良順先生と牛
「今日はだいぶ調子がいい」
土方さんが上半身を起こしてそう言った。
今まで痛くて機嫌が悪い日もあったもんね。
これからは、少しずつだけど調子がいい日も出てくるのだろうなぁ。
そうなってくると嬉しいなぁ。
「よかったですね」
「お前のおかげだ。ありがとう」
えっ、そう言われると照れるじゃないか。
「土方さんらしくないですよ」
照れて布団の上から土方さんを軽くたたいたのだけど、土方さんの反応がなかったので、どうしたのかなぁと思い見てみると、土方さんは真っ赤な顔をして痛みを我慢しているような顔をしていた。
ど、どうしたんだ?
「お前、もう少したたく場所を考えろ。お前がたたいた場所は怪我している足だったぞ」
そ、そうだったのか?
「大丈夫ですか?」
自分でたたいといてなんだけど……。
「わざとじゃねぇよな?」
そう言ってにらみつける土方さん。
そ、そんな、わざとじゃないですよ。
「ま、お前の事だから、わざとじゃねぇんだろう」
土方さんが足をさすりながらそう言うと、
「あ、元気そう」
と言いながら沖田さんが入ってきた。
「なんか、汗が浮いているけど、まだ痛いとか?」
「今、こいつにたたかれた」
うっ、わざとじゃないんですよ。
「蒼良、なかなかやるね」
えっ、なんてことを言うんだ、沖田さんは。
「わざとじゃないですよ」
「え、わざとじゃないの? じゃあ、真面目にたたいたとか?」
真面目にたたいたら、土方さんがものすごい勢いで怒るだろう。
いや、真面目とかそれ以前の問題だろう。
「おい総司、なにが言いてぇんだ? こいつがわざとたたくわけねぇだろう」
土方さんはわかってくれている。
「そもそも、土方さんは蒼良を使いすぎるんだよ。蒼良だって、土方さんの看病でずうっとこの部屋にこもっているのわかってる?」
「沖田さん、私が勝手にやっていることなので……」
土方さんに
「俺の看病を頼む」
なんて一言も言われていない。
「それがどうした?」
土方さんは開き直るように沖田さんにそう言った。
「だから、僕が蒼良を気晴らしに外に連れ出すので、よろしく」
えっ、そうなのか?初めて聞いたぞ。
「ほら、蒼良。行くよ」
沖田さんが私の手を強く引っ張り、座っていた私を立たせた。
「おい、ちょっと待て。そこにこいつの意思はあるのか?」
土方さんの言う通り、そこに私の意思はあるのか?
「この前、蒼良と約束したから。ほら、行くよ」
えっ、約束したか?
と思っている間にも沖田さんに手を引かれ、部屋の外に出た。
ええっ、土方さんに一言いってから。
と言う間もなく、外に連れ出されたのだった。
「私、沖田さんと何か約束しましたか?」
沖田さんは約束したと言っているんだけど、全然身に覚えが……。
「蒼良、良順先生の診察に付き合ってくれるって言ったじゃん」
あ、言った、確かに言った。
この前、花菖蒲をとりに行った帰りに約束した。
「それなら、良順先生の診察に一緒に行くって、土方さんに言ってくれればよかったのに」
そしたらすぐにわかって、私も土方さんに声をかけて出たのに。
「そんなの面倒じゃん」
えっ、そうなのか?
「それに、いつも蒼良を占領しているんだから、たまには土方さんもやきもきさせたほうがいいんだよ」
やきもきって……いいのか?
でも、土方さんはこんな事でやきもきするのか?
「とにかく、良順先生の所に行くからね」
行くからねと沖田さんは言ったけど、すでにむかっていた。
良順先生の所に着くと、先客が数人いた。
会津藩の人かな?
