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Farce of the Creators  作者: かくにん
▽:第一部・ZERO【序:管理された世界の】
13/31

【序】第ZERO章:二節 〜消失と死/孤独と再誕〜


〜Chapter Zero/Second part/beginning〜


 煌びやかな星達の輝きを身に纏った底知れぬ美しさの夜空の下、まるで愛し合うかのように、水平の果てまで穏やかに波音を奏でる大海の上で、船体を寄り添い合わせる二隻の船があった。

 ギチギチと互いの木造の体を軋ませながらも寄り添いあう二隻の船。その内の一隻、船体の両側面に砲身の姿が見える船の甲板上。禍々しいまでの黒塗り鎧を身に装着し、手に蛮刀を持った男たちが血走った眼で、もう一隻の船に乗り込んでゆく。

 そんな状況の中にあって不自然な、大と小の影があった。影はそれぞれ闇色の燕尾服に身を包んでいる。

「おぉ、がんばるねぇ〜」

 鈴を転がしたような声色で言うのは、小さい方の華奢な印象の影。その微笑が浮かぶ口元には煙草が煙を揚げている。

「いいのか? 勝手に行動させて」

 小さい方の影とは対象的な大柄でゴツイ印象の影が、野太い声で小さい影に問うた。

 溜息と同時に紫煙を吐きながら、小さい方の影は呆れたように、しかし、どうでもよさそうに、

「いいんじゃない、こっちの手間はぶけるし。なにより、“彼”が頑張ってくれるおかげで、護衛対象は無事。まぁ、結果よければ過程なんて問題じゃあない」

 応え、小さい影は、向こう側の船上にて次々と乗り込んでくる黒鎧の男たちと奮闘する一人の剣士に視線をやった。その奮闘剣士は自身の背後にて発動中の魔術式を、その魔術式へ吸い込まれるように消えてゆく人々を守るように戦っている。

 小さい影は、剣士の次に魔術式に視線をやり、

「まあ、一つ想定外だったのは、乗客リストに転移魔術なんてモノを発動できる魔術師が載っていなかったということだが……。まっ、これはこれで予定が繰り上がるからよしとしよう」

 口の両端を薄く吊り上げ微笑をつくる。


 黒鎧の男たちが奮闘剣士に倒され折り重なってゆくのに合わせるかのように、船上から乗客乗員の姿が消えてゆき、

「彼女を頼んだ」

 不意に、奮闘剣士が転移魔術を発動した魔術師に告げた。

 魔術師はためらいながらも、黒に近い紫な長髪と金色の瞳を持つ少女の腕を掴み、転移魔術式の中へと引きずり込む。

 少女は抗うように身をくねらせるが、確実に身は転移魔術式の中へと消えてゆく。

「どうして……、どうして、私も戦える。私もあなたと残る」

 少女には言葉で抗うしか方法が残されていなかった。

「彼等の目的はオレなんだ……」

 奮闘剣士はしかし、目の前で蛮刀を振り回す黒鎧の男たちではなく、その向こう側に居る大小の影に視線を投げ、そして少女に振り返り、

「オレと残ったらキミにまで危険がおよぶ。それは嫌だ」

 どこまでも頼りなさそうで、しかしどこまでも意思のある微笑を向け、消えゆく少女に言葉を紡ぐ。それとほぼ同時に、少女と転移魔術式は跡形も無く、消失する。

 果たして最後の言葉は少女に届いたのだろうか――

 奮闘剣士はそれを確認することもなく、残る黒鎧の男たちと対じする。


「さて、そろそろ始めようか」

 小さい影は転移魔術式が消失するのを待ってましたと言わんばかりのタイミングで、側らの大きな影に告げた。


 奮闘剣士――ゲヴラーは正眼に構えた打刀の切先を固定せずユラユラと動かし、黒い鎧を装着した五人の男をそれぞれけん制しつつ、相手の隙を探っていた。

 彼等はこの残り五人になるまで、まるっきり統率の無いめちゃくちゃな攻め形で来たので、苦戦しつつも多数相手にほぼ一対一で対応できたのだが、今に至って多数の意味を理解したようで、ぎこちないが、四人でこちらの四方を囲み、動きを封じ、残り一人が止めを刺す役割という連係の体勢をとっている。これだと無連係の不特定多数相手よりも、分が悪い。

