【序】第ZERO章:三節 〜消失と死/孤独と再誕〜
〜Chapter Zero/**** part/beginning〜
見ぃ〜つけた。ふふ――
身体と共に沈みゆく意識の片隅で、そんな声を聞いたような気がした。
それを起とするかのように、身体が海中へと沈みゆく速度が増す。だが、もはやそれに抗う余力はなく。手にした打刀と懐中時計を放さぬことがやっとだった。
流れ出る紅い液体が、歩んだ軌跡のように仄暗さをたたえる海中へ跡を残す。軌跡に添うように、留めていられず吐き出した空気が、昇ってゆく――
そこで、意識は暗転する……
…………
………………
……………………
…………………………
……遠くから、
波の音が聞こえてきた。
よせてはかえす、規則的な、心地好い自然の音色。
それは次第に近く鳴り――
薄く目を開く。
そこには、無限に広がる夜闇のなかで、その存在を主張する煌く星々の輝きがあった。
しばし何をするでもなく、星々の輝きを眺め――、身体の右側面がほのかに暖かい事に気がつく。それはパチパチとはじけるような音をともなっており、「なんだろう」と首を動かし視線をやってみるや、そこには煌煌と燃える焚き火の暖かな光があった。
そこで初めて、自分が砂の上で横になっていると知る。
炎の奥に人影があった。しかしその姿は、メラメラと燃える炎が視線を遮ってしまいよく見えない。
オレは影の姿を視認しようと、身を起こす――
「あれ?」
身体は問題なく動いた。痛みも苦しみも一切なく。
慎重に件の二箇所を触れてみる。
しかしそこには、何もなく、傷の痕も無かった。傷の『き』の字も無い。
左肩と左脚を動かしてみても、なんら問題なく動く。
「あ! 目ぇ覚〜めたぁ?」
炎の奥から、甘ったるい声色が聞こえてきた。
反射的に、そちらに視線をやる。
が、反射的に、視線をそむける。
なぜなら、そこに居たのは、全裸な人物だったから。
「いっきに、目が覚めたよ……」
オレは視線をそむけながら応えた。
「よかったぁ〜。このまま起きなかったらどぉしようかと、ボクはヒヤヒヤしてたんだよぉ。“不死の甘露”もぉ〜完全じゃぁ〜ないからぁ――」
不死の甘露? どこかで聞いたような……、思い出せない……、というかオレは知らないのか?
「――傷は治せてもぉ、それだけだしぃ」
その裸身を隠すつもりがないらしい全裸な人物は、こちらの側で膝を折り、覗きこむように言い、
「ネンのためにぃ〜、もう少し飲んでおくぅ?」
ツユ滴る舌をチロリ出しつつ、ズイとこちらへ身を乗り出し、顔を近づけてくる。
「いや、もう大丈夫。身体は問題なく動くから」
なんだ? なにを断っている?
そもそも全裸な人物が舌を出して顔を近づけてくる事と、傷が跡形もなく治っている事は、どう関係している? なにを、なにを勝手に喋っているんだ――オレの口は。
「というか、一つ訊いていい?」
「ん? なぁ〜に?」
「なんで裸なの?」
もっと先に訊いておくような疑問をいまさら口にする――オレの口。
「そんなぁ〜ボクだけが裸信教みたいな言い方しないでよぉ〜。お互いさまなんだからぁ〜」
全裸人物はムッとしたように眉を寄せ、口を尖らせる。
「お互いさまって……――――あっ!」
なぜだ、なぜ今まで気づかずにいたんだ――オレ。
「なぜ……」
「なぜってぇ〜、お互いヌレヌレになっちゃてたしぃ〜、なにより穴が開いてたからぁ〜ボクが縫ってあげたんだよぉ?」
ほらこれぇ、と朽木に吊るされ焚き火に当てられていたオレの衣服を手に取り、全裸人物は自慢げにその申し訳程度な胸を張る。すると、下乳に横一文字、喉下から下腹部まで縦一文字の十字傷がよく目立つ。その傷は痛々しいというよりも、どこか妖艶美的だ。
そしてオレは今更ながら、衣服が朽木に吊るされていたという事を視認する。というより、さっきまでそこに衣服は吊るされていなかったように思うのだが……。いや、しかし実際にはそこにあるし……。なんだ、さっきから何かが、オカシイ。なにか感覚が、目の前で起こっているここと違うような――どこか、ずれているような?
