お守りの秘密
五兵衛新田に移ってから、毎日隊士が増えていった。
最初は金子さんの家だけを借りていたのだけど、だんだん金子さんの家だけでは足りなくなり、近所にある観音寺と言うお寺や、金子さんの親せきの家などにも隊士たちがお世話になることになった。
「勇はんが、隊士が増えたってよろこんどったよ」
ある日、金子さんの家の庭で楓ちゃんに会った。
楓ちゃんは近藤さんが甲州で敗走したと知った時、いてもたってもいられなくなったらしく、甲州まで行くつもりでいたらしい。
八王子の手前で私たちに会い、八王子で近藤さんにも会うことが出来た。
それから離れるのが不安だから、ずうっと一緒にいる。
近藤さんのお世話を一生懸命していたし、他の隊士の人たちの面倒も見ていたので、女である楓ちゃんがいる事に対し、文句を言う人もいなかった。
感謝している人の方が多いかもしれない。
「そうだよね。毎日のように人が来て隊士が増えていくんだもん。活気も出てきていい感じになってきたよね」
このままうまくいけばいいんだけど……。
「そう言えば蒼良はん、うち、勇はんから気になることを聞いたんやけど……」
「気になること?」
なんだろう?
楓ちゃんは人がいないか周りを見渡してから私に近づいてきた。
な、何だろう?
「蒼良はん、驚きすぎて倒れんといてな」
そんなにすごいことなのか?
そう思いつつ、コクコクとうなずいた。
「あのな、土方はんなんやけど……」
土方さんのことなのか?
土方さんに何かあったのか?
「言いづらいんやけど……」
よけい気になるじゃないかっ!
「おるみたいやで」
おるって……
「なにが?」
「なにがって決まっとるやないのっ!」
決まっていることなのか?
「許嫁や」
許嫁?婚約者とかそう言う事か?
ん?
「土方さんに許嫁がいるってこと?」
「そうやっ!」
そう言われるとそんな話を聞いたことがあるぞ。
確か、土方さんのお兄さんの為次郎さんが言っていたよなぁ?
自分が気に入った女性がいて、その人を土方さんに勧めたら断られたから、とりあえず許嫁にしてあるとかって言ってなかったか?
「その人は、多分他の人と結婚したと思うけど……」
そんなことを為次郎さんは言っていたぞ。
「いや、結婚しとらんよ」
えっ、そうなのか?
「今も一人でいるらしいよ」
あれ?話が違うぞ。
「蒼良はん、気になるやろ」
気になる、すごく気になる。
「気になるっちゅうことは、土方はんのこと好きなんよ」
えっ?
「だって、好きやなかったら気にならんもん」
そ、そうなのか?
「でも、楓ちゃんも気にならない? 土方さんの許嫁だよ」
「気になるけど、蒼良はんほどじゃないわ」
私ほどじゃないって……。
「わ、私もそんなに気にしてないから」
「そうなん? それなら、その許嫁の人のことについてはもうええよね」
えっ、もうええって?
「勇はんから色々聞いたけど、気にしてないんならええよね」
あ、そうなるのか?
そう言われると気になるよね……。
うん、気になる。
「あの、楓ちゃん……」
私が声をかけると、まんべんの笑顔で楓ちゃんが振り向いた。
「聞きたいよね?」
う……うん。
あれから土方さんの許嫁について、楓ちゃんが教えてくれた。
土方さんの許嫁の名前はお琴さんと言うらしい。
三味線屋さんの娘さんで、三味線の調律もうまいし弾かせてもうまい。
そして美人と評判の人らしい。
お琴さんのいい話を聞くと、なんか胸がチクッとなるのはなんでだ?
「うちもそこまでしか知らんのよ」
そこまで知っていたらもう充分だと思うんだけど。
それから頭の中はお琴さんのことでいっぱいだった。
なんでこんなに気になるんだろう?
「蒼良? 考え事?」
そうだ、楓ちゃんとの話が終わった後、沖田さんの部屋に行っていたのだった。
沖田さんが、まめに部屋に顔を出してほしいと言ったから。
「いや、考え事なんかしていないですよ」
「蒼良はごまかしているつもりだろうけど、すぐわかるから」
そ、そうなのか?
「蒼良の話聞いてあげるよ」
沖田さんが笑顔でそう言ってくれた。
それなら甘えてみようかなぁ。
と言う事で、楓ちゃんから聞いたお琴さんの事を話してみた。
「で、気になるんだ、お琴さんの事」
「べ、別に気になっていませんよ」
ただ、どういう人かなぁと思っていただけだ。
あの為次郎さんが気に入った土方さんの許嫁。
いい評判を聞くたびに余計に気になってしまう。
「気にしているじゃん」
沖田さんに言われてしまった。
気にしないと思っても、気になっちゃうんだもん。
「そんなに気になるんなら、見に行けばいいじゃん。そのお琴さんとか言う人のこと」
えっ、そうなるのか?
