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幕末へ タイムスリップ  作者: 英 亜莉子
文久3年12月
78/506

インフルエンザ

「今日は体の節々が痛くて……」

 稽古中に道場で藤堂さんが私にそう言ってきた。

「寒くて関節が痛いという年寄りみたいですね。大丈夫ですか?」

「うん、大丈夫だよ」

 そういう藤堂さん。でも、大丈夫そうに見えない。顔色も悪いし。

「熱でもあるんじゃないですか?」

 手をおでこに当ててみた。なんか熱いような感じもするのだけど、私の手が冷たいからそう感じるのかな?

 思い切って、私のおでこを直接藤堂さんのおでこにつけた。

「そ、蒼良そらな、何を?」

「熱を測っているのですよ。手じゃわかりにくかったので」

「私は、ここで接吻をされるのかと……」

 せっぷん?あ、キスのことか。って……

「な、何を言っているのですかっ!」

「いきなり顔を近づけてきたから。今も、相当近いけど……」

 しまった。おでこをつけながら話をしていた。

「体温計があれば分かるのだけど、なんか熱があるんだかないんだか、わからないや」

「たいおんけい?」

「体温を測る道具ですよ」

 この時代はまだないのか?

「おい、お前ら何してんだ?蒼良、土方さんという人がいながら、平助に浮気するとは」

 永倉さんが、竹刀を持って近づいてきた。

「なに言ってんですかっ! 土方さんとは何でもないですよ。永倉さんが島原で変なこと言うから、土方さんに怒られたじゃないですか」

 ちょっと前の話だけど、土方さんが女より男の方に興味があり、しかも、表向き男である私と出来ているなんて噂を島原で流したものだから、土方さんあてのラブレターが一気に減った。今じゃほとんどもらっていないかも。

 ラブレターが減ったのは私のせいではないけど、毎日来ていたのがほとんど来なくなったので、ブツブツと私に文句を言っている。

「土方さんばかり人気があるから、ちょっといたずらしただけだよ」

「いたずらするのはいっこうに構いませんが、私を巻き込まないでくださいよ」

「悪い悪い」

 全然謝っているように見えないのだけど……

「ところで、平助。顔色悪いけど、どうした?」

「体の節々が痛くて……」

「それで、私がおでこを当てて熱を測っていたのですよ」

「そうか。てっきり接吻でもしているかと思ったぞ。どれどれ……」

 永倉さんは、大きな手を藤堂さんのおでこにおいた。

「おい、すごい熱だぞ。早く寝ろっ!」

 すごい熱だったのか。私の手とおでこはなんて鈍感なんだ。

「いや、大丈夫。たいしたことないよ」

 藤堂さんは立ち上がったけど、全然大丈夫そうに見えない。

「私、布団敷いてきますね」

 私は藤堂さんの寝ている部屋に向かった。


 布団を敷くと、永倉さんにささえられて藤堂さんが運ばれてきた。

「みんな大げさだな」

 そんなことを言いながらも、横になった藤堂さんは、目をつぶった。

 体の節々が痛いって言っていたけど、変な病気じゃなければいいけど。

「藤堂さん、大丈夫ですかね」

 永倉さんに聞くと、永倉さんは何かを考えている様子だった。

「どうしたのですか?」

「いや、別な隊士も、体の節々が痛いといって、熱出していたことを思い出してな」

 これは、うつるのか?

