如来堂の戦い
土方さんたちと別れてから、塩川と言う場所で待機をしていた。
「会津を助けるために来たのに、今、落城しようとしているのを見て、会津を去るのは誠義ではない」
俺はそう思っていた。
だから、会津に残った。
土方さんは、
「他にも会津に残る隊士がいるだろうから、連れて行け」
と言ってくれた。
俺についてくる隊士なんているのか?
そう思っていたら、十数名の隊士がついてきた。
俺についてくるというより、会津に残って戦いたいという思いの方が強いだろう。
そして、会津に残ることは、あいつとの別れでもあった。
あいつの心の中には土方さんがいた。
それをあいつ自身がわかっていたかは分からない。
鈍感だから、自分の気持ちに気がついていないと言う事もありえる。
だから、無理を言っておれの方へ来させることも可能だった。
しかし、それをして、あいつの心の中の土方さんを追い出せる自信はなかった。
自信がないのにそんなことをしたら、あいつを幸せにすることはできない。
あいつの幸せを考えたら、自分のこの選択は正しいと思う。
俺が完全にあいつのことを忘れるまで時間がかかりそうだが……。
この戦が、あいつのことを忘れさせてくれるといい。
塩川で新選組は二つに分かれ、一つは俺たちで、もう一つは、土方さんに頼まれて大鳥さんがひきいていた。
大鳥さんの方は、越後口への出陣命令が出された。
表の街道は敵がおり、越後口に着く前に敵と出会うと、自分たちの兵力が減る。
それを恐れたのかどうかは分からない。
大鳥さんは、会津の北の山道を進軍していた。
それでも敵に遭遇し、二回ほど戦をして敗走した。
一方俺達は、一緒に会津に残ると決めた隊士と共に鶴ヶ城へ行った。
鶴ヶ城は籠城戦に入っていたので、俺たちが簡単に中に入ることはできなかった。
だから、城の外で戦っていた会津藩士と合流した。
会津藩士達に、
「山口次郎だと、新選組だと相手に分かり、集中して攻撃されるかもしれないから、名前を変えたほうがいい」
と、改名をすすめられた。
これで何回目の改名になるのだろうか?
最初は山口一。
新選組に入った時は斎藤一。
そして、山口次郎になり、また改名することになる。
「ここは、一瀬と言う名字が多いから、一瀬はどうだ?」
これも会津藩士にすすめられた。
「一瀬伝八でどうだ?」
名前は適当に決めた。
「それでいいんじゃないか? 今日から新選組隊長の山口次郎ではなく、朱雀隊寄合隊士の一瀬伝八だ」
朱雀隊とは、会津の隊の名前で、中国の神獣からきている。
十八歳から三十五歳の年齢で集められていて、会津の四つある隊の中でも実戦部隊にあたる。
名前も変えたが、あいつはやっぱり俺のことを『斎藤さん』と呼ぶんだろうな。
九月五日、高久村で戦があることを聞き、会津に残る新選組はそっちへ向かう事になった。
そして、如来堂という小さいお堂に宿陣することにした。
ここは、神指城と言う城の中にあった。
神指城とは、まだ豊臣の世だったころ、会津の領主だった上杉景勝が、家臣の直江兼続に命じて作らせた城だ。
しかし、徳川家康の会津征伐のため、この城は完成することはなかった。
天守を作る前の状態のまま放置されていた場所だ。
そこで宿陣をしていると、外を見た隊士が
「大変だっ! 敵に囲まれたっ!」
と、叫ぶように言った。
俺も、食いつくように外を見る。
そこには、数百人もの敵が、俺たちを囲むようにいた。
俺たちを囲むためだけではないだろう。
高久村を攻めるためにたまたまここを通っただけかもしれない。
その敵の一部にここに俺たちがいることがばれたのだろう。
「逃げろっ!」
ここには十数人しかいない。
十数人で数百人も相手にするのは無理だ。
ここを生きて無事に出れるかもわからない。
俺の言葉で、数人は動き始めたが、数人はまだ驚いていたせいか動けなかった。
「とにかく、逃げろっ!」
動かない数人に対して叫ぶように言った。
今は、生きてここを出ることが先だ。
俺たちは如来堂を後にした。
何人の敵を斬ったのだろうか?
斬っても、斬っても、次から次に敵があらわれた。
俺が倒れるまで、敵は俺の目の前に現れ続けるのだろう。
俺は、このまま、敵に斬られ、倒れるのだろうか……。
走りながら敵を斬っていった。
他を気にする余裕はなかった。
走っていると、目の前に川が見えた。
あそこに飛び込めばなんとかなるかもしれない。
敵も、川の中まで入ってまで斬ろうとはしてこないだろう。
夢中で川に飛び込んだ。
それからは、川を渡ることに夢中になっていた。
俺が飛び込んだ川は、大きな川だったらしい。
川の大きさを見て飛び込んだわけじゃないから、こんなに長く泳ぐとは思わなかった。
なかなか向こう岸にたどり着かなかった。
このまま、川の中で、力尽きるかもしれない。
そう思った時に足がついた。
やっと、やっとたどり着いた。
立ち上がって、俺が川に飛び込んだ場所を見る。
大量の敵が見えた。
あそこから俺は逃げてきたのか。
生きているのは俺だけか?
周りを見渡すと、新選組の人間は誰もいなかった。
俺だけが、生きているのか?
