松前完全攻略
松前から海沿いの道を北へ。
江差に向けて順調に進軍していた。
そして、その日の夜は原口という場所に着いた。
そこで事件は起こった。
「土方さん、大変だ」
あわてた様子で原田さんが私たちの所に来た。
「なんだ?」
「額兵隊の連中の具合が悪くなった」
額兵隊とは、仙台藩が結成した西洋訓練を受けた軍隊で、仙台藩は降伏したのだけれど、額兵隊は降伏に反対していた。
そして、私たちと一緒に蝦夷に来ていた。
それにしても、なんで具合が悪くなったんだ?
「どんな様子だ?」
土方さんは外に出ながら原田さんに聞いた。
「嘔吐して苦しんでいる」
「嘔吐して苦しんでいるだと?」
もしかして……。
「ノロウイルスとか……」
私がそうつぶやくと、原田さんと土方さんに、なんだ?という顔で見られてしまった。
この時代は、まだなかったか?
「感染性の胃腸炎です」
私がそう言うと、原田さんと土方さんは顔を合わせた。
「うつると言う事か?」
土方さんが私にそう言ってきたので、私はうなずいた。
「でも、いっぺんにうつって同じ時期に同じ症状が出るものなのか?」
原田さんにそう聞かれた。
ど、どうなんだろう?
「みんなが同じように生活して、同じ時期に菌にふれれば……」
私はそう言いかけて止まった。
同じ時期に菌にふれても、潜伏期間と言う症状が表に出るまでの期間は人によって違うから、こんなにいっぺんに症状は出ないはずだ。
時間差で出ることはあると思うけど。
じゃあ、ノロウイルスではない。
「どうした?」
考え込んでいる私を見て、土方さんが心配そうに聞いてきた。
「感染性、うつるものではないです。症状が同じ時期に出すぎです」
「じゃあなんなんだ?」
「恐らく毒を盛られたかもしれねぇな」
ど、毒っ?
土方さんのその言葉に、思わず原田さんと顔を見合わせてしまった。
「とにかく医者を呼んでこい」
「わかった」
原田さんはお医者さんを呼びに行き、私たちは額兵隊の所へ行った。
額兵隊の人たちはのたうち回って苦しんでいた。
その周りに、タコの酢味噌和えが落ちていた。
やっぱり毒なのかな?
これに毒が入っていたのか?
思わずタコについていた酢味噌をなめようとしたら、
「お前、死ぬ気か?」
と、土方さんに怒られてしまった。
それからお医者さんが来て、診察をした。
やっぱり毒によるものだった。
「体に回った毒を早く出すために、吐きたいときは我慢せずに吐いたほうがいい」
とお医者さんが言ったので、私たちは桶を一人一つ用意し、吐いたらすぐに桶を綺麗にして回った。
それにしても……。
「なんで毒が入っていたのですか?」
誰が何のためにいれたんだろう?
「土方さんが調べたら、村の人間が白状した。松前藩の連中が、敗走するときに俺たちが来たら、食べ物に毒を入れろと言って歩いたらしいぞ」
原田さんが、額兵隊の人の世話をしながら教えてくれた。
そ、そんなことを言いながら敗走するとは。
「この人たちはタコが食べれなくなるかもしれないですね」
こんな思いをしてしまったら、普通は食べれなくなっちゃうよね。
私がそう言うと、
「そんなことを考えるのは、蒼良ぐらいだろう」
と言って、原田さんがクスッと笑った。
何か変なことを言ったか?
毒を食べさせられた額兵隊の人たちは、次の日の朝には全員回復した。
進軍に影響が出なくてよかった。
この日は江差の少し手前まで来た。
そこで敵と遭遇した。
もう江差も近いから敵出るよね。
敵は、坂の上に陣をはって攻めてきた。
「敵もなかなか頭がよくなってきたな」
いや、土方さん、感心している場合じゃないからね。
そんな敵のいる場所から更なる上を迂回して回り、上から攻撃しなおしたら、敵は混乱してしまい、江差へ敗走した。
そして、私たちは再び進軍した。
一方で、五稜郭から新たに援軍が出発したのだけれど、その人たちも途中で松前藩の人たちに遭遇した。
ここではお互いが譲らないほぼ互角の戦いをしていたのだけれど、松前藩の弾薬が尽き、そこを狙って攻撃したら、松前藩の人たちは館城へと逃走したらしい。
そして、私たちも館城へ着いた。
「これが館城ですか?」
あまりに質素な作りだったので、土方さんに聞いてしまった。
「一応完成したとは聞いたが、作り始めたのが九月だろう? 数カ月で立派な物が出来ると思うか?」
そんな短期間でできないよね。
でも、土塁とか堀とかちゃんと作ってあった。
場所も川と山に囲まれていて、地形に恵まれている。
「行くぞっ!」
土方さんの号令とともに、十五日の朝に戦が始まった。
最初は銃撃戦だった。
ここには地形の関係で大砲を持ち込むことが出来なかった。
