【序】第一章:五節 〜後悔、先に立たず〜
一通りの準備を済ませてから、ゲヴラー、リムティッシュ、アキは踊るギュートン亭を出発し、今は首都城下の東にある“大通り商店街”と呼ばれる大通りを歩いている。
首都城下の東に位置する踊るギュートン亭から少し歩けば、この商人達が集い、人々が休みなく行き来する大通りに出るのだ。
ちなみに、土地勘のまったく無いゲヴラーは、ここが首都の東である事すらわかっていないが、彼が向かうべき魔術学校は、首都の中心に位置する城を隔てた真逆の方向たる西である。
「通りの突き当たりにある――」
リムティッシュは商店街をまっすぐ貫けた正面の大きな門を指差しながら、辺りを物珍しそうに眺めているゲヴラーに、
「――あの門の向こう側の道で、私はお前を見つけたんだ」
と言う。が、言われたゲヴラーは、最初の一瞬、まるで他人事のように希薄な反応を見せ、次いで理解し、困った様な笑い顔で正面の東門を眺めた。
実際、彼の中ではほとんど他人事と変わりなかった。記憶の始まりは見慣れない天井、それ以外はない。その前が存在すると、頭のどこかで理解していても、現実に実感できないのだ。リムティッシュがゲヴラーと初めて出会ったのは東門の道でも、ゲヴラーがリムティッシュに出会ったのは踊るギュートン亭の中。
リムティッシュは、何気ない一言から生じた些細な事と思える差異が、簡単に人を傷つけられるという事を改めて理解した。自身の口から出た言葉のせいで、彼が浮かべる寂しそうな表情が視界に入ると罪悪感が生まれる。
「そういえば……」
そんな何気ない彼の一言に、一瞬、リムティッシュは心の中でビクッとした。何故、自分が彼の事をそこまで意識してしまったのかわからな……いや、心のどこかではわかっていたのであろうが、今は無視ができた。
「そういえば――、なんだ?」
「いや、大した事じゃないんだけどね。どこに向かってるのかなぁ、と」
「ああ――」
思い出したようにリムティッシュは言い、数歩、歩みを進めてから立ち止まり、
「ここだ」
と黒塗りの鞘に収まった剣を持っていない、空いている右手で何かの店を指差す。彼女が示す先にあるのは、外見では何の店なのか判断がつかない程に古びた――というか倒壊寸前の木造建築物。
「ここは……何のお店なの?」
ゲヴラーは正直に訊いた。
「書店だ」
リムティッシュは端的に答え、いそいそと店内へと姿を消す。
プチ置いてけぼりをくらったゲヴラーは、自分の頭の上でまどろんでいる彼女の相棒たるフェアリーなアキに、
「本が好きなの?」
と、自分の額を見るような上目で問うた。
アキはほんの少しだけ思考するような間をとってから、
「……どちらかといえば、ぬし様は本が好きですけれど――」
――ここに来た目的は違うと思うのですよぉ。とは言わず、ただその美しくも愛らしい顔に、大切な相棒を哀れむような表情を浮かべたのだった。無論、その表情はゲヴラーには見えないのだが…………
とある商店の平たい作りの屋根の上に、通りを見下すような大と小の影があった。影はそれぞれ闇色の燕尾服に身を包んでいる。
「まさか、“滅国の王女”と一緒に居るとは思わなかったなぁ〜」
と、鈴を転がしたような声色で言うのは、小さい方、華奢な印象の影。その微笑が浮かぶ口元には煙草が煙を揚げている。
「なんだ? “滅国の王女”とは」
小さい方の影とは対象的な大柄でゴツイ印象の影が、野太い声で小さい影に問うた。
溜息と同時に煙草の煙を吐きながら、小さい方の影は呆れたように、しかし、どうでもよさそうに、