 どうしたものかとゲヴラーが思考を開始した。その時、囲む四人の男が手にした蛮刀を振りかざし、雄叫びと共に、一斉に行動を開始した。

「チッ」

 舌打ち一つ。ゲヴラーはしかし迷いなく、正面から攻め来る黒鎧男に向かって動く。前後左右を取られたならば、手っ取り早く前方に逃げ道を切り開くのみである。

 両者の距離は縮まってゆき、あと三足ほどで衝突という、その時――

 ――静寂を纏う夜闇に、雷鳴が轟いた。

 その残響を追うように、乾いた破裂音は三度――轟く。

 と同時。ゲヴラーが視界に捉える事のできる黒鎧の男たちが、糸の切れた人形のように崩れ落ちた。勢いづいた彼らの身体は、甲板に痛そうな打音と共に叩きつけられるが、しかし残念な事に彼らが痛さを感じる事は無い。世界と自分とを繋ぐ命の糸が切れてしまえば、痛みで自分の居場所を確認する必要もないゆえに。

「裏切りやがったな!」

 恐怖と怒気の入り混じった声を上げるのは、ゲヴラーを背後から切りかかろうとしていた黒鎧の男だった。

「裏切る? はて、なんのことだか……。我が社に不利益をもたらす罪人を裁く事は、当初からの予定通りだが? それに、どうせ君達とて、この船の航路情報等々を知り、用が済んだら私達を始末するつもりだったのだろう?」

 黒鎧の男を逆撫でするかのように、呆けて応えるのは、ゲヴラーの正面延長からゆっくりと近づいて来る、燕尾服を着た、くわえ煙草の小柄な人物。その両手にはグリップを包み護るかのような打撃用突起と刃の付いた――

「よりにもよって拳銃……」

 ――が、握られていた。呟くゲヴラーはもはや背後に居る黒鎧の男にはかまわず、正面から現れた燕尾服人物に全神経を集中させる。

「クソが。テメェッ! “パトリオット”の回し者だったかっ!」

 もはや黒鎧の男もゲヴラーにはかまわず、怒りの気持ちをそのままに、くわえ煙草小柄燕尾服人物へ向けて蛮刀を振りかざし、斬りに行く――

 面倒臭そうに、くわえ煙草な燕尾服人物は溜息と紫煙を吐き、

 ――黒鎧の男がゲヴラーの陰からその身をさらした瞬間、

 ああ、無情の情すら無い、乾いた雷鳴が、一つの命を自由(Freedom)にする。

「状況終了」

 かったるい事がやっと終わったとでも言いたげな表情で、くわえ煙草人物は言う。

 自身の側らで息絶えた黒鎧の男を視界の端に捉えつつ、ゲヴラーは正面に現れた人物が手に持つ武器からどう逃げるかを考えていた。が、しかしくわえ煙草小柄燕尾服人物から敵意や殺意はなく、

「もう少し彼等も、相手とその中身を考えてから行動すべきだと、そうは思わないかい? ゲヴラー」

 煙草をくわえた口元に微笑を浮かべて、親しげに語りかけてくる。

 ゲヴラーは隙なく打刀を構えつつ、

「オレも最近になって実感してるよ」

 口で応え、目で遮蔽物になりうるマストまでの距離を目算する。

 片や小柄な燕尾服人物は、まるで十年来の友人と語らうような軽い口調で、

「学習することはいい事だからねぇ、それはいいことだ。でだ、いいことついでに、もう一つお勉強してほしいんだが――」

 言いつつ、その右手に持つ必殺の武器をゲヴラーへ突きつけ、

「――先ずは、そのカタナを鞘に戻してから捨ててもらえるかな」

 微笑みながら提案。

 ゲヴラーは抗うことなく、言われた通りに打刀を鞘に戻し、そしてマストの方へ投げ捨てる。と、ほぼ同時に、

「船倉に潜んでいた賊の抹消、終了した」

 大柄な燕尾服人物が向こう側の船から姿を現した。その両手には生々しく血を滴らせるナックルが装着されている。

「ちょっと遅いなぁ。まあいいや。君は“彼”に手出し無用だよ。代わりに、その辺に転がってる連中を掃除しておいてもらえるかな。輸出物共々この船もクリーンな状態で届けないといけないからね」

 一瞬、ほんの一瞬だけ、小柄燕尾服人物の視線が、語りと共にゲヴラーから大柄な燕尾服人物に逸れた。ゲヴラーはその一瞬を逃さず、腰に留めていた巾着状な小皮袋の口紐を素早く解き、一瞬の内に、その小皮袋を小柄燕尾服へ向けて投擲。同時、打刀が転がっているマストの方へ、駆け出す。