 この症状は、どこかで聞いたことがあるような……

 体の節々が痛くて、高熱が出る。これって……

「インフルエンザ!」

「いんふるえんざ?なんだ、そりゃ」

「体の節々が痛くて、高熱が出る病気ですよ」

「平助の症状にあっているな。それは、新しい病気なのか?」

 この時代にとっては新しい病気なのか?でも、現代でも新型インフルエンザとか言って新しいものもあるし。

「新しい病気なのでしょうか?」

「蒼良が変な名前言ってただろう」

「これより前に同じ症状の人がいれば、新しくないと思うのですが……」

 江戸時代にインフルエンザがあったのか?私が聞きたい。

「アメリカ風邪だろう」

 土方さんの声が聞こえた。

「道場に行ったら、平助が具合悪いって聞いたから、様子を見に来た」

「アメリカ風邪か?蒼良は変なことを言っていたが」

「この症状はとう見てもアメリカ風邪だろう。異国の人間が持ち込んだ風邪だ」

「インフルエンザじゃないのですね」

「なんだ、その変な名前は」

「さっきも、蒼良がそう言ってたんだ。そんなに似ているのか?アメリカ風邪とその病気は」

「はい。ほとんど同じですね。薬を飲めば治るのですが」

 タミフルなんて、現代でも最近できた薬だって聞いたから、この時代にあるわけないよね。

 ああ、タミフルがあれば。その前に、インフルエンザかどうかわかる検査ができれば。

「薬って、どういう薬だ」

「タ……ウイルスを殺す薬です」

「ういるす?」

 カタカナ語を使ってしまった。

「菌ですよ、菌! 体に悪いことをする菌を殺す薬です」

「そんな薬があるのか?」

 土方さんが驚きながら聞いてきた。

「石田散薬じゃありませんよ」

「あたりまえだ、遊んでいるのか?」

「遊んでなんかいませんよ」

「で、その薬はどこにある? あれば平助に飲ませてやらないとな」

「でも、それは、アメリカ風邪の薬ではないのです」

「なんだと? そのへんな名前の病気の薬なのか?」

 変な名前って……

「そうですけど」

「でも、症状が似ているのだろう? 効くかもしれねぇ」

 効くかもしれねぇって、効かなかったらどうするのだ?

「土方さん、アメリカ風邪の薬じゃないらしいし、変な薬飲ませて平助がおかしくなってもいけないだろう」

「そりゃそうだな」

 どうやら、タミフルの出番ではないらしい。あったとしても、この時代にはないからどうしようもないのだけど。


 それからお師匠様に聞いたりしたところ、アメリカ風邪とインフルエンザは同じものらしい。

 なんと、インフルエンザは平安時代からあったみたいで、その時代時代で名前が変わったらしい。

 ちなみに、アメリカ風邪は、開国した日本にアメリカ人が持ち込んだ風邪という意味で付けられたらしい。

 たまたまインフルエンザの流行と、開国が重なったからだと思うのだけど。

 これらのことを含めて考えると、藤堂さんはやっぱりインフルエンザになったということになる。

 そして、この時代は薬がないので、安静にして滋養のあるものを食べさせるしか治療方法がない。

 お師匠様が

「滋養があるものと言ったら、肉だ」

 と言った。

「この前みたいに、変な臭いものを持ってこないでくださいね」

「なんだ、変な臭い物って」

 江戸にいた時にあんたが沖田さんに持ってきただろう。

 しかも、沖田さんじゃなく、永倉さんが食べたものだから、夜中じゅう暴れて大変だったとか。

 そんなこともあったので、今回はものすごく無難な豚肉を持ってきた。

 その豚肉を持って、台所にいる佐々山さんに持っていったのだけど、どう調理していいかわからないらしい。

 この時代、肉食の風習はなかったので、調理方法を知らないのも普通のことなのだ。

 どう調理したら食べてもらえるだろう?生姜焼きとか、いかにも肉!って感じのものだったら食べないだろう。

 何かに混ぜて調理したらいいのかもしれない。しかも、熱があっても口に入れやすい液体のようにすればいいのかもしれない。

「豚汁にしましょう」

「とんじる?」

 その言葉を初めて聞いたのか、佐々山さんに聞き返された。

 調理方法を説明すると、

「それなら、熱があっても口にしてくれるかもしれないですね」

 と言って、作るのを手伝ってくれた。


「藤堂さん、起きてますか?」

 そろっとふすまを開けると、熱でうなされているのか、ちょっと苦しそうな顔をして藤堂さんが寝ていた。

 汗をたくさんかいていたので、手ぬぐいで軽く拭き、おでこにのせていた濡れた手ぬぐいが温かくなっていたので、水でしぼってのせたら、藤堂さんの目があいた。

「あ、起こしてしまいましたね。すみません」

「手ぬぐいが冷たくて気持ちいい」

「まだ熱があるのですね。大丈夫ですか?」

「うん。寝たら少し楽になったかな」

「食欲はありますか?」

「あまりないかな」

 熱があるときは、食欲はなくなるものだ。

「豚汁を作ったのですが、飲みますか? 滋養があるものを食べるのがいいと聞いたので、お師匠さまが豚肉を持ってきてくれたのです。それを、藤堂さんでも口にできるように、豚汁にしてみました」

