カフヒを飲む
11月16日、一橋 慶喜公が大坂城に入城するため、警護のために同行した。
「一橋 慶喜公?」
誰なんだろう?
「もしかして、お前知らんのか?」
いつもどおりに土方さんが反応した。
「徳川 慶喜なら聞いたことありますが」
江戸幕府の最後の将軍だ。
「徳川姓を言う時は、公をつけろっ!呼び捨てするな」
「はい、すみません」
現代では、みんな呼び捨てなんだけど、この時代では徳川家は名門の中の名門に入る。当たり前か。
「で、一橋 慶喜……公って、誰ですか?」
「お前、今、公をつけるの忘れそうになったな」
「はい、すみません」
「将軍後見職についているお方だ。家茂公が上京するときに家茂公より先に上京して朝廷と交渉したりしたらしい。幕府の中でもかなり力を持った方だ」
徳川 慶喜とは違う人間なのか?でも、一橋だから、違うのかな。
「わかったか?」
「ところで土方さん、将軍後見職って……?」
「お前……少しは勉強したほうがいいぞ」
これでも歴史は得意だったのだけどなぁ。
ちなみに、将軍後見職とは、京都守護職と同じように幕府の役職名らしい。
無事に慶喜公は大坂城に入った。
それを見届けてから、大坂に来ると利用する旅館、京屋に入った。
「大坂に来たから、鴻池さんのところに挨拶に行かないとな。おい、ついてこい。なぜか、鴻池さんはお前がお気に入りだからな」
「私も好きですよ。鴻池さんのところに行くと、色々なものを出してもらえるので」
過去には、カステラとかビールとか出してもらった。さすがにビールは飲めなかったけど。
ちなみに、鴻池さんは、現代で言うと新選組のスポンサーだ。色々と援助してもらっている。
大坂に来た時は挨拶に行っている。今回も、土方さんと挨拶に行くことになった。
「なんだ? 焦げ臭いな」
鴻池さんのところに行くと、私の知っている匂いがしていた。
しかし、この匂いを土方さんは知らないらしい。
「コーヒーですよ」
「こおひぃ?」
「おお、さすが蒼良はん、知ってはったんか?」
奥から鴻池さんが出てきた。
「はい」
「なんや、今度こそ知らんやろう思うてたのに。ささ、あがりや」
鴻池さんに言われ、私たちは奥に入った。
奥に行くと、湯呑にコーヒーを入れて出してくれた。
「カフヒ言うてな、欧米の飲みもんらしい。一度飲んでみ」
「では、遠慮なく」
土方さんが湯呑に口をつけて一口のんだ。
その瞬間、むせていた。
「ゲホッ! なんだ、ずいぶん苦いが本当に飲み物なのか? 色も真っ黒だし」
「そうなんや。その苦味がいいらしいんやけど、苦すぎて飲めんさかい、手を焼いとるんや」
「たくさんあるのですか?」
私が聞くと、
「珍しいさかい、多めに仕入れたんや」
と、困った顔で鴻池さんが言った。
確かに、コーヒーをそのまま飲むと苦いよね。
「牛乳と砂糖ありますか?」
「牛乳って、お前、それは薬だぞ」
江戸時代では、牛乳は薬なのか?
「飲むと牛になるぞ」
土方さんが、真面目な顔で信じられないことを言うので、思わず笑ってしまった。
「笑い事ではないぞっ! 俺はそう聞いたんだ」
「牛乳飲んで牛になっていたら、私なんて、とっくの昔に牛になってますよ」
「お前、飲んだことあるのか?」
「給食で毎日飲んでましたよ」
「きゅうしょく?」
しまった。この時代にはなかった。
「昼食です。小さい時に寺子屋で昼食になると飲んでました」
「蒼良はん、すごい寺子屋に行ってたんやな。欧米で牛乳は普通に飲まれとるんや。うちのも少しあるけど、それをどうするんや」
「カフイでしたっけ?これを飲みやすくしますよ」
コーヒーが苦ければ、牛乳入れてカフェオレのようにすれば飲めるかも。
しばらくすると、牛乳と砂糖が運ばれてきた。
私はコーヒーに砂糖と牛乳を入れてかき混ぜた。
「これで苦味は取れたと思いますよ」
「どれどれ」
鴻池さんが一口のんだ。土方さんも、恐る恐る湯呑に口をつけた。
「ほんまや。さっきの苦味が全然ない」
「これなら少しは飲めるな。」
「好みで砂糖の量を増やしたりすると、また飲みやすくなると思いますよ」
「蒼良はんのおかげで、カフイを捨てずに済みそうや」
「でも、俺はやっぱり茶がいいな」
「日本人やさかい、うちも自分とこの茶が一番うまいって思うわ」
「カフイは、カフェインがあるので、眠くなった時の飲むと、目が覚めると言われてますよ」
「かふぇいん?」
2人が口を揃えて聞いてきた。
「簡単に言うと、成分というか、薬のようなものというのか。とにかく、そういうものが含まれているのです」
「目を覚ますのにええんやな。こういう飲み方なら飲めそうやさかい、飲んでみるかな」
「利尿作用というか、ト……厠が近くなるので、気をつけてくださいね」
「頻繁に厠に行きたくなることもあるってことだな」
「そういうことです」
「だからお前は飲まないのか?」
「えっ?」
「飲んでないだろうが。お前も飲め」
確かに飲んでなかったけど……
土方さんの言い方が、道連れにしてやると言っているように聞こえるのは、気のせいでしょうか?
