土方さんの悪夢
閏四月になった。
旧暦のこの時代、暦のずれを補修するため、閏月と言うものがあり、一年が十三カ月ある年がある。
今年は四月にこの閏月があり十三カ月ある年になる。
ちょっと得した気分になる。
この時期、現代になおすと五月下旬から六月中旬ぐらいだ。
例年だと、梅雨に入る前で、晴れた日が続いている。
今年も、いつもと変わらない天気だ。
変わったのは、私たちがいる場所。
ちょっと前まで京にいたと思ったのに、今は会津にいる。
移り変わりが早いせいか、毎日が忙しく過ぎていく。
先月の終わりごろ、近藤さんが処刑された事がわかった。
土方さんは、宇都宮の戦いで足を負傷して、布団の中で日々を送っていた。
そんな中でも土方さんは、表向きには何事もなかったかのように過ごしている。
でも、たまに江戸の方向を見て遠い目をしてる時がある。
やっぱり近藤さんが処刑されたのはショックだったのだろう。
武士の名誉の死と言われている切腹ではなく、罪人扱いになってしまう斬首と言う事もショックの一つじゃないかな?
「江戸からずうっと一緒だった俺たちでさえ信じたくないのだから、付き合いの長い土方さんは俺たちよりその思いは強いだろう」
原田さんに土方さんの事を言ったら、そう言われた。
「そうですよね」
私は、歴史が変わらなかったと言う事がショックだ。
あれだけ手をまわしておいたのに……。
まるで、自分が大きな川の中で一生懸命川の流れを変えようともがいている魚のように思えてくる。
「近藤さんの首は、塩つけにされて京でさらされるらしい」
原田さんがボソッと言った。
そ、そうなんだ。
それはあまり見たくないなぁ。
「俺はまだ信じられないよ。近藤さんが亡くなったって」
そうなのだ。
実感がないのだ。
実際に処刑の現場にいたならともかく、みんな人から聞いた話なので、信じられないと言うか、信じたくないと言うか……。
でも、良順先生が嘘をついているとも思えないし。
「信じられないけど、受け入れないといけないのですよね」
私はそう言っていた。
信じたくないけど、近藤さんが亡くなったことは受け入れないといけない。
いつまでも、こんな状態だと、亡くなった近藤さんだってうかばれないだろう。
「そうだな。ただ、もう少し時間がかかりそうだな」
原田さんは寂しい笑顔でそう言った。
そうだよね。
一緒にいた時間が長い人ほど、受け入れて前に進むまでの時間が必要だ。
ある日の夜、
「うわっ!」
という土方さんの声がした。
夜中に何かあった時にすぐ対応できるように、私は土方さんの隣に布団を敷いて寝ていたのだけど、土方さんの声に驚いて飛び起きた。
「土方さんっ!」
何があったんだ?
起きて土方さんの方を見ると、上半身だけ起こして、肩を動かして呼吸をしていた。
相当荒い呼吸だ。
「大丈夫ですか?」
近づくと、土方さんは全身に汗をかいていた。
着物もぬれている。
診察をしてくれた良順先生が、
「怪我をしているから、その影響で熱が出るかもしれない」
と言っていたから、熱があるのかもしれない。
土方さんのおでこをさわったら、体の芯に熱い物が入っているような熱さだった。
これは、熱が出てきたな。
着物がぬれているから、取り替えたほうがいいだろう。
「土方さん、着替えますか?」
声をかけるけど、土方さんは返事もせずただ荒い呼吸を繰り返していた。
「土方さん?」
肩を揺すって声をかけると、
「俺が殺した……」
と、ボソッと言った。
えっ?
「近藤さんは、俺が殺したんだ。近藤さんに恨まれたって仕方ねぇことを、俺はしたんだ」
「土方さん、近藤さんは処刑されたのですよ。土方さんが殺したわけではないのですよ」
私は土方さんの顔をのぞき込むように見てそう言った。
「いや、俺が殺した。流山で、出頭させなければ……。どうせこうなるのなら、あそこで切腹させてやりゃよかったんだ」
何言っているんだ。
「土方さんは近藤さんを殺していません。出頭しろって土方さんが言った時だって、近藤さんがそれを拒否することは可能でした。それをしなかったと言う事は、出頭は、近藤さんの意思でしたのだと思います」
近藤さんは、土方さんに説得され、それで自分で決めて投降したんだ。
「俺があのときに説得したから、近藤さんだってその気になって出頭したのだろう。大久保大和として出頭したら大丈夫だ。なんて、俺も甘かったよな」
「それを言うなら、私も同罪です。大久保大和が近藤勇だとばれると知っていながら、何もしなかったのですから」
土方さんは黙って私の話を聞いていた。
「着物、取り替えましょう。ついでに体も拭いてさっぱりしたほうがいいですね。人を呼んできます」
一応、私は女なので、土方さんの裸を見るのはちょっとねぇ。
と言う事で、部屋から出て他の人を呼んで着替えさせてもらった。
「さっぱりしましたね」
着替え終わったころ、私は部屋に入った。
「まだ夜なのに、起こして悪かったな」
そんなことはない。
「土方さんは怪我人なのですから、こういう時ぐらい甘えてもいいのですよ」
そう言って、私も布団に入った。
こんな日が数日続いた。
土方さんの足の怪我からの発熱はまだ続いていた。
夜中に飛び起きる日々も……。
きっと、近藤さんの事で自分を責めているのだろう。
それで悪夢を見て飛び起きるのだろう。
どんな夢を見たのか聞いても、土方さんが答えることはなかった。
「あ、蒼良、目の下にクマが出来てるよ」
えっ、そうなのか?
