松前へ
私たちが五稜郭を占拠した次の日に、土方さんは松前藩士の渋谷十郎という人に会っていた。
この人は、松前藩から出ていたのだけれど、松前藩を留守にしている最中に私たちが箱館を占拠したので、松前藩に帰れなくなってしまった。
そこで彼は、陸軍を取り仕切っている土方さんに会い、自分たちを無事に松前藩に帰してほしいと交渉をしに来ていた。
ちなみに、松前藩は前の藩主が幕府の老中にまでなったのだけれど、無断で兵庫港を開港してしまったので、老中は解任され国許で謹慎するように命じられてしまった。
松前に帰ってきてしばらくすると、前の藩主は亡くなってしまった。
すぐに今の藩主が後をついたのだけれど、この藩主は病弱で精神病でもあったらしく、政務をとることが出来ず、重臣たちが中心になって政務を執り行っていた。
ちなみにこの時の重臣たちは幕府派だった。
ただ、この重臣たちの専横がひどかったので、クーデターが起きてそれが成功してしまい、松前藩は幕府派から尊皇派になってしまった。
簡単に説明すると、クーデターによって、私たちの味方だったのに敵になってしまったのだ。
それが今の松前藩だった。
なるべく戦はしたくなかった榎本さんは、松前藩に使者を送るのだけれど、松前藩はその使者を斬ってしまった。
もう一度使者を送ったのだけれど、また斬られてしまった。
そんな状況なのに、この渋谷という人は、無事に松前に帰してくれると思っているのだろうか……。
「前の藩主は徳川家の老中として功績もあった。しかし、今の藩主は我々に対して出兵してきた。松前藩は何を考えているのか? 徳川と戦うつもりなのだな」
それなら、こちらも遠慮なく戦をするぞという圧力をかける土方さん。
「一国の興廃にかかわる大事なことだから、国に帰って評議をしてから返事をしたい。だから、国に帰してほしい」
そう言って渋谷という人は即答を避けた。
「評議をするため、その返事は十一月十日まで待っていてほしい」
と言われた土方さんは、それを了承した。
「あんな約束をしてよかったのですか?」
渋谷という人が帰った後、私は土方さんに聞いた。
というのも、榎本さんはすでに松前攻めを決め、土方さんはその松前攻めの兵を率いていくことになっていた。
「松前は敵だ。それはさっき来た奴が帰って評議をしても変わりねぇだろう。幕府の使者を二人斬っているしな。それに、十一月十日まで待てって言う事は、時間稼ぎだろう。意見が決まっていたら、そんなに待たせねぇだろう」
確かにそうだ。
「その間に、援軍の要請でもしているんだろう」
「それなら、援軍が来る前に何とかしないと」
「だから、松前に行くんだろうが」
そうなんだけど……。
思わす外の方を見てしまった。
雪が相変わらず降り続いている。
鷲ノ木からここまでの道は、とっても悪かった。
今回も、雪の中を進んでいくことになりそうだ。
「お前は、ここにいてもいいぞ」
土方さんも、外の方を見てそう言った。
「今回も、道が悪そうだ。だからついて来いとは言えねぇよ」
「大丈夫です。言われなくてもついて行きますから」
「そうか」
そう言った土方さんが少し嬉しそうに見えた。
次の日。
他の人たちは松前へ向けて出発していたのだけれど、土方さんは、渋谷という人にまた会ってから行った。
この人も、なかなかしつこいなぁ。
昨日も来ていたのに。
そして、渋谷という人が帰った後に後を追うように出発した。
この日は、有川村というところに宿陣した。
今回、松前までは海沿いの道で行くみたいで、有川村と言うところも海沿いの村だった。
有川村では囲炉裏があった。
今まで囲炉裏に遭遇したことなかったから、感動してしまった。
やっと会えたとまで思ってしまった。
この時代、普通の長屋には囲炉裏はなく火鉢で暖を取っていた。
蝦夷で囲炉裏に会えたと言う事は、それだけ蝦夷は寒いと言う事だろう。
「囲炉裏は暖かいですね」
今まで寒い中の移動だったから、囲炉裏にあたると、寒くて固まっていたところがほぐれていく感じがした。
「お前の事だから、囲炉裏を背負って歩くとか言いそうだな」
土方さんが笑いながらそう言った。
「囲炉裏は背負えないじゃないですかっ! 火鉢ならまだしも」
「えっ、蒼良は火鉢なら背負おうと思っていたのか?」
原田さんに驚かれてしまった。
「背負いませんよっ!」
背負いたいとまで思ったけど、背負えないでしょうっ!
