監察のお仕事
インフルエンザもすっかり治り、いつもどおりの日常が戻ってきた。
冷たい北風が吹く中、巡察のため京の街中を歩いていた。
歩いていると、とある旅館の屋根が目に入った。
なぜか知らないけど、山崎さんが屋根の上にいた。
何しているのだろう?
「山崎さーん」
下から呼ぶと、山崎さんは私の方を見た。
手を振っている。屋根の上に来いってことか?何があるのだろう?
旅館の周りをうろつき、屋根に塀から屋根に乗れそうなので、屋根に乗って山崎さんのところに行った。
「こんなところで何しているのですか?」
私が後ろから話しかけると、山崎さんは、飛び上がって驚いていた。
「誰かいるぞっ!」
旅館の中が慌ただしくなった。
山崎さんは、私の口を抑え猫の鳴き真似をした。
「なんだ、猫か」
旅館の中は落ち着いたようだった。
「蒼良さん、なんでここに居るのですか」
「山崎さんが手を振って呼んだんじゃないですか」
「あれは、仕事中だから、向こうへ行ってくれという意味だったのですよ」
なんだ、そうだったのか。
「蒼良さんに見つかるとは、私もまだまだ未熟ですね」
「そんなことないですよ。邪魔しちゃったみたいですね。失礼します」
そう言って、屋根から降りようとしたら、山崎さんに止められた。
「帰りに見つかってしまうと危ないので、ここにいてください。静かにしていれば大丈夫ですから」
そうなのか?じゃあここにいよう。
ところで、山崎さんはここで何をしているのだろう?とっても聞きたいけど、静かにしていないといけないので、黙っていた。
黙っていると、旅館の中にいた人たちの声が聞こえた。
数人集まって話をしているようだった。
「京から追放され、軍資金も集めることができなくなった」
京から追放されって、この人たちは長州の人たちか?
「攘夷をするためには金は必要だ」
確かに。
「京じゃなくても、金を集めることはできるだろう。大坂とかで」
大坂も商業で栄えているから、京よりは集めやすいかもしれない。
「大坂だったら、鴻池家なんかどうだ?」
鴻池さんは金持ちだ。
「少し脅したら、金を出してくるだろう」
少しどころではなく、たくさん出してくるかも。
「よし、鴻池家から金を集めよう」
そうしよう!って、同調している時ではない!
「山崎さん、大変です。鴻池さんが襲われます」
「とりあえず、副長に報告しよう」
「で、なんでお前がいるんだ? いつから監察の仕事をやるようになった」
山崎さんと一緒に土方さんに報告したら、そう言われてしまった。
「今さっきからというか……」
「長州の人間が旅館に入ったので、話を聞こうと思い屋根の上に登っていたら気がつかれてしまって」
「邪魔をしたってわけだな」
「じ、邪魔してませんよ。ちゃんと情報を持って帰ってきたじゃないですか」
「山崎がな。お前のことだから、山崎さーんと言いながら手を振ったんだろう」
な、なんでバレてんだ?
「山崎はこういう仕事をする人間だから、見かけても知らんぷりしてろ。わかったな?」
「知っている人間がいるのに、知らんぷりするのも……」
そう言ったら、土方さんが怖い顔で睨みつけてきた。
「山崎が仕事できんだろうがっ!」
「わ、わかりました」
私が返事をしたら、怖い顔が元に戻った。
「奴らは、確かに鴻池家と言ったんだな」
「はい」
私が返事をしようとしたけど、怒られそうなので、山崎さんにおまかせした。
「鴻池をおそうとは、怖いもの知らずだな」
怖いもの知らずっていうことは……
「鴻池さんのお宅には、腕のいい用心棒かなにかいるのですか?」
「いや、おらん」
ええっ!押し借りウェルカム!状態じゃないか。
「どうするのですか?」
「鴻池さんが、なんで俺たちに良くしてくれているかわかるか?」
「気に入ったからですか?」
「ばかやろう。それだけで大金をバンっと出すわけねぇだろう」
確かに。
「何かあった時に、新選組とつながっていたら助けてもらえるからですかね」
山崎さんが土方さんの問いに答えた。
「その通りだ」
「すごいですね、山崎さん」
「お前がわかってないだけだ」
そうなのか?
