【序】第四章:七節 〜始まりの終わり〜
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ロートワール国首都へと続く石畳の商業街道を、道行く人々への配慮に欠ける速度でその馬車は駆けていた。車体は高級感のある艶やかな漆黒で、その側面には金細工で“十三本の矢をくちばしにくわえ、ひとつのリンゴを右足でつかみ、悠然と翼を広げている一羽の白頭鷲”の姿が刻まれている。
それは国旗にも権威の象徴として刻まれている、アメル合衆国の象徴だった。
毛並みのよい四頭の馬車馬が鼻息を荒くして引くこの馬車は、アメル合衆国政府高官専用の馬車であり、それゆえに移動するアメル合衆国領地なのである。
たとえ道行く人をはねても、この馬車それ自体が“アメル合衆国領地/治外法権”なので、他国の法によって拘束されることもなければ罰せられることもない。
あえて道行く人々へ配慮して、この馬車が移動速度を犠牲にする理由はなかった。
容赦なく駆ける、そんな馬車の車内にて。
せわしなく流れてゆく窓から見える景色を、うんざりしたふうに黒の短い髪をした小柄な女性は眺めていた。いいかげん窓の外を眺めるのにもあきた彼女は、自然な動作で身を包む漆黒の燕尾服の内胸ポケットからシガレットケースを取り出すと、そこから一本抜き出して口にくわえ――たところで、
「…………」
どうやら手持ちの火種が尽きているらしいことに気がつき、思わず不満と苛立ちの混じった深い溜め息が漏れる。
「これを〜いい機会に〜、禁煙してみたらぁ? リベラちゃん?」
リベラと呼ばれた燕尾服姿の小柄な女性にとっては非常に耳障りかつ腹立たしい、現状において神経をさかなでする以外の効果をもたらさない甘ったるい声が、愛煙家にとってはストレスの要因にしかならない正しい提案をしてきた。
その声の持ち主は、申し訳程度に存在を示す乳房の下に横一文字、喉下から下腹部まで縦一文字の、十字傷をわざと強調し見せているようなデザインの服に身を包み、ブロンドの髪をツインテイルにした少女のような姿で、リベラの対面の座席に座っている。
「タバコはぁ、身体にとっても有害なんだよぉ? 肺を〜どす黒い紫色に変えちゃうくらい〜」
そんな公共的正論を述べる存在に、
「大きな御世話――という言葉を知っていますか? ザ・メディック」
ありったけの嫌悪の念を込めてリベラは言う。
「もぉ〜、心配したげてるのに〜」
ブロンドの髪をツインテイルにした少女のような姿の――ザ・メディックと呼ばれた存在は、なにがそんなに楽しいのかキャッキャとはしゃぎながら、右手の人差し指と中指を立てると、それを自身の肩口に当て、まるでマッチを擦るようにスッと動かす。すると、まるで手品がごとくその指先に小さな炎がともった。
ザ・メディックは、その炎でリベラが口にくわえたままのタバコに火をつけると、
「喫煙はぁ、ほどほどにねぇ〜」
そう言って、右手を握るようにしてともっていた炎を消す。
「名前を“着火マン/火をともすヒト/火種”に変えたらどうですか」
まったく感謝の念も称賛の響きもこもっていない声で言い、リベラは溜め息と一緒に紫煙を吐く。
「あはっ、とぉおってもイイ〜ネェーミングセンスゥーしてるねぇっ、リベラちゃん!」
心の底から気に入ったのか、ザ・メディックはパチパチと拍手を打って笑い声を上げる。
――と、車内にモンモンと息苦しく充満する紫煙の中から、ぬっと伸びてきた手が、リベラの口にある火のついたタバコをむんずとつかみ奪い取った。そのまま握り潰すようにしてそれの火を消す。ジュッと水分が蒸発するような小さく短い音がした。
リベラは苛立ちを隠さない鋭利な眼差しを、その手の主へ向ける。
肩まであるストレートの黒髪に、血の気を感じない白い小さな面立ち。首から下の、早熟なふくらみを備える細やかな肢体を、肌と一体化したようなフィット感のある漆黒の光沢と艶をもつ液体とも固体とも言い難いモノで禁欲的に覆い隠している。美しいが冷たい、まるで影のような、どこか作り物めいた女の姿で、タバコの火を消した存在はザ・メディックの隣に座っていた。
「なにをするんですか、ザ・パペッター」
そんなリベラの抗議に対して、しかしザ・パペッターと呼ばれた存在は言葉を返すことはなく。代わりに、切れ長の目にある蒼い瞳で「不満がある」と述べる。
「あー、そーいえばぁ〜」
と、ザ・メディックは思い出したように言う。
「身体に悪いからぁ、タバコが嫌いだったねぇ〜、アシュたん」
ザ・パペッターは“アシュたん”という呼びかたを嫌がるように眉をしかめつつも、言われた内容に関しては力強く首肯して「まったく、その通りである」との意を示す。
「まさか健康を気にしていたとは思いませんでしたよ」
死を知らぬ怪物のくせに――とは、口には出さず。リベラは不自然なくらいわざとらしく意外そうな表情を作って驚く。
「まぁ、ボクらにとっての好き嫌いなんてぇ〜、“アイデンティティー/個性”を演出する為の“趣向/嗜好”でしかないからぁ〜、ホントーはぁ、健康なんてぇ、関係ないんだけどねぇ〜」
ザ・メディックの軽いノリもあいまって、その言葉を聞いた瞬間にリベラの苛立ちは最高潮に達した。実際は好きでも嫌いでもないのに、あえて好きないし嫌いを装い、好きないし嫌いであるという“アイデンティティー/個性”を演出する。そんな“くだらない/どうでもいい”ことの為に、自らの“至福の一本”はだいなしにされたのか、と。
怒りとも似た苛立ちが、沸々と胸の内で煮えたぎる。リベラはそれを物理的なモノに変換して目前に座る存在たちへぶつけたい衝動に駆られたが、しかし、いまの彼女に、“ノーバディー”である彼女に、それを実行する“権限/権利”はなかった。