少し年配の人たちだった。
「取り込み中みたいだから、ここで待ってよう」
沖田さんと一緒に隣の部屋で座って待っていたら、
「とんでもないっ!」
と、年配の人が言う声が聞こえてきた。
思わず沖田さんと顔を見合わせてしまった。
その後、一緒に隣の部屋とを仕切る襖のそばに近づき、中で何が起きているか耳を襖にあてて聞いた。
「先祖の代から牛を殺すことは禁じられているっ! ましてや牛を食べるなんて考えられんっ!」
牛?牛がどうかしたのか?
「会津は海がなく、滋養のある食べ物は鶏卵しかないだろう。それじゃあ体力がつかん。これから戦になるのに、牛を殺せないとか言っている場合じゃないだろう。今は、非常時なんだ」
良順先生は、栄養をつけるために牛を食べたほうがいいと言ったのだろう。
この時代、牛は農業をするのに必要な動物だから、殺して食べるなんてとんでもないっ!という考えの人が多い。
でも、良順先生の言う事は間違っていないと思う。
戦に向けて体力をつけるために牛を食べることも必要なことだ。
「それは認めんからなっ!」
そう言う声が聞こえ、ドタドタと足音が遠ざかっていた。
どうやら先客が帰ったらしい。
「やれやれ。もう出てきてもいいぞ」
良順先生の声が聞こえた。
「あ、聞いていたのばれちゃったね」
沖田さんはいたずらが見つかった子供の用に笑ってそう言った。
ここって笑う所なのか?
「良順先生も大変そうだね」
そう言いながら、沖田さんは良順先生の前に座った。
「牛は農耕に使うから殺すのはとんでもないと言う言い分も分かるが、こちらの話をいっさい聞かないのはまいった。話にならん」
「直接、容保公に言ってみたらどうでしょうか?」
容保公なら、今は非常時なのを知っているから、理解を示してくれると思うのだけど……。
ただ、そう簡単に会えるものなのかなぁ。
「わかった、そうしてみよう」
あっさりと良順先生はそう言った。
良順先生は簡単に会えるみたい……。
「で、沖田君は調子はどうだ?」
良順先生の診察が始まった。
聴診器を沖田さんの胸にあてた良順先生。
そこでちょっと怪訝な顔をした。
な、なにかあったのか?
もしかして、労咳が悪化しているとか?
そう言えばこの前、咳をしていたよなぁ。
「先生、何かあるの?」
沖田さんも良順先生の様子がおかしいことに気がついたのだろう。
沖田さんに聞かれても、しばらく無言で聴診器を当てていた良順先生。
その間、部屋に重い沈黙が流れていた。
「気のせいかもしれないな」
良順先生はそう言いながら聴診器をしまった。
「何かあったのですか?」
不安のあまり、思わず聞いてしまった。
「いや、少し肺の音がおかしいような感じがしたんだが、気のせいかもしれない。念のため、近々また診察に来たほうがいいかもしれないな」
そうなのか?
「僕は構わないよ。また蒼良とここに来れるから」
沖田さんは楽しそうにそう言ったけど、全然楽しいことじゃないからね。
「それなら今回は様子見だな」
なんか不安だなぁ。
「そんな不安そうな顔をしなくても大丈夫だ。もし労咳の症状が出たとしても、まだたいしたことはない」
そうなのか?
「そうだよ。僕はこんなに元気だし、蒼良や良順先生が心配しすぎなだけだよ」
心配するだろう。
労咳はこの時代は不治の病なんだぞ。
「蒼良、大丈夫だよ」
今度は私にむかって言った。
顔は笑っていたけど、目が真面目だった。
沖田さんがそこまで言うのなら大丈夫なのだろう。
「で、土方君の様子はどうだ?」
そうだ、土方さんも良順先生に診てもらっていたんだ。
「今日は調子がいいと言っていました」
「それはよかった。近いうちに往診に行くから、よろしく伝えてくれ」
「わかりました」
私たちは良順先生の所を後にした。
それから数日後。
良順先生が土方さんの診察にやってきた。
「順調に回復してきているな」
包帯をとり、怪我をした足を診た良順先生はそう言った。
「土方さん、よかったですね」
「先生、俺はいつ外に出れる?」
えっ、もう外に出るつもりなのか?