「今こそ俺たちの出番だろう。ただ、年末で京の町も慌ただしい中、ほとんどの隊士を大坂に連れて行くわけにはいかねぇ」
確かに。今は猫の手も借りたいぐらい忙しい。
「向こうも2~30人ぐらいで押し借りはしねぇだろう。せいぜい2~3人、多くて5人ぐらいか」
「そうですね。今日も旅館の中には5人ぐらいしかいませんでした」
すごい、山崎さん。人数まで把握していたんだ。
「それなら、二人ぐらい鴻池家にいればいいだろう。お前たち二人だな」
「えっ、私もですか?」
「山崎の邪魔して一緒に話聞いたんだろ。最後まで責任を取れ」
「わかりました」
山崎さんは即答していた。
「新選組がいるとなれば、奴らは近づかないだろう。おびき寄せて捕縛したいから、店の人間として入り込め。鴻池さんには俺が手紙を書く。それを見せれば何とかしてくれるだろう」
「隊士じゃなくて、お店の人間になって、長州の人たちが来るのを待っていればいいのですね」
「そういうことだ。若い夫婦が住み込みで働いていることにしてもらおう」
若い夫婦?
「山崎さんが女装をするということですか?」
「いや、蒼良さんだと思うのですが。しかも女装ではなく、本来の姿になるってことだと……」
「や、山崎。なんで知ってんだ」
「あれ? 話していませんでしたっけ?」
「俺は聞いてないぞっ!」
というわけで、山崎さんの入隊前の出来事を簡単に話をした。
「そういうことなら仕方ねぇな。脈拍までごまかせねぇしな」
「この話は、他の人には内緒ですよ」
「わかっています」
「それにしても、もう何人ぐらい知ってんだ?」
ええっと……。指折り数えていると、途中で
「もういい」
と言われてしまった。
これ以上バレないように用心しなくては。
「とにかく、お前たち、頼んだぞ」
私と山崎さんは鴻池家に侵入して働くことになったのだった。
「蒼良はん、また破った」
一緒に働いている女の子、お玉ちゃんが言った。
鴻池家に侵入して数日が経った。
この日はすす払いという名の大掃除をしていた。
ほうきで天井を下からはいていたのだけど、勢い余ってほうきが横に倒れ、障子を破ってしまった。これでもう何回目だろう。
救いなのは、明日障子を張り替えるということだ。だから、明日になればどちらにしても破かれる運命なのだ。
「明日張り替えるし、大丈夫」
「そうやけど……もしかして、大掃除ってやったことないん?」
「いや、大掃除はあるけど、天井をほうきで掃くのは初めてかも」
「えっ、そうなん?」
って、ほうきで天井を掃くのはこの時代の常識なのか?
