そして近藤さんは……
蒼良はんが土方はんの後を追うように鴻之台へ出発してから何日かが過ぎていた。
蒼良はんは今、宇都宮あたりにいるらしい。
天野先生が教えてくれた。
天野先生はなんでも知っていて不思議な人や。
蒼良はんたちがいる場所もなぜか知っとって、みんなが知る前にうちに教えてくれた。
「なんでそんなに知っとるんですか?」
いつか、不思議に思うて天野先生に質問したら、
「わしはこれから先に起こることを知っとるんじゃ。ただそれだけじゃ」
と言っていた。
やっぱり不思議な人やわ。
そんな天野先生は毎日のように板橋宿へ行っていた。
板橋宿へ行って捕まらんのやろうか?
それが心配で天野先生に聞いてみた。
「なんでわしが捕まるんじゃ?」
「なんでって、勇はんも捕まっとるし、土方はんがここにおったときも、見つからんように隠れて生活しとったから……」
てっきり、天野先生も捕まるんやないかと思っとったけど。
「わしは捕まらんよ。なぜならわしは新選組じゃないからな」
確かに、天野先生は新選組のお人ではないけど、家族が新選組に入っとる。
天野先生のお孫はんにあたる蒼良はんや。
新選組じゃないだけで捕まらんのやったら、勇はんの奥さんだって隠れんでもええはずや。
でも、勇はんの奥さんもどこかへ隠れとるって聞いたから、うちも目立たんように生活しとるんやけど。
それって違うんやろうか?
逆に、堂々と生活しとった方がええんやろうか?
「楓や。わしは捕まらんよ。捕まらんように裏で手を回しておるのじゃ」
天野先生はまたわけのわからんことを言うた。
やっぱり、天野先生は不思議な人や。
そんな不思議な天野先生がある日信じられんことを言いだした。
「楓、板橋宿へ一緒に来るか?」
板橋宿は、勇はんがいるところや。
うちが行ってもええんやろうか?
「近藤にも会えるかもしれんぞ」
ほんまに?
会えるんならすぐにでも行きたいわ。
でも、うちは行ってもええんやろうか?
捕まらんのやろうか?
「楓は何も心配することない。すべてわしに任せておけ」
天野先生がそう言うのなら、心配ないのかもしれんわ。
と言う事で、勇はんがおる板橋宿へうちらは移動した。
板橋宿にある長屋に住むことになった。
外に出ると、官軍がウロウロしとって、捕まるんやないかと怖かった。
天野先生は怖がっとる私に、
「何も悪いことはしとらんから、堂々としとけ。相馬もだぞ」
私たちと一緒に板橋宿に来た相馬さんにもそう言った。
確かに、うちは悪いことは一つもしとらん。
堂々としていよう。
そう思うたら気が楽になった。
勇はんは板橋宿平尾宿脇本陣の豊田家に幽閉されている。
同じ板橋宿におるのに、建物は見えんから、いつも勇はんが幽閉されとる方向を見ては、勇はんのことを心配する。
勇はん、ほんまに助かるんやろうか?
助けるために、天野先生や蒼良はんが色々やってくれてたんやないの。
弱気になってどうするんや。
うちが弱気になったらおしまいやで。
そう思い、自分で自分を元気づける毎日を送っていた。
天野先生は勇はんが幽閉されとる家の近くまで行っとるらしい。
毎日、うちに報告してくれる。
その報告を聞いては、嬉しくなったり悲しくなったりしてた。
そんなある日、天野先生が信じられんことを言いだした。
「楓、近藤に会いたいか?」
そりゃあ会いたいわ。
でも、それが無理やからここで会わずに我慢しとるんや。
近くまで来とるのに。
ほんまは飛んでいきたいぐらいなのに。
「近藤に会わせてやる」
天野先生の言っとることが信じられへんかった。
そんなこと、出来へんやろう。
「豊田家の家の人間に話をつけてある。楓は豊田市右衛門の遠い親戚で、今日はたまたま近くまで来たから寄ったと言う設定にしているから、その通りに動いてもらえば大丈夫じゃ」
ほんまに、大丈夫なんやろうか?
「捕まりまへんか?」
「大丈夫じゃ。そのために今まで準備をしていたのじゃからな」
このために、毎日、勇はんのいる場所まで行っておったんか?
「ただし、一度だけだ。わかったな」
そりゃ、何べんも会いに行くのは無理やって、うちも分かっとる。
でも……。
「奥さんを差し置いて、うちが会いに行ってもええんですか?」
勇はんの奥さんは、どこかで隠れて暮らしておる。
それなのに、私だけ会いに行ってもええんやろうか?
