浪士組出発
二月四日。
小石川伝通院というところへ行くと、ものすごい人数の人がいた。
「あれ、五十名ほどと言っていたが……」
近藤さん、どう見ても二百人から三百人ぐらいはいるでしょう。
「どうなってんだ? 近藤さん」
「ちょっと聞いてくる。歳、みんなを頼む」
「分かった」
私たちもその人たちの中に入ったのだけど、なんともがらの悪いというか……。
まず、持っているものが違う。
剣を差している人も居るけど、槍を持っている人もいる。
これはわかる。
原田さんも、剣より槍が使いやすいといい槍を持っているから。
鉄の棒とか、木でできた大きな棍棒とか、斧や鎌やら、あんたたち何しに行くの?みたいなものを持っている人もいる。
服装もこれまた自由で、きちんと旅装束の人もいたけど、普通に近所に出かけるように着物の人もいれば、あなた役者さんですか?みたいな派手なかっこうの人もいた。
「何か……個性的な方々がたくさんいらっしゃいますね……」
と、私が言ったら、
「蒼良は面白い言い方をするね」
と言いながら沖田さんが笑っていた。
「ま、浪士だからな。色々な人間がいるさ」
土方さんは何事もないように言った。
しばらく待っていると、近藤さんが慌てたようにやってきた。
「大変だ。松平主税殿が浪士取締役を辞任したらしい」
松平主税さんは、近藤さんたちが私と出会ったときに話をした人らしい。
理由は、五十名ぐらいの規模を予定していたらしいのだけど、その浪士達を集めていた清河八郎という人が、たくさん集めすぎてしまったらしい。
これは、集めすぎだろう。
当初、支度金も出すということだったけど、これだけ人数も集まれば支度金も高くつく。
金策ができなくて辞任したという話だけど、それも確かな話ではないそうで……。
「とにかく、ゴタゴタしている。そもそも、清河と言う男は反幕府の人間だが、どうして今回幕府の浪士組に参加しているのだろう? ちょっとまた行って様子見てくる」
近藤さんはまた行ってしまった。
これは今日中に出発できるのか?
その後、ちょくちょくと近藤さんは戻ってきて、様子を知らせてはまた聞きに行くという状態だった。
その情報によると、松平主税さんの変わりに鵜殿鳩翁という人が取締役についたらしい。
それから、あまりに人数が多いので組みわけみたいなことをやっているらしい。
簡単に言うと、ゾロゾロと二百人以上が移動すると統制が取れないので七組に分け、さらに一組を一班十人ぐらいの三班に分けるらしい。
学校で言うところのクラス分けと班分けになるのかな。
その組と班が決まった。
その中にはなんと、お師匠様が気をつけるようにと言っていたあの人がいた。
「今回、小頭になった芹沢鴨と言う。よろしく頼む」
京に着いてから出会うのかと思っていたら、こんなに早く出会うのことになっていたとは……。
しかも小頭、現代風に言うと班長。大丈夫なのか?
しかも、近藤さんはいない。
「土方さん、近藤さんは? いないのですが……」
「近藤さんは、道中先番宿割というお役目を頂いて、先に行っている」
このお役目は簡単に言うと私たちより先に宿場町に行って、この大人数の宿を確保するという大変な係りだった。
そして集合してから四日後の八日にようやく江戸を出発した。
有名な東海道を通っていくのかと思ったら、中山道を通っていくらしい。
「えっ、東海道ではないのですか?」
と、私が土方さんに聞いたら、
「こんな集団が表通りの東海道を歩いていたら、目立つし周りの人間が嫌な思いをするだろう」
確かに。
「それに、中山道の方が大きな川とかがないから行きやすいというのもある」
「そうなのですね。でも、ひとつだけ残念なことが」
「なんだ?」
「富士山が見れないじゃないですか」
東海道だと富士山が大きく見える。
新幹線に乗っていてもその姿は圧倒される。
それが楽しみだったのになぁ。
「お前……遊びに行くんじゃないんだぞっ! って、なんども言ってるだろうがっ!」
「わわ、すみません」
土方さんに怒られてしまった。
お師匠様から言われたとおり、芹沢さんをものすごく警戒してなるべく近づかないようにしていたけど、彼は思っていたより怖い人ではなかった。
鉄扇を持っていて、たまにそれを出してくるとドキッとしたけど、それ以外はものすごく平和だった。
永倉さんが、
「京へ行く前に四日も足止めされて、手際が悪いったらありゃしない。大丈夫なのか?」
と怒りをあらわにして文句言っていたけど、
「はっはっは、そんなことで怒るでない。なんとかなるものだ」
と、芹沢さんはなだめていた。
お師匠様、全然大丈夫そうなのですが……。
しかし、事件は次の日に起こった。
小石川伝通院に集合
人数を集め、二月四日(旧暦)に小石川伝通院に集合した浪士組。
幕府側は50名ぐらいを予想していたのですが、ふたを開けてみると250名ぐらいいました。
これをどう扱えばいいかわからないと思ったのかどうかはわかりませんが、松平主税介が取締役を辞任してしまいます。
次の日に後任の鵜殿鳩翁がついた。
そして、道中の注意事項や道中編制を発表し、京へと向かいました。