【序】第二章:三節 〜黄昏の再会〜
これは夢だな、と解ることを自覚夢とか明晰夢とか言うらしい。
水の内側から眺めているような、はっきりとしない、次の場面への予感。逃げたいのに逃げられない、もどかしい感覚。
だからきっと、私が今この時に見ている、これは夢だ。
根拠ならある。
二度と味わいたくないと思った、孤独の恐怖は――
――あの時の恐怖は、忘れようもないものだから……
そこは砂漠。南の軍事国家アメルから、北の神話帝国ゴルギアスへ向かう途中にある――逆もまた同じ――ジンカ砂漠と呼ばれる大砂漠。
その当時、私はキャラバンに所属しており、その時はアメルからゴルギアスへ物資を運搬するという仕事を引き受けていた。
ジンカ砂漠に入ってから十四日目の、あと三日でゴルギアス領内の町に着くという時、私達のキャラバンはサンドラグーン(砂龍)の大暴走に出遭ってしまった。
サンドラグーンは普段、砂漠の主と崇められている非好戦的な魔物で、こちらから彼等の住処を荒らさないかぎり、滅多にその持て余す力を振るう事は無い。
「ああ……。アメルが、何か、余計な事をしたのだろうな……」
養父が希望の見えない状況で、そんな事を口に漏らしていたのが、印象的に、私の記憶に焼きついている。まさか、その言葉が最後の言葉になるとは、私も養父も仲間たちも思ってなかっ……いや、どこかではわかっていた。
もう、助かる見込みなんて無いと。
砂漠を駆ける彼等の姿は実に偉大だった。死を目前にしてもそう思えた。
古に、人と神が戦をしていた頃、人間と友情を結び、神に反抗し、神の怒りに触れその翼をもぎ取られたディザートドラゴン(砂漠の神龍)。その末裔たるサンドラグーンは、もはや大きなトカゲという外見だが、しかしてそのまとう雄々しさはドラゴンのそれと同じであった。
偉大なる彼等がここまで怒れるのはどうしてなのだろう。養父に抱きかかえられて思ったのは死への恐怖ではなく、そんな疑問だった。
無限にも思える、数瞬の間が空き――
全身を衝撃が襲った。
痛みは無かった。
というか、脳が状況を理解できなかったのだろう。
次に感じたのは壮絶な浮遊感だった。
無限にも思えた浮遊感は、唐突に衝撃と激痛、苦痛という感覚にその性質を変えた。
私は、まだ――
――まだ、痛みを感じる……
私は『痛み』という感覚を別の意味で捉え、絶望を覚えた。
サンドラグーンの去り行く地鳴りを全身に感じながら、動かぬ四肢を無理矢理使い、私を護るように、私をしっかり抱きしめて動かなくなった養父の、優しかったその腕から這い出た。
もうその時には養父たるキャラバン団長が、その人生に幕を降ろしているのは理解できた。涙は流れなかった。
悲しみの感情が私に無いのではない。
ただ――
――訪れる悲しみが多すぎたのだ。
皆、キャラバンの仲間たちは皆、息を引き取っていた。
何故、私は生き残ってしまったのか……
私はその時、どうしようもない喪失感と耐え難い孤独感にとらわれた。
でも、希望はあった。
キャラバンに居た時に培った知識で、自分が致命傷を負っている事は解っていたから。
時が経てば――
――死ねる。
少し遅れるけど皆の所に逝ける。それが私に残された、唯一つの希望だった。
砂漠には人工音なんて存在しない。風の流れる音と砂の流れる音、どこかで猛る獣の雄叫び。それらを砂漠に横たわりながら、口内にジャリジャリと鉄の味を味わいながら、なす術も無く感じていた。
恐怖を感じなかったかといえば、否である。時が経つにつれて、孤独による不安と喪失感による哀しみと、自分に近寄る『死』を強く意識してしまい、それらが融合して私に恐怖を実感させた。
早く終わってくれと、誰にでもなく祈っていた。
しばらくして、砂を踏む音が近づいて来るのがわかった。
やっと死神が迎えに来てくれた。もはや動かぬ身体の中、私はそう思って、安堵と共に意識を閉じた。
だが、私の意識はここで終わらなかった。
私は仲間の所へ逝きそびれた。
パチパチと薪が弾ける音が聞え、それと同時に淡い暖かみを感じた。薄く開いた眼で、音のした方を窺ってみる。
そこには夜闇に煌煌と燃える焚き火の光が見えた。
私は生きている事を、複雑な気持ちで実感した。
焚き火から少し視線を泳がせてると、炎の向こう側に人のシルエットが一つ見えた。
「ぁ……の…………」
