【序】第一章:三節 〜後悔、先に立たず〜
話が一段落すると、ゼロは用事があるといって、出ていってしまった。
ゲヴラーは当分の間、踊るギュートン亭の客室を間借りさせてもらう事になった。
憲兵のお世話になるか、自分で自分の世話をしながら自分を探すか、選べる二択があって彼が後者を選ぶのは、当然といえば当然のことである。無論、払える宿泊代は持っていないので、ゲヴラーは傭兵戦士団スリンガーへ来る依頼の中でも難易度の低いものを請負う事でそれを補うことになる。
リムティッシュ、アキ、ドラッド医師がオススメする、〈ギュートンのしょうが焼き〉を注文してから出てくるまでの間に、ゲヴラーは傭兵戦士団スリンガーの依頼が主にどのようなモノなのかを訊ねた。
「基本的には国の下請け――定期的な魔物狩りだな。難易度が高くなると商隊や要人の警護とか盗賊の掃討とかあるが」
「ああ、やっぱり戦うんだ……、オレにできるかなぁ」
ゲヴラーは自信なさげに、高等魔術の施された己の刀を手に取りつつ言葉を漏らした。
「大丈夫ですよぉ。依頼を遂行する時は、わたしが助力しますから、安心してくださいですよぉ」
「うん……ありがとう」
ふわふわと微笑みながら顔前で浮かぶアキに、ゲヴラーは弱々しい困惑気味な微笑を向ける。
「ゲヴラー、アキの実力を外見だけで測るなよ。アキは、身体は小さいが、単身で盗賊を掃討したことだってあるんだからな」
自分のパートナーを、無意識に誇らしげにリムティッシュは語った。
しばらくすると、賑やかさが一段と増した食堂の中を、猫のようにひょいひょいと身軽に移動するウェイトレスさんが、注文の品をテーブルに持ってきた。
ウェイトレスさんは、着古した白い半袖シャツに膝までのジーパン、肩口でカットされた外ハネな赤茶色の髪。と、スタイリッシュな雰囲気の美人さんでありながら、白いエプロンを装着して、どこか家庭的なお母さんめいた雰囲気を備えていた。
ちなみに、彼女は踊るギュートン亭のウェイトレス兼、傭兵戦士団スリンガーの依頼受付嬢で、名はキキだ。これから世話になるだろう。と、リムティッシュは猫の様に身軽な彼女をゲヴラーに紹介。
紹介されたキキはゲヴラーに、ニッと猫の様な笑みとウインクを投げ、また忙しそうに食堂の中を猫のようにひょいひょいと行ってしまう。後姿でわかったが、彼女は、髪の毛と同色のニ叉な尻尾が愉しそうに動くヒップにホルスターのような物を装着していた。
彼女は半人半獣(亜獣人/ハーフ)のようだ。
視線でキキを見届けてから、運ばれてきた注文の品を見る。
お盆の上には、お箸にホカホカご飯のよそわれたお茶碗、美味しい湯気を発たすお味噌汁に、まず白いご飯のお供としては間違いないと思われる、千切りキャベツに目玉焼きと香ばしくもジューシーなしょうが焼きがあった。間違いなく、食が進むコラボレートである。究極と言ってもいいかもしれない。
一口サイズに切り分けられていた〈ギュートンのしょうが焼き〉を、ゲヴラーはお箸を使い、口に一口入れ、味わう。
「あっ、おいしい……」
自然とゲヴラーの表情はほころんだ。自然と白いご飯にお箸が伸びる。
それを見ていたリムティッシュとアキの表情も優しくほころんだ。
ドラッド医師だけが、なにか思うところあるふうな表情をしていたが。
そこは、まるで迷宮。
ロートワール国首都の城下は他国の侵攻に備え、そのような作りになっていた。
住んでいる人さえも、時たま迷ってしまう迷宮チックな石造りの道を、コツコツと踏み鳴らす影が二つ。
不意に一つの影が路地を曲がり路地裏へ。
もう一つの影も、それを追うように、その路地を曲がる。
