知内温泉
十二月になった。
現代で言うと、一月の中旬から下旬にあたる。
あいかわらず蝦夷の冬はとっても寒い。
毎日のように雪は降り続き、積もっていく。
「たまには、温泉でも行ってゆっくりするか?」
土方さんが突然そう言いだした。
「今、土方さん何か言いましたか?」
土方さんの口から出た言葉とは思えない。
「寒いから、温泉にでも行くかと言ったんだ」
えっ、そうなのか?
思わず外を見てしまった。
「どうした?」
「今日は、嵐か何か来ますか?」
「なんでだ」
「土方さんが優しいことを言うので……」
「わかった。温泉はなしと言う事だな」
「ええっ!なんでそんなことになるのですかっ!」
「俺が温泉と言うと嵐が来るんだろう? 嵐が来たら温泉に行けねぇだろう」
そ、そうなるのかっ!
「そ、そんなことないですよっ!」
「お前、さっき言ってたじゃねぇか」
「き、気のせいですよ、気のせい」
「気のせいか、なるほどな」
「そうですよ」
「そうか、あははは」
「そうですよ、あはは」
二人であははと笑い合ったのだけど、
「あははじゃねぇっ! 最近のお前は寒い中でも巡察に行っているから、褒美にお前の好きな温泉にでも連れて行ってやろうと思ってな、場所とか調べたんだが……くそっ!」
そ、そこまで考えてくれていたんだぁ。
「あ、ありがとうございます。温泉、行きたいです」
「少し遠いぞ」
と、遠いのか?
思わず外の雪が降り続いている様子を見てしまった。
この雪の中、行けるかなぁ……。
でも、寒さをいやせるのは温泉しかないしなぁ。
雪の中、歩いて行く温泉は、きっとものすごい効能とかがあって、いい温泉に違いないっ!
「行きますっ!」
「一瞬迷っただろう?」
「ま、迷ってないですよ」
少し迷ったけど、迷ってないっ!
「ま、いいか。お前がゆっくり温泉につかれるよう、俺も考えておくからな」
そんなことまで考えてくれるのか?
「ありがとうございます」
私がお礼を言うと、土方さんは優しく微笑んでいた。
私たちが向かうところは知内温泉と言うところで、松前から箱館方面に行ったところにある。
雪の中、約一日歩いたところにある。
蝦夷地、現代で言う北海道は温泉がたくさんあるような感じがするのだけれど、この時代はそんなに発見されていない。
ほとんどが最近になって発見されている。
と言う事で、雪の中、ひたすら歩く。
蝦夷に来たばかりの時に、鷲ノ木から箱館まで歩いた時の事とか、箱館から松前まで歩いた時のことを思い出す。
ただ、あの時と違うのは、
「大丈夫か?」
と言って、たまに前を歩く土方さんが手を伸ばしてくるところだ。
「大丈夫ですよ」
「俺の手を握れ。引っ張ってやるから」
「大丈夫ですよ。これぐらい歩けます」
「いいから」
そう言うと、土方さんは私の手をとって歩き始めた。
なんか、本当の恋人同士みたいだなぁ。
そう思ったら、少してれてしまい、顔が熱くなってしまった。
朝、松前を出て夕方に知内温泉に着いた。
知内温泉は、源頼家という鎌倉幕府二代目将軍の家臣が金山検索を行った時に発見されたと言われているのだけれど、先住民であるアイヌの人達が利用していたとも言われている。
体についた雪を払って、宿の中に入り部屋に着いた。
「やっぱり遠かったな」
土方さんは座りながらそう言った。
「そうですね。でも、行軍の時よりは近く感じましたよ」
「行軍と今とは違うだろう」
確かに。
行軍は仕事だけれど、今は遊びで来ているからね。
「お前がゆっくり温泉に入れるように用意した」
そう言った土方さんは、風呂敷包みを出してきた。
何だろう?開けてみると、女ものの着物が入っていた。
「その格好だと女湯に入れねぇだろう」
確かに。
今も男装をしてきたのだけれど、これで女湯に入った日には、男が入ってきたと大騒ぎになるのは間違いない。
「ありがとうございますっ!」
いつも、みんなが入った後とか、他の人は入ってこないような時間に入っていたので、これで普通に入れると思うと嬉しい。
着物に着替えると、土方さんが待っていた。
「やっぱり、お前も女だったんだな」
そりゃどういう意味だっ!
「女ですよ、一応」
男装していますけど女ですからねっ!
「ふてくされるな。ほめ言葉だよ」
えっ、ほめ言葉?
「女らしい格好をしたら、さらに女らしくなったってことだ」
そ、そうなのか?
面と向かってそんなことを言われると恥ずかしい。
「温泉に行くぞ」
土方さんはそう言うと、私の肩に手をまわしてきた。
ええっ!
「たまには、恋人らしくしてぇだろう」
こ、恋人だったのかっ!ってキスまでしたからそうなんだよね。
「嫌か?」
「嫌じゃないです」
逆に嬉しいかも。
温泉の脱衣所の前で土方さんと別れた。
「ゆっくりとつかって来い」
「はい」
知内温泉は、火傷や胃腸病に効能があり、松前藩の人たちも湯治で訪れていたらしい。
温泉に入って一息つくと、外に出る戸を見つけた。
もしかして、露天風呂もあるのか?それならぜひ行かなくてはっ!
