宇都宮へ
私たちが鴻之台について間もなく軍議があり、土方さんが軍議に参加した。
江戸城の明け渡しの時、伝習隊という幕府の精鋭部隊を連れて江戸から鴻之台へ脱出してきた大鳥圭介さんもいた。
伝習隊とは、フランスの軍隊の教育を受けた幕府の軍隊で、そこの指揮官を務めていたのが大鳥さんだった。
大鳥さんは、鴻之台に集まった二千人近い人間をまとめるために部隊を作った。
土方さんがその前軍の参謀になった。
大鳥さんは総督になっていた。
その大鳥さん、流山で近藤さんが出頭したと言う事を知ると、このまま鴻之台にいたら危ないと思ったようだ。
と言うのも、鴻之台も流山も今で言う千葉県の中にある。
結構近いのだ。
そこで、徳川家康が祀られている東照宮もある日光で会津藩と一緒に政府軍を討とうと言う事で、北へ進路をとることになった。
とにかく早く出発しようと言う事になり、次の日には鴻之台を出ることになった。
ちなみに、私たちが鴻之台にいると知り、木更津から援軍のためにかけつけた、伝習隊と同じく幕府の軍隊だった撤兵隊がいた。
しかし、彼らが鴻之台に着いた時は、私たちが北に去った後だった。
その後、政府軍が撤兵隊に武力解除するようにと言い、大鳥さんたちもいないから連携もとれず、自分たちだけで江戸にいる政府軍を討つのも難しいと思ったから、一度は政府軍の要求を受け入れて仲間にそれを伝えに行くのだけど、仲間の人たちはそれに反対し、武装解除をしなかった。
そして、その撤兵隊の人たちは、政府軍に攻撃した。
これが戊辰戦争の一つ、市川・船橋戦争だ。
この戦争が起きていた時、私たちは白河あたりにいると思う。
もし携帯電話があったら、援軍にかけつけたけどいなかったと言う行き違いがなかっただろうなぁ。
そんなことをふと思ってしまった。
「お前に文が来ているぞ」
土方さんが私に手紙を渡してきた。
えっ、私に手紙?
「何かの間違いじゃないですか?」
この時代の私に手紙をくれる人なんていないんだけど。
「でも、これはお前宛だろう」
土方さんが出して着た手紙を見ると、私の名前が書いてあった。
確かに私宛てだ。
土方さんから文を受け取った。
「お前、字が読めねぇだろう」
「読めますよっ!」
突然何を言い出すかと思ったらっ!
「俺の文は読めなかっただろう?」
それは……。
「土方さんの文字があまりに芸術的なものだったので読めなかったのですよ」
ミミズのように文字をつなげて書かれると、私だって読めない。
一文字一文字、ちゃんと書いてもらえれば私だって読めるのだ。
「それは、俺の字が下手だから読めなかったとでも言いてぇのか?」
いや、そんなつもりはない。
「下手だとは言ってないですよ。芸術的だと言ったのです」
「なんか、へたくそだと言われているようだよなぁ」
そ、そうなのか?
とにかく、手紙を読もう。
そう思って手紙を広げると、お師匠様からのものだった。
そう言えば、この時代にも私に手紙を出してくれる人がいたわ。
そんなことを思いながら手紙を広げて読んだ。
筆で書いてある文字だけど、読みやすいように一文字一文字書かれていた。
だから、私にも読むことが出来たのだけど……。
できれば読みたくなかったかもって思ってしまった。
そんなこと、出来るわけないだろうっ!と、叫びたくなるような内容だったのだ。
まず、お師匠様の手紙の内容を見ると、私たちはこれから宇都宮で戦をやるらしい。
相手の政府軍に近藤さんの処刑に反対している有馬藤太と言う人がいるから、その人を攻撃するなと言う事だった。
有馬藤太は、近藤さんを流山から越谷まで連行した人だ。
連行した後に宇都宮へ行くのだけど、そこで私たちと戦う。
そして怪我をしてしまい、怪我をして休んでいる間に近藤さんが処刑されたので、処刑を実行した香川敬三に対してものすごく怒り、その後口をきくこともなかったらしい。
有馬藤太が怪我しなければ……と言う思いもあってお師匠様がそう書いてきたんだろう。
それはわかるけど……。
「あの、土方さん」
とりあえず土方さんに聞いてみようと思い、名前を呼んだ。
「なんだ?」
「敵に有馬藤太と言う人がいるのですが、その人は近藤さんの処刑に反対しているらしいのですよ。だから、その人を攻撃するなってお師匠様は言っているのですが……」
話の途中だったけど、それを切るように、
「無理だな」
と言われてしまった。
やっぱりそうだよね。
第一、顔も分からないし、戦はまさしく戦場で相手の顔を見る余裕がない。
そんな余裕があるなら、自分の命を守ることに使うだろう。
だから、お師匠様のその頼みをかなえることは無理なのだ。
それが近藤さんの助命につながるとしてもだ。
お師匠様の手紙にはもう一つ頼みが書いてあった。
それも、同じ理由で無理そうだな。
そう思いつつ、チラッと土方さんの顔を見ると、
「今度はなんて書いてあんだ?」
と聞かれてしまった。
「敵に香川敬三と言う人がいるのですが、そいつは怪我させろと言うのですが……」
「こっちはそのつもりで戦をするが、特定の人物のみの攻撃は無理だろうな」
土方さんの言う通りだ。
ちなみに、香川敬三と言う人は、有馬藤太と反対で、近藤さんを処刑しろっ!って言っている人で、有馬藤太が怪我で休んでいるときに、近藤さんの処刑の手続きをして処刑を実行させてしまう。
これも、前と一緒で言いたいことはわかるけど、やっぱり無理だ。
まったく、無理ばかり言って来て何を考えてんだ?