「しばらくは杖をついてだな。もうちょっとゆっくりしたほうがいいだろう」
「ゆっくりもしてられねぇ。白河の方も気になるし」
まさか、白河に行くつもりなのか?
「白河は無理だ。今の状態だと、斎藤君の邪魔になるだろうな」
確かに……。
「くそっ、いつ治るんだ?」
「弾が貫通しているんだ。骨がつくまで時間もかかる。ここはゆっくり治療し、これからのために完全に治したほうがいい」
良順先生の言う通りだ。
「わかった。今はそうするしかなさそうだな」
土方さんも納得してくれた。
良順先生が帰るために立ち上がった時、私と目があった。
「あ、そうだ。蒼良君に頼みがあるのだが……」
えっ、私に頼み?
なんだろう?
「牛の件を容保公に頼んだら、牛数頭を贈ってきた」
そ、そうなのか?容保公、太っ腹だなぁ。
「ただ、牛を調理したことない人間ばかりでな。もしかしたら、蒼良君なら牛を調理したことがあるだろうと思ってな。どうだ?」
調理したことがあるかどうか聞いているのだろう。
「ありますよ」
「お前、あるのか?」
この時代ではかまどが使えないから料理ができないと思われているけど、現代では普通に調理できるからね。
こう見えても、お師匠様のご飯は私が作っていたんだから。
「かまどは使えませんが、牛肉なら調理したことがありますよ」
私がそう言うと、沈黙が流れた。
なんかいけないことを言ったか?
「無理だろう」
土方さんがそう言った。
な、なんでそう言うんだ?
「かまどが使えねぇのに、よく調理できるとか言えるよなぁ」
えっ、いけなかったか?
「それは他の人間にやらすから、蒼良君は指示だけ出してくれればいい」
あ、それなら出来るかも。
「わかりました」
と言う事で、私も牛の料理を作るお手伝いをすることになった。
次の日、良順先生の診療所がある日新館へ行くと、牛が数頭いた。
「これを食べると言う事は、これを殺すってことだよな」
今回、一緒に来てくれた原田さんが大きな牛を見てそう言った。
あっ、そうだよね……。
誰がさばくんだ?
「蒼良がやるのか?」
ええっ、そ、そうなるのか?
「わ、私は無理ですよ」
調理はできるけど、さばくのはやったことないからね。
だって、スーパーに行ったらちゃんと部分ごとにさばいたやつが売っていたからね。
「だよなぁ。じゃあ俺がやるか」
原田さんが槍を振り回した。
「さばくのはこっちでやるからいい」
原田さんは良順先生に止められた。
「乱暴にやられても困るからな」
あ、そうなんだ。
「なんだ、せっかく牛が切れると思っていたのにな」
えっ、そうなのか?
牛は良順先生のよりさばかれ、ちゃんと部分ごとに届けられた。
尊い命を犠牲にしてここにあるのだから、あまらすことなく使おうと思い、骨まで使った。
その料理は患者さんたちに食べさせたのだけど、健康な人まで食べに来た。
それだけならまだいい。
「蒼良君、あれを見てみろ」
良順先生にそう言われたので見てみると、この前
「牛を殺すなんてっ!」
と、文句を言っていた人たちも食べていた。
チラッと良順先生の顔を見ると、苦笑いをしていた。
「これがお前が作ったやつか」
土方さんに持って帰るとそう言われた。
正確には、私が指示を出して作らせたものなのだけど。
「意外とうまいぞ」
意外とってどういうことだ?
土方さんの言う通り意外とおいしかったのだろう。
あっという間に平らげてしまった。
これで栄養がついて、土方さんや他の人たちの病気や怪我が治るといいな。