「近藤の妻子は政府軍に目をつけられとるから無理じゃ。その点、楓は目をつけられとらんから、大丈夫じゃ」
それは嬉しいような悲しいような気持になるなぁ。
「ほんまにええんですか?」
「さっきも言ったが、一度だけじゃ。それでよければ会いに行けるぞ」
「わかりました。会いに行きます」
勇はんに会いに行く。
勇はんは大丈夫やろうか?
勇はんに持って行きたいものもたくさんあるけど、そこまでは無理そうやわ。
でも、会えるだけでもええ。
勇はん、どうしとるんやろうか?
板橋宿平尾宿脇本陣豊田家は、昔、珍しい動物がやってきて、見世物になっとったらしい。
天野先生は
「ラクダじゃな」
と言っとった。
中に入り、ご主人と挨拶をした。
「天野先生の知り合いだから、こっちも仕方なく応じたけど、今回だけにしてくださいよっ!」
強い口調で、ご主人は天野先生に言うた。
「わかっとる、わかっとる」
天野先生はご主人の強い口調を受け流すようにそう言うた。
「外部にこのことをもらさないようにしてくださいねっ!」
今度は私の方を見てご主人は言うた。
ほんまに勇はんに会うてもええんやろうか?
ご主人の口調を聞いとると、会うたらあかんように聞こえてくる。
「天野先生、勇はんに会うのが大変なことなら、うちは別に会わんでもええんです。こちらのご主人にも迷惑かけとるようやし……」
「それならこっちもありがたいんだけどね」
私の言葉を聞いたご主人はそう言うた。
「楓、ここまで来てそれはないじゃろう」
ご主人とは逆に、今度は天野先生があせったように言うた。
「今日までわしは手をまわしてきたんじゃ。それを楓は否定するのか?」
そう言うつもりやないんやけど。
「でも……。ご主人が困っとるようやし……。無理して勇はんに会うても、勇はんも喜ばんかもしれん」
逆に迷惑やと思われたら、うちも悲しいわ。
「楓、そんな心配しなくてもいい。楓はどうしたいんじゃ?」
うちは……。
「会いたいどす。勇はんと流山で別れてから、勇はんのことしか考えられへん。朝起きると、勇はんも起きとるやろうか? とか、夜になると、今日一日、勇はんはどんな一日を送ったんやろうか? とか、でも、でも、うち、ほんまに、勇はんに会うてもええんやろうか?」
泣きながらうちはそう言うていた。
ほんまに会うてもええんやろうか?これがうちのほんまの気持ちや。
流山で別れてから、会えんかもしれんと覚悟を決めたさかい、ここで会えると思うたら、ほんまに会うてええんやろうか?と、不安になる。
勇はんが無事に外に出てきたんなら遠慮なく会うけど、まだ刑も決まっとらんし、幽閉されとる。
幽閉されとる場所に会いに行って、勇はんは大丈夫なんやろうか?
「迷っとったんか。ま、当たり前じゃな。無罪放免なら堂々と会えるだろうが、そう言う状態じゃないからな」
天野先生はうちの言いたいことがわかってくれたようで、そう言うてくれた。
「楓。わしらは近藤の助命活動をやってきた。しかし、それが成功するとは限らんのじゃ。ここで会わなかったら、もしかしたら次に会うのは、刑の執行時になるかもしれん。それでもいいのか?」
いいわけない。
次に会うのが勇はんが亡くなる直前なんて、そんなん嫌や。
考えられへん。
でも、それはほんまの事なのかもしれん。
うちが考えないように避けとることがこれなんや。
「うちはどうしたらええんや?」
うちがそうつぶやくと、
「会えばいい。私は知らなかったことにしておく」
うちらがおる部屋に誰かが入ってきた。
「横倉か。今回は無理を言ってすまなかったな」
天野先生がそのお人に謝った。
「その代わり、今回だけです」
横倉はんと言うお人は厳しくそう言うた。
「ここで話をしていたら時間が長くなり、見つかりやすくなる。会うなら早く済ませたほうがいい」
そう言う事なんやな。
「楓、行って来い」
天野先生もうちの背中を押してくれた。
「わかりました。行ってまいります」
うちはそう言うて立ち上がった。
勇はんが幽閉されとる部屋まで行った。
家の人に場所を説明され、その通りに言った。
案内してくれる人なんておらん。
見つかったらただじゃすまんから、誰もうちらにかかわらんのや。
うちも、そっちの方がよかった。
うちのせいで、この家の人らが責められるのは嫌だったさかい。
部屋の前に来て、襖を少し開けて中をのぞいた。
流山で別れた時より少しやつれた感じの勇はんがおった。
その姿を見てうちは我慢できんかった。
スッと襖を開けた。
音に気がついた勇はんはうちの方を振り向いて、驚いた顔をした。
「か、楓っ!」
「勇はん、会いに来ました」
うちは正座をして頭を下げた。
勇はんは信じられないような感じでうちの姿を見ていた。
「楓、会いに来てくれたのは嬉しいが、わしはお前にこうやって会うわけにはいかない身なんだよ」
勇はんは優しく説明するようにそう言うた。
「わかっとります。勇はんのことは全部わかっとります」
全部わかっとる。
だから好きになったんや。
「それなら、すぐに帰りなさい。みんなに迷惑をかけてしまう」
一目会うただけで、今はもう満足や。
会えんと思うてたから。
「そして楓。わしのことを早く忘れて、幸せになりなさい」
勇はんはうちの方を見てそう言うた。
「なんで、なんで忘れんといかんの?」
忘れられるわけないやないの。
「楓は幸せにならないといけない。好きな人にはわしがいなくなった後も幸せに暮らしてほしい」
いなくなった後って……。
勇はんは、天野先生や蒼良はんたちが助命をするために走り回っとる時に、もう死ぬ覚悟を決めたんや。
「なんで、そんな覚悟を決めなあかんの? 助かるかもしれんやないの」
「いや、もうわしは助からんだろう。武士らしく切腹も出来そうにないしな。それなら最後は堂々とするつもりだ。生きることに未練を残していたら、堂々とは死ねんだろう」
だから、覚悟を決めたん?