銃撃戦の最中に、表門に近づいて表門の下の隙間から城の中に潜入した人たちがいて、その人たちが表門のかんぬきをはずして門を開けた。
そこへ私たちの軍が入り込み、松前藩の人たちの戦意は喪失した。
「俺たちも中へ行くぞっ!」
土方さんに言われ、みんなから少し遅れて中へ。
松前藩の人たちはほとんどいなかった。
というのも、松前藩主がすでに江差に逃げていて、ここには六十名ぐらいしかいなかったらしい。
「おい、なんだあれはっ!」
土方さんが私の横で驚いたように叫んだ。
土方さんと同じ方向を見ると、坊主頭の人が右手に刀を持ち、左手にまな板を持って立っていた。
「味方はほとんど逃げているのに、あの人は逃げないのでしょうか?」
「あいつは味方を逃すために自分の命をはっているんだろう。敵ながらすごい奴だ」
土方さんは感心していたけれど、その人は斬殺されてしまった。
しかし、すごい奴だと思っていた人は、土方さん以外にもたくさんいたようで、手厚く葬られた。
朝に始まった館城攻略は、昼には終わった。
出来たばかりの館城に火を放ち、江差へと進軍を始めた。
江差で見たものは、予想通りのものだった。
「ここまで急いできたが、間に合わなかったか」
土方さんはそう言って肩を落とした。
「俺の認識が甘かった。すまなかった」
「土方さんのせいではないです」
歴史を変えることが出来なかった。
ただそれだけだ。
誰も悪くはない。
海の方へ行くと、榎本さんが立っていた。
「まさか、こんなことになるとは……」
榎本さんも、呆然と立ち尽くしていた。
開陽は、昨日の十四日に江差沖に到着した。
陸地に向かって威嚇のために砲撃をするも、反応がなかったので斥候を出すと、江差にいた松前藩の人たちはすでに逃げた後だった。
榎本さんは、必要最低限の兵だけ残して江差に上陸し、無血占領した。
その時の海はとっても穏やかだったせいか、江差での戦が無くて拍子抜けしたせいかどうかは分からないけど、いつも行う海底や気候についての調査は行わなかった。
ここら辺の十一月の海は、昼間は穏やかでも夜になると風が強くなり海も荒れる、この地方ではタバ風と呼ばれるものが吹く。
この日の夜もこのタバ風が吹き荒れた。
江差の海底は、錨がかかりずらい固い岩盤だった。
開陽は錨を引きずりながら陸の方へと流されて行った。
開陽に残っていた機関長は、沖への脱出をしようとしたけど、間に合わなかった。
開陽は、海底の岩に船が乗り上げてしまい、座礁した。
その時に船底に傷が入ってしまい、そこから海水も入ってきたらしい。
大砲を陸へ向けて一斉に撃ち、その反動で脱出しようと試みるも、失敗してしまい、さらに船底の傷が広がってしまった。
大砲を撃った時に榎本さんが気がつき、海の方へ行くのだけれど、海は荒れていて船に近づくこともできないでいた。
そして今も海は荒れていて、船に近づけなかった。
「海が落ち着いたら、とりあえず中にいる船員を避難させる。そして、箱館から回天と神速が開陽の救出のために江差に来ることになっている」
それはだめだっ!
「そんなことをして、神速までも沈没することになってしまったらどうするのですか?」
確か、開陽を助けに来るのだけれど、開陽がやられた同じタバ風によって、神速は沈没してしまう。
「このまま、開陽が沈むのを黙って見ていろと言うのか?」
榎本さんのその言葉に何も言えなくなってしまった。
気持ちはわかる。
開陽はこの戦の大きな戦力だ。
その戦力を失いたくないから、必死になるのはわかる。
「俺は開陽をあきらめない」
榎本さんはそう言って去って行った。
「開陽はもうだめなんだな」
土方さんが、座礁した開陽を見てそう言った。
私は黙ってうなずいた。
「開陽がだめになり、そのうえ神速までも使えなくなったら、戦力が落ちる。開陽を救いたい気持ちは分かるが、これ以上、船が無くなることはさせねぇから、安心しろ」
土方さんがそう言ってくれた。
「そんなことが出来るのですか?」
「やってみねぇとわからねぇだろう。あきらめるなっ! 歴史を変えるんだろ?」
そうだ、やる前からあきらめたらだめだっ!
「俺も協力するから、やってみろ」
「わかりましたっ!」
だめでもともとだ。
うまくいけばみっけもんっ!
出来ることは全部やってみよう。
松前藩の人たちは、江差より先の熊石と言うところまで敗走し、藩主はそこから船で青森へ落ちていった。
藩主が青森へ行った次の日に、私たちの兵の一部が熊石げ進軍し、残っていた人たちを降伏させた。
私たちは松前を完全に攻略した。
一方の松前藩主は、荒れ狂う海の中小さな船で出航し、その船旅は苦労の多いものだったのだろう。
三日後に青森に到着するも、その一週間後に藩主は病死してしまった。