【序】第四章:六節 〜始まりの終わり〜
百聞は一見にしかず。
――というわけで、一行はロートワール国首都の東門前へと到着した。
見上げるほど大きな鋼製の門は開放されており、そのおかげで旅人や商人とそれにともなう物資の流れは止めどなく活発に行き交っている。それはまさに、交易で栄えるロートワール国の“血流/生命線”とも言うべき流れであった。ゆえに開かれた門の両側には二名ずつ斧槍を携えた軽防具の番兵が配置され、万が一にも祖国が貧血に陥らぬよう厳粛な姿勢で監視をおこなっている。
そんな場景に対して、リムティッシュは向かって右側へ視線をやり、
「あれが“預かり所”だ」
門の脇にある“簡素な木造建築/門番詰め所”――の影にひっそりと在る、木で作られた長方形の物体を示した。
高さは平均的な大人の身長ほどで、横幅も平均的な大人が両手をいっぱいに広げたくらい、厚さは平均的な大人の肩幅ほど。一番から五十番までの番号がそれぞれ書かれた扉のように開閉できる仕組みの四角形が等間隔に連なって、前面にマス目模様を描いている。
「ひっそりし過ぎて」
いままで存在に気づかなかった――とアリエスは言い、
「設置場所を知ってると、けっこう便利なんですよね」
とくに意識したふうもなく、世間話をするような流れで、彼女は同意を求めるようにリムティッシュを見やった。
「――ん?」
リムティッシュは不思議そうな顔をして、
「ああ、そうか」
しかしすぐに合点がいったらしい。
「商いを知っているんだから、“預かり所”も知っていて当然か」
なぜか小さく隠すように呟かれた、その言葉に、
「ええ、まぁ……」
アリエスは不満を押し殺して応じた。“預かり所”はそんなに特殊なモノではない。たとえ使ったことはなくとも、それがどういうモノであるかは、だいたいのヒトが“普通に”認知している。それなのに知っていることが意外とでも言いたげな態度をされては、アリエスでなくとも誰だって面白くないだろう。
「使い方はわかるか?」
ケンカを売っているとしか思えない、そんなリムティッシュの問いに――
当たり前でしょっ!
――抗議の怒鳴りをくれてやろうとして、
「物を収納できる――っていうのは、なんとなくわかるんだけど」
しかしアリエスは真横から申し訳なさそうに発せられた、
「……使い方は、その、よくわからなくて」
という言葉に、
「――え?」
我が耳を疑い、呆然とした面持ちで“その人”を見上げた。
申し訳なさそうに、悲しそうに、困ったふうに、頼りなさげな儚い微笑を浮かべているゲヴラーを。
リムティッシュの問いかけは、彼に対するものだった。そして、そうがゆえに――
記憶喪失――という彼の現状が、認め難い事実が、実感が、
「…………」
不気味なほど静かに、けれど泣きたくなるくらいの生々しさでアリエスを襲った。
――だが現実というものは、誰かの感情などおかまいなしに“ただそこにあり”流動するモノで。
「これといって、複雑なことはない」
変化のない平静な態度でリムティッシュは言い、
「“預かり所”の管理者に使用料を支払って、鍵を借りる。そして荷物を預ける」
基本はそれだけだ――と説明してから、
「当然のように」
と付け加える。
「“ナマモノ/生き物”は御法度だぞ。あと、鍵が掛けられなくなるような許容量を超えも禁止されている」
リムティッシュは「わかったか?」とうかがうように視線を投げ、
「うん」
聞き分けのよい優等生がごとくゲヴラーはうなずいて応えた。
「よし」
相手の理解を承認するように小さくうなずき返し、
「――あ」
リムティッシュは思い出したように、
「すまん、大事なことを言い忘れていた」
と詫びつつ、とても重要な人物を紹介する。
「彼が“預かり所”の管理者――“誇り高く黙する鍵の番人”だ」
その人物は、頭の先から足の先まで全身をあますことなく赤銅色の甲冑で固め、鞘に納まった剣を地に突き立てるがごとく身体の前に置き、直立不動の姿勢で“預かり所”の隣に黙して居た。
「“通称/総称”は“キーマン/鍵を握る人”――その意味するところは、まぁ文字通りだな」
そんなリムティッシュの紹介を受けて、
「どうも」
ゲヴラーは簡素な挨拶をするのだが、
「…………」
彼の者は黙したまま微動だせず。