悲しすぎる。
「楓、そろそろ時間じゃ」
襖の外から天野先生の声が聞こえてきた。
その声を聴いた勇はんは、
「天野先生によろしく伝えてくれ。あと、歳に会うことがあったら、歳のせいでわしが死ぬことになったんじゃない。わしが自分で決めてここにいるんだから、歳は自分を責めるなと、伝えてくれ」
そう言うと、勇はんは優しく笑った。
「そして、楓。わしがどういう死に方をしても、誰も恨んではいかん。恨みからは何も生まれんからな。幸せになれ」
最後にそう言うと、勇はんはうちに背中を向けた。
うちは、泣きながら頭を下げ、勇はんがいる部屋を後にした。
それから数日が過ぎた。
勇はんはわしを忘れろって言うたけど、忘れられるわけないやないの。
今日も勇はんがいる方向を見てそう思うた。
しかし、今日はいつもと違った。
「楓っ! 大変じゃ。近藤が処刑される」
天野先生がそう言うてきた。
勇はんが亡くなるの?
うちは何も考えられんかった。
「楓、しっかりしろ。まだ近藤は処刑されとらんっ! わしが何とかしてくるっ! ったく、蒼良がしっかりと香川敬三に怪我させていればこうはならんかったのにっ! ああ、でもここまで手をまわしてもこうなったと言う事は、土佐藩はそうとう新選組を恨んでいると言う事だな」
天野先生は最後の方は独り言のようにつぶやいてそう言うて出かけていった。
天野先生はその日帰って来んかった。
そして次の日。
外から、
「今日は旗本か誰か、偉い人の処刑があるらしい」
と言う声が聞こえた。
外を見ると、みんな処刑がある場所に向かって歩いとる。
勇はんやろうか?
もしかしたら、これが勇はんに会える最後かもしれん。
うちも行こう。
人の流れと一緒にうちも歩いた。
板橋宿に処刑場があるなんて聞いたことがなかった。
けど、この日は処刑場が出来とった。
勇はんのために急きょ作ったらしい。
処刑の準備が着々と進み、勇はんを乗せたかごが入ってきた。
勇はんは堂々としとった。
うちにも堂々と死にたいって言っとったもんね。
そう思うたら、涙ですべてがぼやけて見えた。
あかん、最後やからしっかり見んとあかんのに。
涙は枯れることなくあふれてくる。
勇はん……。
うちが泣いとる間にも処刑の準備は進んだ。
「言い残すこそはないか?」
そう勇はんに聞いたのは、あの時うちを勇はんにあわせてくれた横倉はんやった。
なんで、あのお人が?一瞬、はらただしいような、そう言う感情が生まれたけど、勇はんは誰も恨むなって言うていた。
恨んだらあかん。
勇はんの声が聞こえたけど何言うとるのかわからんかった。
ただ、最後に
「よろしく頼む」
と言う言葉だけははっきりと聞こえてきた。
横倉はんが刀をあげたと思ったら、もう終わっていた。
あっという間やった。
目の前に起こっとることを信じることが出来んかった。
「間に合わなかったか」
気がついたら、天野先生が隣にいた。
天野先生の手には文がにぎられておった。
それから気がついたら長屋におった。
どうやって帰ったのか覚えとらんかった。
「楓、こんなことになってしまって、すまんかった」
天野先生が声をふるわせ謝ってきた。
「天野先生のせいやない」
「しかし、助けることが出来んかった」
天野先生の話によると、勇はんの処刑の話を聞いた天野先生は、谷干城と言う土佐藩の人に会いに行った。
谷はんと天野先生は、前に勇はんの助命を頼みに行ったとき、その頼みを聞いてくれた。
そやから、話が違うと言うために行ったらしいけど、谷はんは蒼良はんたちが戦をしているところへ、官軍側の援軍として出発した後やったらしい。
それでも、天野先生も必死で追いかけ、草加宿と言うところで追いついたさかい、処刑の件で問い詰めたら、その処刑をすぐに中止するようにと文に書いて持たせてくれたらしい。
