鳥羽伏見の戦い(5) 八幡・橋本の戦い
淀藩に裏切られた私たちは、橋本と言う場所に陣をはった。
ここで敗けたら、あとは慶喜公がいる大坂城だけという、まさに背水の陣になってしまった。
そのせいか、みんな眠れない夜を過ごした。
「どうなっちまうんだろうな?」
たき火の中に木の枝を入れながら永倉さんが言った。
「なるようにしかならんだろう」
たき火の炎を見つめながら斎藤さんが言った。
「ここでも敗けたら大坂城での籠城になりそうだな」
たき火の中に入っている木の枝を、別の木の枝で突っつきながら原田さんが言った。
「籠城って……、城に閉じこもって戦をするって言うやつですか?」
私はみんなに聞いた。
「蒼良、まさか知らなかったとか……」
永倉さんがあきれた顔で私を見た。
いや、籠城ぐらいなら知ってますよ。
「こいつのことだから、知らなかったって事はありえるな」
斎藤さんまでそんなことを言ってきた。
だから、知っていますっ!
「蒼良、籠城とは、城に立てこもって敵を防ぐんだ。簡単に言うと、さっき蒼良が言ったとおりのことだ」
原田さんがわざわざ丁寧に説明してくれた。
「大坂城は守りに適している城だから、籠城になっても大丈夫だろう」
永倉さんがそう言った。
そうなんだ。
「問題は、大坂城に入るまでに俺たちがもつかどうかだ。大坂城に入る前に全滅したら意味ないからな」
斎藤さんが淡々とそう言った。
「薩摩のあの武器はすごいよな。あんな銃で撃たれたら刀なんて役に立たないよな」
原田さんが自分の槍をチラッと見てそう言った。
「刀の時代は終わったんだ。これからは銃の時代になりそうだな」
そう言う土方さんの声が聞こえてきた。
「あ、土方さん」
みんなで声をそろえて言うと、土方さんは私たちのたき火の輪の中に入ってきた。
「お前ら、寝なくていいのか?」
たき火に手をあてて土方さんが言った。
「眠れなくてさ。なんとなくここに集まって話してた」
永倉さんは再びたき火に木の枝を入れた。
「明日も戦はあるってわかっているんだがな」
斎藤さんはたき火をながめてそう言った。
「明日の戦はどこでやるんだ?」
原田さんが土方さんに聞いた。
「明日は、桑名藩が八幡を守り、俺たちはここを守る」
土方さんは淡々とそう言った。
「そうか」
バラバラにそう言い、みんなで無言でたき火をながめていた。
そして朝になった。
「大坂城にいる慶喜公は、城がなくなっても、国賊が倒れるまで戦おうっ!と言っていたようだぞ。だから、俺たちも戦うぞっ!」
土方さんがみんなにそう言って気合を入れさせた。
「おーっ!」
みんなは刀や槍など、武器を上にあげてそう言った。
よし、今日も戦うぞっ!
しかし、この気合はすぐになくなる。
味方と思っていた津藩、藤堂家から大砲が撃ち込まれた。
敵は北から来ると思っていたから、思いもかけない方向からの大砲に、幕府軍はバラバラになってしまった。
「なんで、あそこから攻撃されるんだ?」
土方さんは驚いて津藩の方向を見ていた。
「あそこは津藩で、幕府からここを守るように言われているはずだぞ。なんでだ?」
原田さんも信じられないという感じでそう言った。
「裏切りです」
私はそう言って教えた。
津藩は味方だと思っていたけど、この日、政府軍を迎え撃つために陣を作っていた私たちに向かって大砲を撃ちつけて来る。
「津藩って言ったら、藤堂家か」
斎藤さんが私たちに近づきつつそう言った。
「藤堂家か。くそっ! 平助の所じゃないかっ! あいつめっ、裏切りやがってっ!」
永倉さんがそう言いながら地面を蹴っていたけど、この場合、藤堂さんは関係ないですからね。
「薩摩が攻めにくいように、昨日のうちに橋をいくつか焼き壊したんだが、これじゃあ意見ねぇな」
土方さんが川の方を見てそう言った。
そんなことをしていたのか、知らなかった。
確かに、ここに来るには川を越えなければならない。
でも、対岸にある津藩から大砲を撃ちこまれて攻撃されると、土方さんの言う通り、川を壊した意味がなかった。
バラバラになった幕府軍は、バラバラに敗走し始めた。
それでも、薩摩藩兵がここに来るのを阻止しようと思い、川からの上陸を防ぐための戦を準備していたのだけど、銃で攻撃されてしまい、あっさりと敗走が決まった。
もう、バラバラだった。
新選組も、見廻組も、幕府軍も何もかも関係なく、バラバラに逃げた。
自分の隣に誰がいるのかもわからなくなっていた。
そんな中での敗走だ。
自分の隣には土方さんがいると思っていた。
しかし、何かの時にふと横を見ると、全く知らない人だった。
あれ?土方さん?