「蒼良、はかどっているか?」
山崎さんがやってきた。
いつもさん付けで呼ぶのに、呼び捨てで呼び捨てで呼んでいるのは、私たちは夫婦だからだ。
もちろん、本物ではない。
鴻池家に侵入し、例の浪士をおびき寄せるには、夫婦役で侵入したほうが相手にばれにくいだろうと、土方さんが判断したことだった。
名前は、特に変える必要もないだろうということで、そのままだ。
鴻池さんにも話し、喜んで協力してくれた。
そのおかげで、鴻池さんの遠い親戚で結婚したけど職がなく、夫婦で住み込みで働かせてもらっているという設定が出来上がった。
それは全然かまわない。むしろありがたい。ありがたいのだけど……
「蒼良、頬にすすがついている」
山崎さんは懐から手拭いを取り出すと、空いている手で私の顎をもって顔を持ち上げてきた。そして、優しくなでるように手拭いで私のほっぺを拭いてくれた。
その時の顔がとっても優しくて、ドキドキしてしまった。
「綺麗になったよ。あ、また障子を破ったのかい?」
破れている障子をちらりと見ながら山崎さんは言った。
「そうなんよ。もう何枚破ったんだか」
お玉ちゃんが言った。
「蒼良、気にしなくていいよ。どうせ明日張り替えるのだから」
山崎さんは、優しく私の頭をなでた。
「蒼良はんの旦那はんは、ほんまに優しいわ」
そう、とっても優しのだ。ドキドキするぐらいに。
「そ、そうかな?」
「わて、うらやましいわ。わても山崎はんみたいに優しい旦那はんが欲しいわ」
「お玉さんにもいい人ができますよ。私は旦那さんが呼んでいるので、もう行くよ。蒼良も頑張りすぎないように」
山崎さんは、優しく微笑むと行ってしまった。
夜になり、部屋に入ると、昼間とは別人になる山崎さん。
一応夫婦なので、一つの部屋で寝ているけど、話の内容は新婚さんとは全く別な世界の話だ。
「もう数日経ちますが、例の浪士、なかなか来ませんね」
山崎さんが布団の上に座って話してきた。
「確かに、鴻池さんに押し借りするって言ってましたよね」
「だから先に侵入して待っているのだが、なかなか来ない」
「待っていると、時間って長く感じるものなのですよ。気長に待つしかないですね」
「そういうことか」
山崎さんは、ため息をついた。
本当に昼間とは別人だ。
「蒼良さん、人の顔を見てどうしたのですか?」
「いや、昼とは全然別人だなぁと思ってしまって」
「それは、夫の役を演じているのですよ。鴻池さん以外はこのことを知らないし、他の人を巻き込むわけにもいかないでしょう」
「それもそうですね。でも、私、演技下手ですから、ばれたらどうしましょう?」
「だから、ばれないように私が演じているのです。蒼良さんは普通にしていてください」
山崎さんの邪魔をしないように頑張ります。
「蒼良はん、しわになるから、ぴんっとのばしぃ!」
次の日、予定通り障子の紙を張り替えた。
これが結構難しい。お玉ちゃんと二人がかりの作業だ。
「これで大丈夫かな?」
「大丈夫や。次はこっちの障子や」
鴻池さんの家は広い。よって障子もたくさんある。今日中に終わるのか?
「さっ、水拭きするで」
障子を外し、障子紙を破く。すると桟だけになる。それを雑巾で拭くのだけど……
現代なら水道というものがあり、そこからお湯が出る。
しかし、ここは江戸時代。水道なんて言う代物もなければ、お湯が出るというものもない。
井戸から水をくんできて、それで雑巾を洗って絞る。それがものすごく冷たい。
「ひぃっ、冷たいっ!」
思わず叫んでしまった。
「冬に水が冷たいのは当たり前のことやで」
お玉ちゃんは、何事もないように雑巾を絞って障子の桟を拭いていく。
私も早くやらなければ。冷たいのを我慢して雑巾を絞る。
拭いては絞り、絞っては拭きを何回か繰り返した。
もう手なんて真っ赤だ。
「蒼良、頑張っているかい?」
山崎さんがやってきた。
「手が真っ赤じゃないか」
山崎さんは、私の手を取ると、自分の両手で私の両手をはさんだ。
「少しでも温まるように」
ああ、ドキドキしてしまう。でもこれは芝居だ、芝居。私は自分に言い聞かせる。
「ほんまに蒼良はんがうらやましいわ」
お玉ちゃんがからかうように言ってきた。
うらやましいのか?これ全部芝居だぞっ!