「そうなんだ。初めてだな、その豚汁とかいうのを食べるの。汁だから、飲むのかな?」

「具がたくさん入っているので、飲んで食べるものですね。起きますか?」

 私は、藤堂さんが上半身を起こすのを手伝った。

「ずうっと寝ていたから、フラフラするよ」

「熱のせいですよ。何から食べますか? にんじんですか? 芋ですか?」

 私は、豚汁の具を箸でつまんで、藤堂さんの口に運んだ。

「蒼良が作ったの?」

「そうです。佐々山さん、肉の料理を作ったことがないみたいで」

「おいしい」

「ありがとうございます」

 そう言いながら、また別な物を藤堂さんの口に運んだ。

「まさか、蒼良に食べさせてもらえるとは思わなかったな」

「だって、置いていったら食べないでしょう?」

「うん、食欲がないから、そのままにしていたな」

「それだといつまでたっても、良くならないですからね」

 何回か食べさせて、最後汁まで飲ませた。

 見事に完食してくれた。

「蒼良、ありがとう。ごちそうさま」

 藤堂さんが横になろうとしたので、私はそれを手伝った。

「体が温まったよ」

「それは良かったです。早く治してくださいね」

 藤堂さんのおでこに濡れた手ぬぐいをのせると、気持ちよさそうに目を閉じた。

 しばらくすると、寝息が聞こえたので、そろっと空の器を持って部屋を出た。


 何回か藤堂さんの寝ている部屋へ看病に通った。

 部屋へ行くたびに、藤堂さんは元気になっていった。

 そして、数日後。熱も下がって完治した。

「蒼良のおかげで治ったよ。ありがとう」

「治ってよかったです」

 しかし、今度は私の体の節々が痛くなった。

 もしかして?とも思ったけど、病は気からって言うし、気合で治ると思い、道場で稽古している途中で意識がなくなった。


「あれ?」

 目が覚めたら、布団の中にいた。

「あれ? じゃねぇっ! 自分の健康状態もわからんのか」

 土方さんが、濡れた手ぬぐいをおでこにのせてくれた。

「冷たくて、気持ちいいです」

「それは、熱があるからだ。アメリカ風邪だ。平助のがうつったんだろう」

 アメリカ風邪……インフルエンザか。

 そうだ、インフルエンザは感染するのだった。

 藤堂さんの看病をしていたから、うつったのだろう。

「安静にしてれば治る。だから、おとなしく寝てろ」

「はい、そうします」

 私は目を閉じた。

 短い夢を見て目が覚めると、藤堂さんがいた。

「蒼良、私のせいで申し訳ない」

「そんな、謝らないでください。寝れば治るし、大丈夫ですよ」

「私に看病させて欲しい。とりあえずだけど、おかゆを持ってきたから。食べれる?」

 食欲はない。けど、食べないと治らないだろうなぁ。

 上半身を起こそうとしたら、藤堂さんがささえてくれた。

「蒼良、口を開けて」

 藤堂さんは、さじ、現代で言うとスプーンにお粥を入れて、私の口元まで持ってきた。

「じ、自分で食べれますよ」

「でも、蒼良も私に食べさせてくれたから」

 なんか恥ずかしいな。けど、甘えちゃおうかな。

 私は、藤堂さんにお粥を食べさせてもらった。

「なんか、恥ずかしいです」

 顔がかっかと熱い。

「本当だ、顔が赤いよ」

「ね、熱のせいですよ」

「どれどれ?」

 藤堂さんは、私のおでこに手をのせた。

「藤堂さんの手、冷たくて、気持ちいいです」

「蒼良のおでこは熱いよ。高い熱が出ているのだね」

 しばらく、おでこに手をのせたままにしていた藤堂さん。

「おいっ! 人の部屋で何イチャイチャしてんだ」

 ばんっ!と大きな音を立ててふすまがあき、土方さんが入ってきた。

「子供じゃねぇんだから、一人で食えるだろう」

「私も、蒼良に食べさせてもらったので、お礼です」

「土方さんが倒れたら、食べさせてあげますよ」

「うるさいっ! 病人のくせに、変なこと言うな」

 変なことを言ったか?

 藤堂さんのおかげでお粥を完食することができた。

「そういえば、天野先生に会ったぞ」

 土方さんが、着物の中から何かを探しながら言った。

「お師匠様にですか?」

「ああ。お前が寝込んでいると言ったら、これを食わしてくれって渡された」

 そう言いながら土方さんが出してきたものは、見覚えがあるものだった。

 赤黒くて、生臭い。

「も、もしかして、これは……」

「牛の肝だ」

 や、やっぱり。

「わ、私は元気ですので、そんなものを食べなくても大丈夫ですよ」

「何言ってんだ。まだ熱があるだろう」

 お師匠様、なんでこんな変なものをよこすのですかっ!

「牛の肝は高価なものなんだぞ。めったに手にはいらねぇし、高級品だ。食わねぇとバチがあたるぞ」

「バチでもなんでも当たってもいいので、食べません」

「お前、何馬鹿なことを言ってんだ?」

「こんな臭くてまずそうなもの、絶対に食べたくないです」

「まずいかどうか、食べねぇとわからねぇだろう。栄養もあって、美味しいぞ」

「土方さんは、食べたことがあるのですか?」

「いや、ない」

 ないのになんで味がわかるんだ?