 次瞬、小柄燕尾服はゲヴラーの行動に気づき、右手の兇器で攻撃しようとするが、一瞬前にゲヴラーが投擲した小皮袋から散乱した、金貨、銀貨、銅貨たちが、その狙い定めを微々邪魔する。

 だが、小柄燕尾服は急所からずれた狙いのまま、その兇器の引き金を絞る――

 ――乾いた破裂の死音。

 宙に乱れ飛ぶ硬貨群の直中を力任せに飛翔し往く、一つの終わり。

「――っ!」

 終わりは、駆け出すゲヴラーの左肩皮肉を削ぎ貫ける。

 だが、ゲヴラーが駆ける足を止める事は無く――

 小柄燕尾服が左手の兇器で改めて狙いを定める頃には、ゲヴラーは打刀を転がしておいた遮蔽物――マストの陰に飛び込み、打刀を回収しつつその身を隠していた。

 片膝を付いてマストを背に、改めて右手で打刀を引き抜きつつ、柄を握ったその手の人差し指と中指で、左肩の傷口に触れて傷の度合を確かめる。

「クッ……」

 軽く触っただけでも判るくらいに、その部位の皮と肉は削げていたが、しかし致命傷と言うほどでもなく、またその痛みは、動きが完全に封じられるというほどでもなかった。傷口に触れた指先には血痕がベッタリとついていたが、触感的に重要な血管がやられたというわけではないようなので、急いで止血する必要もないだろう。というより、止血している暇がない。

 ゲヴラーは研ぎ澄まされた打刀の刃をマストの陰からつき出し、うまい具合に夜空の淡い明かりを反射させ、鏡のように使用し、燕尾服人物達の様子を探る。

 ぽつりと紅一点。くゆる煙草の灯火が、それをくわえる人物の表情と共に、刃に映りこむ。一歩、また一歩と、こちらへ近づいて来る小柄燕尾服人物の呼吸に合わせるかのように明滅する煙草の灯火。その両の手には兇器がそれぞれご健在。

 ゲヴラーはご健在な兇器への対処法を思考しつつ、刃の角度を調整して小柄燕尾服人物の背後――大柄な燕尾服人物の動きも探る。

 大柄燕尾服は、小柄な方に言われたとおり、こちらのやりとりに介入してくる様子はなく、セッセセッセとそのデカイ両肩に転がる賊を担ぎ、甲板を掃除している。これは確信に近い勘だが、この大柄な方は現状、無視しても大丈夫そうだ。

 やはり最大の難敵は、あの拳銃か……。

 大多数の賊を相手にするより、あの二挺を相手にする方が困難……。まったく、イイ発明である。

 さて、どうする。まだ先込め式単発銃が相手なら、扱い難いその長く重い銃身と次弾発射までの時間差を利用してどうにか刀剣類で相手をできるが……。

「ゲヴラー、私は君と一対一で話がしたいから、こんな手間の掛かることをしたんだよ? そんな刃を向けるような、無粋なことはしないでほしいなぁ」

 打刀の刃に映る小柄な燕尾服人物はそう言うと歩みを止め、こちらを見ながら大げさに肩をすくめてみせた。歩みを止めた位置は、ちょうどこちらの一足一刀の間合い外。

「そんな物チラつかされて、まして撃たれてまで、丸腰で出て行くと思うかい?」

 ゲヴラーは口先で小柄燕尾服に応えつつ、もはやまともに相手はできないと判断し、退路を探る。

「さっきのは、君が不意にモノを投げるから、つい条件反射で撃っちゃっただけだよ。私に君を殺す意思はないもの。で、コレだけど――」

 刃に映りこむ小柄燕尾服は、左手の狙いは固定したまま、右手の兇器をクルクルと見せびらかすように回転させ、

「――前のヤツは君にバラされちゃったからねぇ、特注で作らせたんだ。回転式連発拳銃――輪胴弾倉に六発と、不意の近接戦闘に対応するための打撃用突起と刃。暴発防止の為に引き金が少し重いけど、まぁ安全性も兼ね備えている。それに、カッコイイだろう? “パトリオット”の知恵も、なかなか捨てたものじゃないよねぇ」