「お玉さんも、早く結婚したらいい」
山崎さんが、私の両手をはさんだまま言った。
「いい相手がおればええのやけど」
「お玉ちゃんは、面倒見がいいから、きっといい人いるよ」
「そうかな?」
「うちの蒼良の面倒をよく見てもらっているし、大丈夫だよ。じゃあ、私は行くよ。蒼良も、しもやけに気を付けて」
山崎さんは、私の頭をなでて行ってしまった。
演技だと思っても顔は赤くなるし、ドキドキしてしまう。
「あ~あ、手がガサガサだ」
夜、部屋で自分の両手を広げてみて、つぶやいた。
今日の私、頑張った。何とか全部障子の張り替えを終わせた。
私一人の力ではないけど……
「この軟膏を塗るといいですよ」
山崎さんが塗り薬を手に取り、私の手に塗ってくれた。
「じ、自分でできますから」
こんな時まで演技しなくてもいいのに。
「綺麗な手をしていたのに、今日一日でこんなにガサガサになってしまって。疲れたでしょう」
私の手をもみほぐしながら塗り薬を塗ってくれる。それが気持ちよかった。
気持ちよくてうっとりとしていると、山崎さんが急に抱きしめてきた。
な、何?そう言おうとした時、耳元でささやかれた。
「誰かが部屋の外でこちらをうかがっている気配がする。しばらく私に身を任せてください」
私は山崎さんの腕の中でうなずいた。
「蒼良、かわいいね。好きだよ」
なっ、突然なんなんだ?びっくりして顔を上げると、山崎さんは、わたしを抱きしめたまま目で外の気配をうかがっている。
演技だ、演技。でも、こんな言葉言われ慣れてないので演技だとわかってもドキドキしてしまう。
「蒼良はどう思っているんだい?」
わ、私か?なんて言えばいいの?思わず山崎さんの顔を見てしまった。
早く。口がそう動いていた。
「は、恥ずかしいです」
素直に感想を言った。
「恥ずかしいだって? やっぱり蒼良はかわいい」
もうそれ以上言わないで。演技だとわかっていても、わりきれなくなりそう。
その時、急に山崎さんが私から離れた。
「どうやら、相手は行ったようです」
「この部屋をうかがっていたのですか?」
「そういう気配を感じました。多分、新婚の私たちの部屋を面白半分に見に来たのでしょう」
見に来るって、趣味が悪いな。堂々と見ろっ!って、そんな問題じゃないか。
次の日の朝、鴻池さんの家の中は、なんだかあわただしかった。
年末だからかな。のんきに思っていた。
しかし、それは違っていた。
「えっ、女番頭さんが管理していた店のお金が、巾着袋ごと無くなったって?」
「そうなんよ。朝番頭さんが見たら無くなっとったんやって」
お玉ちゃんはどこからか情報を仕入れたらしく、私に教えてくれた。
「誰がとったんだろう?」
「この家の中にいる誰からしいで」
「えっ、この家の中に犯人がいるの? 外から入ったのではなく?」
「そうや。外から入ってきた形跡はないらしいわ」
犯人と同じ家の中にいるって、なんかいやだなぁ。
そう思っていると、どたどたと足音を立てて数人が私の方へやってきた。
「あんたがやったん?」
気が付くと、その数人に私は囲まれていた。
私が犯人なのか?いや、違うだろう。身に覚えがない。
「私じゃないです」
「じゃぁ、なんでこの巾着があんたの部屋にあったん?」
その巾着は、初めて見たものだった。
それが私の部屋のあったのか?なんで?
「白状しいや」
突然、髪の毛を引っ張られた。
私は条件反射で、髪の毛を引っ張った人を背負って投げていた。
「なにするんや」
次々と私に襲い掛かってくる。何人かはよけたりやり返したりしたけど、私一人でこの人数ってどうなの?