近藤さんの助命なんだろうけど……。
うーん、どうすればお師匠様の書いてきていることを実行できるだろうか?
宇都宮に入って、敵の陣地に忍び込んで香川敬三を斬るとか?
有馬藤太には怪我をしないように気をつけるよう言うとか?
できるかなぁ……。
「お前、変なことを考えてんだろう?」
土方さんにそう言われた。
別に変なことではないけど……。
「誰にも気がつかれないように、敵の陣地に入り込むにはどうすればいいのでしょうか?」
「やっぱり、危ないことを考えてたじゃねぇか」
そ、そうなのか?やっぱりそうだよね。
「そんなこと俺がさせねぇから安心しろ」
それじゃあ困るのですが……。
「これが、近藤さんの助命にかかわることだとしても、無理なものは無理だ。それに、ここでお前を使って近藤さんが助かったとしても、お前に何かあったら俺は後悔どころじゃすまなくなりそうだぞ」
「どうなるのですか?」
「どうなるってお前……。俺がここまで言っているんだから、自分で考えろ」
そ、そうなのか?
「近藤さんも大事だが、それ以上にお前が大事だってことだ」
土方さんは早口でそう言うと、部屋を出て行ってしまった。
残された私は、一瞬何が起きたのかわからず、ただボーと座っていた。
次の日、会津藩の秋月登之助さんと一緒に前軍は鴻之台を出て北上を始めた。
秋月さんは容保公が京から江戸に来て、江戸から会津に帰るときに脱藩をして幕府の伝習隊に加わった人だ。
ちなみに土方さんは秋月さんの下で参謀になっている。
一日目は鴻之台を出て水戸街道の小金宿まで歩いた。
個人で旅をするよりゆっくりとした速さで前軍は進んでいった。
大勢いるから、速度が遅いのは仕方ないのかな。
それから水戸街道をはずれたけど、順調に北上を続けた。
そして下妻藩に着いた。
下妻陣屋と言うところを包囲した。
下妻藩の藩政はこの下妻陣屋と言うところで執り行われていたらしい。
しかし建物は、1864年の天狗党の乱のときに焼失してしまった。
下妻藩の藩主は井上氏が継いでいたのだけど、短命の藩主が多くほとんどが養子をむかえて継がせていたらしい。
包囲した後、話し合いをするため人を下妻陣屋へむかわせた。
下妻藩には百名ほどの兵しかいなかったらしい。
その結果、下妻藩から十名の兵が派遣されてきた。
実はこの時、下妻藩は政府軍へ寝返ることを考えていたらしいのだけど、十名の兵を派遣したがために、後に政府軍にとがめられ改易をされそうになる。
ちなみに改易とは、大名が罪を犯したため領地などを没収され、身分も無くなってしまうと言うもので、重いもので切腹などがあった。
政府軍に何とか説明して改易だけは免れたらしい。
次の日は下館藩に着いた。
下館藩はお城があり、そのお城を包囲した。
大砲を設置して脅すかのように、幕府軍に従うようにと下館藩の藩主に要請した。
その結果、藩主が病気なので兵は出せないけど、物資なら出せると言う事で、ここで物資をもらった。
この藩も、この後に政府軍がやってきて協力を要請される。
時間は微妙にずれているけど、幕府軍と政府軍から要請されて、藩主もどうしていいかわからなくなるのだろう。
私たちが下館藩から去った後に藩主は水戸に逃げてしまう。
そして、宇都宮の戦いで政府軍の勝利が確実になると下館に戻ってきて、政府軍に協力する。
そして、私たちは宇都宮に到着した。
お師匠様の手紙に書かれてあったことを気にしつつ、宇都宮に入った。
いよいよ宇都宮城の戦いが始まろうとしていた。