立ち止まって周りを見回した。
何人かの兵とぶつかった。
人がたくさんいるのはわかるけど、土方さんがいないっ!
このまま、この人たちについて行って大丈夫なのだろうか?
みんな、どこに向かって走っているのだろう?
土方さん、どこにいるんだろう?
不安が一気に襲ってきた。
「蒼良、蒼良じゃないかっ!」
もうどうしていいかわからず、とりあえず人の流れにそって行こうと思い、そのままみんなと同じ方向へ、何も考えずに走っていた。
たまに大砲や銃の弾が飛んできて、何人かが倒れたけど、そんな事を気にしていなかった。
「蒼良っ! 蒼良っ!」
あれ?誰かが私を呼んでいる?
そう思った時、袖をぐっと引っ張られた。
「大丈夫か?」
引っ張られた勢いで、引っ張った人の胸に飛び込む形になった。
顔をあげてみると、原田さんだった。
「は、原田さんっ!」
よかった、やっと知っている人に会えた。
「土方さんが隣にいるとばかり思っていたら、全然知らない人で、どこへ向かって行けばいいかわからなくて、もう不安で不安で」
原田さんに会えてよかったよぉ。
「相当不安だったんだな。もう大丈夫だ」
原田さんが強く私を抱きしめてきた。
「蒼良もよくここまで頑張ったな」
原田さんの胸の中から声が聞こえた。
よかった、本当によかったよぉ。
原田さんの説明で、みんな大坂城へ向かっていることが分かった。
大坂城に行けば慶喜公がいるし、籠城して戦う方法もあるからだ。
そう言えば、歴史でもそうなっていたなぁ。
少し考えたらわかったことなのに、相当パニックになっていたんだなぁ。
敗走する私たちを容赦なく追ってくる薩摩藩兵。
逃げるために何人かは家に火を放って行ったので、途中の町は火の海になっていた。
「蒼良、大丈夫か? 少し休むか?」
原田さんにそう聞かれた。
「大丈夫です」
今は、無事に大坂城に着くことが先決だ。
「いや、休もう」
原田さんは私の手を引き、まだ燃えていなかった家の影に入った。
その家は誰もいなかった。
手に持てる物だけを持って急いで逃げたらしい。
家の中をのぞくと、泥棒が入った後のようになっていた。
「そう言えば、幕府軍の奴が農民に姿を変えて逃げているのを見たぞ」
原田さんが家の中を見ながらそう言った。
「みんな、逃げるのに必死なのですよ」
薩摩藩兵に捕まったら、容赦なく撃たれるだろう。
それは何としても避けたいと、誰もが思う。
「蒼良、俺たちも確実に大坂城に行くために、ここで変装をしないか?」
原田さん一人だったら、そんなことを言わなかったと思う。
私がいるから、そう考えたのだろう。
確実に大坂城に行くには、変装したほうがいいのかもしれない。
「何に変装しますか?」
「この家の中に着物があったから、それを借りてここから逃げる町民に変装しよう。男女で走っていたら、薩摩藩兵だって撃ってこないだろう」
確かにそうかもしれない。
「わかりました。着替えてきます」
家の中から適当に着物を借りた。
それをもって家の奥へ入って着替えた。
着替え終わって外に出ると、原田さんも町民の男の人になっていた。
「着ていた物はこれに包んで持って行こう。残しておくと、ここで変装したことが相手にばれるからな」
原田さんから風呂敷を受け取った。
これもこの家の人の物なんだよなぁと思いながら、自分の着ていた袴などを風呂敷に包んでかかえてもった。
「どこからどう見ても逃げる町民の夫婦ですね」
チラッと家に会った鏡を見たら、私たちの姿はそんな感じでうつっていた。
「よし、行こう」
原田さんは風呂敷を後ろに背負っていた。
そして私の手を引いて家を出た。
火の海を抜けたら大坂城が見えてきた。
「大坂城はこっちだっ!」
と、誘導してくれている人がいた。
誰だろうと思っていたら、永倉さんだった。
「あれ、左之じゃないか」
原田さんと仲がいいせいか、永倉さんにはすぐにばれた。
「そっちの女に変装しているのはもしかして蒼良か?」
こっちもすぐにばれた。
町民に変装してまで逃げるとはってあきれているかな?
