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Farce of the Creators  作者: かくにん
▽:第一部・三章【序:管理された世界の】
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【序】第三章:二節 〜手にした平凡な日常〜


 帰れる居場所がある。

 自分の存在をわかってくれる人がいる。

 帰るべき所があるというだけで、説明はし難いが、得られる安心感があった。

 だから、そんな安心感の影に、不安な気持ちを追いやって、見てみぬふりをしていたのかもしれない。

 いや、常に見えていた、気づいていた、本当は。自分が結局のところ何者なのかという、地に足が着かない、宙に浮いたような感覚に。

 その場しのぎに過ぎない、帰る場所が在るという安心感の薄っぺらな壁を作り逃れようとしていたのかもしれない。だが、その向こう側には確実に自分へ対する疑問が募っていた。あるいはもう少し、いや、うまくいけばこのままずっと、この壁はそれらの思いを覆い隠せていただろう。

 だが、壁は唐突に崩された。

 不意に現れた少女の、

「ずっと待ってたんだよ、ゲヴラー」

 喜びの涙と共に紡がれた言葉によって。

 募った思いは、土石流のように流れ出す。

「……キミは、キミはオレの事を知っているのっ!」

 まるで肉食獣が獲物に喰らい付くかのように、鬼気迫る表情でゲヴラーは目前で固まっている少女の両肩をわし掴みにする。一瞬前まで後頭部の痛みに苦微笑を浮かべていたのが嘘のようだ。

「――――……、へ? え? ちょっ……? 何を言って……、ゲヴラー? 何を言ってるの?」

 理解できない。今、自分に対して彼が口にした言葉が、理解できなかった。

 金色瞳の少女は、驚きというよりも、ただ訳がわからず目を丸くしている。「なに冗談いっているの? 全然面白くないよ?」とでも思いたいのか、表情は半笑だ。

 無論、ゲヴラーが「ははは、冗談、冗談」なんて言葉を返すわけもなく、

「キミは、キミはオレの名前を呼んだ。やはりオレはゲヴラーという名前なのか? ――教えてくれ! オレはオレなのか?」

 ガバッと半身を完全に起こし、少女に覆い被さるように、その繊細な肩を粉砕するような力で引っ掴み、顔を寄せ、容赦なく自分の思いを、ある意味で貪欲に、投げぶつけた。

「痛いっ――痛い……よ、ゲヴラー」

 掴みかけた蜃気楼の片鱗を逃すものかと、ゲヴラーの手はキリキリと万力のように少女の肩を締め上げる。

 それはもはや暴力に等しい。

 だが、それでも「放して!」と口に出さなかったのは、この少女がそれほどにゲヴラーとの再会を望んでいたということなのだろうか。あるいは、自分の知らぬ彼を今目の前に見ていることへの戸惑いだろうか。

 黒に近い紫の長髪に金色の瞳を持つ少女は応えを持てず、すがるように必死な眼差しの彼を、ただ呆然と見つめ返すことしかできなかった。

「落ち着け、ゲヴラー」

 細くしなやかな手が、少女の肩を掴む手の上へ、包み込むようにそっと添えられる。それと同時に聞こえた言葉は、決して大きな声ではなかった。酒の力によって無駄に騒がしいこの場所では、もしかしたら聞こえなかったかもしれない――彼女の声でなければ。

 動きを止めたゲヴラーは、声の方へ視線をやる。

 目が合った。

 吸い込まれそうなほどに深い、深淵のようで、それでいて星々が煌めく夜空のような美しさを持つ瞳だった。

「なあ、ゲヴラー。わかるだろう?」

 咎めるでもなく、責めるでもなく、どこまでも包み込むような柔らかい眼差しで。母が子を諭すような慈しみを含んだ眼差しで、リムティッシュはゲヴラーに語りかける。

 しばし無言のままゲヴラーは彼女を見つめ――、そしてゆっくりと、その両手から力を抜いていった。

 全身が一気に弛緩する。

 そこで初めて、ゲヴラーは状況を認識したように、ハッとした。

「ご、ごめん。オレはなんて事――その……」

 数泊前までの勢いはどこへやら。オロオロと当惑するゲヴラー。

 少女はしかし、無言で首を横に振り、彼の服の左袖を、その右手で――ぎゅっと掴む。

「やはりこうなってしまいましたか……。もう少し柔らかい方法はないものかと模索していたのですが……」

 目前の状況を危惧していた人物が、ささやくような小さな言葉を口から漏らした。場の雑音に掻き消されてしまうそんな言葉を、リムティッシュは聞き漏らすことなく、その人物へ視線をやる。

 純白の長衣を身に纏う、長い銀髪に尖った耳を持つ人物――どこか悲しげな表情のヴァーグナー校長だった。


「先ずは座って、落ち着いて話しましょう」

 ヴァーグナー校長が提案し、リムティッシュがゲヴラーと少女に手を貸し、身を立たせる。未だに思考が状況に追いついていない少女はうつむき加減で、しかし頑として掴んだゲヴラーの服の左袖を離そうとしない。