カフェオレのようなものなら私も飲めるので、一気に飲んだ。
なぜか二人からおおっ!という歓声が聞こえた。
コーヒー一気飲みしただけで歓声を受けるとは思わなかった。
京屋に帰ると、源さんがいた。
しかも、なぜか中腰でいた。
「源さん?」
「あっ、帰ってきたか。いいところに来てくれた」
「もしかして、またやったのかい?」
土方さんが楽しそうに聞いていた。
「歳、お前、人の不幸を楽しんでいるだろう」
「えっ、源さん、何をやったのですか?」
「蒼良、わからないか? またギクッて」
ぎっくり腰か?
「だ、大丈夫ですか?とりあえず、横になりましょう」
動かそうとすると、源さんは激しく痛がった。
「土方さんも、笑ってないで手伝ってくださいよ」
「笑っちゃいねぇよ。前もやったのだろう? その時はどうしたんだ?」
あの時は確か山崎さんを呼んだのだった。
「前の時に来てくれた鍼の人呼んできますね」
私は京屋を出て急いで山崎さんの鍼灸院のところに行った。
前に来た時のことを思い出しつつ、山崎さんのところについた。
「すみません」
戸を開けると、年配の人と山崎さんがいた。
「どうした?」
年配の人に声をかけられた。
「ぎっくり腰になってしまって動けない人がいるのです」
「私が行きますので、父上は約束があったところに行ってください」
「わかった」
年配の人は、山崎さんのお父さんらしい。
「また、京屋さんか?」
「はい。お願いします」
私は山崎さんを連れて京屋へ戻った。
源さんは、またもや私が出た時と同じ姿勢でいた。
「土方さん、なんで寝かしてあげないのですか」
「動かすと痛がるんだ。何もできねぇだろう」
確かに。でも、土方さんが楽しんでいるように見えるのは、気のせいか?
「ここにつかまってください」
山崎さんは、またもや慣れた手つきで源さんを運んだ。
それから慣れた手つきで鍼を刺していった。
「これで本当に腰が治るのか?」
土方さんが、不思議そうに山崎さんに聞いた。
「動けるようにはなります。何回か鍼を刺さないと治らないですね」
「でも、動けなかったのが治るんだろ?すごいな」
「京屋さんから紹介されたので、腕は確かですよ。前回もすぐに治りましたから」
「そうか。源さん、よかったな」
やっぱり、土方さんは楽しそうだ。
「あれ? 烝じゃないか」
林 信太郎さんという、最近入った隊士の人が来た。
「知り合いなのですか?」
私が聞いたら、山崎さんがうなずいた。
「土方さん、大坂では隊士募集はしないのですか?」
林さんが土方さんのそばに行き聞いてきた。
「隊士は常に募集しているが。なんだ? 入れたい奴でもいるのか?」
「そこにいる山崎です。棒術ができます。大坂にも詳しいし、有能なやつです。入れてもらえませんか?」
林さんが言うと、土方さんは、源さんの腰に鍼を刺している山崎さんの方を見た。
「新選組に入りたいのか?」
「針灸師ではなく、武士になりたいのです」
「俺と一緒だな。武士になれるかわからねぇが、俺も武士になりてぇからここにいる。お前も来るか?」
土方さんが聞くと、山崎さんは源さんに刺している鍼の腕を止めて、土方さんの方へ座り直した。
「よろしくお願いします」
山崎さんは深く頭を下げた。
「わかった。お前も今日から隊士の一員だ。しばらくは源さんのお抱え鍼師になりそうだが」
「山崎くんが入ってくれて、一番嬉しいのは俺かもしれないな」
うつ伏せで寝たまま、源さんが冗談にならないような冗談を言った。
「そんなっ! 間者とかの仕事をさせればとてもうまいって話ですよ」
本に書いてあったから、間違いない。有能で監察の仕事をこなしたって。
「なんでお前が知ってるんだ?」
土方さんに聞かれてしまった。
そうだ、そんな本は当たり前だけどこの時代にはない。
「いや、感です。感!」
「その感が一番あてにならねぇ」
そう言われると、そうなのだけど。
「とにかく、源さんのお抱え鍼師は駄目ですよ」
「それを言うなら源さんに言え。早く治せって。それと、しょっちゅうぎっくりになるなって」
「これはクセになるので、またなる可能性が高いです」
山崎さんが、源さんの背中の鍼を抜きながら言った。
「やっぱり、お抱え鍼師だな」
土方さんはそう言ったけど、山崎さんを見て有能なのがわかったのか、嬉しそうだった。