 カッコよかろうが、安全性を兼ねていようが、所詮、殺しの道具だろう。と思いつつ、ゲヴラーはマストから海までの距離を目算していた。どんなに時間を稼いだところで、こちらが不利な状況が変化するわけでもないので、身をさらす危険を承知で、現状唯一の逃げ道たる海へ飛び込もうと思い立ったのだ。

 ゲヴラーは装備しているサイドポーチに動きの鈍い左手を突っ込み、折りたたみ式多目的ナイフを取り出す。そして片手で刃を出し、改めて打刀に映りこむ小柄燕尾服の姿を確認した後、打刀を元の鞘に戻し、多目的ナイフを正常に動く右手に、柄ではなく刃の方を挟み込むように持ち替える。

 一息吐き呼吸を整え――

 マストから身をさらすと同時に、多目的ナイフを小柄燕尾服の胴ないし胸元へ向けて投擲し、海の方へ駆け出しつつ、視線でナイフの行方を追う。

 ナイフはなかなかの勢いで飛翔し、面倒臭そうに半目で煙草をくゆらせる小柄な燕尾服の方へと目算通りに飛んでゆく。

 あと数瞬で多目的ナイフが役割を果たすという時、小柄燕尾服が一見怠惰にも思える動作で左腕を動かし、その腕で刺しに来たナイフを受け、そのまま流れる動作で駆けるゲヴラーへ向けて左手の兇器を構え、当たり前のように引き金を引く。

 あと四足ほどで海へ跳び込めるというところで、しかしゲヴラーは勢いをそのままに体勢を崩し、

「――ぐぁっ!」

 痛い打音と共に身体を甲板に崩れ落とす。

「おっと失礼。つい条件反射で撃っちゃったよ」

 小柄な燕尾服は悪びれた様子もなく、煙草くわえる口元の両端を薄っすら吊り上げ言う。そしてゆっくりと歩みながら、左腕に刺さっている多目的ナイフをぬっそりと引き抜き、ほうり捨て、左太股を押さえ苦悶の声を上げるゲヴラーのところへ、一歩、また一歩と近づいてゆく。

「もう少し調整しないとダメかなぁ――」

 小柄燕尾服は悶えるゲヴラーを見下ろせる位置で立ち止まると、左手の兇器に視線をやりながら言い、

「――狙いより少し右に弾が逸れて、大事な血管を貫き切っちゃったみたいだからねぇ。まあ、私も左腕を刺されたし、お互い様って感じだけど」

 両手の兇器を背腰のホルスターに収納しつつ、片膝をついてゲヴラーの側に寄り、左太股の傷口をサッと見てから言う。そして弱っているゲヴラーの身をまさぐり、サイドポーチを発見するや、中身を物色し、簡易医療キットを発見すると、持ち主に断りもなくそれを使用し、多目的ナイフが刺さっていた左腕の止血を開始する。

「痛みはコントロールできても、私には血流をコントロールしたり、まして自己修復したりはできないからねぇ。使えるモノは使わせてもらうよ。ああ、安心してくれていい、ちゃんと君にも応急処置くらいはするから」

 小柄な燕尾服は自身への処置が終了すると、言葉通りにゲヴラーの左肩と左太股に対して止血処置を施した。

「ん〜、肩はどうにかなったけど、太股は出血速度が遅くなった程度で完全には止まらないなぁ……。弾は貫けてるけど。まぁ、いいか。私が知りたい事に、君が答える時間があれば」