 ゲヴラーは、困ったように眉尻を下げた頼りない表情で少女を見、あるいはすがる様な眼差しをリムティッシュに向けるが、

「……」

 彼と同じような表情のリムティッシュが応えを持つわけもなく、半思考停止状態の少女の背中を優しく押して、木卓の席へ促すだけである。

 ゲヴラーと少女が席に着き――少女はやはり握った左袖を離さないので、ゲヴラーの左側に着席した。

 二人の着席を確認した後、その正面に腰を下そうと身体を動かしつつ、リムティッシュは隣のヴァーグナー校長に小声を投げる。

「こうなると、わかっていたのか?」

 着席したヴァーグナー校長は一度、目を伏せてから、

「未来で起こりうることは、誰にもわかりません。それゆえに、未来は未来なのですから」

 こちらも小声で答える。

「確かに、そうだな。しかし、ゲヴラーに彼女の事を言わずにいたのは――」

「勘ぐり過ぎですよ、リムさん」

「……そうか?」

 リムティッシュは静かに聞き返す。

「ええ――」

 小さく頷きつつヴァーグナー校長は、うつむいて向かいに座る少女に同情混じりの悲しい眼差しをやり、

「――ただ、思い出と記憶は似て非なるものということです」

 ささやくように言うのだった。


 そして、


 長く感じる短い沈黙に包まれる。

 しかし、この場に静寂はなかった。

 夕暮が夜へと移り変わる時刻の踊るギュートン亭、その食堂という場所が、一部の者達にお構いなく、お酒の力を借りて壮絶なまでに賑やかであるから、仕方がないことではあるが。

「アリエスさん、混乱しているかもしれませんが、先ほどのが現実です……。彼――ゲヴラー君は、記憶を失っています。私もゼロから聞いたときは、半信半疑だったのですが」

 大雑音の中でもよく通る音声で、ヴァーグナー校長は現状を端的に、しかしゲヴラーの側らに座る黒に近い紫な長髪の少女――アリエスにとっては非現実的な理解しがたい事実を、静かに言って聞かせた。

 うつむきながらもヴァーグナー校長の言葉を聞いていたアリエスは、「嘘でしょう?」と問うように潤みの増した金色の瞳で側らのゲヴラーを見上げ、見詰める。

 視線を受け止めたゲヴラーはしかし、言葉を詰らせ目線を逸らした。

 いや、逃げたと言う方が適切だろうか。

 アリエスという名の少女に感じえる、言いようもないところから湧き上がる――罪意から。

 それは自分の事を知ってくれているのに、こちらは彼女を憶えていない――思い出せないという事への後ろめたさだろうか、それとも何か違う別のモノへの罪意なのだろうか。あるいはそれが解れば、記憶を思い出す取っ掛りになるかもしれないのだが。

 ともあれ、

「……ほんとう、なの……?」

 一度合わせた視線を逸らされた時にほとんど答えがわかった問いを、しかしアリエスは勝率が億分の一の博打にすがる様に、細々とした消え入りそうな儚い声で口から出した。

 それに対してゲヴラーは小さく首肯する事で応える。

「そんな……」

 言葉を漏らすと同時に、アリエスはゲヴラーの服の袖を掴む手にギュッと力を込めた。まるで繋がりが無くなることを恐れるように。

 またも場が沈黙に支配されようかという――刹那、

「ゲヴラー……」

 一人の少女が、未だ当惑色の濃い瞳で――しかし決したように、語りだす。

 自分が知りうるゲヴラーを。彼の服の袖をいっそうの力でギュッと握りながら。


 ジンカ大砂漠での出会い。

 二人での旅。

 そして、別れる原因たりうる船上での出来事を。

 アリエスは一言一句を慎重に選びながら全心全霊を込めて言葉を紡いだ。

 なにか手応えのある反応が返ってくるのでは。とヴァーグナー校長以外の者達はある種の期待を込めてゲヴラーを見るが。

 もっとも何かしらの手応えを望んでいるであろう当人――ゲヴラーは、どこか大きかった期待にしかし手応えが無く、変化の無い己に苛立ちのようなものと諦めのようなものを感じつつ、うなだれた首を力無く横に振る。

 そんな彼の反応を見て、途端、アリエスは虚無に囚われたような恐怖をともなう孤独感に襲われた。彼女は血が滲むほどに唇を噛んで、こみ上げてくるモノをどうにか抑え込むが、果たしていつまで耐えられるだろうか。


 思い出と記憶は似て非なるもの。


 ヴァーグナー校長が最初にゲヴラーと会った時、アリエスについて言わなかったのは、ここに理由があった。

 過度の期待を与えても、期待通りにいかねば、その時に受ける反動は大きい。校長はこれを避けたかったのだ――目の前に居る二人の為に。

 アリエスが知るゲヴラーは、しかしどこまで突き詰めても“アリエスの知るゲヴラー”でしかないのだ。“アリエスの知るゲヴラー”はゲヴラーを構成する一つのモノではあろうが、ゲヴラーをゲヴラーたらしめるゲヴラーではない。