オレは差し出された自分の衣服を手に取り、広げてみる。
「すごい」
その一言につきる出来栄えだった。
件の撃たれた部位は、その痕跡すら無く、オレの衣服は普通な姿で微妙に湿って目の前にある。
「でしょぉ〜。ボクねぇ〜自分の服は自分で作るからぁ〜お裁縫は超ぉ得意なんだぁ」
「生乾きなのは、いただけないけどね」
言いつつ、オレは素早く衣服を身に着けていく。
「そんなこと言われてもぉ、海中からぁ濡れずにココまで来るなんてぇ〜ボクにはできないしぃ……、いやならぁ乾くまで待てばいいのにぃ」
むぅっとしたように軽く頬を膨らませて全裸人物は言う。
「まあ、そうしたいところなんだけど、時間があまり無いんだ」
なんだ、時間が無いってどういう……、何を言うんだオレは。
「えぇ〜そうなのぉ? 久しぶりにぃ会えたからぁ〜もう少しお喋りしてたいのにぃ」
耳の垂れたウサギのようにその頭から伸びるブロンドのツインテイルをシュンとさせ、全裸な人物は名残惜しそうに口を動かす。
苦微笑を口元に浮かべつつ、オレは装備品を素早く身につけ、最後に手にしたのは――
「あ〜それって、お姉ちゃんの時計?」
「ああ、何の因果か――オレの手元に戻って来たよ」
「ずっとずっとずぅーと、一緒に居たいって言ってるんじゃなかなぁ〜」
なにがそんなに嬉楽しいのか、全裸人物は満面の笑みで言う。
「はは……、そうだといいなぁ。――自分の背負うべき罪を忘れるなっていう戒めかもね」
オレは懐中時計を留めたサイドポーチの中へとしまう。
背負うべき罪――、忘れるな――、戒め――、なんのことだ……、何の事を言っているんだオレは。なんでオレは、オレの知らない事をべらべらと喋るんだ。
「そうかなぁ〜お姉ちゃんはそんなこと言わないと思うけどぉ……。あ、そうだぁ〜手紙があったんだぁー」
本当に忘れていてたった今思い出した、というようにパチンと両手を打ち、全裸ブロンドツインテイルは朽木に吊るされている衣服――黒紫を基調とした、露出とフリフリのやたら多い、陶器の人形が着ていそうなモノ。自分の服は自分で作るといっていたということは、コレもお手製なのだろうか――の内側から、水分を含んでちょっとブヨッとなった一通の手紙を取り出し、こちらへ差し出す。
下手に力を加えたら千切れてしまいそうなので、両手で慎重に受け取り、これまた慎重に封を切り、中身を取り出し、ゆっくりと広げて文面を見る。
「なんて書いてあったのぉ?」
ちょっと身を乗り出し、興味深げに全裸人物は訊ねる。
「…………」
「……ねぇ?」
「…………」
「ねぇってばぁー」
痺れをきらせたように声をはる全裸人物。
「んっああ、ごめん。文字がにじんでて全文は読めないんだけど――」
「だけどぉ?」
「――次に会うときは、オレとは敵同士になるってさ」
文面を全裸人物の方へ向けて言うオレ。
「つぎぃ? い・ま・も、ボク達は敵同士だよぉ?」
やっとお手製衣服を着つつ、ブロンドツインテイルな人物はイタズラっぽい微笑を浮かべる。
「はは、確かにそうだね」
オレは苦笑いと共に言葉を返す。
「ボクのお仕事はぁ〜終わっちゃったからぁー、もう帰らなきゃ」
下乳に横一文字、喉下から下腹部まで縦一文字の十字傷を、わざと強調し見せているようなデザインの服に身を包んだブロンドツインテイル人物は、残念そうに眉尻を下げて言葉を紡ぎ――
「次に会う時がぁ敵同士だとしてもぁ、ボク達の繋がりは断ち切れない――じゃあね、バイバイ」
海の方へと数歩進み、振り返りざまに小さく手を振り別れの挨拶――
――バチンッと焚き火が爆ぜた。
世界は一瞬、暗転し――
――ブロンドツインテイルな人物は、いつの間にか姿を消し、オレも海に背を向け底知れぬ闇をおびる森の中へと姿を消してゆく……
――オレ?