「もうやめいっ!」
男の人の大きな声が聞こえた。
私に襲い掛かっていた手がどき、体も離れていった。
その先には、鴻池さんと女の人と山崎さんがいた。
「私は、やっていません」
鴻池さんと、山崎さんと、女の人と4人で別な部屋に連れていかれた。
女の人は、40代から50代ぐらいのきちっとした感じの人だった。
この人が、女番頭さんらしい。
「そんなん、わかっとるよ」
鴻池さんが優しく言った。
「蒼良はんはそんなことするお人やないってことは、一番ようわかっとる」
信じてもらえてありがたい。
「それに、今回のようなことは昨日今日始まったことではないんや」
女番頭さんが言った。
それって、そういうこと?
話を聞いてみると、私たちがここに来る前にも何回かあったらしい。
そのたびに犯人が変わり、犯人にされた人は表向きにはやめさせられたけど、犯人ではないとわかっていたので裏で鴻池さんが次の就職先を世話していたらしい。
「ほんまの犯人がおるはずなんや。でも、なかなか捕まえることもできん」
鴻池さんは、本当に困っているみたいだ。
「旦那はんから聞きました。あんさんら、新選組のお人なんやろ? それなら、ほんまの犯人を捕まえてほしいんや。お店の金はのうなるし、優秀な人はやめさせられてしまうし、うちにとっては厄介なことばかりや」
女番頭さんのほうが困っているようだ。
どうしよう?犯人捜しするのかな?山崎さんを見ると、目が合った。
「わかりました。もしかしたら、裏に長州の人間がいるかもしれない。引き受けましょう」
そうか、そういう方法でお金を取ることもあるのか。
「おおきに。蒼良はんは、しばらくわてのそばで働いてもらうさかい」
鴻池さんが嬉しそうに言った。
「それにしても、あんさんはほんまに男なん? どこからどう見ても綺麗な女にしか見えんけど」
女番頭さんがまじまじと私の顔を見た。
「お……」
女ですけど。そう言おうとしたら、
「新選組に女はいないので、彼も立派な男です」
と、素早く山崎さんが言った。
そうだった。今の私は女装をしている男の役だった。
「わぁ、たくさんの船があるのですね。しかも大きい」
大坂は商業の街だ。
川と海があるので、荷物をたくさん下ろしたり積んだりできる。だから、物も流通する。
この日は、買った商品が運ばれてくるというので、鴻池さんと一緒に港に来ていた。
「あっちは異国の船や」
「イギリスの船ですね」
「蒼良はん、わかるんか?」
「国旗がイギリスのものです」
「そこまでわかるんか?すごいわ。あっちは?」
「フランスですか?」
「そうや。開国してからたくさんの異国の船が来るようになり、色々なものが日本に入ってきた。嫌がる人もおるけど、異国の物は便利なものもあるし、珍しいものもあるし、わては好きやな」
鴻池さんは、外国の船を見ながら言った。
「今日は何を仕入れたのですか?」
「内緒や。あんさんに帰るときに持たせてやるさかい」
「本当ですか? じゃあ、楽しみにしています」
「今度こそ、あんさんの知らんものやったらええけど」
いつも珍しいものを出してきては、私に物を当てられてしまうため、最近は鴻池さんから、今度は知らんもの出したるという感じで勝負されているような感じもする。
ところで、私に持たせてくれる珍しいものって何だろう?
鴻池さんの家に帰ると、なんと、もうお金を盗んだ犯人が分かった。
山崎さんが色々と中で調べていたらしい。
「あなたがやりましたね」
山崎さんがそういった相手は、なんと、お玉ちゃんだった。
「お玉ちゃんが犯人なのですか?」
「うちやない。何を根拠にそんなこと言うんや」
お玉ちゃんも否定している。
「まず、女番頭さんから色々聞かせてもらいました。そして、誰がお店に出入りをしているときにお金が無くなるか、調査しました。そしたら、お玉さんがお店の掃除に入った時に必ずなくなっていることがわかりました」
自信満々で山崎さんが言った。
「それだけで、わてがやったって言えんよ」
確かに。
「それから、過去に犯人にされた人間を調べると、みんなあなたと仲の良かった人ばかりでした」
そうなのか?