 他者と共有する思い出では、一つの人格を語ることなど不可能。記憶を甦らせる取っ掛りにはなるだろうが、しかしそれまで。

 他人が語る自分像を、それが自分だと納得できる者がどこに居よう。

 記憶に無い思い出を、他者に一方的に語られたところで、それは犯していない罪を押し付けられる冤罪と同じだ。

 実感が持てぬ己の過去と、共感できぬ思い出と、

 互いに求めるモノを有しているのにもかかわらず、相容れることができない。

 それがどれほど辛いことかは、当人たち以外に推し量れるものではないが。


 沈黙が場を支配する。

 だが、数泊の後にそれを破るものが居た。

 口を開いたのは、

「“幽霊海賊事件”を知っていますか? ゲヴラー君」

 うなだれたゲヴラーへ視線をやって問う、ヴァーグナー校長だ。

 ゲヴラーは首を横に振る。

「先ほどアリエスさんが言った船上での出来事、というのが“幽霊海賊事件”なのです」

 そんな校長の言葉を、

「“幽霊海賊事件”……。確か三ヶ月前の事だな。ジパングからの定期船が海賊に襲われ、それに乗船していた魔術学校の教師が乗っていた者たちを魔術学校に転移魔術で逃がしたが、しかし翌日にはその襲われた定期船が積み荷をそのままに、しかも無人で、港街ウラガアに現れたという――。暴走キメラ駆除の時、なぜか校内に水夫や商人が居たから依頼内容と相まってよく憶えている」

 若干の嫌みを含めて補足するリムティッシュ。「あの時はお世話になりました」とバツが悪そうに校長は応える。

「しかし“幽霊海賊事件”は人も船も積荷もほとんど無事で、その実は集団幻覚だったんじゃないかと巷で言われているが――」

 リムティッシュが“幽霊海賊事件”に対する世間的な認識を口にした瞬間――

「ちがうっ! 幻覚なんかじゃない。海賊に襲われて、ゲヴラーは私達を逃がすために船に残って……、でも現れた船には乗っていなくて……」

 今の今までうつむいていたアリエスは、必死に、恐れるかのように、幻覚という言葉を否定しようとした。まるで、ゲヴラーという存在が幻覚であったと言われているように思えてしまうのだ。そして、それが堪らなく怖い。

 ここでは誰も“アリエスの知るゲヴラー”を知らない。その存在を証明できない。共に旅をしてきた彼が、実は家族を失った喪失感に耐えかね壊れない為に、自分が作り出した都合のいい幻なのではないか。そんなことは絶対にありえない。でもしかし、心のどこかでそれを否定できない自分が居て。それが信じられなくて、嫌で怖くて……。

「すまん。そういうつもりで言ったわけでは」

 リムティッシュは状況に合わせて言葉を選ばなかった自身に憤りを覚える。

「重要なのは――」

 ヴァーグナー校長が言う。

「――ゲヴラー君は船に残ったにもかかわらず、港街ウラガアへ現れた船に乗っていなかったというところです」

「「……どういうことですか?」」

 ゲヴラーとアリエスの言葉がかさなる。

「ゼロの話ですと、ゲヴラー君の記憶には魔術による干渉の痕跡があったと聞いています。これは私の推測でしかないのですが」

 と言い置いてからヴァーグナー校長は話す。

「アリエスさんと別れた船上からリムさんに発見されるまでの、空白の三ヶ月間。ここにゲヴラー君が記憶を失うような出来事があったのではないかと――そして、海賊に魔術を扱える者が居るのかは定かではありませんが、怪しむべきは積み荷を奪うことなく姿を消した海賊達ではないか、と。まず、海賊とゲヴラー君の間に何かがあった事には違いないでしょうから」

「なら、その海賊を探せば……」

 ゲヴラーに小さな取っ掛りが見えた。

「あの黒鎧の海賊を探せば……」

 アリエスに小さな取っ掛りが見えた。

「あくまでも私の推測ですし、直接記憶に関係あるとは言い難いですが、手掛かりたりうるのでは、と思います。が、しかし情報集めに関しまして、私は知識がありません」

 ヴァーグナー校長の言葉を、

「情報集めは、ココに居れば問題ないだろう。ココはそういう場所だ」

 リムティッシュが繋ぐ。

 踊るギュートン亭――安宿にして傭兵戦士団スリンガーの拠点。この場所には、多くの情報を有する事が、己の命を護り、尚且つそれがより良い己の利益に繋がる――傭兵という名の職に付く者達がたむろっている。

 情報収集に関しては、どうにかなるだろう。

 小さいが確実に、前進への兆しが見えてきた。

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