確かにオレは森の中へと歩みを進め、もはやその姿は闇の中へと吸い込まれ確認できない。では、オレを見送る“オレ”は、今までオレを感じていた“オレ”は……“オレ”はいったい……。
明かりが照らす、底知れぬ闇の森と水平の果てまで続く広大な海。
その狭間。
どちらとも交われぬ砂浜に、今ココに居る“オレ”は……
今ココに居る、“オレ”はいったい、いったい誰だ?
いや、いや違う。そうじゃない。“オレ”はオレだ。森の中へ消えたオレが“オレ”じゃないんだ。では、ではアレは、誰?
世界に置いて行かれたような、人影の無い薄闇に覆われた狭間の浜辺は、どこまでも広がり続けているように思え、孤独な不安を増大させてゆく。
置いていかないでくれ……。オレは……オレを……見てくれ。オレが、今ココに居ることを教えてくれ、証明してくれ。
オレはオレを見てくれる他人を求めて、視線を彷徨わせた――
そこに、
黒いフード付きコートを目深に着た人物が一人。なんの前触れも無く、そこに居た。
「貴方はアナタの信ずる道をお往きなさい」
誰だ?
わからない……
でも、どこか――懐かしい。
おもむろにフード付き黒コート人物が、大海と夜空の狭間のその向こう側を指し示す。
「貴方を求める者の呼び声が聞こえるでしょう? 貴方が世界と繋がる絆/貴方と私が結んだ絆」
どこからだろう。物凄く遠いところから、自分の名前を呼ぶ声が……
「貴方と私が未来へ繋がる約束――あの娘はとても強がりで頑張り屋。だけど、とても純粋で優しい――とても脆い心の娘。もう居場所を失う哀しみをあの娘に与えてないで。貴方があの娘を護ってあげて」
大海と夜空の狭間のその向こう側から、自分を呼ぶ声が近く鳴ってゆく。
フード付き黒コート人物が、ゆっくりとこちらに近づいてきて――
――そっと、こちらを抱き包み込んでくる。
頭一つ分、背の低い黒コート人物は、こちらの胸に顔をうずめてきた。
しばし体温と匂いと体重を感じ、
なぜだろう。誰だかもわからないのに――。懐かしくて哀しくて寂しくて――。ずっとこのままで居たいと願うのは――。何故だろう?
「あなたは……。オレはあなたを――」
言おうとしたら、黒コート人物がふと顔を上げた。目深なフードから覗くのは、金色の憂いた瞳。
「オレはあなたのことが――」
憂いた金色瞳の黒コート人物は、そっと人差し指をこちらの口にそえ、語りを止める。そしてオレは微かな最後のささやきを感じた。
――私が貴方を想い続けるから、過去に囚われて自分を見失わないで。……ゲヴラー。
不意に黒コート人物の体重にそっと押され、背後に一歩だけよろめいた。
そこには、足場は無かった。
急激に、森/海/夜空/浜辺/憂いた金色の瞳が――総てが遠ざかってゆく。
「ゲヴラー、貴方は貴方が往く道を、あの娘を未来へ導いてあげて」
もはや黒い点になりつつある総てからささやく声を聞き、
オレはオレの名前を呼ぶ声に引きずられ――
ああ……
視界が狭まっていく……
音が遠くなっていく……
意識が擦れてゆく……
そんな中、最後に感じたのは……
絆にも似た――
――罪意。
約束は……、
……許してくれ、
……ア■■■――――。