「…………」
相手からの反応を待つゲヴラーと、
「…………」
黙する“キーマン/鍵を握る人”が、時を止めたがごとく向かい合うことしばし……しばし…………しばし、
「すまん、もうひとつ言い忘れていたことがある」
睨めっこに負けたがごとき笑いを含ませつつ、リムティッシュは告げる。
「黙し動じず――が“彼ら/キーマン”の基本的でな。なにがあっても絶対に“喋らない/呼びかけに応じない”んだよ」
それを聞いてゲヴラーは、
「え、あ、そうなんだ……」
どうしてだかこっ恥ずかしそうに所在無く視線をさまよわす。
「鍵の受け渡し以外で“彼ら/キーマン”が動くことがあるとすれば、“預かり所”と自身の安全が脅かされた場合の防衛に限られていてな、普段はまさしく直立不動なんだ」
だから――とリムティッシュは、まるでとびきりの秘密をこっそり教えるふうに声をひそめ、
「そのじつ“彼ら/キーマン”はヒトではなく、魔術によって生み出された自動人形なのではないかと言われている」
「――えっ?」
ゲヴラーは驚いたふうに“キーマン/鍵を握る人”を見やり、探るように凝視する。
そんな素直過ぎる反応を見せてくれる彼に、意図せずして柔らかい微笑みをこぼしつつ、リムティッシュは手品のネタばらしをする口調で「まぁ、真偽の程は――」と付け加えた。
「いまだ確認できた者が現れていないから、古今をとおして“ロマンある未確認”のままだがな」
不思議や疑問に対して、ただならぬ好奇心と探求心を燃やすのが子どもという生き物で。当然だがこのご近所にも元気に生息している。そんな彼らが、あきらかに面白い謎のカタマリである“キーマン/鍵を握る人”に興味を懐かないわけがなく。真相解明への挑戦は幾度となく試みられてきた。しかし、その飽くなき好奇心と探求心を持ってしても、いまだ真相に辿り着けた者は居らず。この“キーマン/鍵を握る人”に関する“ロマンある未確認”は、主に子どもらが何世代にもわたり継承し挑み続けている“謎”なのだ。
「そうなんだぁ」
ゲヴラーはしげしげと興味ありげな色を瞳に灯し、
「あれ? ……でも」
と、喉に魚の小骨が引っかかったがごとく眉根を寄せて、
「さっきの紙には、“キーマン/鍵を握る人”への挨拶を忘れるなって書いてあったような……?」
湧いてきた疑問を口にする。
自動人形と言われるほど絶対無反応な相手に、あえて挨拶をしろと書き記されていた意図が、いまのゲヴラーにはわからなかった。
「鍵の受け渡し以外では黙して直立不動――なら、鍵の受け渡しでは?」
そう言うとリムティッシュは“キーマン/鍵を握る人”へ歩み寄り、件の紙片に書かれていた“れいちく・十三番のらりるれろ”という挨拶を述べた。
すると一瞬の間をおいて、いままで置物然としていた“キーマン/鍵を握る人”が動きを見せる。右腰の辺りに吊っているキーホルダーから、ひとつ鍵を抜き出して、しかし無言のままそれをリムティッシュに差し出す。
「ありがとう」
リムティッシュが礼と述べて鍵を受け取ると、“キーマン/鍵を握る人”はまたも置物然とした直立不動の体勢に戻り――以後、再び動く気配は感じられない。
「“彼ら/キーマン”への挨拶とは、鍵の受け渡しに用いる合言葉のことなんだ」
とリムティッシュは受け取った鍵を示し、
「荷物を預けて鍵を掛けたあと、その鍵を合言葉と一緒に“キーマン/鍵を握る人”へ渡す――そうすることで、鍵を紛失してしまうリスクを心配しなくてすむし、“口入屋/くちいれや”のような仲介をはさんで合言葉を伝えれば、面識のない第三者と対面することなく物の受け渡しをすることが可能になる」
その手にある鍵で、“預かり所”の十四番と書かれた扉を開く。中には、梱包された小包と三つ折りされた紙片が入っていた。
それらを“預かり所”から取り出して、リムティッシュは紙片にざっと目を通す。そこには港街ウラガアに到着してからの行動指示と報酬の受け渡しに関する記述があった。
いますぐにやるべきことは書かれていない。
「――よし」
リムティッシュは小包と紙片をゲヴラーの背負っているバックパックに収納し、ついでに彼が持ちっぱなしの缶詰もバックパックの中へしまう。
「では、行こうか」
一行は港街ウラガアへと歩みを進める。