「君は世界情勢とかに興味ないものねぇ〜。といっても、彼女について知ってる者は少ないけれど」
「で、結局なんなんだ?」
「アレだよ――」
小さい影は思い出すように、左手の人差し指を立てて指揮をするように振り、
「――第十四次作戦の……被害者? かな」
微妙に語尾を曖昧に答えた。
「第十四次…………ああ、アレか。……だが、そうだとすると、ほっといてもイイのか?」
大きな影は思い出したように言い、それから、自分の遥か眼下にある小さい影の横顔を見下ろすように窺いながら訊く。
「さあ。そこら辺を決めるのは、お偉い上の人達だからねぇ〜」
そこまで言うと、小さい影はクルリと反転。吸っていた煙草を捨て、踏み出した右足で落ちた煙草の火を踏み消し、
「とりあえずは、現状を報告しに戻ろう」
言いつつ、小さい影が左足を踏み出した。と同時、影の前方に暗黒色で長方形の壁が現れる。小さい影は何の躊躇いもなく、その暗黒色で長方形の壁へと歩みを進め、吸い込まれるように消えていく。大きい影も後を追うように、壁へとその大きな姿を消した。
暗黒色で長方形の壁もほどなくして風景に溶けるように跡形も無く消え、とある商店の屋根の上には、踏まれてグニャリと歪んだ煙草の吸殻のみが残された。
あれから四軒ほど書店を巡ったが、リムティッシュが望むものは無く、そして五軒目の店内で時計をチラリと見たリムティッシュは、そろそろ魔術学校へ向かった方がいいと判断し、彼女と彼と妖精は、大通り商店街とは真逆に位置する魔術学校を目指してトボトボと歩み始める事となった。
大通りを貫ける手前でリムティッシュが、
「あっ」
と、思い出したように、とあるお店の前で足を止めた。
「どうしたの?」
ゲヴラーは不思議そうに彼女の横顔を窺う。
リムティッシュは、店先に置かれている〈それ〉をヒョイと持ち上げて、
「お前とアキのお弁当」
手早く店員さんにお金を払い、有無を言わせずにゲヴラーのサイドポーチの中へ、人サイズの〈幕の内弁当(お茶付き)〉と、体格の小さい妖精サイズの縮小版〈幕の内弁当(お茶付き)〉をしまおうとしたが、やはり無理があったので、弁当屋のすぐ向かい側にある装飾品店で森林迷彩なバックパックを素早く購入し、ゲヴラーに装備させ、そこへ弁当を二つ収納した。
何かを言おうと口を開きかけたゲヴラーを遮って、
「人の好意は黙って受け取るのが礼儀だぞ」
リムティッシュはスタスタと歩みを再開し、背中越しに言うのだった。何をやっているんだ、私は、と微かに頬を赤らめているのを悟られないように。
「どんな中身なのか食べる時が楽しみですぅ〜」
アキは、己のぬし様の今までなら見られなかったであろう一面に気づいているのか、あえて気づかぬフリをしているのか、ゲヴラーの頭の上で陽気に言うのだった。
呆気にとられて反応が鈍っていたゲヴラーも、そんな陽気に言うアキにつられて、
「そうだね」
と、本来の彼らしい微笑を見せ、艶やかな長い黒髪を微風にサラリサラリと漂わせながらスタスタと先を行く、紺のロングスカートに白いブラウス、左手の内に黒塗り鞘の剣という、彼女の背中を追って小走りに歩みを再開するのだった。
彼らは魔術学校の手前にある上り坂へとさしかかり、えっちらおっちらと若干急な傾斜を歩んでいた。
半ば上った所で視線を少し上方向へ移すと、坂の頂上に、赤いレンガで建造された小さなお城を思わせる魔術学校の校舎が、静かにたたずんでいる姿が見えた。
ほどなくして坂を上りきる。
右に並木道、左に住宅街を見つつ、正面に構える木製の大きな回転扉を潜ると、ゲヴラーの第一目的地たる魔術学校受付は、もう目と鼻の先。