「よし、行こう」
そう言うと沖田さんが立ちあがった。
「えっ、沖田さん?」
「ほら、行くんでしょう?」
って……。
「沖田さんは病人だから、大人しくしていないとっ!」
「でも、気になるんでしょう?」
そりゃ気になるけど……。
「だめです。沖田さんは大人しくしていないとっ!」
「僕なら、そのお琴さんのいる場所を知っているよ」
えっ、そうなのか?
「なんで知っているのですか?」
「土方さんが、昔そんなことを言っていたのを思い出したんだぁ」
今、思い出したのか?
「あ、僕はおとなしくしていないといけないから、お琴さんを見に行けないよね。蒼良が気にしているのに協力できなくてごめんね」
ニッコリと笑って沖田さんはそう言った。
「気にしていないからいいのですよ」
沖田さんの健康の方が大事だ。
「気にしているでしょう?」
気にしていない、うん、気にならないぞ、全然。
お琴さんがなんだって言うんだ。
土方さんだって、あんなにかっこいいんだから、女性の一人や二人いたっておかしくないだろう。
うん、そうだ、気にならないぞっ!
でも、お琴さんって美人なんだよね。
美人で何でもできるみたいなことも聞いたぞ。
パーフェクトじゃないかっ!
「気にしているでしょう?」
ウッ……気になる、すごく気になる。
「だから、僕が案内してあげるって言って言うじゃん。僕は大丈夫だよ。最近調子もいいし」
「本当に大丈夫ですか?」
沖田さんに案内してもらうのは悪いって分かっている。
でも、お琴さんの事が気になるし、お琴さんの所まで行けるのは沖田さんしかいない。
源さんがいれば、源さんに頼むのだけど。
源さんはいない。
沖田さんはにっこりと笑って、
「僕は大丈夫だってさっきから言っているじゃん」
と言った。
「すみません、こんなこと頼んだらいけないのに……」
「蒼良は気にしなくてもいいよ。行こう」
と言う事で、沖田さんと一緒にお琴さんを見に行くことになった。
「沖田さん、かごに乗りますか?」
「何言いだすの? そんな物に乗らなくても大丈夫だよ」
でも、もうかなり歩いている。
私は大丈夫だけど、沖田さんは病人だから、こんなに長い距離を歩いて大丈夫なのだろうか?
私も、お琴さんを見に行くって話になった時に、どれぐらい歩くのかとか聞くべきだった。
それなのに、お琴さんの事が気になりすぎて、沖田さんの事を考えなかった。
沖田さんの病気がここで悪化したら私のせいだ。
「蒼良、僕の事なら大丈夫だって言っているじゃん。僕だって蒼良と一緒に行きたいから来ているんだから」
もしかして……。
「また顔に出てましたか?」
「うん、出てた」
ウッ、出ていたらしい。
「あまり自分を責めないように」
沖田さんは私の頭をなでてそう言ってくれた。
「すみません」
本当に、すみません。
「ほら、あれがお琴さんの家だよ」
沖田さんが指をさした先には三味線屋さんがあった。
あれが、お琴さんのお店かぁ。
陰に隠れて見ていると、
「行こう」
と言って沖田さんが飛び出したから、あわてて袖をつかんで止めた。
「行こうってどこに行くのですか?」
「決まっているじゃん。三味線屋だよ」
ええっ!行っちゃうのか?
「ここでチラッと見れればそれでいいのですよ」
「えっ、それで満足なの? せっかくここまで来たのに?」
沖田さんは満足じゃないのか?
「ほら、行くよ」
沖田さんに手を引かれ、三味線屋へ一直線。
ええっ!まだ心の準備がっ!
「いい三味線ある?」
沖田さんは慣れた様子で店に入った。
「沖田さん、もしかして三味線買ったことあるのですか?」
実は、こっそり弾いていて、ものすごくうまかったりとかするのか?
「いや、買ったことないよ」
えっ、そうなのか?
「いらっしゃいませ」
奥から綺麗な女の人が出てきた。
「実は、三味線を始めようと思うんだけど、いいのある?」
なんか、沖田さんが本当に三味線を始めるような言い方だぞ。
「あ、僕じゃないくてこっちの子がやるんだけどね」
そう言って沖田さんは私の方を向いた。
えっ、私か?
