良順先生の診療所
白河口の戦いで島田さんが負傷し、白河街道にある福良宿という場所の臨時で作られた病院に運ばれた。
五月に大きな戦いが白河口であり、新選組もその戦いに出陣した。
しかし、大敗をしてしまい、白河城は政府軍の手に渡ってしまう。
それから白河城を奪い返すため、会津藩と奥州越列藩同盟の兵たちは何回か攻撃するも、敗けてしまう。
敗けの知らせは私たちの所にも入ってきた。
その知らせを聞いた時、土方さんが暴れた時もあったけど、今は、寂しそうに笑って、
「仕方ねぇな」
と言っている。
寂しそうに笑っているけど、心の中では悔しくてたまらないと思う。
「今は、怪我を治すことだけ考えましょう」
私がそう言うと、
「そうだな。だいぶ良くなってきたし、俺ももう少しで戦に出れるな」
その言葉を聞くたびに複雑な思いになる。
怪我が治ったとき、土方さんは戦に行くだろう。
それはとても危険なことだ。
出来れば、いつまでもここで静かに暮らしていたい。
でもそれは、土方さんの怪我が治らないでほしいと願っていることになってしまう。
土方さんを犠牲にしてまでここにいたいとは思わない。
でも、戦には行ってほしくない。
複雑だ。
そんな中、六月になった。
現代で言うと七月の中旬から下旬あたりになる。
さすがに梅雨も明け、毎日暑い晴れの日が続いている。
「蒼良」
沖田さんに呼ばれた。
沖田さんは、お師匠様が現代から持ってきた薬で、本格的に治療を始めた。
薬を飲み始めてだいたい一週間ぐらいで効果が出てきた。
「咳が止まった」
と、沖田さんは喜んでいた。
お師匠様も、
「これで症状が改善したと言う事は、薬があったと言う事だろう。元気になると薬を飲み忘れやすい。絶対に飲み忘れるな」
と、何回も言っていた。
お師匠様がそう言うたびに、
「私がしっかりと監視してますからね」
と、私は言った。
沖田さんが回復に向かっていることは嬉しいことだ。
沖田さんは、私の監視が無くてもちゃんと薬を飲んでいた。
自分でも、これが最後のチャンスだとわかっているのだろう。
「呼びましたか?」
私が振り向くと、いつも通り楽しそうな顔をした沖田さんがいた。
「うん、呼んだ。良順先生の所に付き合ってよ」
良順先生の診察を受けに行くのかな?
「いいですよ」
ちょうど暇だったし。
「天野先生からこれをもらったんだ」
沖田さんが出してきたのは、
「注射器と注射薬じゃないですか」
「なんだかわからないけど、これを良順先生にやってもらえって」
お師匠様が沖田さんのために持ってきた薬の中に、注射器と注射薬があった。
良順先生から注射をしてもらえっていう事なんだろう。
この時代に注射器ってあったのか?
良順先生は注射をすることが出来るのだろうか?
とにかく……。
「わかりました、行きましょう」
良順先生のところに行ってみよう。
良順先生の診療所がある日新館に行くと、良順先生は忙しそうに動き回っていた。
今市宿の戦いと、白河口の戦い。
この会津近くで二つの戦があり、それによる負傷者のほとんどがここに運ばれてきているらしい。
そう思っていたのだけど、
「まったく、こんな治療をしたら、化膿するのは当たり前だろう」
と、ブツブツと文句を言っている良順先生を見ると、私が思っていることと少し違うようだ。
「繁盛しているね」
沖田さんがそう言って良順先生の近くへ行った。
繁盛しているねって、病院でそう言う事はあまり言わないと思うのだけど……。
「繁盛しすぎて困っている」
そう言いながら、良順先生はさっき診ていた患者と別な患者を診察する。
「ああ、これもだ」
患者の腕に巻かれている包帯をとり、傷口を見た良順先生はそう言った。
「どうかしたのですか?」
そう言いながら、恐る恐る患者の傷口を見てみた。
これは……、傷口が化膿している。
「これは、銃創を見たことがない医者が診察し、治療した。その結果がこれだ。化膿して、どうしようもならなくなり、ここに来た患者だ」
もしかして……。
「ここにいる患者のほとんどが、こういう患者なの?」
私の聞きたかったことを沖田さんが聞いた。
「戦で負傷した患者もいるが、こういう患者もいることは確かだ。これじゃあ治る傷も治らなくなる。何とかしないとな」
良順先生は話しながらも患者を診察して治療した。
銃創を見たことがないお医者さんが診察してこうなったと言う事は……。
「近隣のお医者さんを集め、銃創について勉強会を開けば何とかなりそうだと思うのですが……」
私がそう言うと、良順先生と沖田さんは顔を見合わせていた。
わ、私、何か変なことを言ったか?
「それはいい考えだ」
「蒼良、たまにはいいことを言うじゃん」
たまにはってなんだっ!
「早速、容保公にお願いして、医者をここに集めてもらおう。そうと決まったら、忙しくなりそうだぞ」
良順先生は嬉しそうにそう言った。
これで、怪我をして苦しむ人が少なくなるといいなぁ。
「ところで、用があったんじゃないのか?」
そうだった、良順先生にそう言われるまですっかり忘れていた。
「ああ、見たことあるぞ」
そ、そうなのかっ!
あれから診療所の奥にある部屋に行き、注射器と注射薬と見せた。
この時代に注射器があったのだろうか?そう思いながら見せたのだけど、良順先生が見たことあると言ったので、驚いてしまった。
この時代にも、注射器があったんだっ!