受付には、触ったら気持ち良さそうな狼系の藍色な耳をした亜獣人の女の子(亜獣人は見た目と実年齢が一致しないことがあるのでこの場合は見た目のみで判断)が、好い匂いを漂わせるお弁当を食べながら座って居た。彼と彼女と妖精さんのお腹は「ぐぅ〜」と鳴ってしまいそうになったが、どうにか気合で押さえ込み、羞恥を回避。
受付の彼女はゲヴラー達の姿を発見すると慌てて食べるのを止め、受付の仕事をしようとするが、口の中にはまだお弁当の残りがあり、それらをゴクンと飲み込む間をおいてから、
「ご用はなんでしょう?」
ニコリと、キキとは違う、チラリと犬歯が覗く健康的で魅力ある笑顔で応対した。
ゲヴラーはサイドポーチから先の〈手抜きな依頼書〉を取り出して、
「傭兵戦士団スリンガーの者ですけど……」
と言いながら、受付嬢な狼亜獣人女の子に依頼書を見せた。
彼女は見てすぐに理解し、
「校長の所までご案内します」
と言い、席を立った。
受付のカウンター内から姿を見せた彼女のお尻には、触ったら気持ちが良さそうな、耳と同じ藍色な“ふさふさ尻尾”があった。彼女はキキとは違う、獣人の血を濃く受け継いでいる亜獣人のようである。
「それじゃあ、私はここで」
リムティッシュは、受付嬢について行こうと歩み始めたゲヴラーに告げ、
「うん、それじゃっ」
告げられたゲヴラーは左手を左腰に挿した刀の柄頭に置いて、右手を軽く上げて応えてから、亜獣人な受付嬢の後を追った。
リムティッシュは、歩み行くゲヴラーの背中を見て、初めて自分の子どもをお遣いに行かせる母親のような気持ちで後ろ髪を引かれつつ、回転扉をくぐったのだった。
通された校長室に居たのは、眼にしみるような純白の長衣に、流れるような銀色の長い髪、黄金色の双眸。そして、エルフ族の特徴たる尖った耳を持つ、柔和な表情の人物だった。
一見すると男なのか女なのかわからなかったが、
「君がゲヴラー君ですね。話はゼロから聞いていますよ」
渋く落ち着きのある、鋭い知性を秘めていそうな男性の声がそこに有った。
まぁ立ち話もなんですから、と案外質素な魔術学校校長室にある革製なソファーをすすめられ、ゲヴラーは断る理由も無いので、すすめられたソファーに腰を落ち着けた。
そして、ゲヴラーの向かい側に腰を落ち着けた彼は、
「まずは自己紹介ですね」
と言い、ヴァーグナーと名乗った。
それに釣られてか、条件反射でか、ゲヴラーも名乗り、そんな彼の頭の上から降りることなく、その場で正座しアキも名乗る。
「それで依頼なのですけれどね――」
そこでヴァーグナー校長は席を立ち、背後にある本棚の引き出しから依頼書と同じサイズの封筒を取り出して、再びソファーに腰を下ろした。
「――この手紙をエルフ村のセシルという人物に届けて欲しいのです」
回転扉から依頼遂行の為にエルフ村へと向かうゲヴラーとアキへ、
「君達が帰ってくる頃には、スリンガーの受付嬢さんに報酬とかその他色々は渡しておきますから」
と言い、ヴァーグナー校長は二人を見送った。
見送られたゲヴラーはサイドポーチに手紙をしまい、とりあえずエルフ村の在る方向の門たる西門を、アキをガイドにして目指した。
大きな回転扉を出ると目の前には先ほど上ってきた坂道が見えた。が、頭の上の妖精さんは、
「西門はこっちですよぉ〜」
ゲヴラーの額をペチペチと叩きながら、進行方向を左に、並木道を抜けるルートを指示した。
「んっ、わかった」
ゲヴラーは自分の額を見るような上目で応え、歩み始めたのだった。