「息止めて、丸のみすりゃ大丈夫だ。平助、水もってこい」

「はい」

 しばらくすると、藤堂さんは水を持ってきた。

「これで流し込め」

 土方さんに言われ、牛の肝を口元に持ってきたけど、うう、やっぱり匂いが生臭くてダメだ。

「やっぱり無理です」

「とっとと食いやがれっ!食わねぇと斬るぞ」

「これ食べるぐらいなら、斬られてもいいです」

「おい、泣くな」

「泣いてませんよ」

 おそらく、熱で目がうるんでいるのだろう。

 土方さんとやり取りするだけで、クラクラしてきた。

「お前も強情な奴だな」

「これ、食べ物じゃないですよ、絶対」

「いや、立派な食いもんだ。食えっ!」

「む、無理です」

 しばらく、食えっ!無理ですのやり取りが続く。

 藤堂さんはどうしていいのかわからないらしく、黙って成り行きを見ている。

「お前の気持ちはよーくわかった」

 よかった、やっとわかってくれた。

「副長命令だっ! 食えっ!」

「無理ですっ!」

「お前、副長命令がどんなものかわかるか?」

 どんなものなのだ?

「副長に逆らうことは、士道にそむくことになる。どういうことかわかるか?」

 そんな禁則があったような……

「切腹だ」

 ひいいいいっ!

「これ食べんのと、切腹するのと、どっちがいい?」

 究極の選択じゃないかっ!

 切腹もいやだし、食べるのもいやだ。

「蒼良、牛の肝を食べなくて切腹なんて、かっこわるいと思うけど」

 藤堂さんが水を出しながら言った。

 確かに、切腹もいやだ。

「土方さん、卑怯ですよ。迷うじゃないですか」

「お前、それで迷うのもどうかと思うぞ。他の人間は、絶対に牛の肝を食べる方を選ぶと思うが」

「わかりました、食べますよ」

 切腹は、命を落とすことだ。そんなことで命を落としていたら、いくつあっても足りない。

「よし、食え」

 土方さんから、牛の肝をもらった。

 匂いをかがなければ、大丈夫だよな。

 息を止めて、水で流し込もう。

 牛の肝を一気に口に入れた。水で流し込もうとしたら、

「よく噛まねぇと、喉に詰まるぞ」

 と、土方さんに言われたので、涙目になりながらもぐもぐと息を止めて噛んだ。

 藤堂さんから水の入った湯呑をもらい、一気飲みをして流し込んだ。

「た、食べましたよ」

 水で流し込んでも、口の中が生臭い。

「よく食べたな。あとはゆっくり寝ろ」

 土方さんに、ポンポンと軽くたたくように頭を撫でられた。

 

 横になって目を閉じると、短い夢を見た。

 目を開けると、土方さんがいて、汗を拭いたり濡れた手ぬぐいをのせたりしてくれた。

 それを見ると何故か安心をし、再び夢の中へ。

 そんなことを何回か繰り返した。

 繰り返すたびに、体が楽になっていった。起きている時間も長くなってきた。

 そして、私のインフルエンザも完治した。

「牛の肝のおかげだぞ。天野先生に礼を言っとけ」

 なんで牛の肝なんて持ってきたんだ?なんか恨みでもあるのか?私も、藤堂さんの時みたいに豚肉が良かった。

「不満そうな顔してんな」

「あれ、本当に臭くて美味しくないですよ。土方さんもいっぺん食べてみるといいですよ」

「俺は、遠慮する」

「土方さんに私のアメリカ風邪がうつったら、食べさせてあげますよ」

 ふふふ、仕返ししてやる~。

 というわけで、土方さんがインフルエンザになるのを待っていたけど、なかなかならなかった。

 そして、隊内のインフルエンザの流行が下火になった。

「なんで土方さんはアメリカ風邪にならなかったのですか?」

「お前と日頃の行いが違うんだ」

 そうなのか?あ、それとも、こっちかも

「バカは風邪ひかないって言いますよね」

 私が言ったら、しばらく沈黙が流れた。

「お前っ! 俺がバカだと言いたいのか?」

「いや、誰もバカだとは言ってませんよ。風邪をひかないから、もしかしたらって……」

「やっぱり言ってんじゃないかっ!」

 いや、そんなつもりは……少しあったりする。

「お前の言い分が通ったら、天才は風邪ひくのか? どうなんだ?」

「天才でも、ひかない人はひかないと思いますが……」

「でも、ひかねぇ人間は馬鹿なんだろ? えっ? どうなんだ?ってことは、お前は大天才か? おい、どうなんだ?」

「そうですよ、私は大天才ですよっ! 文句ありますか?」

「ほほっ! お前が大天才なら、俺は大大天才だな」

「なに言ってんですか。風邪ひいてないからバカですよ」

「お前っ! 副長に向かってバカって言ったなっ!」

 そんな言い合いをしている時、永倉さんとかが

「なんか、子供の喧嘩みたいだな」

 と言っていたそうな。

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