夜が更け、路地裏は闇色で、その中にあって漆黒の鎧を身にまとい、右眼を漆黒の眼帯で覆い隠す、彼の左眼はギラリと猛禽類を思わせる輝きを放っていた。
「ヒトのこと付け回すたぁ、いい趣味してんなあオイ」
首都城下の西に在る魔術学校でとある用事を済ませて帰路についてから、ずっと付かず離れず追ってくる影に、常人ならそれだけで腰を抜かしてしまう本物の殺気を込めて、ゼロは言い放った。
「もう失うのは、嫌だ……。彼を護らなくては……、彼をうしなうわけには…………」
「あ? なに言ってやがんだ」
影は小柄で、頭から膝下までを覆うフード付きローブを身にまとっていた。ゆえにその言葉を呟く表情は窺えない。だが、その音声は幼さの残る女性のモノであろうことはわかった。
「彼を渡すわけにはいかない…………彼を――」
影はローブから右腕を突き出す。その腕は無骨なデザインの甲に覆われていたが、窺える手は透き通るように白く、細くしなやかであった。そして、その手は拳を握り――、
「――返せ!」
華奢な手が開かれる。と同時、掌前方の宙に淡い光をおびた幾何学模様が出現。しかしてそれは一瞬の事。幾何学模様は砕け散り、煌びやかな粒子へと変化し、新たな姿を形成する。
粒子が集結した華奢な手の中には、巨大な鎌が、タロットカードなどの死神の鎌を連想させる大鎌が握られていた。
影は担ぐように大鎌を構える。
ゼロは大鎌の思いもよらない出現に、目の前で手品を見せられたヒトのごとき驚きの表情を浮かべた。数瞬の間を置き、転じて疲れたようなため息をひとつ吐く。
「まったく……ロートワールも物騒になりやがったなあ」
影が動く。
石造りの地面を蹴り、跳躍。
ゼロの首を狙って大鎌をなぐ。
命の危機が襲ってきて、しかしゼロは落とした硬貨を拾うような気楽さある動きで身を屈め――転瞬、大鎌が後ろ頭をかすめるようにして空振り抜ける。
その隙を逃すことなく――
ゼロは大鎌の柄に手を当てて動きを抑えつつ、鋭く踏み込んで間合いを詰め、肉薄する。
「――っ!」
対して、影の判断も早く。動きを抑えられた大鎌を一切の迷いなく手放し、後方へ跳ぶ。
数拍遅れて、持ち主に放棄された大鎌が、風に吹かれて流れる砂のごとく煌めく粒子となって霧消した。――が、安全圏まで後退した影が先ほどと同様にその手を握って開くと、またも煌めく粒子が集結し――大鎌は持ち主の手に収まる。
それを目の当たりにしてゼロは、
「ほう。便利だな」
関心したふうに、そんな感想を言う。
「…………」
影は黙したまま、大鎌を右の手腕と肩で担ぐように持ち、空いた左の手をゼロのほうに向ける。その手の前方、空中に幾何学模様の小円陣が出現――
「破っ!」
影が威勢よく言い放つと転瞬、幾何学模様の小円陣から呪文の帯を幾重も絡み付かせた炎紅球が放たれた。
着弾。
轟という高熱を帯びた音と共に、火柱が立ち上る。
「クソ容赦ねぇなぁ、まったく」
「――なっ!」
影は驚くと同時、背後を振り向きざまに大鎌でなぐ。――が、その刃は相手に到達するまえに止まる。止められた。なぜか、いつの間にか、影の背後に移動していたゼロの手によって。
「街ん中でやらかしていいもんじゃあねぇぞ、この野郎」
今度は影の手ごと大鎌の柄を抑えてゼロは、襲撃者の顔を確認するために空いている手で相手のフードを引っ剥がす。
夜空に浮かぶ月の光に照らされて、影が輪郭を現す。黒に近い紫の長い髪に、意志の強そうな金色の瞳、顔は幼い感じが残るが凛とした美しい作りで、可愛いよりカッコイイという言葉が似合うかんじの、それは少女の容貌だった。