「知りたい事……、だと?」

 ゲヴラーは擦れる意識の中で言い、

「そう。私は君に訊きたい事があるから、わざわざこんな面倒な事をしたのさ。まぁ、君が自ら死に来るようなマネをするとは思いもよらなかったけど」

 小柄な燕尾服は口にくわえた煙草が触れそうなほどに顔を寄せて応えた。

「殺そうとしておいてよく言う」

「ひどいなぁ〜、ちゃんと急所は外してるのに。それに今、私が君を殺すなんてことはありえない――」

 小柄燕尾服は近距離からゲヴラーの顔へ紫煙を吹きかけ、

「――その頭の中に有る“私を自由(liberty)にする”情報を得るまでは」

 言葉を吐くと同時に、ゲヴラーの左太股傷口に自身の右手親指をめり込ませる。

 ゲヴラーは奥歯を噛み砕きそうなほどに噛みしめ、苦悶の声を漏らし、苦痛に耐え、

「――っむっぐ……っはぁはぁ。……はっきり言おう、君が何を言っているのか理解できない」

 超近距離に迫る顔へ応えた。

 小柄燕尾服は残念だと言いたげな溜息と共に紫煙を吐き、ゲヴラーから身を離し、背を向け、芝居がかった動作で両腕を広げ、語りだす。

「ゲヴラー、君は自分がココに生きた印を残したいと思ったことはないかい?」

「……?」

 ゲヴラーはその答えを知らず、無言。だが、小柄燕尾服はかまわず語る。

「ヒトは後世に子孫を残す。これは自分が歩んだ生の証とも言える。子を産み、育て、教え、自分が歩んだ軌跡を伝え残す。なんとも素晴らしいシステムだと思わないかい? 死した後も、誰かの内で働き続け活き続けることができる。一つの終わりが、一つの始まりとなり続いてゆく。美しいこの世界の誇るべきシステム。しかし……ね、ゲヴラー。この世界は、システムから外れ螺旋の牢獄に囚われてしまった者には、眩し過ぎるほどに美しく、美しさゆえに妬ましいんだよ。子も産めず、育て教えることもできず、自分の歩んできた軌跡を伝え残す事も叶わず、時の流れと共にココで生きていたことを忘れられてゆくだけの存在。私は、私達は忘れられる為に今を生きているわけじゃない。例え模造の、この身だとしても、私は今を生きてココにいる。私は忘れられる未来が待つ宿命から自由(liberty)になる。その為に必要な“標”と“鍵”と“扉”を君は知っている――」

 小柄燕尾服はズイと接近し、その両の手でゲヴラーの頭部を挟みこみ、万力のように締め上げる。

「――いいかい? 私を自由(liberty)にする“標”と“鍵”と“扉”がこの中にある。“知識の蛇”の先、“無限なるモノ”へと到る、君たち裏切り者が奪い去った――私を自由(liberty)にする情報がっ!」

 頭蓋を握り潰さんばかりの力で締め上げ、それでもゲヴラーが苦悶の音以外に発しないと知るや、溜息と紫煙を吐くと共に、短く呪文を詠唱した。すると、ゲヴラーの頭部を締め上げる両の手を包むように淡い光を放つ呪文の帯が現れ、そしてそれはゲヴラーの頭部内へとジワリジワリと侵入してゆく――

 ――その時。

 まるで大海が咆哮しているかのような、腹に響く、いや、船すらも振動する、獣の唸り声のようなモノが、大海と星空の静寂を破った。

 小柄な燕尾服も行動を止め、何事かと辺りを探っている。

 そして答えは、なんの前触れもなく――

 賊が乗っていた船の奥に、一隻のその船すら飲み込んでしまいそうなほどに巨大な水柱が轟音と共に上がり、その水柱の頂点から、巨大な何かが飛び上がる。

 水柱が崩れ落ちると同時に、飛び上がった巨大な何かも下降し、賊の船甲板上へ、甲板の張り板を踏み砕きながら着地。

 一部始終を視線で追っていたゲヴラーは苦痛を忘れたかのように目を見開き、小柄燕尾服人物は口にくわえた煙草をポロリとこぼしながら、

「レヴィヤタン……、なぜココに、よりによって今」

 苦虫を噛み潰したような表情で、現れたソレの名称を口にした。

 小柄な燕尾服が“レヴィヤタン”と呼んだソレは、目を奪われるとかいう以前に、とてつもなく巨大だった。なかなかの大きさを誇っていたっぽい賊の船甲板上にあって、そのダークシルバーグレー色の体はとても納まっていない。

 大きさの次に目を奪われるのは、その頭部と思われる部位だろうか。ヘビのように左右二つに分かれている下アゴのおかげか、大人五人分くらい軽く丸呑みにできそうな巨大な口は、獣よりも危なそうで凶悪そうな低い地響きの如き唸りを上げ、剣の切先のように鋭い合計八つの眼は、目を合わせただけで息の根を止められそうなほどに純粋な狂気で満ちている。

 胴体とそこから伸びる、両腕と、尻尾のようなモノは、全体のバランスから見るにどちらかというと細い印象で、胴と腕の間に張るように有る翼にも思える膜のようなモノと、尻終から尾先までスラリと伸びる尻尾の上下にある魚のヒレのような膜が特徴的か。