原田さんに申し訳ないなぁ。
そう思って永倉さんを見ると、永倉さんは
「よくここまで逃げてきたな。よかった。他の隊士もほとんど大坂城にいる。色々なやつがいたよ。農民になっていたり、泥棒みたいなのもいたぞ」
と、笑いながらそう言った。
そうだったんだ。
「みんな、考えることは一緒なんだな」
原田さんがそう言うと、永倉さんは原田さんの肩をポンッとたたいた。
「左之がなかなか見つからないから、もしかしてって悪いことしか考えられなかったよ。よかった、左之に会えて」
永倉さんは目に涙をためてそう言った。
「なんか、気持ち悪いよなぁ」
そう言いつつも、原田さんは永倉さんと抱き合い、背中を叩いていた。
「俺は殿を務めるから、早く大坂城へ行け」
永倉さんは大坂城の方をさしてそう言った。
殿とは、軍隊で言うと一番最後を守る人だ。
この場合は、私たちが無事に逃げ切れるように一番最後まで守り、一番最後に自分たちが逃げると言う事だ。
「新八、大丈夫か?」
「斎藤もいるから大丈夫だ」
斎藤さんも殿を務めるのか。
「早く行け」
永倉さんにせかされ、私たちは大坂城へ向かった。
「新八、大丈夫かな」
途中で原田さんが何回かそう言っていた。
「大丈夫です。永倉さんも斎藤さんも、そう簡単に死ぬような人じゃありませんから」
二人とも長生きするんだよね。
私の言葉を聞いて原田さんは、
「蒼良がそう言うなら、大丈夫かな」
と言って、笑顔を見せてくれた。
大坂城へ着いた。
城に入ると、すぐに土方さんがいた。
「あ、土方さん」
ここにいたのか、やっと会えた。
「すみません、はぐれてしまって。途中で原田さんに会って……」
なんとかここまで来れました。
そう言おうとしたけど、気がついたら、強く土方さんに抱きしめられていて言えなくなっていた。
「よかった、お前が生きていて。本当によかった」
土方さんの腕の中で何回もその言葉を言われた。
そこまで心配させてしまって、なんか悪いことをしちゃったなぁ。
「すみません」
そう言うと、
「生きていたから、それでいい。無事でよかった」
と言ってまた腕に強く力が入った。
「歳っ! うちの隊の……えっ?」
近藤さんの声が聞こえてきた。
「土方さん、そろそろ離れたほうがいいと思うが」
私と土方さんの間に、原田さんの槍の棒の部分が入ってきた。
「いや、左之。これは男女の感動の再開の場面だから邪魔をしないほうがいい」
近藤さんはそう言っていたけど、原田さんに棒を入れられたので、原田さんの方をにらみつつ土方さんは私から離れた。
「すまない。で、近藤さんはなんだ?」
いつもの土方さんに戻っていた。
「いや、続きをやってもらっても構わんぞ」
いや、それどころじゃないと思うのだけど。
「蒼良、着替えよう。いつまでも女のかっこうをしていると、他の隊士に気がつかれるからな」
原田さんに言われて気がついた。
そうだった、女装中だった。
大坂城の中で着替えていると、
「蒼良はんっ!」
と言って楓ちゃんが飛び込んできた。
「うわぁっ!」
突然飛び込んできて、しかも抱きしめられたので、驚いてしまった。
「もう、心配したんよ。蒼良はんは女の身なのに、あんな戦なんて参加してっ! どれだけ心配したと思うとるん?」
楓ちゃんが一方的に話してきた。
「うち、毎日心配で、城の上から伏見の方を見とったんよ。勇はんと一緒に。そのうち煙が見えてきたし、敗けとるって言葉しか聞かんし、誰が死んだという言葉も聞こえてきたさかい、ほんまに心配だったんよ」
そうだったんだ。
「ごめんね、心配かけちゃって」
そんなに心配してくれたとは。
「ええんよ。無事やったから」
楓ちゃんは笑顔でそう言ってくれた。
「勇はんも戦に行くって。新選組の人たちがこのまま亡くなるのを黙って見れいられん言うとって、毎日ここで暴れとったんよ。でも、会津の容保公言うたかな?その人に引き止められて行かれへんかったんよ。やから、勇はんを恨まんといて」
なんで近藤さんを恨まないといけないんだ?
