大政奉還、京では?
薩土の盟約は解消されたが、薩土の密約の方は解消されていなかった。
こちらは土佐藩主である山内容堂がかかわっておらず、どちらかというと私的な密約だからなのだろう。
それがきっかけとなり、土佐藩出身の中岡慎太郎、中岡先生が陸援隊という武力集団を作った。
活動拠点は京らしい。
私は、中岡先生というと、前に伊東先生が紹介してくれた時のことを思い出す。
私がもと新選組の隊士で、池田屋にもいたと知ると、中岡先生の表情が憎たらしいものを見るような感じに変わった。
それを思い出すと、いたたまれなくなる。
そんな私を蒼良は、
「藤堂さんは、藤堂さんだから」
と、言ってなぐさめてくれた。
それが嬉しかった。
だから、中岡先生のことを思い出すときは蒼良のことも思い出す。
伊東先生が夜遅くに帰ってきた。
誰かと飲んでいたらしいのだけど、顔色が悪かった。
「具合が悪いのですか?」
私が聞いたら、
「平助、大変だ」
と、伊東先生は一言そう言うと、奥に入って行った。
私も後をついて行った。
伊東先生は御陵衛士たちを集めた。
「実は、新選組の近藤と飲んでいた」
伊東先生は話し始めた。
なんでまた近藤さんと?
「もとは同じ組織だったんだから、仲良く飲もうじゃないかと、近藤から誘われたんだ」
それで飲んでいたんだ。
近藤さんなら、そう言って誘いそうだ。
「近藤は、薩摩のことを知っていた」
伊東先生がそう一言言うと、みんなはざわついた。
「なんで、薩摩のことを?」
色々な人が伊東先生にそう質問していた。
薩摩のことというのは、薩摩藩兵が千人ほど先月から京にいる。
それは、武力に物を言わせて大政奉還をさせるためだ。
そのために、長州と芸州からも兵が来ることになっている。
そして、公家の岩倉具視と組み、帝から倒幕の勅を出させようとしている。
できれば密勅という形で、徳川慶喜をはじめとする幕府の権力を握っている人たちの討伐の許可も一緒にとろうとしている。
近藤さんはそれをどこまで知っているのだろう?
「大丈夫だ。近藤は挙兵することだけしか知らん」
伊東先生はみんなを安心させるようにそう言った。
「挙兵することはばれてしまったのですか?」
私が聞くと、伊東先生はばつが悪い顔をした。
「新選組も、陸援隊に間者を送り込んでいたらしい」
それは土方さんがやりそうなことだ。
「そこで、挙兵することを知り会津藩に報告したらしい」
それはそうだろう。
新選組は幕臣になったとしても、会津藩のおかげでここまで来たという思いがある。
だから、武士として会津藩をたてているのだ。
「伊東先生には何の用だったのですか?」
そこまで知っていて伊東先生に会うという事は、近藤さんなりに何か考えがあったのだろう。
「私に、薩摩は挙兵するのだろう? と、何回も聞いてきた。話を聞いたら、全部知っていたし、会津にも報告済みだって聞いたから、私は全部認めてきたよ」
「伊東先生、そんな簡単に認めてしまっていいのですか?」
薩摩の今後が心配になってきた。
無事に大政奉還が出来るのか?
「もちろん、今回のことは薩摩にも報告するさ。それにしても、陸援隊にいる新選組の間者も誰なんだか探さないと、また今回みたいに筒抜けになってしまう」
ここに来て急に仕事が増えた。
「今日はもう夜遅いから、明日、対策を練って何とかしよう」
伊東先生のその言葉で夜の会議は解散となった。
倒幕、会津と桑名藩の討伐の密勅が薩摩藩に下された。
密勅なので、帝からの秘密の命令だ。
大政奉還と倒幕に向けていよいよ動き出したのだ。
私は、倒幕とかは別にしてもかまわないと思っている。
ただ、幕府が無くなると新選組はどうなるのだろう?
新選組にが蒼良がいる。
蒼良はどうするのだろう?
それと同じときに大政奉還が帝に持ち上がっていた。
「いよいよ大政奉還がなされて、倒幕が本格的になりそうですね」
伊東先生にそう言うと、伊東先生はなぜか困ったような顔をした。
何かあったのか?
「この大政奉還は、誰が奏上したと思っている?」
誰がって……。
「薩摩藩じゃないのですか?」
それとも土佐藩か?
土佐藩も、幕府派なんだけど、平和的な大政奉還を望んでいた。
土佐藩の大政奉還の建白書は、坂本先生が考えたらしい。
それは船中八策と言われている。
「それが違うんだよ」
違う?
「薩摩でも土佐でもない。徳川慶喜だ」
徳川慶喜?
将軍じゃないか。
将軍が、自分の権力を朝廷に返すって言ったのか?
全部無くなってしまうのに?