「おい、この鮭、塩がねぇぞ」
蝦夷の海沿いの町なので、漁業が盛んなのだろう。
夕食は海の幸がたくさんあった。
そんな中、焼いてある鮭を一口食べて土方さんが驚いてそう言った。
「本当だっ! 塩辛くないっ!」
原田さんまで驚いている。
「生鮭なんじゃないのですか?」
別に普通だろう。
そもそも、江戸の鮭が塩辛すぎるのだ。
冷蔵庫なんかない時代だから、塩漬けされて流通されるから、塩辛いのは仕方ないのだけれど。
そうか、塩漬けされているから、この時代は塩辛い鮭が普通なのだ。
「それだけ新鮮だと言う事ですよ」
「なるほど、そう言う事か。でも、俺はもうちょっと塩辛い方がいいな」
「土方さん、あまり塩辛いものばかり食べていると、血圧が上がりますよ」
「はあ?」
この時代、血圧とかってなかったのか?
「なんかよくわからんが、言われてあまりいいことではないことはわかるぞ」
そ、そんなことはわからなくてもいいのに……。
「蝦夷も、意外とおいしいものがあるとわかったな」
原田さんはそう言いながら鮭を口に入れた。
「ところで、俺たちが行く松前だが、家の屋根が昆布でできていると聞いたが、本当なのか?」
原田さんが、真面目な顔をしてそう言った。
えっ、この時代の松前にある家は昆布でできているのか?
そんなことはないだろう。
否定をしようと思ったら、
「左之、それは本当か? 本当だったらすごいことだぞっ!」
と、土方さんまでそう言いだした。
そ、そんなことあるわけないだろうっ!
「聞いた話だと、昆布がすごくとれるから、家の屋根も昆布にしたらしいぞ」
だから原田さん、それはないって。
「そうか。そんなにとれるのか。蝦夷で昆布がたくさんとれるとは聞いていたが、屋根にも使われるとはすごいな」
土方さんまで……。
「そんなことあるわけないじゃないですかっ! 屋根が昆布でできていたら、雪が降ったらしなしなになって、屋根にならなくなりますからねっ!」
そう言った私に、二人はおどろいた顔をしていた。
「お前、たまにはいいことを言うじゃねぇか」
たまにはって……。
「そうだよな、蒼良の言う通りだな。屋根が昆布でできてるわけないよな」
そう言いながら、あははと原田さんは笑った。
屋根が昆布でできている話を信じたと言う事は、この話も信じるかも……。
「蝦夷の海は昆布がたくさんあるので海にだしが出ているらしいですよ。だから、蝦夷の海は昆布だしの味がするらしいですよ」
「嘘つけっ!」
あっさりと土方さんに言われてしまった。
信じると思ったのに。
次の日は、有川村から松前に海沿いにそって進んでいき、茂辺地という場所に宿陣した。
「そう言えば、今回は温泉がないですね」
前回、箱館までの進軍の時は温泉三昧だったのに。
「お前は温泉入りに松前まで行くのか?」
「えっ、松前には温泉があるのですか?」
「知るかっ! 俺は温泉じゃなく戦をしに来たんだっ!」
あ、そうだった。
「戦がひと段落したら、温泉に入れそうだがな」
私がそんなに悲しそうな顔をしていたのか、土方さんがなぐさめるようにそう言ってくれた。
「本当ですかっ!」
温泉に入れるぞっ!雪の中、頑張って歩いたかいがあったぞっ!
「たがな、そんな楽観できる状態じゃねぇんだ」
えっ?
「松前は敵の陣地だ。敵の陣地に宿陣出来ねぇよな? それはお前でもわかるよな?」
「わ、わかりますよ」
それぐらい、私にもわかりますよ。
「まさか、この気候で野宿ってわけにもいかねぇだろう?」
「こんな寒いのに野宿したら、みんな死んじゃいますよっ!」
凍死してしまう。
「と言う事は、松前を落としてそこを宿にするか、その場で全滅するか、どちらかだ」
そ、そんなに追い詰められているような状況だったのか?
あぜんとしていると、土方さんがポンッと私の肩に手を乗せてきた。
「松前を宿に出来るよう、頑張ってくれ」
「わ、わかりました」
凍死なんて嫌だから、必死になって頑張ろう。
「戦に勝ったら、温泉につかろうが雪につかろうが文句は言わねぇからな」
温泉にはつかりたいが、雪につかるのはちょっとなぁ……。
「雪はちょっと……」
「お前、雪は好きだろう?」
嫌いではない。
でも、ここに来て毎日のように雪の中を歩いていると、もう雪はあきたなぁなんて思ってしまう。
「つかるなら、雪より温泉のほうがいいです」
「そうだよな。松前に温泉があるかわからねぇがな」
ええっ!そうなのか?
ここまでその気にさせといて、そんなこと言うのかっ?
「そんなっ!」
「俺だって初めて行くんだから、温泉があるかないか、知るわけねぇだろう」
そ、そうなのか?
「こんなことなら、この前会った渋谷という人に、温泉があるか? あるならお薦めの場所なんかを教えてもらえばよかった」
私がそうつぶやくと、
「ばかやろう。そんなことを敵に聞くなっ!」
と、土方さんに怒られてしまった。
次の日は、木古内という場所に宿陣した。
そして、十月が終わった。