家を借りる
三月になった。
現代で言うと四月の中旬から下旬あたりになる。
本州ではもう桜も散っているころだろう。
でも、ここ箱館はまだ桜も咲いていない。
雪も、所々に残っている。
その雪も、少しずつだけど少なくなってきている。
今の箱館は、土の色と雪の色しかない寂しい色をしている。
「他の奴らに見つからないように行くぞ」
土方さんがそう言うので、悪いことはしていないのだけれど、土方さんと二人でコソコソと五稜郭を後にした。
誰にも見つからず、誰にも邪魔をされなかったので、土方さんは嬉しそうに箱館の町を歩いていた。
その後をついて行っているのだけど、どこに行くんだろう?
着いた場所は一軒の家だった。
誰の家だ?
土方さんはその家にズカズカと入って行った。
「土方さん、よその家なのに勝手に入ったら怒られますよ」
「いいからお前も来い」
お前も来いって、だってよそのうちだよ。
勝手に入ったら泥棒になるだろう。
玄関には土方さんのブーツしかなかった。
「早く来い」
「わ、わかりました」
他に人がいないみたいだから、大丈夫なのか?
でも、よその家だよね?
そんなことを思いながら、私もブーツを脱いで土方さんブーツの隣に置いた。
家の中は人の気配が全くなかった。
家具は一通りあるのだけれど、そこから生活感が全く感じられなかった。
何だろう?この家は。
「どうだ?」
土方さんは家の中を一通り見てまわった後そう言った。
「どうだって、何ですか?」
「気に入ったか?」
気に入ったかと言われても。
「広い家ですよね」
見てまわったけれど、部屋がたくさんあって広い家だった。
「そうだろう。鴻池さんに頼んで用意してもらった」
「えっ、この家をですか?」
「そうだ。安心しろ、金は払ってある」
それは当たり前だろう。
「なんで家を用意したのですか?」
「それはな……」
あっ、もしかしてっ!
「潜入捜査ですか? 私と土方さんで夫婦の役で、近くに住む敵の動きを監視するのですか?」
「なんでそうなるんだ」
ち、違うのか?
「監視するような敵はいねぇだろう」
あ、そうなんだ。
「じゃあなんで家を?」
「俺は前からお前と二人になりてぇって言っていただろう。だから、家を借りた。これでやっと二人になれるぞ」
あ、それで家を用意しだんだ。
一緒に住むのは戦が無事に終わってからだと思っていた。
だから土方さんを助けるために色々と考えている。
でも、いま一緒に住むと言う事は、土方さんはやっぱり戦で死ぬつもりなのかな?
「なんて顔しているんだ? 気に入らなかったか?」
「いや、そうじゃないのです。戦が終わってから一緒にって言っていたので」
「すまん、それまで待てなかった。なぜか二人になれなかったしな。このまま戦になって何かあったら、俺は一生後悔しそうだったからな」
「何かあったらって、やっぱり死ぬつもりだったのですか?」
「死ぬつもりはねぇけど、武士は戦の時はいつでも死ぬ覚悟を決めて行くもんだろう?」
そう言うものなのか?
「このまま死んだら絶対に後悔する。戦の前にやっておきたいことは全部やっておきたいと思った。これが最後の戦になりそうだからな」
「これが、やりたいことだったのですか?」
「そうだ。お前と二人っきりになりたかったが、意外と邪魔が多くてなれなかっただろう。だから思い切って外に出てみたってわけだ」
そう言う事だったのか。
「嫌だったか?」
「いえ、嬉しいです」
土方さん、そこまで私とのことを考えてくれていたんだ。
私は全然考えてなかったなぁ。
「家もいい家だろう?」
「でも、こんな広い家に二人で住むのですか?」
使わない部屋が多くなりそう。
「鴻池さんの話だと、ちょうどいい家がここしかなかったようだ。狭いより広いほうがいいだろう」
確かにそうだよね。
「やっと二人っきりになれたな」
土方さんは優しく笑ってから、私の頭をポンポンとなでてくれた。
一通り部屋を見たりしていたら、夕方になってしまった。
「そろそろ夕飯を作らねぇとな」
もうそんな時間か。
「美味しいものを作りますね」
腕まくりをしながら言うと、
「楽しみにしている」
と、嬉しそうに土方さんが言った。
よし、今日は何を作ろうかな。
こう見えても料理は得意だ。
お師匠様のご飯を作っていたのだから。
私の料理を食べた土方さんは、どういう反応してくれるのだろう。
そんなことを考えながら台所へ行った。
そして、あることに気がついた。
そうだった、すっかり忘れていた……。
「土方さん……」
土方さんのいる部屋へ行くと、土方さんは、
「もう出来たのか?」
と、何かを期待している目で私を見た。
「あの……。かまどが使えないのですが……」
「さっき見た時は、綺麗でいつでも使える状態だっただろう」
いや、そっちの使えないじゃなく……。
「私が、かまどに火を入れることが出来ないのです」
「はあ?」
やっぱり、そうなるよね。
「だってお前、山崎と潜伏して捜査した時に長屋を借りて生活していただろう」
「その時は、山崎さんがかまどに火を入れてくれて、私が料理を作っていたのです。一緒に台所に入っていたので、ご近所から仲のいい夫婦なんて言われていたのですよ」
ちゃんと潜伏していたでしょう?という意味で言ったのだけれど、
「山崎と仲のいい夫婦って、そんなこと今はどうでもいい」
と言われてしまった。
「かまどに火を入れたら後はできるんだな」
「はい」
火さえ何とかしてくれれば。
土方さんが台所に行くと、玄関から
「ごめんください」
という声が聞こえてきた。
「誰か来たようですよ」