「そちらの方ですか」
女の人が私の方を見た。
本当に綺麗な人だなぁ。
「そう、この子。三味線の音に惚れたんだって。あ、そうだ。試しに弾いてくれる?」
沖田さん、そこまで言うのか?
「私の三味線でよければ弾きますよ」
女の人はそう言うと自分の三味線を引き寄せて弾き始めた。
三味線、本当にうまい。
私、三味線のことはわからないけど、この人の三味線はうまいと思った。
思わず聞き惚れてしまった。
「上手だね。普通の三味線屋でも、こんなにうまい人はいないよね。もしかして、あなたがお琴さん?」
お、沖田さん、そこまで聞くのか?
「そうですが……」
女の人、お琴さんは沖田さんの方を向いてそう言った。
「やっぱり。三味線屋のお琴さんは三味線がうまいし、調律もうまいと聞いていたから、ここまで来たんだぁ」
沖田さん、嘘がうまいなぁ。
「まぁ、そうだったのですか。そんなことないですよ」
お琴さんはにっこりと笑ってそう言った。
その笑顔を見て、なぜか負けたと思ってしまった。
なんでそんなことを思うんだろう?
「もう一曲聞きたいなぁ」
「私の三味線でよろしければ、喜んで」
沖田さんがそう言うと、お琴さんも笑顔で三味線を弾いてくれた。
お琴さん、性格もいい人じゃないかっ!
もう、完全に負けた。
帰り道はどうやって帰ったのか、落ち込みすぎて覚えていない。
なんで落ち込んでいるんだろう?
それは、土方さんの許嫁と言われているお琴さんが完璧な人だったから。
それが私にどう関係するんだろう?
わからない。
でも、落ち込んでいるのは事実だ。
五兵衛新田に着いたら、土方さんが仁王立ちになって立っていた。
「お前らっ! こんな時間まで何してたっ! もう暗いだろうがっ!」
ひいっ!なんでこんなに怒っているんだ?
「総司は病人だろう。それにお前っ! お前は総司の補佐だろうがっ! お前まで総司と出掛けてどうするんだっ!」
おっしゃる通りです。
「す、すみません」
「土方さん、蒼良は落ち込んでいるんだから、そんなに叱らないであげてよ」
お、沖田さん、それを言わないで。
「なんで落ち込んでんだ? 何かあったのか?」
土方さんが私の顔をのぞき込んできた。
「い、いや、何でもないです。外も暗いですし、入りましょう」
私がそう言って中に入ると、土方さんと沖田さんは顔を見合わせていた。
ああ、あの人にはかなわない。
なんでそんなことを思うんだろう?
別に競っているわけでもないのに。
「蒼良はん、何かあったん? 最近元気がないって、勇はんも気にしとったよ」
「いや、別に何もないんだけど」
そう、別に何もない。
「そうなん? 絶対になんかあったような感じがするんやけど」
そうかな?
「女の勘ってやつや。うちの勘は鋭いで」
そうなのか?
「もしかして、この前話した土方はんの許嫁の事違う?」
恐るべし女の勘。
って、私も女だったわ。
「実は……」
と言う事で、今まであったことを全部話した。
話している間、楓ちゃんの顔が輝いてきている様に見えたのは気のせいか?
「蒼良はん、それは恋やっ! やっぱり土方はんが好きやったんやね」
最後には嬉しそうにそう言った。
「いや、それはないと思うんだけど……」
うん、ないと思うんだ。
「けど、お琴はんのことを気になるんやろ? 負けたと思ったんやろ? なんに負けたん?」
何にと言われると……。
「女らしさかな?」
「いや、ちゃうで。土方はんの相手にどちらがふさわしいか、自然に比べてきそっとるんや」
「そうなのかなぁ?」
もしそうだとしても、なんで競わないといけないんだ?
「そうや、絶対にそうやっ! 土方はんの隣にいたいって、思うとるやろ?」
それはある。
今までもずうっと一緒だった。
私に何ができるかわからないけど、土方さんを一人で蝦夷に向かわせたくない。
私がうなずくと、
「やっぱり恋やっ!」
と、楓ちゃんは喜んでいた。
そ、そうなのか?
「恋かどうかは分からないんだけど……」
「そのうちわかるわ」
そうなのか?やっぱりよくわからないんだけど。
「ここまで来たなら、もう土方はんに直接聞いてみたらどうや?」
えっ?
「お琴はんとどういう関係なんか聞いてみたらええ」
ええっ、そんなこと聞いていいのか?