「でも、間に合わんかった。処刑はしないって約束したのに、土佐藩の人間のほとんどは坂本と中岡を斬ったのは新選組だと思っとるみたいで、近藤にはもう恨みしかなかったんだろうなぁ。谷をもってしても止められんかった。すまない」
「天野先生のせいやないどす」
うちもこの一言しか言えんかった。
そして数日が過ぎた。
相馬はんは、勇はんと一緒に捕えられた新選組のお人が処刑場におらんかったから、探すために旅立っていった。
天野先生の話だと、
「近藤が自分の処刑の前に助命を頼んだんだろう」
と言う事やった。
勇はんらしいわ。
そして、天野先生は勇はんの親戚の人たちと会いに行き、夜が明ける直前に帰ってきた。
「近藤の遺体を探し出して、ちゃんと弔ってきたぞ」
と言うた。
話を聞くと、みんなで勇はんの首のない遺体を掘り出し、改葬したらしい。
そこには奥さんもおったんやろう。
うちが出る場所やない。
だから天野先生が行ったんやろう。
「おおきに。うちは何もできんですんまへん」
まだ、勇はんがいないと言う事も信じられんのに、時間はうちを置いて刻々と過ぎてゆく。
「それより、楓はちゃんと食べてるか? やつれておるぞ」
天野先生にそう言われた。
「食欲がないんどす」
勇はんが亡くなったせいやろうか?
胸がむかむかして食欲がなかった。
お腹がすくんやけど、ご飯を見るとこみあげてくるものがあり、食べれんかった。
もしかしたら、うちも勇はんを追いかけて死のうって体が勝手にそう思うとるんやろうか?
そんなことしても勇はんは喜ばんって分かっとるのに。
「辛いのは分かるが、生きないとだめじゃ。近藤の為にも」
わかっとる。
「うちも食べなあかんと思うとるんやけど……」
「わかった。今日はわしが飯を作る」
天野先生はそう言うと台所に入ってご飯を炊き始めた。
普段はご飯の炊ける香りがおいしそうと思うのに、この日は気持ち悪くなった。
外に出て厠に駆け込んだ。
それから長屋へ戻ると、天野先生がうちのことを待っとった。
「楓……、もしかして……、出来たんか?」
出来た?うちは自分のおなかを見た。
勇はんの子供が?
そう言えば、今までのうちの症状がそう言う症状や。
全部あてはまっとる。
「ほんまに? ほんまにうちのおなかの中に?」
「楓っ! でかしたぞっ!」
天野先生が喜んでくれた。
きっと勇はんの代わりに喜んでくれたんやと思う。
「天野先生、おおきにっ!」
うちも笑顔でそう言うとった。
それから、天野先生が蒼良はんの所へ旅立つことになった。
身重のうちを一人にして置けんと言う事で、うちは天野先生の知り合いの家に預けられることになった。
とっても親切な人で、生まれた後も遠慮なくここにおればええと言うてくれた。
そして、天野先生が旅立つ日が来た。
「楓。お前とはこれが最後かもしれん。いや、最後になるじゃろう」
「天野先生、そんな悲しいこと言わんといて」
「悲しいことも何も、本当のことを言っただけじゃ」
ほんまにこれで最後なんやろうか?
「元気な子を産め」
天野先生は優しい顔でそう言うてくれた。
「おおきに。勇はんが最後に残してくれたものやから、大事にします」
うちはお腹をさすった。
まだお腹は出ていない。
「子供を育てるのは大変なことじゃ。特にそれが近藤の子となれば、たくさんの困難もあるじゃろう」
承知しとる。
それでも産みたいんや。
「でも、産んでよかったと思うときが必ず来る。その時を信じて育てろ。わかったな」
天野先生がそう言うのなら、本当にそう言うときが来るんやろう。
天野先生はほんまに不思議な人や。
ほんまに未来を知っとるような感じがする。
「勇はんのように立派な人に育てられんかもしれんけど、この子が一人前になるまで、うちは頑張るわ。天野先生も道中お気をつけて」
「ありがとな。元気でな、楓」
そう言うと天野先生は旅立っていった。
うちは見えなくなるまでお腹の子と一緒に見送った。