「誰だ? 榎本さんと大鳥さん以外この場所を教えてねぇんだが」
土方さんがそうつぶやきながら玄関の方へ行ったので、私も後をついてきた。
「あ、鉄之助」
玄関には鉄之助君が岡持ちを持って立っていた。
「夕食は食べましたか?」
鉄之助君がそう聞いてくると、土方さんは私の方をチラッと見てから、
「まだだ」
と言った。
「よかった。土方先生たちの夕食も用意してしまったというので、届けに来たのです」
「本当に? よかったですね、土方さん」
「よかったじゃねぇよ。明日からちゃんと作れよ」
そう言いながら土方さんは鉄之助君から岡持ちを受け取った。
「これは、明日持って行く。ところで、なんでお前がここを知ってんだ?」
「夕食を届けに行きたいのでと榎本先生に言ったら、この場所を教えてくれました」
そうだったんだ。
「誰にもこの場所は言ってねぇだろうな?」
「はい」
「わかった。これから先も言うなよ」
そんな、秘密にしておくことではないと思うのですが。
「わかりました」
そう言って鉄之助君は帰って行った。
鉄之助君が帰った後、土方さんと二人で夕食を食べた。
夜になり、布団に入った。
はあ、かまどが使えないって、不便だし土方さんに申し訳ないなぁ。
せっかく二人の暮らしが始まったのに。
「何ため息ついてんだ?」
隣の布団から土方さんの声が聞こえてきた。
「夕飯を作れなくて申し訳ないなぁと思っていたのですよ」
私がそう言うと、暗い中にクックックッと土方さんの笑い声が響いた。
「そんな事を気にしていたのか、お前らしくない」
そんなことって、私にとっては重要なことだ。
少し土方さんに怒っていたら、土方さんの手が布団の中から入ってきて、私の手を握った。
「まだ始まったばかりなんだ。一人でできなければ、二人でやりゃいいだろう。お前との付き合いは長いが、二人きりで生活するのは初めてだからな」
そうだよね、まだ始まったばかりだ。
「ありがとうございます」
土方さんにそう言われてホッとした私は、土方さんが何か話していたけれどだんだん夢の中へ入って行った。
ガラガラガラと音がしたと同時に、まぶしさで目が覚めた。
目が慣れてくると、雨戸を開けている土方さんが見えた。
「もう朝だぞ、起きろ。これからかまどに火を入れに行くから、支度して来い」
土方さんの後ろがまぶしかったけれど、笑顔だったのは分かった。
「はい」
私は急いで布団をたたんで支度して台所へ行った。
「お前、ここにいるときは女の格好をしろっ!」
支度して台所へ行ったら、土方さんにそう言われてしまった。
いつも通り服を着て行ったらそう言われてしまった。
「なんでですか?」
「よそから見たら、男が二人で暮らしているって思われるだろうが」
「だめですか?」
「だめに決まってんだろう。風聞が悪い」
そ、そうなのか?
「それと、ここお前に無理してもらいたくないからだ。今まで女なのに男の格好をしてここまで無理してきたんだろう?」
いや、特には無理していないと思うのだけれど……。
「ありのままのお前でいろ。早く着替えて来い。着物はたんすに入っている」
えっ、たんすに入っているのか?
部屋に戻ってたんすを開けると、ちゃんと着物が入っていた。
この時代の普通の女の人が着るような着物だ。
それを着て台所に行くと、土方さんが私を見てうんとうなずいた。
それから土方さんがかまどに火を入れてくれた。
「どうだ?」
火を調節しながら土方さんが聞いてきた。
「やっぱり、かまどの火は怖いです」
ガスコンロの火と違って、炎が大きい。
「それなら、かまどの火は俺がいれてやる」
「すみません」
「謝ることはない。一緒にやればいいんだからな」
ポンッと土方さんの手が私の頭にのった。
「美味しそうなのが出来たな」
出来上がった朝食を見て土方さんが言った。
「いただきます」
二人でそう言って朝ごはんを食べようとした時。
「ごめんください」
という声が聞こえてきた。
土方さんと顔を見合わせた。
「誰だ?」
「鉄之助君ですか?」
「いや、あいつの声じゃなかった」
「いないのかな? ごめんください」
再び声が聞こえた。
「いったい誰なんだ?」
土方さんが玄関へ行ったので、私も一緒に行った。
「おはよう。朝飯は食べたか?」
原田さんが笑顔でそう言ってきた。
「蒼良、着物が似合うね。着物を着ると、綺麗な女性だなぁって思うよ」
沖田さんも楽しそうにそう言った。
そう、玄関にいたのは、原田さんと沖田さんだった。
「なんでお前らがここにいるっ!」
「なんでって、大鳥さんが教えてくれたから」
沖田さんが得意げに言った。
「なんでまた大鳥さんが? 誰にも言わないでくれって頼んだのに、くそっ!」
「大鳥さんは悪くない。総司が新選組で一大事があり、どうしても土方さんの居場所を知りたいと、大鳥さんにせまったんだよ」
原田さんがそう答えた。
そう言われたら、大鳥さんだって教えないといけなくなっちゃうよね。
「土方さん、仕方ないですよ。遅かれ早かればれる時はばれちゃうものなのですよ。原田さんと沖田さんは朝ごはん食べましたか? うちはちょうど朝ごはんを食べるところだったのですよ」
「えっ、蒼良が作ったの? 食べる」
沖田さんが飛び上がるように中に入ってきた。
「悪いな、そう言うつもりじゃなかったんだけどな」
原田さんは申し訳なさそうに入ってきた。
「くそっ、やっと二人っきりになれると思ったのに、こいつら、きっと明日も来るぞ」
「それはないですよ」
いくらなんでも、毎日は来ないだろう。
そう思う私はあまいのか?