【序】第二章:四節 〜黄昏の再会〜
親切にも荷馬車に乗せてくれた黒癖毛の青年に別れを告げ、ゲヴラーはロートワール国首都西門へと降り立った。やはり徒歩よりも荷馬車の方が数倍速い。
黄昏色に染まった空の下、ゲヴラーは「うん〜」と背伸びをし、ポンポンと腰を叩きつつ、荷馬車は速いけれどお尻が痛くなるなぁと思う。
ガタゴトゆれる荷馬車の上でも、ぐっすりと寝ていたアキは、
「ふわぁ〜ふっ」
と、元気良くあくびをして、
「さあ、ギュートン亭へ帰るですよぉ〜」
嬉楽しそうに帰路を飛び示す。
「うん、帰ろう」
頷き、アキの背を追い歩みだすゲヴラーだった。が、三歩目を踏み出した瞬間、
「あっ! ……忘れてた」
大事な事を思い出す。
はっとして唐突に言うゲヴラーを、
「どうしたですぅ?」
振り返ったアキが、小首を傾げて訊く。
「ヴァーグナー校長へ、届け物があったんだ」
それについてのやりとりの最中、クッキーを抱えてすやすやと眠っていたアキが、届け物の存在を知らないのは仕方が無いことである。
「じゃあ、魔術学校に寄って帰るですね〜」
ゲヴラーとアキは出発の時と同じ道を逆に歩んでいく。
夕食時が近づき、徐々に賑わいを見せ始める踊るギュートン亭。
その食堂。
ウェイトレスだったりもするキキは鼻歌交じりに、常連客さんからの「いつもの頼むよ」という注文を取っていた――
――その時、食堂はシンッと静まりかえった。
皆が皆、ポカンと口を開いたまま階段の踊り場へと視線を向けて固まっている。
唯一、キキだけが平然と、
「おっ、目ぇ覚めたんだね〜。おっはっよぉ〜――……いや、こんにちは、かな……こんばんは、か?」
挨拶について「むむむっ」と眉間に人差し指を当てて考えつつ、踊り場で仁王立ちする静寂の素に接する。
静寂の素――タロットカードの死神の鎌を連想させる大鎌を肩に担ぎ、踊り場から食堂を見下ろす、黒に近い紫の長い髪に、金色の瞳を持つ、顔は幼い感じが残るが凛と意思の強そうな美しい作りで、可愛いよりカッコいい感じの少女。一言でいって、美しい。異常と言える大鎌を担ぐ姿さえも、一枚の絵のようだ。
そんな少女が修羅の如き形相で、しかも大鎌を担いで突然登場したのだ。事情を知らない者ならば固まって当然の状況である。
「ここはどこだ」
大鎌少女は何かを押さえ込んでいるような、低い声色で問うてきた。
無論、皆が黙り込んでいる今の状況で普通に会話できるのは、事情を知っていようがいまいが、きっと普通に接する事のできる、器の大きなウェイトレスさんのみである。
「ここはねぇ〜ロートワール国首都にある踊るギュートン亭って宿屋だよっ」
ちなみに今の私は亭主代理よっ、えっへんと胸を張り付け加える。
聴いた大鎌少女は何かを思考するような沈黙の後、
「あの黒眼帯は、この宿と関係あるのか?」
「ギュートン亭で黒眼帯といえば、ゼロの事?」
「今どこにいる」
「仕事に出て行っちゃったから……、今どの辺だろ、う〜む」
答え、腕を組んで首を傾げるキキ。
それを聴いた大鎌少女は肩に担いでいた大鎌を抱くように、身体の支えにするように、
「やっと……やっと彼を……、ゲヴラーの手がかりを見つけたと思ったのに……」
ボソリと悲愴な呟きを漏らす。
食堂がいつものように騒がしかったならば、彼女の呟きはキキの耳へと届く事は無かっただろう。だが、今の食堂は異常な程に静かである。
「んん? 鎌っ子ちゃんはゲヴちゃんの事を知ってるの?」
形の良い眉をハの字に寄せつつ、聞こえてしまった呟きに対して質問するキキ。
「……ゲヴちゃん?」
大鎌少女はキキの言うゲヴちゃんが誰を指すのかわからず眉をひそめる。が、脳内でゲヴちゃんというネーミングを転がしているうち、話の流れ的にそれが――
「――あなたはゲヴラーを知っているのか!?」
少女はその金色の瞳がこぼれ落ちてしまいそうほどに目を見開いて、キキの質問に質問で返した。
問いに問いがぶつかった時に発生する微妙な沈黙が、食堂内の静寂にかさなった。