「聞けないなら、うちが代わりに聞いてあげてもええで」
「いや、それはなんか違うような感じがする」
私の問題なのに、楓ちゃんが土方さんに聞くのはおかしい。
「じゃあ、蒼良はんが直接聞き。おきばりやす!」
最後のおきばりやすって、頑張ってって言っているのだろう。
私の事なのに、楓ちゃんが楽しんでいるように見えるのは気のせいか?
「あの、土方さん」
「なんだ?」
「やっぱりいいです」
「なんだよ、さっきからお前はっ!」
楓ちゃんに言われ、思い切って土方さんに聞こうと思って、声を何回かかけているんだけど、土方さんの顔を見ると言葉がスッとのどの方まで戻ってしまう。
お琴さんは土方さんの許嫁なのですか?と聞くだけなのに……。
「何か言いてぇことがあるんだな? よし、聞いてやる。言ってみろっ!」
土方さんは私の方を向いて座りなおした。
「そんな、かしこまらなくても……」
「こうでもしねぇと話しねぇだろうがっ! さ、言ってみろ」
ウッ、緊張するのだけど。
「あのですね……」
「なんだ?」
いや、そんな怖い顔されると、言いずらいじゃないか。
でも、やっぱりいいですと言うと、怒られそうだしなぁ。
「あのですね……。お琴さんなんですが……」
私がそう言うと驚いた土方さんは、
「えっ、お琴だと?」
と言ってゴホゴホとむせた。
「はい。お琴さんって土方さんの許嫁なのですよね。結婚とかしないのですか?」
そう言えば、土方さんって独身だったよな。
亡くなった時も。
じゃあ、お琴さんと結婚しないってことなんだよね。
今気がつく私もどうかと思うんだけど。
それだけ必死で気がつかなかったのだ。
「お前、それを誰から聞いた? 総司か?」
「いや、楓ちゃんが近藤さんから聞いたと言って教えてくれました。沖田さんは、お琴さんの所に連れて行ってくれただけです」
「行ったのか? お琴の所に」
お琴の所にって言うところで、心がズキッとした。
お琴って呼び捨てなんだ。
「はい。どういう人かなぁと思ったので。とっても綺麗で土方さんにお似合いの人じゃないですか」
「お前、本気でそう思って言っているか?」
そう言われると、なんか迷うなぁ。
土方さんにお似合いの人だけど思うのは本当だけど……。
「まあいい。お琴は俺の許嫁だった」
ん?過去形だぞ。
「別れた」
そ、そうなのか?ここは驚くべきところなのに、なんか嬉しいぞ。
「昨年、お前と源さんと三人で隊士募集をしに行っただろう?」
あの時は大政奉還があって、大急ぎで帰ってきたんだ。
「あのときに会って別れてきた」
いつの間に……。
全然知らなかった。
「なんで……」
「お前も野暮なことを聞くよなぁ」
野暮なことなのか?
「お前、俺が渡したお守りは身につけているか?」
だいぶ前、京に来て二回目の冬を迎えようとしていた時、土方さんが色々なものに効くからとお守りをくれた。
「はい、ここに」
いつも首からぶら下げている。
首元からお守りを出すと、土方さんが私のお守りをとって中をあけた。
「な、中を開けていいのですか?」
何回か、中を見ようとしたことがあった。
そのたびに、
「お守りの効能が無くなるから見たらだめだ」
と言われたから、今まで中をあけたことがなかった。
土方さんは無言でお守り袋の中にある紙を出して、それをひらいた。
その紙には土方さんの名前が書いてあった。
「お前に変な虫がつかねぇように、俺の名前を書いた紙をお守り代わりに持たせていた。これが、俺の気持ちだ」
そうだったのか。
「私、土方さんの名前をずうっと首からぶら下げて持ち歩いていたのですね」
なんか嬉しくなってしまった。
「わかったか? 俺の気持ちが」
「はい。私に変な虫がつかないようにしてくれて、ありがとうございます。京にいた時も夏に虫がたくさんいましたが、刺さてなくてすみました。強力なお守りですね」
私は土方さんが出した紙を再びお守り袋に戻した。
「おい、虫って、その虫じゃねぇぞ」
えっ、そうなのか?
「お前、わかってねぇだろう?」
「わかってますよ。私の体を気づかってくれたのですね。ありがとうございます」
「わかってねぇな」
えっ、違うのか?
「もういい。疲れた」
何か悪いことを言ったか?
でも、お琴さんと許嫁だったけど、別れたことを知って、ホッとした。
なんでホッとするんだろう?
それにしても、なんで土方さんは虫よけにお守りをくれたのだろう?
謎だらけだなぁ。