母成峠の戦い
二本松城が落ちた時、政府軍は東側から会津を攻撃することが可能になった。
江戸にいる政府軍の参謀は、
「枝葉(奥州越列藩同盟に加入している諸藩)を刈って、根元(会津藩)を枯らす」
と言い、仙台を先に攻撃するように指示をした。
しかし、二本松にいる政府軍の参謀は、
「根元を刈って、枝葉を枯らす」
と言い、会津攻めを主張した。
というのも、このころの会津藩は、白河や新潟の方など色々な所に兵を出していて、藩内の兵の数は手薄になっていた。
そして今は秋でもうすぐ冬が来る。
冬が来るとここは東北の方なので雪が積もる。
政府軍は雪が積もる前に会津との決着をつけたかった。
その二本松にいる政府軍の意見が通り、会津を攻撃することが決まった。
一方の会津は、いくつかの街道があったので、政府軍が攻めてくるとしたらその街道から攻めてくると考え、街道の出入り口近辺に兵を多く置いた。
そして、二本松と会津を最短距離で結び、主要街道だった中山峠と言うところに政府軍が殺到すると思っていた。
母成峠へは、たまたま会津若松にいた大鳥さんが守備につくことになった。
そして、新選組も母成峠への出陣を命じられた。
「おい、下見に行くぞ」
土方さんが突然そう言いだした。
「えっ、下見ですか?」
「そうだ。お前、母成峠に行ったことあるか?」
首を横にふった。
ない。
「今までは、下見をする暇もなかったからしなかったが、今回は少し時間がある。何も知らねぇ所で戦をするより、少しは現地を知っていたほうがいいだろう」
それもそうだ。
と言う事で、土方さんと母成峠へ向かった。
母成峠には、なんと、大鳥さんがいた。
「なんだ、大鳥さんも下見か?」
土方さんが大鳥さんに近づきながらそう言った。
「下見はとっくに終わっている」
大鳥さんはそう言いながら他の方を見ていたのでそっちを見ると、敵の攻撃を防御するための壁が作られていた。
「大鳥さんが作ったのか?」
土方さんが驚いて聞いた。
「だいぶ昔に作られた土塁があって、それを補強しつつ増築してみた」
おそらく、関ケ原の戦いの前後あたりに作られたものらしい。
それを増築したとされるものは、三段の台場と呼ばれる砲台が置けるように高く作られていた。
「すごい……」
いつの間にこんなものを作ったんだろう?
「土方君。会津は中山峠の方から敵が来ると思っているが、私はここから来ると思っている」
「大鳥さんは何を根拠にそう言うんだ?」
「昔、伊達政宗と蘆名義弘が戦った摺上原の戦いがあり、その時にここが使われた。だから、今回も敵はここを使ってくるだろう」
大鳥さん、そこまで考えて分析をしていたんだ。
「大当たりですっ! 敵はここに二……」
二千人ぐらいの兵で攻撃をしてきますっ!と言おうとしたら、土方さんが私の口をおさえた。
「大鳥さんはお前の事情を知らんのだぞ」
耳元で土方さんの声がした。
そ、そうだった。
「どうかしたのか?」
大鳥さんが私たちを見て不思議そうな顔をしていた。
「いや、別に何でもない。たまにこいつが変なことを言うから、それを防いだだけだ」
す、すみません……。
「でも、今の会津には兵がない。だから、うちの伝習隊も置こうと思う」
大鳥さんがそう言った。
「ええっ、伝習隊をっ!」
確か、母成峠で伝習隊の犠牲が他に比べて大きかったと思う。
「何か不満でもあるのか?」
大鳥さんが私の方を見て言った。
あっ、どうしよう?
「それがいい。うちも人数が少ないが協力させてもらう」
土方さんがチラッと私をにらんでからそう言った。
「お前、何かあったのか? 大鳥さんに色々言いたそうだったが」
下見からの帰り道、土方さんが私に聞いてきた。
私はコクコクとうなずいた。
「戦は、母成峠か?」
「そうです。そこに敵は約二千人の兵を送って来ます」
「二千人だとっ!」
土方さんはそう言って驚いていた。
驚くのも無理はない。
今の私たちにはそんなにたくさんの兵力はない。
「こっちは多分……千も集められねぇと思うぞ」
土方さんは、あっちから何百、こっちから何百と言いながら指をおって数えていた。
「八百です」
「八百だとっ! 兵力でずいぶん差があるなぁ」
そうなのだ。
約二千人ぐらい対約八百人ぐらいの戦なのだ。
「後は、伝習隊だ。伝習隊に何かあるのか?」
そう、伝習隊っ!