「そして、徹底的な証拠はこれです。私たちの部屋のところに落ちていました」
山崎さんが出したのは、べっこうでできた高そうな簪だった。
「そ、それ、わてのやない」
そういったお玉ちゃんは、明らかに動揺していた。
「いや、あなたのです。あなたが付き合っていた男性からもらったもの」
「ちがう。つきおうていた人なんておらん」
「あなたの物ではないのなら、燃やしてもかまいませんね」
山崎さんの手には、燭台があり、それに火がついていた。
その火を簪に近づけた。
「いややーーやめてーー」
もう少しで簪に火がつくというとき、お玉ちゃんは叫んで山崎さんから簪を奪い取った。
「お玉ちゃんがやったの?」
私は、簪をもってうずくまっているお玉ちゃんに言った。
「そうや。わてがやったんや」
「どうして?」
お玉ちゃんの言葉が信じられなかった。
仲良くしてくれたのに、どうして?
「うらやましかったんや。蒼良はんにはあんなにいい旦那はんがおるのに、なんでわてには誰もおらんのやろうって」
「いないのではないだろう」
山崎さんが冷たく言った。
「正確にいうと、あなたにも付き合っている男性がいた。その男性は、あなたに金を要求した。これだけ持ってくれば、結婚しようって。あなたは、働いたお金を出していたけど、相手の男性の言う金額がだんだんと高くなり、働いた分だけで足りなくなってきた。もう無理だと相手に言った。相手は、別れを切り出してきた。別れたくなかったあなたは、とうとう店のお金に手を出した。そして、自分の近くにいる幸せな人を犯人に仕立て上げた」
すごい。いつの間にそこまで調べ上げたんだ?
「そうや。結婚する約束してるんや。必ず戻ってくるさかい、戻ってきたら結婚しよう言うたんや」
戻ってくる?
「お玉ちゃん、相手の人はどこかへ行っているの?」
「ちょっと用事ができたから、郷里に帰ってるんや」
「それも嘘でしょう」
山崎さんがまたもや冷たく言い放った。
「ほんまやっ! この簪やて、結婚の約束をしたしるしやってくれたんや」
「本当にべっこうだと思っているのですか?」
山崎さんは、お玉ちゃんから簪を取り上げ、火に近づけて燃やし始めた。
「いややっ! うちの大事なものなんや」
簪は綺麗に溶けるように燃え尽きた。
「これはべっこうではない。べっこうだったら髪の毛を燃やしたようなにおいがする。これはにおいがなかった」
確かにそういう匂いはしなかった。
「その男性が戻ってくることはないでしょう。郷里に帰るといいながら、別なところに行き、すでに奥さんもいました。あなたと出会う前に結婚したそうです」
「うそや。約束したんやで」
「お玉ちゃん、目を覚まして。本当にお玉ちゃんのことが好きだったら、お玉ちゃんが困るようなことはさせないと思うよ。お金を持ってこさせるなんて、とんでもないよ」
私がお玉ちゃんの背中をさすると、払いのけられてしまった。
「やめてっ! あんたには私の気持ちなんてわからへんのや」
「確かに、お玉ちゃんの気持ちなんてわからないよ。でも、その男の人が悪人だってことはわかるよ」
「悪人やない。優しい人や。なんてこと言うんやっ!」
お玉ちゃんは立ち上がって私のほっぺをたたこうとした。
たたかれる。そう思って目を閉じたけど、その手が強くほっぺに当たることはなかった。
目を開けると、山崎さんがお玉ちゃんの手をつかみあげていた。
「いい加減に目を覚ましなさい。偽物の簪を渡し、結婚するからと利用するだけ利用されたのことがまだわからないのですか? いや、わかっているはず。認めたくないのですか? でも、これが現実です。認めなさいっ!」
山崎さんが言うと、お玉ちゃんは泣き叫んだ。
「うちは、あん人のこと、好きやったんや。信じたかったんや」