その時、疲れた木製の扉が軋みを上げて開かれる。無駄に静かなギュートン亭、お客さん達の目は自然に「今度はなんなんだよ」と音源の方向へ向く。
溢れる夕空の黄昏色と共に進入してきたのは、だらしなく白衣を着こなし、怪しげに輝くメガネを装着した、両手に大きな紙袋を抱える、
「おっ! おっかえり〜ドラちゃん。お使いご苦労さんっ」
「お願いですから、私の事を“ちゃん”付けで呼ばないでください。なにか言いようもないところから青くて丸いモノをイメージしてしまうので――そして、ただいま」
夕陽の光と共に現れたのは、キキにお使いをさせられていたドラちゃん――いや、ドラッド医師だった。
このギュートン亭において彼が医師として活躍する場面などそう多くはない。ゆえ、「働かざるもの食うべからず」を理由に大抵の場合、彼はキキに扱き使われている。
意外と辛いポジションなドラちゃんは、空いていた木製円卓へ「ふぅ……」という溜息と共に抱える大紙袋をドサリと置くと、怠惰な動作で椅子を引き、腰を下ろす。
背もたれに深くもたれ一息吐き、彼はやっと食堂内がいつもと違うという事に気がつく。
「なんですか皆さん。そんなに見つめられても×××××サービスなんてしませんよ――」
誰も不精ヒゲ白衣メガネ青年になんぞ×××××サービスを期待していない。という事はさすがにドラッド医師も理解できるので、
「――という冗談は面白くありませんか? ……そうですか。で、お目覚めのようですね、お名前は存じませんが」
踊り場から大鎌と共に睨んでいる例の娘へ、クイと人差し指でメガネを押し上げながら挨拶をする。メガネ奥の目付きが微妙に鋭いモノへと変化した。
が、大鎌娘はソレを無視。キキとの会話を再開させる。
「知っているなら、教えて欲しい。彼は今どこにいるの……」
顔面に無理矢理貼り付けていた鉄面が剥がれかけ、最後の一瞬、彼女の素が垣間見えた。
彼とは誰です? と小声でドラッド医師はキキに問いかけ、問われたキキは困ったように、「よくわからないけど」と前置きし、眉を寄せ、
「鎌っ子ちゃんは、ゲヴちゃんの事を探しているらしいのよ」
と答えた。
「船の上で別れてからずっと……ずっと、次はエルフ村に行こうって言ってたから、ココで……待って、探して……」
語るうちに大鎌は解けるように霧散し、元鎌っ子の顔には何かを堪えているような女の子の表情があった。
「う〜ん……、たぶんもう少ししたら帰ってくると思うけど……依頼書に依頼内容が書いてなかったから、あまりハッキリ帰還時刻がわからにゃいのね……、今から一っ走りして魔術学校に行ってどんな依頼したのか聞いてこようか?」
下唇を噛んで涙を堪えているような女の子の表情に母性本能をくすぐられた。というより、そもそも義理人情な商人気質が強いロートワールという国である。困っている者が居たらこの国に住む者は大抵、何かしらのリアクションをしてしまうのだ。それは傭兵戦士団スリンガー依頼受付嬢兼踊るギュートン亭亭主代理ウェイトレスとかいう無駄に長い肩書きとは無関係に、キキという一人のネコマタハーフにも言えること。
「依頼? ……ゲヴラーは、魔術学校へ行った……、のか?」
ゲヴラーに関するハッキリとした手がかりを掴んだことによる喜びの衝撃と、あの時あの黒眼帯を追っていなければ今頃は再会できていたという衝撃が、同時にゲヴラー追いし少女を襲い、喜んでいるのか怒っているのかわからない複雑な表情を作った。が、一瞬後には大鎌を担いでいた時のような凛とした表情に戻り、深呼吸一つ。
いまだに「よくわからん」という眼差しをしている客たちの視線は無視。
彼女は勢い良く駆け出す。
踊り場から飛び降り、落下の勢いをそのままに駆け、ブチ破らんばかりに年老いた木製の扉を開く――
――ごんっ!!
……何かを仕留めたと思しき音と手応えと反動。
…………彼女はそろりと窺うように、再び扉を開き。
仕留めた獲物とご対面。
そこに居たのは――――