「実物はこれとはずいぶんと違うが……」
それはそうだろう。
この注射器はこの時代のものではない。
「これとはずいぶん違うって、良順先生が見たのはどういうものだったの?」
沖田さんが不思議そうな顔をして聞いた。
確かに、この時代の注射器はどういうものだったのだろう。
「長崎で勉強しているときに見たのだが……」
後で色々調べてみると……。
まず注射器は1853年にスコットランドの医師によって発明された。
そう、この時代から見るとつい最近の事なのだ。
そして、1865年にオランダの医師が、長崎に持ち込んできた。
良順先生は、長崎でオランダの医師から医学を学んでいる。
このオランダの医師が、注射器を持ってきた医師と同じかどうかまではわからないけど、このつながりで良順先生は注射器を見たのだろう。
「わしが見た注射器は、この部分がガラスだった」
薬を入れる部分をさわりながら良順先生が言った。
「蒼良君の時代のものか?」
良順先生も私が未来から来たことを知っている。
色々な薬を持ってきていればばれるのも時間の問題だよね。
私がうなずくのを見ると、良順先生は珍しそうに注射器をながめてた。
「この注射器に薬を入れて、沖田さんに注射してほしいのですが……」
良順先生、大丈夫かなぁ。
「そうか、やってみよう」
「ところで、良順先生はこれをやったことがあるの?」
沖田さんがそう言うと、
「やったことはないが、教わっている」
そうか、よかった。
私はホッとしたのだけど、
「やったことはないって、大丈夫なの?」
と、沖田さんは不安そうだった。
「安心しろ。死にはせん」
えっ、良順先生、それはどういうことだ?
っていうか、注射でも死ぬようなことがあるからね。
そんな私の思いを無視するように、良順先生は慣れた手つきで注射器に薬を入れる。
もしかして……。
「やっぱり注射したことがあるのですね」
きっとさっきのは冗談だったのだ。
だって手つきが慣れているんだもん。
「いや、これが初めてだ。この注射器は使いやすいな」
えっ、そ、そうなのか?
「良順先生、本当なの?」
そう言う沖田さんを無視して、薬を注射器に入れ終わった良順先生は、沖田さんに
「で、どこにうつ?」
と聞いた。
どこにって……。
「普通は腕ですが……」
私がそう言うと、
「そうか、腕だな。よし、沖田君、腕を出せ」
と、良順先生は言った。
沖田さんは恐る恐る腕を出した。
良順先生はブスッと音がするぐらいの勢いで針を刺した。
「あ、いてっ!」
沖田さんが腕を引っ込めようとしたので、私が沖田さんの腕をおさえた。
「蒼良、離してよ」
「だめです。今離したら危ないので」
そう言っている間に、良順先生は注射器の中の薬を全部沖田さんの腕の中に入れた。
そしてあっという間に注射は終わった。
よかった、無事に終わって。
「こんな感じでいいかな?」
良順先生が私に聞いてきた。
「はい。ありがとうございます」
よかった。
あと数回薬が残っているから、また良順先生に頼めそうだ。
「良くないよっ!」
私とは逆に沖田さんは怒っていた。
ど、どうしたんだ?
「こんなに痛いものだとは知らなかったよ」
あ、そうか。
私は小さいときから注射してきたから痛みとか知っているけど、沖田さんは初めての注射だった。
「針を刺すんだから、痛いに決まっているだろう」
良順先生は何事もなかったような顔でそう言った。
「そうだけどさぁ。まだこの薬あったよね?」
「はい、何回か注射してもらわないと、労咳が治りませんよ」
「なんとっ! これは労咳の薬か?」
あっ、良順先生に説明していなかった。
「それなら、後日でいいから、一つもらえないか? どういう物を使って作られているのか、医者として知りたい。多分、この世に無い物ばかりだと思うがな」
良順先生は以前も労咳の薬を一つもらい、それを調べたことがある。
そして、この時代に無い物ばかりで作られていたので、私が未来から来たと言う事がばれたのだ。
「わかりました。後日持ってきます」
「僕は嫌だなぁ。痛いんだもん」
「沖田さん、チクッとしてあっという間に終わるじゃないですか。少しぐらい我慢してください」
「蒼良は自分がやらないからそう言うんだよ。本当に痛かったよ。蒼良もやってみなよ」
なんで私まで注射されなければいけないんだ?
冗談じゃない。
「遠慮します」
「ほら、やっぱり蒼良も嫌なんじゃん」
注射が好きっていう人もあまりいないと思うんだけど。
「わがまま言うんじゃない。治らない人の方がたくさんいるんだぞ」
良順先生もそう言ってくれたけど、沖田さんは聞く耳を持たなかった。
「わかりましたっ! 沖田さんが注射をちゃんとしたら、ほしい物を一つ買ってあげますよ」
ただし、あまりお金の高い物じゃないもので。
「ほしい物は特にないから、僕が注射をしたら、蒼良が僕のお願いを一つ聞いてよ」
それでいいのか?
「わかりました。お願いを一つ聞きますから、ちゃんと注射してくださいね」
「しょうがないなぁ」
なんか、小さい子供を相手しているみたいな感じになってきてしまった。
帰り道、沖田さんが楽しそうに
「蒼良に何をお願いしようかなぁ」
と言っていた。
なんか、嫌な予感しかしないのは気のせいか?