 そしてもっとも目立つと思われる、脚。その太くて巨大な脚は、おそらくは水中で泳ぐことと陸上で跳ぶことに特化していると思われる形で、カエルの脚が超巨大になったような印象。足には水掻き用と思われる膜のようなモノがある。そしてもっとも特徴的な太股部位には、焼印のような印があった――リンゴに巻きついた蛇が、リンゴに刺さった十三本の矢に喰らいついているという印が。

 しばし言葉もなく、レヴィヤタンの巨体に意識を奪われていたら、どうやら無事だったらしい大柄な燕尾服人物がどこからともなく現れ、

「まずいことになった」

 と、小柄な燕尾服人物に耳打ちする。

 小柄燕尾服は苛立たしげに、

「いまさら言われなくてもわかってる」

 応え、鞘付き打刀を杖代わりに身を起こそうとしているゲヴラーを見、

「いったいどんな手品を使ったのか、実に興味深いところだが――」

 言った瞬間――

 燕尾服人物達の背後、ゲヴラーの正面に、世界の空白のような長方形の壁が現れた。そしてそこから生まれるように、

「――確かに興味深いことだな、ノーバディー。君たちに与えられた任務は、我が社の製品を不正に得、我が社に不利益をもたらした加害者およびその支援者の排除だったはず。しかもそれは七十二時間四十七分三十四秒前に終了しているはずなのだが。なぜ、君たちは今ココにいるのかな?」

 首からチェーンで下げた懐中時計を金色の瞳で見やりながら現れたのは、肩口でザンバラにカットされた黒髪を持つ、背広姿の人物。

「ザ・マン……なぜ、ココに」

 小柄な燕尾服は、見ていた懐中時計を胸元のポケットにしまう背広姿を視界に捉えるや、質問に疑問で返答しつつ、背後に居るゲヴラーを背広姿人物の視線から隠すように身を動かした。大柄な燕尾服もそれにならう。

「不測の事態に備え、レヴィヤタンをともない対象の警護に来た――のだが。果たして想定外の事態に、こうして遭遇したわけだ。願わくば、君の口から状況説明を聴きたいのだが、どうだろう? ノーバディー」

 ザ・マンというらしい背広姿の人物は、その金色の瞳を真っ直ぐに小柄燕尾服人物へ向けて問うた。と転瞬、その視線が対象を、その背後へと変える。

 視線の先に、ザ・マンは一歩ずつ確実に歩みを進め、そして、

「久しいな、ゲヴラー」

 挨拶代わりとでも言うように、杖代わりの鞘付き打刀を足で払い、体勢を崩したその胸元へ掌打を放つ。

「ぐぁはっ!」

 あまり足に踏ん張りの利かないゲヴラーは、打たれるままの勢いで体勢を崩し飛ばされ、甲板の縁に並ぶリンゴのタルへ背中から突っ込む。それを追い数歩進んだザ・マンは、こぼれるリンゴとタルの内で横たわるゲヴラーを見下ろし、

「なるほど。状況は理解した。我ら“パトリオット”に牙剥く裏切り者の発見と追撃は、優先すべき事態――だが、彼等に関しては、君たちが関与する事ではない」

 背後でたじろぐ燕尾服達に言葉を投げつつ、ザ・マンは横たわるゲヴラーの襟元を片手で掴み上げ、その身体を、船の縁に追いやる。必然的にザ・マンとゲヴラーの身体は超接近。ザ・マンは吐息がかかりそうなほど近くにゲヴラーの顔を寄せ、

「人の心など持つべきではなかったな――君も、私も、……あの娘も」

 ささよくような遠い声で言葉を紡いだ。

 次の瞬間――

 ザ・マンはゲヴラーの身体を、海上へと押しやった。

 反射的に何かを掴もうとしたゲヴラーの右手が、ザ・マンの首から胸ポケットにかけて垂れ下がる懐中時計のチェーンを掴み、落下の勢いのまま引き千切る。

 数泊の間の後、海面にモノが叩きつけられる音が聞こえた。

 ザ・マンと燕尾服人物達が、船の縁から海面を見やる。

 そこには、緩やかな波と、消えゆく波紋しかなかった。

「死人に口なし――これで機密が外部へと漏れる恐れが、一つ減ったな」

 何かを掴もうとするかのように、消えゆく波紋へ手をかざすザ・マンの言葉が、潮風に吹かれ、消えてゆく……。

 そして波紋は、鋭い眼差しで見やる小柄な燕尾服の、その視線の先で――消失した。

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