「慶喜は、薩摩藩とかが挙兵することを知ったのだろう。倒幕の密勅の名目を無くそうと思ったのだろう。幕府が無くなれば、倒幕の密勅も意味がなくなるからね」
そうなのだ。
幕府があっての倒幕の密勅だから、幕府が無くなれば、倒幕するものもなくなるから、密勅も無くなる可能性もある。
「慶喜め。色々とやってくれるなっ!」
伊東さんがはらただしげにそう言った。
伊東さんがイライラするなんてめったにないことだ。
今回のことは相当悔しいのだろう。
四候会議の時も、薩摩藩が長州の減刑を望んだのに対し、慶喜公は兵庫港開港問題とすり替え、それを朝廷に持って行き、帝の許しももらっていた。
今回も、倒幕派から見れば、してやられたという状態になるのだろう。
幕府が無くなったといえども、徳川の力は大きい。
慶喜が今後も政治に介入するのは目に見えている。
しかし、一部の倒幕派からは、この大政奉還に賛同する声も出ている。
薩摩藩などが、本気で倒幕を考えているなら、これは納得できるものじゃないだろう。
「これは本当の倒幕じゃないっ!」
伊東さんは荒々しい声でそう言った。
大政奉還かぁ。
そう思って外に出た。
屯所の中にいてもみんなの荒々しい声に誘われて、自分も冷静でいられなくなるような感じがしたからだ。
「はあ? 蒼良は江戸に行っているだと?」
この声は、蒼良の師匠である天野先生の声だ。
見回してみると、斎藤君と話をしていた。
「天野先生じゃないですか。こんにちわ」
蒼良のことが何か聞けるかもしれない。
そう思って近づいて挨拶をした。
「おう、藤堂か。久しぶりじゃな。元気にしているか?」
「はい、おかげさまで」
そう言って頭を下げると、
「そうか、そうか」
と、満足そうに言った。
「で、蒼良が江戸に行っているってどういうことだ?」
天野先生は斎藤君に向かってそう言った。
蒼良は京にいないのか?
同じ京の空の下にいるから頑張れる。
そう思っていたから、蒼良が京にいないとわかったら、力が抜けていくのがわかった。
「新選組の隊士募集だ」
斎藤君は一言そう言った。
隊士募集のために江戸に行っているってことなんだろう。
新選組は、近藤さんが
「隊士は同郷がいいな」
みたいなことを言った日から、隊士を募集するときは江戸まで行く。
私も江戸まで行って伊東先生たちを連れてきた。
「こんな時に江戸に行っている場合じゃないだろうに」
天野先生ははらただしげにそう言った。
ところで……。
「なんで斎藤君は、蒼良が江戸に行っていることを知っているの?」
私は全然知らなかった。
「お前、それは決まっているだろう。こいつは新選組の間者だからだ」
天野先生が胸を張ってそう言った。
えっ、斎藤君が、新選組の間者?
「なにをばかなことを言っているんだ。俺が間者だったら、こいつも間者になるだろう」
突然、斎藤君から指をさされて驚いた。
「わ、私は間者じゃないですよ」
間者なんて、冗談じゃない。
「そう思うだろう? だから俺も間者じゃない。お前らのおしゃべりに付き合うほど暇じゃないからな。ここで失礼する」
斎藤君は、天野先生に頭を下げて去っていった。
「あいつ、なかなかうまいなぁ」
天野先生は斎藤君の後姿を見てそう言った。
「蒼良に何か用があったのですか?」
蒼良が江戸に行ったと驚いていたから、用があったのだろう。
「おお、そうじゃっ! 大政奉還があっただろう? これから色々事件があるから、心してかかれと言いたかったんじゃ」
天野先生と蒼良は未来から来たらしい。
蒼良がそう言うんだからそうなんだろう。
蒼良の言う事はすべて信じることが出来る。
「事件ってどういう事件ですか?」
「おお、ちょうどいいところにいたな」
改めて私を見てそう言った天野先生。
「お前に関することもあるぞ。言われているだろう? 油小路だ」
そう、私は油小路で死ぬことになっているらしい。
だから蒼良は私に会うたびに、
「油小路には行かないでください」
と言う。
「いいか、お前も色々あると思うが、新選組が恋しくなったらいつでも帰ってもいいんだぞ」
「隊を抜けた私は、新選組には帰れませんよ」
脱隊は切腹だ。
「そんな難しく考えなくてもいい。斎藤が間者で、そろそろ新選組に帰るだろうから、その時に一緒に帰ればいいんじゃ。新選組は、お前も間者だと思うだろう」
本当に、斎藤君は間者なのか?
「天野先生も冗談がうまいですね。斎藤君が間者なわけないじゃないですか」
斎藤君が間者なんて、考えられない。
「信じなければ別にいいぞ。とにかく、油小路には近づくなっ! 何があってもじゃっ! わかったな」
蒼良からもそれは言われている。
「わかりました」
私はそううなずいた。
数日後、坂本先生が屯所に来た。
私は伊東先生と一緒に坂本先生に会った。
「坂本先生。京の街中をあっちこっちと歩き回っているらしいですね」
伊東さんがそう言うと、坂本先生は豪快に笑った。
「なんせ忙しうてな。陸援隊も出来たから、へちも見ておきたくての」
そっちも見ておきたいと言ったのだろう。
周りのことは構わず土佐弁で話してくる坂本先生。
「坂本先生は、狙われているのですよ。今、街中を歩き回るのは危険です」
伊東先生がそう注意した。
それをあははと豪快に笑う坂本先生。
「ほがな事を気にしちょったら、なんも出来んじゃないか」
「新選組や見廻組が先生の命を狙っています」
新選組が?
伊東先生のその答えに違和感を覚えた。
幕府の組織である新選組。
今回の慶喜の大政奉還は、土佐の考えに従ったもので、朝廷と将軍と大名が一つになって政治を行えばいいと言うものだった。
だから、幕府の組織が坂本先生を狙うなんてありえない。
坂本先生の大政奉還なら、自分たちが生き残る道があるからだ。
それなのに、坂本先生を亡き者にしたら、自分たちの生きる道をつぶすことになる。
だからありえないと思うのだが。
「新選組なんて怖くもなんともない」
坂本先生はそう言いながら私を見た。
視線が合い、私が新選組にいて、討幕派の志士たちを捕縛していたことも、池田屋事件に参加していたことも知っているなと思った。
中岡先生に聞いたのだろう。
ここに座っているのが場違いに感じ、私は頭を下げて部屋を後にした。
どこへ行っても、新選組の藤堂平助は消えないんだな。
そう思って空を見た。
蒼良はどこにいるんだろう。
会いたいなぁ。