「伝習隊も出陣して戦うのですが、会津藩兵が敗走してしまい、それを助けるために奮闘するのですが、たくさんの死者が出るのです」
私がそう言うと、
「そうか」
と言って、土方さんは黙り込んでしまった。
数日後、母成峠へ出陣した。
私たちの他にも、会津藩兵と仙台藩兵と落城した二本松藩兵と伝習隊が集まってきていた。
もちろん、敵である政府軍も集まってきていた。
母成峠の戦が始まる前の日、母成峠へ進軍する会津藩兵と政府軍が接触してしまった。
圧倒的な武器と兵力ですぐに会津藩兵が敗走した。
敗走を助けるため、伝習隊が最後まで残って戦ったのだけど、前に言ったとおり、伝習隊は三十名を超える死者を出してしまう。
大鳥さんが肩を落とす暇がないうちに、母成峠の戦が始まろうとしていた。
「敵の兵の数はすごいな」
土方さんは、砲台の横に立って、敵を見下ろすように見てそう言った。
「なんせ、二千ですからね」
こっちは八百人しかいない。
「この戦は敗けるかもしれねぇな。でも、出来る限りここを守って、会津に敵が入ってくる時間を遅らせる努力は出来るだろう」
土方さんの言う通りだ。
勝てる戦ではないことは最初から分かっていた。
でも、戦に勝たなくても、ここを出来る限り長い時間を守ることはできるかもしれない。
「敵が会津に入る時間を遅らせれば、それだけ会津の人たちの戦の準備も万全にできますよね」
私がそう言うと、土方さんは、
「そうだな。そうだといいな」
と言ってうなずいた。
そうあってほしい。
母成峠の戦は、朝、砲撃戦で始まった。
政府軍は、二千人以上の兵を三つに分けて攻めてきた。
まず、一番下の台場が政府軍のアームストロング砲の攻撃により、あっさりと落ちてしまった。
私たちは二番目の台場へと移動し、攻撃をした。
「横から来たぞっ!」
そんな声が聞こえ、横を見ると、敵が来ていた。
「こんなところから来るとは思わなかった」
と言う味方の声がたくさん聞こえてきた。
三つに分けた政府軍の二つは正面から攻撃をしてきていたのだけど、残りの一つは側面からやってきたのだ。
しかも、地元住民の案内で。
というのも、会津藩は、政府軍に宿営地を与えないため、石筵という村を焼いていた。
村を焼かれた人たちは、会津藩を恨んだ。
そして、会津の敵である政府軍を道案内し、二番目の砲台の側面を攻撃する手助けをしたのだった。
でも、この時は訳が分からなかったので、なんで地元の人たちが?という疑問がまとわりついていた。
「蒼良、大丈夫か?」
原田さんにポンッと肩をたたかれた。
「あ、はい、大丈夫です」
今は、戦の最中だ。
考えてこんでいる場合じゃない。
「第三台場陣地へ移動するぞ」
原田さんに言われ、私たちも霧が立ち込める中移動をした。
「この霧が、私たちに有利になってくれるといいのですが……」
「そうだな」
原田さんはそう返事をしてくれたけど、実際は有利にならないんだろうという思いもあった。
次はどこから攻めてくるんだろう?
三番目の台場へ移動をし、反撃を開始した。
しかし、ここも地元の人たちの案内で、霧の中なのにも関わらず、今度は私たちの後ろから攻撃をしてきた。
もちろん、味方は大混乱になり、そんな中で、三番目の台場も落とされてしまった。
もう、味方は逃げるので精いっぱいになっていた。
そんな中で、
「ここが破れれば、会津の滅亡旦夕にあり。いま一奮戦せよっ!」
という大鳥さんの声が聞こえてきた。
ここが破れたら次は会津が滅亡の危機にさらされるっ!だから、戦えっ!という事なのだろう。
しかし、この混乱の中、大鳥さんの言うことを聞いたのは、伝習隊ぐらいだろう。
伝習隊はここでも最後まで残り、そして、大鳥さんの退去命令を聞くことなくほぼ全滅をしてしまった。
土方さんは、湖南方面に、猪苗代に兵をすべて送るように文を書いていた。
早く猪苗代に全ての兵を送って守らなければ、すぐに会津若松まで敵は来るだろうというような内容だと思う。
しかし、土方さんのそう言う文もむなしく、次の日の早朝に政府軍は猪苗代に到着をした。
猪苗代では、城を守っていた人が猪苗代城と土津神社に火を放ち、会津若松に撤退した。
私たちも、会津へ向かって撤退をした。
この日は台風が来ていたらしい。
これは後でわかったこと。
雨風が強いなぁとは思っていたのだけど、この時代に台風が来ていると教えてくれる親切な人はいない。
政府軍は会津若松へ向けて進軍していた。
通過する村々に戦に必要なものを徴発した政府軍。
会津の一般の人たちは、藩からの徴発に苦しんでいたので、政府軍が来た時には、敵ではなく「官軍様」と呼んで迎え入れるぐらいだった。
そんな中、政府軍は十六橋と言う場所に向かっていた。
猪苗代から会津に入るには、十六橋と呼ばれるところを通過しなければ、たどり着かなかった。
会津藩は、政府軍が会津に入ってこないようにするため、この十六橋を破壊することになった。
その破壊中に到着した政府軍。
鉄砲を撃ち、橋を破壊している人たちを追い払った。
そして、会津へ入るために急いで橋を修復し、政府軍はその日の夜には戸ノ口原と言う場所についた。
「大丈夫か?」
土方さんが私に聞いてきた。
戸ノ口原に到着した政府軍と戦うために私たちは滝口本陣と言う場所に向かっていた。
そこには白虎隊と容保公が来ている。
「今日は寝れねぇ夜になりそうだな。お前は大丈夫か?」
戦前なのに、ニヤリと笑いながら土方さんがそう言った。
「一日ぐらい寝なくても、死にませんよ。私は大丈夫です」
「そうか。死ぬなよ」
「土方さんこそ、死なないでくださいね」
「俺はこんなところで死なねぇよ」
確かに。
歴史でも、ここで死ぬことにはなっていない。
「よし、行くぞ」
土方さんの声で、私たちは走り出した。
戦の前で緊張していたのかわからないけど、私は少しだけ足がガクガクしていたけど、気にしないようにして、走ったのだった。