楓ちゃんは楓ちゃんなりに色々心配なんだけど、一番の心配は、やっぱり近藤さんのことなんだよね。
「大丈夫だよ。誰も近藤さんを恨まないよ」
「おおきに」
そう言うと、
「あ、蒼良はん着替えの途中やったね」
と言って楓ちゃんは部屋から出て行った。
みんなが大坂城へ入り、夜遅くに永倉さんと斎藤さんも帰ってきた。
これから籠城して、戦うぞっ!と、新たに気合を入れていたのに……。
次の日の朝、気がつくと慶喜公と会津の容保公と桑名藩主の人がいなくなっていた。
どうやら昨日の夜遅くに船に乗って江戸に向かっているらしい。
「こんなことをしているから、三百年も続いた幕府を三日でつぶすことになるんだ」
永倉さんはそう言う文句を言っていた。
永倉さんだけでなく、ほとんどの人たちがそんなことを言っていた。
慶喜公は慶喜公で考えがあって逃げたんだと思うけど。
彼からしたら、この戦は敗けるとわかっている戦だったのだろう。
だから、戦にならないように色々なことをして避けてきた。
しかし、江戸で薩摩藩邸焼き討ち事件があってから討薩の声が大きくなった。
その声を止めることが出来ず、売られた喧嘩を買うような形で戦をし、こういう結果になってしまった。
これ以上自分たちの受ける被害を大きくしてはならないと思ったのだろう。
それで考えた結果がこれだったのだ。
今は、きっとこれしか方法がなかったのだろう。
しかし、彼らは私たちの大将になる人たちだった。
その人たちがいなくなったと言う事は、もう完全なる敗北だった。
後は城をあけわたすだけしかやることは残されていなかった。
「準備できた隊から、船に乗って江戸に向かうようにとのことだ」
近藤さんがそう言って隊士たちに指示を出した。
「幸い、船だけはたくさん大坂にあるからな」
土方さんはそう言った。
そうなのだ。
戦に備え、幕府の船が大坂湾に待機していたのだ。
だから、ほとんどの人たちが船に乗って江戸に帰れるらしい。
土方さんは船酔いは大丈夫なんだろうか?
今はそんな心配をしている場合じゃないか。
私たちは富士丸と言う船に乗って江戸に行くことになった。
その船には榎本武揚も乗っていく。
ここで、土方さんは榎本さんと出会うんだぁ。
そして蝦夷まで一緒に行くことになるんだよね。
ただ、その榎本さんは怒っていた。
と言うのも、榎本さんは開陽丸に乗って大坂に来た。
そして慶喜公に呼ばれたのかは知らないけど、大坂城に来た。
しかし、大坂城に着たら慶喜公はいなかった。
しかも、自分が乗ってきた開陽丸に乗って行ってしまったのだ。
要するに、榎本さんは慶喜公に会いに来たのだけど、その人はいないし、しかも自分の乗ってきた船も勝手に乗りさられるし、と言う事で、散々な目にあっていた。
こんなひどい目にあったんだからと思ったのか、大坂城にあったお金をかき集め、それも一緒に船に積んで帰ることになった。
転んでもただでは起きないってこのことを言うんだなぁと改めて思ったのだった。