「ああん? ガキぃ?」
「子ども扱いするなっ!」
襲撃少女は追い詰められたオオカミのごとくほえ、
「護らないと、うしなうのはもう……だからっ! 彼を返せっ!」
抑えられていない手の前方、空中に幾何学模様の小円陣を出現させ、至近距離から炎紅球をはな――
「なっ! くぅ……」
「だから、その彼ってぇのは誰のことなんだよ」
またも、なぜか、いつの間にか、襲撃少女の背後に回っていたゼロは、あまりにも容赦のない彼女に大人しくしてもらうため、致し方なく手刀を打ち込んで気絶させた。
持ち主の意識と呼応するように、大鎌が霧消する。
「ったく……はぁ…………」
ゼロはカッタルそうに後頭部をボリボリとかいてから、襲撃少女をひょいと担ぎ上げる。さすがに夜の路地裏に少女を放置していくほど、冷たくはない。
「ったく。今日は厄日だぜ」
ブツブツぼやきながら、ゼロは踊るギュートン亭への帰路に着く。
食事を食べ終わってから食後のお茶を飲み、一息ついた頃、ゲヴラーはとてつもない眠気に襲われた。
「色々あって疲れているのだろう。無理はしないで早く休むといい」
「そうですよぉ。無理はキンモツですよぉ」
「それでは、この辺でお開きにしましょうか。スリンガーの事は明日にでも、それに私も久々に魔術を使って少々疲れましたし」
ゲヴラーは睡魔と格闘しながら階段を上り、自室になった客間の前へ移動。
安眠への扉を開こうとしたその時、リムティッシュに呼び止められる。
「なに?」
「いや、別に、とくにどうのという訳ではないのだがな……」
「?」
「その……、おやすみ。また、明日な」
それだけ言うと、プイッとそっぽを向き、微かな朱に頬を染めたリムティッシュは、自室の方へと行ってしまう。
ゲヴラーの表情は、ただ嬉可笑しくてほころぶ。
「おやすみ――」
そして、改めて自室になった客間に足を踏み入れる。
「――これから、よろしく」
ベッドに入ってからしばらくして、下の階の方がなんだか五月蝿かった。声の色からしてゼロとドラッド医師であろうと判ったが、なにがどうしたのかを知りたいという好奇心よりも、睡魔の方が圧倒的に強く、彼の今日はココで幕を降ろす事となる。
ドラッド医師は寝に入ろうとしていたところを、ピンポイントで狙ったようなタイミングで叩き起こされた。
「何なのですか、急患ですか、暇つぶしですか」
ドラッド医師は叩き起こした張本人たるゼロに質問をあびせるが、彼は答える気はないようであった。
そして、そのまま、叩き起こされた原因とご対面する。
「なんですかゼロ。ついに犯罪に手を染めましたか?」
「っだと、クソ医者」
「いやいや、冗談ですよ。で、彼女は何者なのですか?」
ギロリと左眼で睨むゼロにおどけて言った後、ドラッド医師は真面目な表情に戻って訊いた。
「こいつぁ、いきなり俺を襲ってきやがったヤツでな、一応は手ぇ抜いて相手したんだが、一応はお前に診せておいた方がいいと思ってな」
診察の為による、しばしの間の後にドラッド医師は口を開く。
「これといった外傷もありませんし、かといって内傷もありません。今はただ、気を失って眠っているだけですね」
「そうか。に、してもだ。今日は拾い者が多い日だったなぁ」
「そうですね。どうにも、全部、偶然にしては仕組まれている気がしてしまうのですけど。それで、彼女はどうするのですか?」
「空いてる客間にブチ込んでおけばいい。その内、目ぇ覚ますだろ」
ゼロは後の事をドラッド医師に押し付けて、あくびを噛み殺しながら自室へと向かう。
そんなこんなで、踊るギュートン亭の今日は幕を降ろした。