思わず、目の下をおさえてしまった。
「やっぱり、寝不足?」
沖田さんのその言葉に、夜の出来事を全部話した。
「それじゃあ、蒼良も、寝不足になるよね」
と、沖田さんは楽しそうにそう言った。
だから、全然楽しくないんだからね。
「近藤さんは、土方さんを責めるような人じゃないって、一番わかっている人なのに、何やってんだかね」
そう言いながら、沖田さんは土方さんの部屋に入って行った。
「沖田さん、何をやるつもりですか……?」
「土方さんにちょっと一言いってやろうと思ってね」
ええっ!土方さんは熱があるのに、沖田さんがそんなことを言った日には、土方さんが……。
これは絶対だめだ、沖田さんを止めないとっ!
と思っている間にも、さっさと沖田さんは部屋に入って行った。
「土方さん、なんか夜中に騒いでいるらしいね」
沖田さんはそう言いながら、土方さんが寝ている布団の横に座った。
動きが早くて止めれなかった……。
「俺は、近藤さんに謝っても謝りきれねぇぐらい悪いことをしてしまった。近藤さんは俺が殺したようなものだもんな」
土方さんは、布団に横になったままそう言った。
そんなことはない。
私がそう言おうとしたら、
「近藤さんはそうは思っていないと思うけどね」
と、沖田さんが言った。
「近藤さんの事だから、誰のせいでとかそんなこと思っていないと思うよ。色々あったけど、いい人生だったよなぁって、思ってたんじゃないの? 近藤さんは人を責めるような人じゃないって、土方さんが一番知っているはずじゃん」
沖田さんの言う通りだ。
近藤さんは面倒見がよくて、人も良くて、だから色々な人が近藤さんを好きになってしまう。
そう言う人だ。
人を責めるような人じゃない。
「近藤さんが俺をせめねぇから、俺は自分で自分をせめているんだ。あの時、俺が出頭しろって言わなければ、近藤さんもここにいたはずだ」
「近藤さんが出頭したのは、自分の意思だと思うけどね。土方さんに止められて切腹をやめたのも、出頭したのも近藤さんが決めたことで土方さんが決めたことじゃないでしょう」
沖田さんの言う通りだと思う。
「近藤さんの事だから、本当に切腹したければ、土方さんが止めてもすると思うけどね」
沖田さんがそう言うと、
「それもそうだな」
と、土方さんが張りつめていたものがほどけるようにそう言った。
「土方さん、天国と言うか、極楽浄土で近藤さんが見ていますよ。今の土方さんを見た近藤さんはきっと心配になって成仏できませんよ。だから、もう自分を責めるのはやめてください」
私がそう言うと、
「極楽浄土じゃなくて、地獄だろう」
と、土方さんが言った。
えっ、そうなのか?
「俺たちが極楽浄土に行くわけねぇだろう」
そ、そうなのか?
「土方さんは地獄に落ちるんだよね」
沖田さんが楽しそうに言った。
「人をたくさん斬ったからな。極楽には行けねぇな」
そ、そうなるのか?
その日から、土方さんが夜中に声をあげて起きることはなくなった。
そしてお坊さんや会津藩の人が来るようになった。
人が来ると、熱があっても上半身だけ起こして話をした。
その人たちが帰った後、
「近藤さんの墓を作ろうと思っている」
と、熱で瞳をうるませて土方さんがそう言った。
「いいことだと思います」
うん、いいことだ。
そう言えば、会津に近藤さんのお墓があったなぁ。
「会津は静かだし、それに俺たちを預かってくれた容保公の領地だ。近藤さんも喜んでくれるだろう」
「はい、きっと喜んでくれてます。ご……」
極楽で、と言おうとしたけど、地獄だってこの前言われたばかりだった。
お墓は天寧寺と言うお寺に建てられることになった。
戒名の字は容保公が書いてくれるらしい。
戒名は「貫天院殿純忠誠義大居士」
「貫天院殿純義誠忠大居士」とも言われている。
容保公から近藤さんに贈られた戒名だった。