うまく声が出なかった。肺をやられたのかもしれないと、頭のどこか冷静な部分で分析していた。と、微かな変化に、炎の向こう側のシルエットが気づいたようであった。
シルエットはパサリと身に着けたローブをはためかせて、一度、私の視界から外れ、そして再び、私の視界の中に現れる。
「よかった。気がついたね」
私の表情を窺うように、優しくて安心できる微笑を表情に浮かべながら彼は言った。
第一印象は……そう、頼りなさそうであった。単純に人が良さそうに見え過ぎたのかもしれないが。そうだ……、これが私の彼に懐いた最初の印象だった。もしかしたら、もうこの時から、私は彼に好意を抱いていたのかもしれない。
そう、これが夢だと確信できる理由がもう一つあるのだ。
一つは、初めて実感した、死と孤独への恐怖。
もう一つは、彼との出会い。どこまでも頼りなさそうで、どこまでも優しくて、どこまでも、私に安心と安らぎを与えてくれる。彼との出会い。新たな居場所。それは、私の大切な思い出の一つ。
彼と出会ってから結構、色々とあった。
その色々の中には、私が彼に一緒に旅をさせて欲しいと頼み込んだ出来事も含まれている。
彼は世界を旅して見て周るのだといっていた。まだ旅を始めたばかりで、最初は北の神話帝国ゴルギアスを見物するのだと。
私も彼の後ろにくっ付いて色々と見て周った。
そうだ、私はゴルギアスでのある出来事で、彼がその頼りない雰囲気でも、しかし一人旅ができる、という実力を持っているということを改めて知ったのだ。
そして、次は東の伝統島国ジパングを見物する事になった。ゴルギアスから船を使い、ついにジパングへ到着。国の第一印象は、とても和やかで美しい、好感の持てるものだった。
この時点で、彼と私が出会ってから、半年ほどの時が経っていた。
ジパングには一ヶ月ほど滞在し、次はエルフの村を見物に行こうということになった。私達はジパングと交易国ロートワール領内にある港を結ぶ定期船に乗り込んだ。
そして、もうすぐで港に到着するという時――
――彼等の襲撃を受けた。
最初はただの賊だろうと思ったのだが、彼等は彼を知っているようで、そしてまた、彼も彼等を知っているようで……。
乗り合わせた腕に自信のある者達は、戦う姿勢を見せていた。
だが、腕に覚えがあるだけで実戦経験などたいしてないであろう乗り合わせが、とても敵う相手ではなく、偶然に乗り合わせたロートワール魔術学校の教師が、状況を不利と読み、転移魔術を発動、退路を作る。そして、彼がその時間を稼ぐ。
転移魔術は複雑怪奇な魔術式を出口と入り口に直接刻まなければならず、並の魔術師では扱えない上に出口をあらかじめ作っておかなければならないので、こういう時に都合良く使用できるのは実に幸運なことだった。
皆がそれで脱出するなか、彼だけが逃げようとしなかった。
「彼女を頼んだ」
不意に、彼が転移魔術を発動した魔術師に告げた。魔術師はためらいながらも、私の腕を掴み、私をエスケープゾーンへと引きずり込む。
私は抗おうとした。だが無理だった……
「どうして……、どうして、私も戦える。私もあなたと残る」
言葉で抗うしか方法は残っていなかった。
「彼等の目的はオレなんだ……、オレと残ったらキミにまで危険がおよぶ。それは嫌だ」
そして一度、彼は振り向き、どこまでも頼りなさそうで、しかしどこまでも意思のある微笑をこちらへ向けた。
「ありがとう、アリエス」
強い不安を覚えた。このままだと二度と彼に会えないような、彼等と彼を会わせてはいけないという、本能に近い感覚が不安をあおった。
だがしかし、無情にも転移魔術エスケープゾーンの空間は閉じ、彼の表情だけが脳裏に焼きついて離れなかった……。
転移した場所は交易国ロートワールの首都、その城下西にある魔術学校の中であった。多種多様な魔術を扱うその場所が、転移魔術の出口であるのは何となく納得できた。
そこで私は少し泊めて貰える事になった。あの時の魔術教師が口利きをしてくれたのだ。
そして、ある日。私は唐突に彼の手がかりを掴んだ。
魔術学校の受付に訪れた漆黒鎧に漆黒眼帯の男が、彼の特徴に類似した事を口に出していたのだ。私は見るからにコイツが怪しいとふんだ。
そして、私はコイツを追跡して――――そうだ! 私は…………
……
…………
………………
……………………薄く眼を開く。
そこには、見知らぬ天井があった。
窓の外からは黄昏色の光が射し込んでいた。
「ここは……。そうだ、ゲヴラーは――――」