーナがいたのよ?」
そう、10年前のその日、ミリスレイア様は王太子と共に辺境を訪れていた。私がミリスレイア様に拾われたのも確かこの時だったと思う。
物心付くかどうかの頃、やたらと周りが甘やかしまくり村でも若干浮いた存在だった私をミリスレイア様が見つけてくれ、原因に対する対処もしてくれた。もしあの村でそのまま育っていたらと思うとぞっとする。
件のティーナ様にお会いしたのは大発生が終わった後だが、ミリスレイア様の武勇伝を彩るに相応しい出来事であったと教えてくれた。
辺境伯家のティーナザル様といとこにあたる件のティーナ様。大人たちの目を盗んでこっそりと屋敷を抜け出したお二人は、向かった先の村で魔物の大発生に出くわしてしまった。
一方で、ティーナザル様達の不在に気付き、蜂の巣をつついたような騒ぎになっていた辺境伯家を訪れた王太子と、当時は王太子の筆頭婚約者候補とされていたミリスレイア様。7歳という幼さながら、炎と氷を自在に操るミリスレイア様と、雷を纏う剣を操る王太子は魔物討伐兼ティーナザル様達の捜索隊に加わったそうだ。
結果的に、近所のダンジョンマスターの助けもあって、大きな人的被害が出る前に事態は収束した。
ティーナザル様達は魔物に囲まれて間一髪のところで、炎を拳に纏ったミリスレイア様が牙や爪などによる些細な傷など気にせずに道を切り開き、王太子が多数に囲まれながらも魔物をひきつけ剣に纏う雷で一時的な行動不能にしたところを、大人たちが止めを刺していくことで助けられた。
正直、隣の村でそんなことが起きていたとは当時の私は知らなかったが。
この時に、ティーナザル様は、自分の身を省みずに傷ばかり作ってしまうミリスレイア様を癒せるようにならなくてはと心に決め、件のティーナ様は、状況判断が甘く、無謀な場にも飛び込んでしまう王太子を、ヤバイ、こいつは隣でちゃんと誰かが見張ってないとヤバイ!と王家に対する忠誠心から心に決めたそうだ。
王太子の話とはいささか異なるが、本人から聞いたので事実だろう。
「と言うかね?あんた、いつも側近顔して隣に居るクレストの名前ちゃんと言えるの?」
回想している間に、やれやれと言いたげなミリスレイア様は苦笑いのクレスト様を指し示す。
「トルバスタ公爵家のクレストールだろう?それがいったい何が関係すると言うのだ」
「違うわよ。トルバスタ公爵家令嬢のクレスティーナよ。ついでにあんたの婚約者で、かつ、あんたのティーナよ」
「…え?」
王太子がミリスレイア様に氷付けにされたかのように固まった。再起動までは時間がかかりそうである。
「クレスト、貴女もこんなになるまで王太子放置していたら駄目じゃない」
「うん、そのことなんだけどね、レイア。ちょっとこれを見てほしいんだ」
クレスト様が取り出したのは一冊の文庫本。嫌な予感がマックスである。私はそろりと人垣から抜け出そうと動き出す。
「何?ダンジョン出版から出てる恋愛小説…?わずかに魔力の痕跡があるわね……って!」
思った以上にヒトが集まっているせいでなかなか抜け出せない。マズイマズイマズイっ!!
「くぅ~らぁ~りぃ~すぅぅぅぅぅ!!」
「うひゃぁい!?」
呼ばれてしまった。呼ばれてしまった以上はもう逃げられない。
「貴女、せっかく頑張って魅了封じしてるのに!気合入れて何かしちゃえばそっちに残渣が移っちゃうでしょう!おばか!」
「ごめんなさいーっ!ちょっと筆が乗って気が緩んじゃいましたぁ……」
うぅ。王太子の魔法防御が低すぎる所為で、小説の内容を現実と誤認するとかそんなの予測できるわけ無いじゃないですか。ちょっぴりティーナザル様からネタをもらったりはしてたけど、こんなことになるとか思いもしませんでしたよー!
執筆禁止令の出たクラリスは知らなかった。
その恋愛小説を読んだダンジョンマスターが、「あれ、やば、乙女ゲーム時間軸もここって入ってたのか……完全に原作崩壊させちゃったなぁ……」と呟いていたことなど。
ダンジョンマスターが魔物の大発生に介入していなければ、彼女の敬愛するミリスレイアが10年前にこの世を去っていたことを。
彼女の村も壊滅的被害を受けたことも。村の唯一の生き残りとなったことも。
高い魔力のため、15歳で学院へ入学した先で、王太子や辺境伯家子息、宮廷魔術師長子息や騎士団団長子息など、ミリスレイアの死によって心の傷を抱えた攻略対象たちを癒し、ライバルポジションの公爵令嬢と対立したり、ともすれば百合ルートが存在したり、フラグ建築をミスすると魅了魔法の使い手として断罪バッドエンドが待っていたりする乙女ゲームのヒロインだったということなど。
クラリスは知らない。そしてこれからも知ることは無いだろう。