その戸を開けると、雪が降っている中、湯気をもうもうと出している露天風呂があった。
しかも、誰も入っていない。
露天風呂独り占めだぁ。
そう思い、露天風呂を満喫していた。
「なっ、なんでお前がここにいるんだっ!」
土方さんの驚いた声が聞こえてきた。
えっ、土方さん?
湯気の中から土方さんらしい人影がうつる。
「土方さんこそ、なんで女湯にいるのですか?」
いくらなんでも犯罪だろう。
「女湯って、お前っ!」
えっ?違うのか?
いや、でも、私は女湯から入ってきたぞ。
そんなことを言い合っていると、土方さんの後ろの戸がガタガタと鳴り始めた。
「まずいっ!」
そう言って、土方さんは戸をおさえた。
どうしたんだろう?
「お前、ここの露天風呂は混浴なんだぞ」
えっ、そうなのか?
「もしかして、入る前に注意書きを見なかったのか?」
あっ、見ていないや。
土方さんが戸をおさえていると言う事は、男湯の方から入ってくる男の人たちが入ってこれないようにしていると言う事なのか?
「戸が開かないぞ」
「いいや、後で入ろう」
そんな声が聞こえてきて、戸が静かになった。
土方さんは念のため、戸につっかえ棒をして開かないようにした。
「中にいる奴らが出るまで俺も出れねぇな」
そうだよね。
なんで入れないようにたんだっ!って喧嘩になっても困るもんね。
「しばらく一緒に入っていいか?」
外にいたら凍えてしまうだろう。
幸い、湯気でほとんど見えない。
「いいですよ」
土方さんは、私から一番遠いところに入った。
「これ以上はお前に近づかねぇからな」
「はい。私も近づきませんから」
「お前から近づいて来たら容赦しねぇぞっ!」
容赦って、何をする気なんだ?
しばらく無言で温泉につかっていた。
土方さんはいつまで入っているのかなぁ。
私はそろそろのぼせそうなんだけど……。
土方さんが入っているのに私が立ち上がって出たら、土方さんに全部見られてしまう。
それだけは避けたいしなぁ。
でも、そろそろ限界かなぁ。
「土方さん、私、出ます」
それ以上入っていたら絶対にのぼせる。
そう思ったから。立ち上がったら、クラッと周りが回った。
そして、気を失った。
目が覚めたら、部屋の中にいた。
「大丈夫か?」
確か、私は露天風呂でのぼせて……。
「もしかして、見ました?」
「見てねぇよ」
そうなのか?
「ちゃんと着物着てますが……」
もしかして、土方さんが……。
「宿の人間がやってくれた」
よかったぁ。
「お前なぁ、のぼせそうだったらちゃんと言え。突然倒れたから驚いただろうがっ!」
「すみません」
途中で立ち上がるのが恥ずかしくて言えなかったのだけれど、こうなってしまったらもう一緒だよね。
土方さんは私の顔をじいっと見ると、突然吹き出した。
な、なんかあったのか?
「ま、お前らしいや」
そう言って、笑いながら、寝ている私の頭をなでてきた。
なんだかわからないけど、私らしいのか?
「起きれるか?」
土方さんに言われたので、そおっと起き上がってみた。
特にめまいもなく大丈夫そうだ。
「大丈夫ですよ」
「雪がすごいぞ」
土方さんが窓の方へ行ったので、私も窓の方へ行った。
「お前、いくつになる?」
年を聞いているのか?
「女性に年齢を聞くのはだめですよ」
「真面目な話だ。で、いくつになる?」
ええっと、ここに来た時は十八才だった。
「次のお正月で二十四才になります」
「二十四か。ずいぶんと行き遅れたな」
現代で二十四才と言うと全然行き遅れていないのだけれど、この時代の二十四才はものすごく行き遅れることになる。
「す、すみません」
普通にこの時代で女性として生きていないのだから、行き遅れるのは当然なんだし、別に行き遅れなんて思っていないから。
「もう少し待っていてくれ」
えっ?
「雪がとけて春が来たら、ここに敵が攻めてくるだろう。大きな戦になる。その戦が終わり、すべてにけりがついたら、俺と一緒になってくれ」
えっ?
「本気ですか?」
歴史で見た土方さんは、死に場所を探しているように見えた。
だから、蝦夷に来た時も戦に敗けた未来を考えていないと思っていた。
でも、ここにいる土方さんは、未来を考えている。
「冗談でこんなことを言えるか?」
「土方さんは、蝦夷で死ぬことを考えていると思っていたので」
「最初はそうだった。でも、お前を見ていると、お前と一緒に戦の終わった後も見てみたいと思うようになった。だめか?」
だめなわけないじゃないかっ!
「喜んで。私、土方さんを死なせませんからね」
知らない間に、土方さんの考え方が歴史と変わったらしい。
「頼んだぞ」
絶対に土方さんを死なせない。
改めてそう決意した時、土方さんの顔が近づいてきて、唇に柔らかい優しい感触がしたのだった。