絶望的なものが俺を襲って来た時、誰かに足首をつかまれた。
敵が、ここまで泳いできたのかっ!
驚いて下を見ると、俺と一緒に残った新選組の人間だった。
「大丈夫か?」
俺の他にも生きている奴がいた。
「大丈夫か?」
そいつの体をゆすって声をかけた。
意識がなかった。
死んでいるのか?
口元に手をあててみると、息をしている気配があった。
泳ぎ疲れて力つきたのか?
とにかく、生きているのなら、連れて行こう。
俺はそいつを背負って歩き始めた。
会津の城下町までたどり着けば、こいつを医者に診せることも出来るかもしれない。
運が悪ければ、医者に診せる前に敵に斬られるだろう。
それならそれでもいい。
それも俺の運だから。
「斎藤っ! お前からここに来るとは思わなかったぞっ!」
俺は運がよかったらしい。
診療所のある日新館にたどり着いた。
それにしても、あいつ以外にも、俺のことを『斎藤』と呼んでくれる人間がいたとは。
最後に思ったのはそんなことだった。
目を覚ますと、ちゃんと畳の上で寝かされていた。
「目を覚ましたか」
俺をのぞき込むように天野先生が見ていた。
「単なる疲労だろう。二日寝ていたぞ」
そんなに寝ていたのか?
俺は起き上がった。
そういえば、俺が背負っていた人間はどうなったんだ?
あたりを見回していると、
「ああ、斎藤が連れてきた奴か。足を怪我していたが、命にかかわるものではない。大丈夫だ。斎藤も、大変だったな。よく如来堂から生きて帰ってこれたな」
天野先生は、俺が如来堂にいたことを知っていたのか?
「ま、生きて帰ってくることは分かっていた。だから、わしはここで待っていたのじゃ」
なんで、そんなことまでわかっているんだ?
「天野先生は、何者ですか?」
そんなことまでわかっているとは、ただ者ではないだろう。
「わしか? 未来から来たんじゃ」
……。
天野先生が何者であろうと、俺には関係ないか。
「斎藤、お前と会津に残った新選組は、全滅したことになっている」
「俺以外で生きている人間はいないと言う事か?」
俺だけが生き残ったのか?
「安心しろ。数人が逃げのびて生きておる。ただ、あれだけの敵に囲まれたら、みんな死んでしまったと思うだろう」
確かに、敵の数が多かった。
「いいか、斎藤。お前には選択できる権利がある」
天野先生は何を言っているんだ?
「お前は死んだことになっておる。だから、このまま死んだことにしてわしと一緒に蒼良の所に行くか? それとも、ここで新たな人生を始めるか。また改名することになりそうだがな」
あいつの所へ行くか。
その誘いが魅力的なものに思えた。
しかし、あいつの心の中には土方さんがいる。
いまさら俺が行ってどうなる?
別れを告げたばかりだ。
別れを決意したのだ。
その決意を簡単に変えることは武士としてどうなのか?
俺は、武士として恥じぬ生き方をしたい。
「俺は……」
俺は顔をあげて天野先生を見た。
「ここに残ります」
まだ、城は落ちていない。
俺は、会津とともにありたいと思いここに残ったのだ。
戦は、まだ終わっていない。
「そうか。斎藤ならそう言うじゃろうと思うとったわい。未来に連れて帰れんのは残念だが、お前の意志を尊重したい」
天野先生は俺の肩をたたきながら、訳の分からないことを言った。
「これで俺も仙台に行ける。そう言えば、数日前に米沢藩が降伏した。仙台も時間の問題じゃな」
米沢藩が敵に降伏しただと?
「米沢が敵に攻められて、城が落ちたのか?」
俺はてっきりそうだと思っていた。
「いや、敵に攻められる前に降伏した」
天野先生のその言葉が信じられなかった。
米沢が敵に落ちたと言う事は、援軍が期待できないと言う事だ。
会津はどうなってしまうのだ?
思わず、鶴ヶ城の方向を見た。
「斎藤、会津も落ちる。それはお前にもなんとなくわかっていることだろう」
ここまで敵の強さと武器の違いを見せられ、いつの間にか、勝つと言う言葉は出なくなっていた。
ただ、会津が落ちると言う事を考えたくなかった。
「ただ、お前が思っているより悪いことにはならんから、安心しろ」
敵に落ちることが安心できることなのか?
「わしは、しばらくここにいることになりそうじゃな。今は、仙台へ向かう道も戦で危険な状態じゃろうからな。だから、気が変わったら、わしの所に来い。でも、お前の気も変わりそうにないな」
天野先生は少し残念そうにそう言った。
いつまでもここにいるわけにはいかない。
俺は病人でもないし、怪我人でもない。
それに、まだ戦える。
今も戦をしている仲間がいる。
天野先生に礼を言い、日新館を後にして、戦場に戻ることにした。
「斎藤、お前は簡単には死なんよ。少なくとも、戦で死ぬことはない」
この人は、なんでこの先のわからないことを、自信をもって言えるのだろうか?
「でも、死ぬなよ」
天野先生のその言葉に俺はうなずいた。
少なくとも、会津がある限り、俺は生きるだろう。
「天野先生もお元気で」
そう言って頭を下げ、俺は戦場へ戻っていった。
その後、天野先生や、あいつがどうなったかは全く分からない。