私は、お玉ちゃんを抱きしめた。
「お玉ちゃん、たくさん泣いたほうがいいよ。涙は心の傷をいやしてくれるから。たくさん泣いて、すっきりしよう。私の肩貸してあげるから」
「蒼良はん、悪い事してしもうて、ごめんな」
「もういいよ。お玉ちゃん一人が悪いわけじゃないんだから」
お玉ちゃんは、しばらく私の肩で泣いていた。
その後、お玉ちゃんは事情が事情だから、奉行所に連れていかれることはなかった。
でも、店のお金に手を出したことは事実なので、鴻池さんのところにはもういられない。
鴻池さんは、お玉ちゃんの事情を知り、自分の知り合いのところを紹介し、そこで働くことになった。
「もう変な男に引っかからんようにするわ。ええ勉強になったわ」
お玉ちゃんは、やっとその男から解放されたらしい。すっきりとした感じになっていた。
そういえば、長州の人たちの押し借りはどうなってんだ?ここに来ることになっているのだけど、いまだに長州のちの字も来ない。
「お玉ちゃんをだましていた男性が、長州の人だったのですか?」
「私もそう思って、徹底的に調べたのですが、長州とは無縁の人でした」
「それにしても、よくあれだけ調べ上げましたね。どうやったのですか?」
「それは、蒼良さんにも、教えることはできません」
ケチだなぁ。減るもんじゃないし……
「あんさんらに手紙やで」
鴻池さんが直接私たちに手紙を持ってきた。
山崎さんが一通り読み、
「鴻池さん、お世話になりました」
といった。なんだ?
鴻池さんも事前に知っていたみたいで、
「あんさんらと別れるのは辛いけど、また大坂に来た時はここによってや」
といった。
「急にどうしたのですか?」
事情が全く分からない私は聞いた。
「例の長州の人間ですが、たまたま巡察をしていた沖田君が見つけて全部片づけたらしい」
えっ、そうなのか?さすが剣豪、沖田 総司。
あれ?ちょっと待って。ということは……
「ここには来なかったけど、円満解決したっということですね」
「そういうことになる」
しかも、私たちが鴻池さんの家に着いた時には、もう沖田さんが片づけちゃったらしい。
この時代、通信手段が手紙しかなく、出したらいつ届くかもわからない状態だから、仕方ないっていえば仕方ないけど……
携帯電話とかあったら、鴻池さんの家の大掃除をしなくてもよかったのでは?
「蒼良さん、色々と言いたいことがあると思いますが、鴻池さんの手前なので、胸のとどめてください」
山崎さんに、小さい声で耳元で言われてしまった。
「そうや、帰るときに渡すものがあるんや」
そういえば、そういうことを言っていたなぁ。
「わぁ、万年筆ですね」
鴻池さんが出してきたものは、イギリス製の万年筆だった。
「なんや、これもしっとったんか?」
「文字を書くものです。筆で文字を書くのが苦手だったので、嬉しいです。ありがとうございます」
「筆で文字を書くのが苦手って、何で文字を書いとったんや」
「シ……鉛……手ですかね?」
シャーペンと言おうとして、この時代には絶対にないことに気が付き、鉛筆と言おうとして、これもないだろうなぁと思い、思い余って言ってしまった。
「手?!」
山崎さんと鴻池さんが声をそろえていった。
「と、とにかく、これからはこれで字を書きますね」
そういって、ごまかした。
屯所に帰り、万年筆で半紙に文字を書いたのだけど……
筆ほどではないけど、シャーペンとかと比べるとやっぱり書きにくい。
半紙が薄く、万年筆の先がとがっているので、何か所か穴をあけてしまった。
「お前、何してんだ?」
「見てわかりませんか? 字を書いているのです」
「俺には、その変なもので穴をあけているようにしか見えないが」
やっぱりそう思うのか?私も自分でそう思ってしまった。




